第二話 その5
先の太閤殿下が身罷り、世は東西に分かれ、時代は長かったその戦国の世の終わりを告げるため、最後の供物を欲していた。
檄文がこの国の東西を駆け巡り、それぞれの陣営が己に有利な条件で引きこもうとしていた折、先代より恩のある主君に仕える為、西軍として父上や、兄上は先に戦場に発って行った。
我々の部隊は、後詰めとして、後方の地を任され着陣した。
太鼓の音が響き渡った。
錚々たる強者が、その威容を並べていた。
合戦の前の、陣の中。
ある者は手槍をしごきつつ、ある物は野太刀を自分の手に結わい付けて、ある物は長巻の刃のささくれ立っている部分を砥石で舐めていたり。薙刀の鞘を払いジッと見つめている者。
御姫様、いや、殿、いかがいたしましょう。
家臣が、下知を賜りに来た。
中には、幼い頃、同じく学び舎で学んだ仲間もいた。
今は、主従関係にある。なんとも複雑な思いがある、が、その反面とても心強かった。
刻々と、戦況報告が斥候から入って来る、味方の優勢が間違いないとの事。
二度三度と、突撃を繰り返し、敵の戦力を削ぐことには成功している。
もうすぐ、日が暮れる。
守りを固め、夜襲に備えるよう、結界を張り、塹壕の手直しを早急にし、休めるものは輪番で、と下知を下した後、各部隊を見て回った。
侍女はお姫様がそこまでしなくてもと、引き留めるのもかまわず、各部隊を激励に回った。
怪我をした者、まだ無事な者、可哀想だが、虫の息の者もあった。
だが、私を見ると、皆立てる者は立ち声を上げ、気勢を上げ、動けない者は、動ける腕や、顔を動かし、細くても声を上げてくれた。
皆、家では愛する者が待っているだろう、守らなけれならない者が居るだろう、そう思うと、自然と涙がこぼれてきた。
誰ともなく、姫様万歳、殿様万歳と勝鬨をあげるものがいて、それに呼応してその輪が広がっていた。
後ろの方で、彼の姿があった。
勝鬨の輪の中を彼の方に歩み寄り、二、三本の痛矢串が刺さった痛々しい姿を見て、思わず目が眩みそうになった。
本当は駆け寄り、その矢を抜いて看病をしたい衝動が、彼の方に向かう歩みの速さの調整を難しくさせた。
彼の所に、傍に来ると、相変わらずのあの笑顔で迎えてくれた。
その瞬間、周りの音の一切が無くなり、二人だけの空間となった。
本当に、彼だけしか見えてなく、彼だけの声しか聞こえなかった。
何を話したのだろう、何を聞いたのだろう視覚、聴覚が彼の存在の上になることは無く、ただ、居てくれたことだけの喜びが全てを凌駕した。
一瞬だった。
ありきたりな、激励のような声を掛け、侍女に促されながら、次の部隊へと移動した。
彼がまだ生きている。
それだけでよかった。
明くる日は、これを最終決戦とするが如く、夜が明けぬうちから、各部隊は敵と激突していた。
移動してきた敵は、この陣地からは敵の大将が丸見えで、一回の突撃で大将首は取れるはず、いや、はずだった。
何度目かの突撃が始まると、味方友軍の陣は一切動く気配すらなく、静観を決め込んでいた。
おかしい。
手はずでは、味方が前に出てくるはず。味方の軍が加勢に来るはず。
その間も、敵は目まぐるしく動き回り、味方陣地を攻略していった。
ここから、目と鼻の先にある敵陣地に突撃しようにも、ここを動くと、味方の退路が断たれ、袋の鼠になる。
と、思案巡らせている時、後方から鉄砲隊の銃弾を、式神を、この陣地に打ち込んできた者が居た。
何ごとと、状況を確認すると、味方であった他国の部隊がことごとく寝返り、我が方に雪崩れ込んできているとの事だった。
しまった。
裏切りか。
あの旗はコバヤカワ氏。
突然後方から撃ち込まれた我が陣は、混乱を極め、姫どうすればいいのでしょうか、殿、ご指示をと、矢継ぎ早に指示を求めてくる。
裏切り者に対する激しい怒りもさることながら、味方の部下たちを一人でも多くこの戦場から撤退させる方法、方策を思考の限界ギリギリまで巡らした。
