第4章: 伝達の果て
徐福――その名は、秦の闇に生まれた影だ。君は、彼をただの伝説の旅人として思い浮かべるかもしれない。だが、神代文字の線が教えてくれるのは、もっと生々しい人となりだ。『史記』秦始皇本紀に記された、冷徹な野心家。斉の琅邪(現在の山東省臨沂周辺)出身の方士、徐市――本来の名はこれだ。生没年不詳、ただ一つの確かな事実は、彼が始皇帝の渇望を、巧みに利用した男であること。
始皇帝、嬴政。紀元前221年に中国を統一した暴君は、老いと死を極度に恐れた。万里の長城を築き、焚書坑儒を命じ、己の永遠を求めた男だ。徐福は、そんな皇帝の前に進み出た。方士として、仙薬の知識を売り込んだ。蓬莱の山に、不死の霊草があると。海の彼方に、永遠の島があると。言葉は甘美で、計算ずくだった。皇帝は信じた。童男童女三千人、五穀の種子、職人たちを積んだ船三隻を、徐福に与えた。紀元前219年、東の海へ。初回の探検は失敗に終わり、皇帝の怒りを買った。だが、徐福は言い逃れた。「海に大魚がいて、船を阻んだ」と。巧みな嘘で、再びの機会を掴んだ。二度目の出航――それきり、彼の消息は途絶えた。
そんなわけがない、と思うだろう。方士など、詐欺師の類だ。始皇帝の信頼を、金と命で買った、ただの策士。『史記』は冷ややかに記す。「徐福は海中に入り、使を遣わさず、乃チ海中に入りて、使を遣わさず」。帰らぬ男として、皇帝の猜疑を煽っただけだ。野心家で、冷酷で、己の保身しか考えぬ。童男童女を犠牲に、船団を率いた男。だが、君よ。もし、それがすべてではなかったら? 神代文字の解析が、徐福の内面を、剥ぎ取るように暴き出していくのを、私は見てきた。詐欺師として生き、皇帝を欺いた男が、海の果てで悔い改めたのではないか――その考察が、私の胸を締めつける。童たちの死、嘘の重み。仙薬の毒を自ら飲み、永遠を諦めた末に、彼は真の「伝達」を選んだのではないか。日本で、技術を教えることで、贖罪を果たそうとしたのではないか。神代文字の歪みは、そんな悔恨の産物だ。
九州では、吉野ヶ里の湿地に船を打ち上げた徐福の集団が、まず稲作の種を蒔いた。私の解析結果が示すのは、「田」の漢字を地面に棒で刻み、苗の植え方を象形化した痕跡だ。言葉の通じぬ縄文の民に、太陽の軌道と水の流れを「氵」の偏で示した。だが、模写の歪みは激しく、南の遺跡では変異率が40%を超える。民は「田」を鬼の巣と誤解し、苗を踏み荒らした。飢えが、集団を駆り立てた。童男童女の半数が、病と寒さに倒れた。ホツマの断片に残る徐福の記録。「種、腐れ。民、疑う。我、字を以て、信を植う」。
岡山の川上神社近辺では、水利の知を伝えた。灌漑の溝を掘り、「水田」の図を石に刻んだ。民は洪水を恐れ、溝を埋めようとした。徐福は童女の命を賭け、デモンストレーションをした。線が示すのは悲劇の断片。「水、恵み。誤れ、毒」。変異率25%。日文の象形が堰の設計を崩した形で残る。
熊野の山野を抜け、和歌山の那智の滝辺りでは、製鉄の炉を築いた。鉄鉱石を運び、「火金」の結合を漢字で描いた。職人たちが槌を振るう姿を簡易図として。原住民は最初、鉄の刃を呪いの牙と恐れたが、狩りの獲物を増やし土器を鋤に変えると徐々に受け入れた。神代文字の線はここで細やかになり、一致率30%。龍体の曲線が「鍛」の変形を示す。「熱、骨を溶く。刃、生まる」。徐福の孤独が滲む。始皇帝の影が夢に現れる夜。「帰らぬ我、海の亡霊か」。
長野の水窪では薬草の知識を蒔いた。各地の石碑が連なる。出土の散在が旅の地図だ。徐福は漢字を盾に技術を押し通し、言葉なき対話で稲の収穫を教え鉄の鋤で土を耕した。集団は減り残った者たちは徐福の血を引く者となった。
ついに東北の青森――蝦夷の果ての寒野。解析の最深部で変異率は5%未満に落ち漢字の骨格がほぼそのまま。徐福はここで力尽きた。雪の降る野に炉を築き最後の鉄槌を打った。「永遠、無し。伝うるのみ」。民に囲まれ王として祀られた。子孫は蝦夷の血と混じり消えた。神代文字の最終刻印――それは徐福の遺言。野心の果てに伝達の重みを悟った男の静かな叫び。
私の解析はここで完結した。すべての線が繋がった。徐福は詐欺師から種蒔きの旅人へ変わった。日本に文明の芽を植えた。神代文字はその歪んだ証。だが君よ。この真実を書き終えた今胸に痛みが走る。解析の夜から続く頭痛が激しくなる。息が浅く視界が揺れる。寿命の予感かそれとも水銀の幻か。いずれにせよ時間は少ない。だが君に届いたならそれでいい。この記録が奴らの嘲笑を越え永遠に残るなら。




