60.クリーズメイへ
「神聖ミラメアから接触があった。彼らはイデアが賜った託宣を把握していて、協力してくれるそうだ」
出発の当日、鏡屋に来てくれたビィさんはそう言った。
「ミラメアが調べても、クリーズメイに異常はなかったそうだ。このトツカからミラメアへの国境は厳重に管理されていて、入国時には精霊の祝福持ちが必ず荷物まで調べることになっているが、不審物が持ち込まれた形跡は無いようだと言っている。クリーズメイに着いたらミラメアが案内人を用意してくれているそうだ」
神聖ミラメアとはつくづく不思議な場所だとイデアは思う。ミラメアは決して自身を国家と名乗らない。いわくその土地は精霊王の聖域と領土であり、住む者はみな精霊王の敬虔なる信徒である。あくまで精霊王の土地を間借りしているに過ぎないから国家ではないというのが神聖ミラメアの主張である。
他国との交流のために便宜上王族は存在するし、国としての統制はとれているが、王族より精霊王の方が地位は上だ。厳しい入国審査により半鎖国状態で、ミラメアの中心部になると商人すら入れないという。
ただ精霊の祝福持ちが多く住んでいるため、犯罪は極端に少なく楽園のようだと言われることから移住希望者は後を絶たない。イデアも一応ミラメアの王族の血を引き、精霊王の愛し子であるがミラメアがイデア個人に接触を図ってきたことはない。
そのミラメアが用意した案内人とはどんな人なのだろうと、イデアは興味を持った。
「じゃあちょっと遠いけど、クリーズメイに向かってレッツゴー!」
相変わらずはしゃいでいるルーラと行商の商品を乗せた荷馬車の中に入ると、また賑やかな旅の始まりだ。
「クリーズメイまでは三つの街を経由する。今回は行きながら情報を集めるから、野営は少ないだろう」
ビィさんはやはり狭そうに荷馬車の中で座ると、そう言った。今回は前回より荷物が多いので馬車が狭い。ルーラが万華鏡の入った木箱の上にイデアの手を引っ張って移動する。体重の軽い二人が乗っても木箱は壊れないからナイスアイディアだ。これならエヴェレットとビィさんも窮屈な思いをせずにすむだろう。
「悪いな。天井に頭ぶつけんなよ」
「大丈夫、これがあるから」
ルーラが持ってきたクッションを頭の上に乗せてふざけている。前回の反省を踏まえて今回はクッションを増量している。
「ビィさんもどうぞ」
ビィさんにクッションを渡すと、ビィさんは仮面の下で笑って受け取った。
その顔を見て少し穏やかな顔つきになったような気がして嬉しくなる。
魔物化した時にビィさんとアドニスさんの体に巣食った邪気は全て祓うことができた。後はしばらく精霊が近くに居れば容姿も元に戻るかもしれない。
イデアは二人の変化を注意深く見ていた。ビィさんの髪は今は白髪だが元々は色があったのだろう。根元の部分が少しだけ灰色になっていた。
「ビィさんの髪は元々は何色ですか?」
なんとなくたずねてみると、ビィさんの目が少し泳いだ。言いたくない理由でもあるのだろうか。
「黒髪だ」
「私とおんなじですね! 早く色が戻るといいですね」
「……そうだな」
少し寂しそうに笑うビィさんに、イデアは少しの既視感をおぼえる。こんな顔をいつだか見たような気がするのだが、思い出せない。
「イデア、コマ取りしよう」
ルーラが持ってきたサイコロのような小さなコマを手の中で転がしながら誘ってくる。
「えー、ルーラ強いじゃない」
「ハンデつけるから。やろうよ」
「しょうがないなー」
コマ取りは小さな複数のコマをお手玉のように投げて空中でキャッチする遊びだ。ルーラは手先が器用だからめっぽう強かった。
「コマ取りか、懐かしいな」
「ビィさんもやりましょー。エヴェレットも」
ビィさんはクールに見えるが、ルーラが遊びに誘ってもあまり断らない。年齢は三十くらいだと思うのだが、子供と触れ合うのが好きなのかもしれないなとイデアは思っていた。
「お前強すぎるんだからハンデ三個な。じゃないと勝負にならない」
孤児院のおやつの取り合いでよくコマ取りをしていたらしいエヴェレットは、ルーラの強さをよく知っている。コマを三個追加されたルーラはそれでも不敵に笑っている。このゲームはコマを落とした分だけ点数が引かれるゲームなので、本来三個も追加されたら大変なことになるのだが、ルーラは落とさない自信があるようだ。
ゲームは思いのほか白熱した。馬車の中ではどうしたって揺れるので、自信のあったルーラも揺れに邪魔されてコマを落としてしまう。
そして予想外に強かったのがビィさんだ。このゲームをするのは十年ぶりだと言っておきながらほとんどコマを落としていない。平凡な戦績のイデアとエヴェレットは、ルーラとビィさんの戦いを応援していた。
最終成績はビィさんの勝利だった。ハンデが足を引っ張った結果だ。
「すごいな、きっとルーラは弓も上手く扱えるだろう」
ビィさんにそう言われたルーラは首を傾げている。ルーラは孤児だが帝都に住んでいるので狩りをしなければ暮らしていけないほど貧しくはない。
貴族が集まる土地に住む孤児はその分多くの喜捨があるからだ。
「弓、やってみたい。面白そうだもん」
ルーラは楽しそうに手を上げる。
「なら空き時間にアドニスに習うといい。あいつは剣より弓が得意だ」
「おー、まかせろ」
御者席から話を聞いていたアドニスさんの返事が聞こえる。喜ぶルーラにイデアは自分も何か身を守る術を身につけるべきかと悩んだ。




