48.行商3
テントの中に陽の光が差し込んできた頃、イデアはカンカンと何かがぶつかる音で目が覚めた。隣で眠っていたルーラも目を覚ましたようで、うんうん唸っている。
『おはようイデア。いい朝よ』
「おはよう……アゲハ……」
抱っこしているアゲハが暖かくて、イデアはアゲハにすり寄った。
「テントって寝心地悪いね……」
テントの下はすぐ地面なので体がカチカチになってしまっていた。せめて寝袋があればとイデアは思うのだが、嵩張るし季節的にも今回は持ってこなかったのだ。
「イデア、おはよう。なんだろうねこの音」
「おはよう、ルーラ。さあ、何だろう?」
イデアとルーラは軽く身支度するとテントの入り口を開ける。するとビィさんとエヴェレットが剣を鞘に入れたまま打ち合いをしていた。
「ああ、おはよう二人とも。今スープを作ってるから顔洗っておいで」
アドニスさんが鍋をかき回している。早く顔を洗って手伝わなくては。
イデアはルーラの手を引いて川へ走った。
ちなみにこの世界でも川の水はあまり飲まない方が良いらしい。飲み水は井戸がある村に立ち寄って補給させてもらうのが旅の常識だ。
川で顔を洗って布を濡らすと、軽く体を拭く。この世界では毎日お風呂には入れない、というか湯につかるという文化があまりないので清潔にするには水浴びか体を拭くかだ。
前世では貧乏になった時でさえ毎日お風呂には入れていたので、イデアは少し不満に思っていた。
「どっかに温泉とかないかなぁ……」
「温泉って何?」
「暖かいお湯が地面から湧き出て湖みたいになってるの。それに浸かると気持ちいんだよ」
ルーラは全く理解できないようで首を傾げている。
「お湯が地面から? 誰が沸かしてるの?」
「……うーんよくわからないけど、湧いてくるんだよ」
「へぇー……?」
この反応は多分信じてないなとイデアは思ったが、ルーラを納得させられるほどの知識は持ち合わせていない。
イデアはひとりでまだ見ぬ温泉に思いをはせた。
アドニスさんの元に戻っても、エヴェレットたちはまだ稽古を続けていた。
見たところ、エヴェレットは一撃もあてられていない。それだけビィさんが強いということだろう。
「エヴェレットは冒険者だけど祝福持ちだから、普段戦う必要ないもんね。勝てるわけないよ」
ルーラは辛らつな感想を言うが、イデアから見るとエヴェレットもそれなりに動けているように感じる。戦う必要のない祝福持ちなのになぜだろうとイデアは疑問に思った。
「エヴェレットは前の大火事の時に、火を全部消せなかったことを後悔してるの。それからずっと孤児院でギフトを使う練習とか剣の訓練とか頑張ってたんだって、院長先生が言ってたよ。私は小さかったからよく覚えてないんだけどね」
エヴェレットとルーラには五歳の差がある。昔のことなら覚えてなくても当然だ。
「帝都の大火事といえば五年前の……彼はあの時の少年か。大きくなっているから気がつかなかった」
アドニスさんはエヴェレットの事を知っていたようだ。五年前なら年齢的にもアドニスさんはすでに騎士になっていただろう。帝都での大規模火災などという事件を知らないはずはない。
「あの時通報を受けて現場に急行して驚いたんだ。まだ十歳くらいの少年が、必死に火の広がりを抑えていてな。風向き的にも火の勢い的にも、炎のギフト持ちの彼が居なければ平民街の多くの区画が全焼していたのではないかといわれている」
「そんなにですが? 結局焼けたのは私達の孤児院がある貧民が多い区画だけだったって聞きましたけど……」
「それは彼の活躍のおかげだ。結局うちの隊の水やら炎やらのギフト持ちが完全に消化したが、あの歳で長時間ギフトの力を制御して炎の広がりを抑えるのは並大抵のことじゃなかっただろう」
前に婦人会の会長がエヴェレットを英雄と呼んだが、そういう事だったのか。イデアは納得した。しかしそれほどの活躍をしても、エヴェレットは燃え尽きた跡を見て自らの至らなさを嘆いたのだろう。だからこうして己を鍛えているのだ。
「エヴェレットはかっこいいね」
素直にイデアはそう思った。するとアドニスさんが仮面の上からでもわかるほど妙な顔をする。
「イデア……それゼ……ビィの前では絶対に言うなよ」
「はぁ?」
「絶対に言うな。エヴェレットが死ぬ」
イデアにはさっぱり意味がわからない。ビィさんは自分以外の人間がかっこいいと言われるのを我慢できないナルシストだったりするのだろうかと、イデアは考えた。
しかしビィさんを見ていても、むしろ自分のことにはあまり執着していないように思える。クールというかドライというか、細かいことは気にしないタイプに見える。
アドニスさんの勘違いだろうとイデアは忘れることにした。




