第三話 その2
多分仏頂面って人に聞いたら、百人中百人が眼の前にいるこのお侍の事を指すだろう。
視線は相変わらず浪人共が走り去った方向に向けながら、特にこちらに気を掛けるでもなく、走り去った方を見ていた。
相変わらず、表情を変えずにいた。
助けられた、彼女は。
取り敢えず、私の危機を救ってくれたのだ、お礼は言っておかなくては、と。
お辞儀をして、お礼を述べようとすると、お侍は踵を返しスタスタと足早に歩いて離れて言った。
え、と思っているうちに、そのお侍の後姿を見送る格好になってしまい、イヤイヤ、人がお礼を言おうと頭を垂れている最中に一瞥もせず、一言も交わさず離れていく?
そう思うが早いか、彼女も速足というか駆け足で正面に回り込み、お侍の前に立ちはだかり、
あの。と声を掛けた。
そして続けて、
人が、お礼を言おうと思って頭下げている最中に失礼じゃないですか?
確かに、こんなことを言えた義理じゃありません。原因を作ったのは私ですし、偉そうな事は言うつもりはありませんが、せめて、お礼の義理だけは果たさせていただけないでしょうか?
と、一気にまくし立てた。
お侍は正面に立たれ、一気にまくし立てられたものだから、一瞬ギョッとしたが、
受ける義理。
そう、つぶやいてってお侍は、引きつりながら少し口角を上げた。
あ。
今、バカにしましたね、町人風情が、女風情が、と思ってるんですか?
と、彼女。
お侍は、
いや、と一言。
表情はほとんど変わっていないが、今度は、少し戸惑ったようなようだった。
そして、仏頂面がみるみる困ったような顔になった。
一瞬の間をおいて、
踵を返すとスタスタ逃げるように、いや、逃げ出した。
あ、待てー。
と言って、彼女はその後を追いかけた。
周りから見ると一人のお侍を、年端もいかない少女が追いかけている絵面は、町ゆく人の好奇心を煽るには十分すぎる位で、
何ごとだ、と言わんばかりに往来の人々の目を引いた。
いまはほとんど小走りに走っている侍を、少女は裾をめくれるのも気にせず、
待てー。
と大声で呼びながら走っている。
客観的に見て、ふくらはぎはおろか太腿の付け根辺りギリギリまで露にした少女が走っている、昼間っから。
番所の前を通り過ぎた。
何ごとも無く日々之平和、と番所の初老の役人がお茶を啜っている。
で、眼の前を走り去る少女を見て含んだお茶を噴き出し、この裾を露にした、ふしだらな女の子を制止する為、慌てて、番所を飛び出した。
絵図ではお侍、少女、役人と、何だか訳の分からない絵面になっている。
侍が町の区画を何本か過ぎたところ、正面路地から手招きするものが居た。
やっと助けに来たかと、安堵の表情を浮かべ、チラと、後ろから追いかけて来る少女の方を見た。
少女と成人男性の体力差は如何ともしがたいもの、段々離れていく、でも本人は必至で、走っている。
それを見ているとフッとおかしくなって、笑みがこぼれたが、着物の裾が割れて真っ白な肢体が露になっているのを目にすると、慌てて目を逸らした。
顔が真っ赤になっているのは、走っているからだけではなく、恥ずかしさのあまり、という事は自分でも分かっていた。
路地の奥に行くと、先程の手招きした者が、若、こちらに、そう言ってある商家の勝手口を開けて招き入れた。
勝手口を閉めると、暫くしてダダダと駆け回る音が通り過ぎ、また戻って来た。
路地では少女が、どこ行った、んーどこだーと言いながら、辺りをウロウロしながら《《ふんす》》、と鼻息を吹いてまたしばらくその辺りをウロウロしていたがついに諦め帰ろうとした時、路地の出口でやっと追いついてきた番所の役人と鉢合わせになった。
うちのバカ娘がご迷惑をお掛け致しました。
番所で、
グイグイ娘の頭を押さえ必死に謝罪している、その娘の父親の姿があった。
番所の、その謝罪している男より二回りも年上であろう役人も息も絶え絶えといった様子で、着物もはだけ汗でびしょびしょのまま、何も言えず、荒い息を継ぎながら、もう・・・ 大通りで・・・騒ぎ・・・おこ・・・起こすな!
と言ったきり、早く出て行けとばかりに、腕を手を頭上で左右前後に振り、激しく荒い息を継ぎながら、もう帰って・・・よし!と言ったっきり、番所の引き戸をダンと手荒く締め出され、その場を後にした。
このバカ娘が、と言いながら父親に、引っ張られていった、彼女は憂鬱だった、これから始まる懇々とした説教の事を考えると。
お侍は、路地裏のある商家の勝手口から屋敷に上がると、そこに控えていた書院番が下座にその席を移り、若、町に出歩くのはもうそろそろ危のうございます、と言った。
続けて、
ペルリを筆頭に、諸外国、異国の者どもが来てからこの国は、きな臭くなっております、西の都では不逞浪士が、天誅や、攘夷、などと、憂国の志士を気取って、やっていることは野盗、盗賊と変わらないと聞いております。
しかもサッチョウトサ同盟の動きも活発と聞き及んでおります、いずれにしても、危のうございます。とひれ伏しながら上奏した。
お侍は、
いや、危ないからこそ、この目でしっかり見なければなるまい、市井の人々が安心して生活が出来て、初めて国というものが成り立つ。
初代神君勢威大将軍は、そう言った思いで争いを治め、この国をお治めになった。
我は、その血を継ぐもの。
決して己だけが安穏としてそれでよしとしたくない、その為にも、やはり町の様子はこの目でしっかり見ておかなくては、先代、先々代と我が祖先が培ってきたこの國を大事にしたい、だからだ。
下座に控えていた書院番は
恐れながら、分かりますが、今は状況が変わってきております、国内の事もそうですが、諸外国との関係をどうするかで、国論が二分しているところ。
この機に乗じてこの国を再び戦乱の世とする輩がはびこってる故、若には大事な・・・。
お侍は遮り、
あい会い分かった、そちの思いも分かる、我を思っての事だろう。
と、帰るぞと一言。
そう言うと、書院番が放った式神の上に乗りその場を後にした。
上空高く上がった式神の上に乗っているお侍が15代勢威大将軍だと、追いかけていた少女を含め、町の皆は知る由もなかった。
いつも、目を通していただき誠にありがとうございます、PVのお一人お一人のお礼を申し上げたいところですが、この場を借りましてお礼申し上げます。
今しばらく、この物語にお付き合いくだされば幸いです。




