9.逃亡1
イデアは数日かけて、ゆっくりと旅の支度をととのえた。本当はもっと早く出ていくことができたのだが、母と暮らした屋敷を去るのは名残惜しかった。
イデアが今纏っているのは屋敷にたくさんあった使用人のお仕着せを改造したワンピースだ。イデアが大きくなったので、母は元気な時に少しずつ自分の服や使用人のお仕着せをイデアにあうように縫い直してくれていたのだ。
使用人のお仕着せを直してくれたのはいつか城から逃げる時のためだと母は言っていた。母の衣装を直したものは高級すぎるので、街では浮いてしまう。
イデアは母が持っていた貨幣の中でも街で使える銅貨や銀貨を中心に、詰められるだけショルダーバッグに詰めた。このバッグも母が縫ってくれたものだ。後は少しの着替えがあれば、なんとかなるだろう。
最後にイデアは鏡の前で髪を二つに分けて結い上げる。これで旅装の完成だ。
「これも持っていかなくちゃ」
母が作ってくれた万華鏡を覗き込んだイデアは、鏡の中にもぐりこんだ精霊の姿にくすりと笑う。まるで独りじゃないよと言ってくれているようだった。
可愛らしいリボンを着けた万華鏡を首から下げて、イデアは屋敷を見回す。
どこもかしこも母との思い出がつまっていて、息がくるしい。
「さよなら」
イデアはそう呟くと、名残惜し気に屋敷を出た。
それからイデアはまず食糧庫に向かった。
シェフにお礼の手紙を書いたのだ。ミラメアに向かうと手紙には記してある。
イデアは食糧庫に用意されたサンドイッチや焼き菓子をバッグに詰めると、代わりに手紙を置いた。
思えばシェフにはとてもお世話になった。誰もがイデアたちから離れていく中で、シェフだけが陰からイデアたちを支えてくれたのだ。
イデアは少し泣きそうになった。お世話になるのも今日が最後だ。
イデアは城の外に向かって歩き出す。城の門は入るのは難しいが出るのは簡単だと母が言っていた。今のイデアの服装なら下働きの子供に見えるだろう。
案の定イデアは簡単に門の外に出ることができた。
門の外の景色にイデアは驚く。今世では城の外に出るのは初めてだ。
城の門の前には広場があって騎士が目を光らせていた。広場から少し行くと下り坂があり、広場から街を見回すことができた。
イデアは不審に思われないようにまっすぐ坂を下ってゆく。街の建物は白で統一されていて、その美しさはさすが世界一の帝国というにふさわしい。
坂を下りきると、豪奢な貴族街がある。今のイデアの恰好では場違いなので足早に走り抜けた。
そしてもう一つの門をくぐって平民街に出ると、イデアは人の多さに驚いた。もう捕まることは無いだろうと、イデアは息を吐いてきょろきょろと周りを見回す。
前世ぶりの街の喧騒は、イデアの好奇心を刺激した。この世界には前世のようなスーパーマーケットはない。基本的に商店街の様に色々な小さなお店が乱立している。
屋台の食べ物は不思議と美味しそうに見えるなと、イデアは前世の祭りを思い出していた。
「まずは冒険者ギルドに行かなくちゃ」
最初は仕事先を見つけなければならない。複数あった選択肢の内、イデアは冒険者になることを選んだ。冒険者とはいわゆる日雇いの仕事を引き受ける人だ。
いずれは住み込みの仕事を探すことになるだろうが、最初の内は格安で専用の宿舎に住むことのできる冒険者が楽でいいだろうと思ったのだ。
魔物狩りなどはできないが、冒険者にくる依頼には清掃や子供のお使い程度のものもあるとシェフが言っていた。何度か食糧庫で会った時に教えてもらったのだ。
シェフはイデアがいずれ城から逃げるつもりだと気が付いているようだった。だから市井の事をたくさん教えてくれたのだ。
周りを見ながら進んでいると街の精霊たちがこちらを見て手を振ってくれる。目立ってしまうので振り返すわけにはいかないが、イデアは歓迎されているようで嬉しかった。
イデアは屋台で砂糖をまぶした揚げパンのようなものを買い、代わりに店主に冒険者ギルドの場所を聞く。
前世の記憶のあるイデアは、初めての街歩きでもそれほど不自然に見えずに振舞えていた。
揚げパンを食べながら教えてもらった通りに道を進むと、大きな建物が見えた。
「ついた!」
イデアは駆け足で入り口に向かうと、扉を開けた。