46.行商1
「ソーア村まで行くってんなら、行商として行けばいい。そのほうが村人に警戒されないだろう」
ドンおじいさんは混乱するイデアを差し置いて落ち着いた様子で言う。イデアの出立を止める気は無いらしい。
「……俺も行こう。ソーア村では鏡を神聖なものとして崇めていた。破壊するとなったら騎士である俺もいた方がいい」
ビィさんもドンおじいさんに向かってそう言いだした。彼らは順応性が高すぎるのではないかとイデアは思う。
「俺も行くよ。イデアと騎士だけってのも心配だ」
エヴェレットが名乗りをあげてくれたのはありがたい。よく知っている人が居ないと心細すぎる。
「じゃあ、私も行く。心配だし」
ルーラがイデアの手をしっかりと握って力強く宣言する。肝心のイデアはまだ行くとは言っていないのだが、ここまで来たらもう逃げられないだろう。
「ルーラはいいが、エヴェレットお前は駄目だ。お前が居なくなったら誰が銀水晶を採ってくるんだ」
「昔みたいにアランさんとロランさんが行けばいいじゃないですか」
ドンおじいさんと言い争いを始めた。エヴェレットは絶対について行くと言って引かないし、ドンおじいさんはエヴェレットではなくアランさんとロランさんを供にすべきだと言い張っている。
「そもそも鏡を壊すだけなら私が行く必要はないんじゃないかな? 騎士の人に任せればいいんじゃない?」
アゲハに聞くと、アゲハは悲しそうに俯いた。
『精霊の檻の怖いところは、どれだけ力を吸われても鏡から出られないことなの。やがて精霊は全ての力を吸われて鏡の中で息絶える。人間からしたら確かに一時の豊穣を約束してくれるありがたいものなのかもしれない。でも代償は精霊の命なの。鏡を壊したらその土地にいる精霊を回復させてあげないと、その土地の精霊は居なくなるわ。そうなればその土地は邪気の湧き出る場所になる』
どうあってもイデアの力が必要だということだ。邪術などという謎の術で作られた鏡に近づくのは怖ろしかったが、覚悟を決めなければならないだろう。
「そっか、わかった。行くよ。頑張る」
母に会うためにもイデアは使命を果たさなければならない。護衛もついているのだから大丈夫とイデアは自分に言い聞かせた。
エヴェレットとドンおじいさんの舌戦は、エヴェレットが勝利をおさめたようだ。
行商の帰りに、大量の銀水晶を採ってくることを交換条件にしたらしい。アゲハが銀水晶の鉱脈を見つけられることを、ドンおじいさんには話してある。鉱脈を見つけられるアゲハと、一瞬で硬い銀水晶の採掘ができるエヴェレットの組み合わせは最強だ。
「なに、ソーア村ならすぐ近くだ。三日程度でつくだろう。騎士様方は遠征には慣れているようだし、そもそも魔物化した人間に喧嘩売る馬鹿はいねえだろ。安心しろ。早く精霊たちを助けてやんな」
ドンおじいさんに頭を撫でられて、イデアは少し緊張がほぐれた。
「問題は、その鏡をばらまきやがったやつだな。その犯人を捕まえるのは騎士様の管轄だ。うちの娘を守りきってくれよ」
「無論だ。イデアは必ず守り抜こう」
その言葉でイデアは気づいた。精霊の檻があるということは、それを作った犯人がいるはずなのだ。
「犯人はどうしてそんな鏡を作ったのかな? 精霊が死んでも良いことなんてないと思うんだけど」
『およそ二百年前。イデアの前の精霊の愛し子が誕生した時も、同じことが起きたわ。彼らは人間が精霊を支配し、有効活用するべきだと主張していた。そうして研究の末に生み出されたのが邪術。前の愛し子は邪術をこの世界から根絶させた。でもどこかに残っていたのね』
アゲハは割られた精霊の檻の文様を食い入るように見つめている。
『精霊は世界の循環の一部よ。邪術はそれを壊すもの。人間ごときに完全に精霊を制御するなどできるはずがない』
そう言ったアゲハはとても怖ろしく感じられた。いつものアゲハと、瞳の輝きが違う。まるで何者かの意志が乗り移っているようだとイデアは思った。
『さあ頑張ってイデア。精霊王からの使命を果たすのよ。私も協力するからね』
そう言ったアゲハは、いつものアゲハだ。さっきのはなんだったのかとイデアはアゲハを抱きしめる。
「さあ、出立は明後日だ。行商に必要なものはアランとロランに聞きな」
ドンおじいさんの声でイデアはアゲハから意識を戻す。あっという間に行商としてソーア村に行くことが決まってしまった。
イデアは心に巣食う不安を首を振ってかき消した。すべては母にもう一度会うためだ。それまで絶対にイデアはあきらめるわけにはいかないのだ。