今まで、攻勢だったものが撤退戦を余儀なくされた。
すぐさま陣をたたみ、殿の部隊を選別した。
が、寝返った事と呼応するように敵の部隊が一気呵成に突撃してきた。
ついと、一人。
そう、彼が進み出てきてこういった。
捨て奸を賜りとうございますと。
捨て奸、またの名を座禅陣と言う。
殿と違い、一緒に逃げながら敵追撃部隊を撃退、足止めをするのではなく。
戦における究極の撤退戦術であり、味方を逃がすため、自身が囮となり、その場に留まり、敵追撃部隊の撃退、足止めのみをその目的として、自身の命と引き換えに味方を逃がすと言う生還率はほとんど無いと言っていい戦術。しかし殿と同じく、ほぼ志願者で占められるという。
うつむいたまま、彼は我が隊を殿ではなく、捨て奸の名誉を、と。続けて言った。
私は震えていた、着物の奥で体が、手が足が寒い。隣で家臣が何か言っている、彼に対してなのか、よくぞ申し出た、そちの家名は永遠に語り継がれるであろう。とかなんとか、何だか自分の耳でない耳が聞いている様で、自分の体で無い身体が動いている様で、ただぼんやりと、そのやり取りを聞いていたように思う。
そしてボンヤリこう思った。
家名などどうでもいい、あなたが居てくれれば。
その横で家臣は続けた、
そちの残された家族の事は心配に及ばぬ、以後不自由なく暮らせるだけの保証は約束しよう。
最後に、何か希望を申してみよ、出来る限りの事は、何、何もいらぬと。殊勝な奴じゃ。
私はある、
あなた、そなたさえいれば、國などどうでもいいのじゃ。
頼む、彼をどうか再び会わせてくれたまえ。
どうか。
心の中で叫んでいた。
姫様からお言葉じゃ心して聞けい。
家臣が我が事の様に言った。
私は、
震えながら、着物の奥で、握り締めていた手を自分の着物の端を切り裂き、ばれないよう、おぼつかない足取りで、彼の前に立ち。
振り絞る声で、大儀である。其方の働き当てにしておるぞ。と血を吐くような気持ちでなんとか声を振り絞った。
そして、彼の手を取り自分の切り裂いた着物の端を手渡し。
せめて切れ端だけでもそなたの傍に居させてほしい、との思いだった。
すると、約束の物ですと言って、血で染まった短冊を渡された。
ああ、あの時約束した和歌。
それを受取り、詠もうとしたが、多分詠んだ途端感情が溢れ出すのが分かっていたから、そのまま懐に仕舞った。
そして振り返ることなく、陣を後にした。
敵が迫る中、追い縋る中。
私は馬上の人となった。
そして大声で泣いた。
遠く近く、大勢の馬の蹄の音と、敵味方の怒号と、刃が打ち合う音と、妖術を放つ音と、鉄砲の銃声と、式神の放たれた時の音。
その音がその泣き声を掻き消してくれた。
遥か後ろでは、彼の幻術が発動したのであろう、凄まじい幻術と、鉄砲の音と、刃同士が打ち合う音がいつまでも耳朶に残っていた。
いつまでも。
数年がたち、全国が統一され、この國の形が整い、もう刀や、幻術、妖術、陰陽術で命のやり取りが不要となった今でも、彼がひょっこり顔を出してくるのではないかと。
そんな日が来るのではないかと、来るはずもない彼を待ち続けている。
懐から、彼のから貰った短冊を取りだしそこに書かれていた和歌を詠んでみた『契りきな・・・』そこまで詠んで涙が溢れてきた。
握り締めた。
すると、ある風景が、見た事の無い風景が、でも覚えている風景が目の前に広がった。
遥か昔の、平安の武者装束に身を包んだ若者が、私に向かい何か話している、場面が変わり、御簾の向こうとこちらで何か話している、また場面が変わり、小川に落ちてはまってしまった私を、笑顔で手を取り助けてくれた場面。
そう、これは私、そして彼。
なぜだかそう思っている。
なぜだかこの事はずっと前から知っている。
良かった。
夢の中でもいい、ずっとこうやって会えたならと。
大空を見上げながら願っている。
今も。
ずっと。
この物語にお付き合いいただき、目を通していただき、お時間もいただき、有難うございます。




