5.お母様との日々5
イデアは城にある伯父の執務室に向かった。イデアはもう八歳だ。体も言うことを聞くようになってずんずん進める。
精霊が近くにいることが当たり前だったイデアは気が付かなかったが、伯父の執務室に近づくにつれてついてくる精霊の数はどんどん減っていた。精霊は悪しき者、場所には近づかない。
イデアは執務室にたどり着くと、扉を叩いた。
「伯父様、マヤです。相談したいことがあって……」
扉が開くまでは、長い時間がかかった。中に人が居るのは気配でわかるのに、何度扉を叩いても応じてくれない。
しかしイデアも母のためにあきらめるわけにはいかなかった。
「伯父様、伯父様?」
扉を叩き続けるイデアに苛立ったのか、使用人頭の女性の手によって乱暴に扉が開けられる。
なぜここに使用人頭が居るのだろう。イデアは不思議に思った。
「なんだ、何か用か?」
奥にいた伯父が嫌悪に満ちた顔でイデアに言った。いつもの伯父ではないとイデアは思ったが、言葉を続ける。
「伯父様に相談したいことがあるのです。近頃使用人たちが離れの屋敷に来てくれません。仕事をさぼる使用人たちに罰を与えて下さい」
イデアがそう言うと伯父は笑い出した。
「ミラメアごときが、この帝国の王女気取りか」
伯父の言葉に、イデアは茫然とする。
「精霊の祝福があるからと、頭に乗ったか。お前の父もそうだったな。精霊の力に頼るしか能のないくずが……いいか今の俺は帝王だ。お前たちなどどうとでもできる」
背後から使用人頭の笑う声が聞こえる。イデアは何を言われているのかわからなかった。
「まだわからないのか、やはり馬鹿だな。血は争えない。もっと早く殺してやるべきだったか」
殺すという物騒な言葉にイデアは血の気が引いた。
「お前とお前の母は、帝国の人間ではない。あの憎きミラメアの人間だ。お前らごときがこの帝国の使用人に罰を与えられるはずがないだろう。今も情けで城においてやってるんだ」
イデアは混乱していた。これがあの優しかった伯父だろうか。何かの間違いであってほしい。
「精霊の祝福持ちを殺すのは難しいからな。それにあまりに立て続けに死人が出ると俺の治世にも影響が出る。大人しく離れの屋敷で静かに暮らせ」
茫然と立ち尽くすイデアをあざ笑うように、使用人頭が伯父にしなだれかかる。イデアはその光景を見て、前世の記憶を思い出した。
二人はイデアを侮辱する言葉を吐き続けた。イデアは話すこともできずにその会話を聞いていたが、何も頭に入ってこない。
「そうそう、お前の父親だがな。別に女ができたらしい。もうお前の元に戻ってくることはないだろう」
その一言が決定打だった。イデアは楽しそうな笑い声を聞きながら、せりあがってくる胃液を飲み下して部屋を出る。
イデアの頭の中はぐちゃぐちゃだ。前世の記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
イデアの前世の母と父は、離婚している。その理由は父が浮気をしたからだ。
父は母の親友だった女性を抱きしめながら、母に言った。
「お前みたいなつまらない女となんで結婚なんかしたんだろうな」
それから母はおかしくなった。誇りを持っているのだと言っていた医者の仕事もできなくなって、体を起こすことすら苦しそうだった。
お医者様がいわく、母は心の病にかかったのだという。
広かったマンションを引っ越して、古いアパートで二人で暮らした。
次第に貯金が尽きても母は働くことすらできなくなっていたので、生活保護をうけるようになった。
それなのに離婚のときに定められた養育費の支払いはなく、母はごめんねと口癖のようにマヤに言う。
悪いのは父だ。マヤは母を壊した父を憎んだ。
今世の父とも、もう二年会っていない。母が書いた手紙にも、返事がない。イデアには伯父の言葉が本当のように思えた。
今世の父も母を裏切ったのだ。流れる涙を拭うこともせず、イデアは走り出した。
母の元に行きたかった。早くあの笑顔をみて安心したかった。
だがその途中で、イデアは気が付く。もしこの事実を母に伝えたら、前世の母と同じように壊れてしまわないだろうか。イデアにはそれがとても怖ろしかった。
結局イデアは、口をつぐんだ。伯父が敵である事しか母には告げない。伯父はイデアたちを殺したいようだった。
絶対に母を守ってみせる。イデアはそう誓ったのだった。