第一話 その7
とは、言うものの、自分自身の為に、ある意味自己満足もあるが、和歌や物語を創ることはあっても人のために、ある特定の人のために何かを創るなんて、ほぼなかった。
改めて考えてみれば、何かの事象があってその事に何かしらの自分自身の心象が動かされ、そして言葉、文字として具現化していくもので。
その人の為にとなると、中々出てこない。
蔀から日の光が零れ落ちてきて、心地よい風も少なからずそよいでいる、几帳をそよそよ靡かせ、少し煮詰まっている今の自分の気持ちを洗ってくれている。
文机の上にある紙の上に一文を書いてそこから先に進まない私を見て、先輩の更衣が大丈夫?と声を掛けてくるほどだった。
ふう、ダメね、と思いながら筆を置き今日は早いけど帰る事にした。特に、いつまでに何をしなければならないといったことは無いので、帰るのは比較的自由。
外に出て往来を眺めていると足早に、武者装束の殿方の一団が駆けていく。
ぼーっと見ながら、あの晩にずっと語り合っていたことが不思議と夢の様に思えて、その一団が小さくなるまで見つめていた。
検非違使の方だったのだろうか、と見送りながら思っていたら、おもいがけずその人の顔がドンと思い出されて顔が真っ赤になる位熱くなった。
和歌づくりに関しては自慢ではないけれども宮中でも指折りな、私がここまで創るのに苦労する事は、無いのに。
その晩、検非違使の方がひょっこりやって来た。
父上や母上は、上を下への大騒ぎで、夕餉の用意や酒、肴の用意をするので、何卒、ごゆるりと、と。
早々に、寝所に引っ込んでしまった。
彼らを見て、明るい御父上御母上ですね、と微笑みかけてきた。
一晩語り合っただけなのに、ズットこの人おを知っているような気がして、盃にお酒を注いぎながら。
彼も語り出した、
私も、日々宮仕えの最中に、ふとあなたの顔が浮かぶのです、そんな時は先輩にぼーっとしているみたいでよく叱られます。そして、出動して洛中、洛外に出張るとき、あなたによく似た人を目で追ってしまうのです。
そう言って、ぐっと盃を飲み干し、何か言いたげに私の顔を見て、また盃にお酒を注いで盃をジッと見ていた。
その横顔を見ながら、段々彼の顔が赤くなっていくのが月明かりの中十分すぎる位分かった。
あの。
はい。
とやり取りした後、
この前、男は、殿方はもっと女性の事を勉強するべきですとおっしゃっていましたが。
私はそうは思いません、確かに配慮はすべきでしょうし、その方の事を考えて行動するのに異論はありません。
ですが・・・、
ですが?と私はこの前と少し様子が違う彼にたじろいでいた。
ですが、好きな人に対して勉強しなければいけないのですか?
と、お銚子を持っている私の手を取って、グイっと引き寄せられた、勢い余ってドンと彼の胸の中に。
え、え、えっ、えー!と彼の腕の中で、心の中で叫んでいた。
彼は丁度私の頭の上にあった。
胸の中は、熱く、心の臓の音が、自分のそれと相まって違う空間にいるみたいだった。
まさに、月の傾きや、風の流れが止まったようだった。
此の世には二人しか、存在していない様なそんな気持ちになっていた。
少し身をよじろうとすると、
ぐいと、力強く、なお体の中にねじ込まれるのではないかと思う位。抱き潰されるのではないかと思う位だった。
私も、これはいよいよ、来るべき時が来たと、覚悟を決め、ここから先は女の覚悟を見せてやろうじゃないのと。目をつぶり腹をくくった。
暫く、何ごとも無く、動きも無く不思議に思った。
あれ?
で、頭の上から、グーグーといびきが聞えてきだした。
暫くジッとして、冷静に自分の体を彼から引き剥がし、むにゃむにゃ言っている彼の顔に鉄拳をお見舞いした。
あくる朝。
鼻に鼻血止めの綿を詰めながら、土下座をする彼の姿があった、私に対して、だ。
女に恥かかせやがって、と内心思いながら、必死に謝る彼の姿を見て、こっちも覚悟を決めたのに、すかされたことが妙におかしくてつい笑ってしまい、お互い顔を見合わせ笑い合っていた。
その一件があって、何か吹っ切れたのか、それから、彼の元に一首贈り続ける姿があった。
ある日は、送った、和歌を彼の前で何回も詠み聞かせ、その詠んでいる姿をジッと見ている時もあれば。
また、ある時は詠んだ和歌を、諳んじるまで、彼が何度も詠むこともあり、雨の日も、雪の降り積もるときも、それは続いた。
何だろう、人の心が、どう思っているのか分かるのは、けっして、勉強だけじゃない、それも大事だが。
とにかく進まなきゃと思って毎日を過ごしていた。
ただ、一点だけは、二人は次の段階に中々進まなかった。
最初は喜んで、送り出していた父上や、母上も最近は進展のない二人にやきもきしだし。
加えて、腹心の友はあきれかえっていた。
どれ程奥手なのかと。
時代遅れなのかもしれない、何とも言い表せない、そこから先は、多分臆病なのかもしれない、お互いが。
そう思っていた矢先。
いつもの、日常が始まるであろうことを疑わないある日。
引き続き、拙作に目を通してくださり誠にありがとうございます。傍点にあります「指折りな」という表現について本来の使い方ではありませんが、イメージ優先で執筆いたしました。