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《影の監察者》記録:第一事案《囁く箱庭》

都市の下層、廃棄された旧市民区。

昼でも陽が差さない瓦礫の路地を、カイルは匍匐姿勢で進んでいた。背中には簡易結界干渉具、腰には影縫い弾(ノクターン・スパイン)を収めた封印銃。呼吸は静かに、意識は一点に。


「……ここから先が、結界の境界線」


目の前に見えるのは、曇った空気の膜──

結界特有の“魔力の折り返し”が生んだ、わずかなゆらぎ。気づかなければただの埃のようだが、訓練を受けた目には“そこにある”とわかる。


カイルは右手の指先で、素早く術式を描く。

簡素化遮断術式コーテン・ディリュード》──


魔力の通路を偽装し、自分という存在を“境界の外”に見せかける、第五等標準の簡易術だ。

集中しながら、結界に一歩踏み込む──


「……っ!」


頭に響く、ざわついた“声”。


『ここじゃない』

『こっちよ、カイル』

『あなたは知っている』

『ぼくは間違っていなかった……!』


一瞬、膝が崩れそうになる。

だが、事前に装着していた耳栓型の制音符《静封珠》が、幻聴の大部分を遮断していた。


「……想像以上だな」


この声は、幻術ではない。

意識に直接浸透する“精神感染型幻聴術式”──

おそらく結界全体が魔力的な“記憶の残響”で構成されている。


「気を抜けば、呑まれる……」


冷汗を拭い、建物の影に身を滑り込ませる。

内部は、かつての商店街だったらしい。だがショーウィンドウのマネキンは逆さに吊るされ、壁の落書きは、ありもしない“家族の記憶”を描き続けている。


──市民が4名、行方不明。


カイルは小走りで路地裏を進み、音を頼りに発見した。


「……っ、これは……!」


壁際に蹲る二人の女性と、一人の老人。もう一人は中年の男で、壁に頭を打ちつけ続けていた。

全員の瞳が虚ろで、口元には笑み。幻覚の世界に“何かを見て”いる。


「ごめん、少しだけ……眠ってもらう」


《昏眠符》を額に貼り、順に意識を沈めていく。身体を傷つけず、脳の幻覚信号を断ち切る簡易処置だ。


だが──


「……見つけた」


声が、響いた。


振り向いた先。

そこに立っていたのは、灰色のローブを纏った一人の女。

白銀の髪に、空っぽの瞳。背後に浮かぶ結界核のような球体が、脈動していた。


──違法魔導者、“ミュゼル・グレイ”。


彼女の視線が、まっすぐカイルに注がれた。


「あなた、わたしの箱庭を壊しにきたの?」


「この世界に、あんたの居場所はない」


言い終えると同時に、彼女が腕を掲げた。

空間がねじれ、黒い音の波が襲いかかる。鼓膜に届く前に、意識の深層に触れる“叫び”──


「……《影縫い弾》、装填完了」


銃を構え、一発。

銀の銃口から放たれた、墨色の矢が空間を裂く。


──《ノクターン・スパイン》。


影の魔力を圧縮し、対象の“魔力運行”そのものを縫い止める、第五等専用の非殺傷術弾。


「っ……!」


ミュゼルが一瞬よろめく。

だが、崩れ落ちるその瞬間、結界核から無数の腕のような幻影が広がる。


(……今、逃げれば、全員無事かもしれない)


脳裏をよぎる“合理的判断”。

だがカイルは、立ち止まらなかった。


「もう一発、いける!」


もう一度引き金を引く。

だが、今度は防がれる。


(次は通らない……なら)


彼は腰の術符を引き抜き、結界核へと投げつけた。


「──《回路断絶符》!」


結界核を取り巻く魔力流を一時停止させる“遮断符”。

術の基盤が瞬間的に凍結され、ミュゼルの全身がびくりと揺れた。


「これで……!」


距離を詰め、一気に体術で制圧する。

腕を取り、地面に押し倒し、術封環を装着。動けなくなった彼女が、うつろな目で呟いた。


「……どうして、あの人を……殺してくれなかったの」


言葉の意味は、わからなかった。

だが──どこか、その瞳に憐憫が残った。


静かに立ち上がり、結界核を砕く。


霧が晴れるように、周囲の幻覚が消えた。


耳が静寂に包まれる。

その中で、カイルはようやく呼吸をついた。


「任務完了。……市民四名、保護。術者拘束。結界、解除済み」


通話符に囁くと、返答があった。


『よくやった、第五等第239番──報告を整え、帰還せよ』


「……はい。これが、最初の一歩です」


誰にでもないその言葉を呟きながら、カイルは薄明かりの射す路地を、ひとり歩き出した。


──影の監察者としての、第一歩。


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