36.父の悔恨3
半れの屋敷に使用人を招き入れ、掃除を頼むとゼイビアの元にカークからの使者がやってきた。
「……なんでもゼイビアにすぐに地下の鏡の間に来て欲しいそうだ」
アドニスが使者から聞いた内容を話してくれるが、その意図がわからない。
「わかった。すぐに向かおう」
地下の鏡の間とは、壁や床全面が特別力を持った銀水晶でできた特別な部屋だ。特別力を持った銀水晶とは、根の先から掘り出したものだ。銀水晶の根は深い。人力で穴を掘ったくらいでは根の先まで届かない。
鏡の間に使われている鏡は昔、個人のギフトを用いて採掘した銀水晶の根で作った物だ。今ではそれができるギフト持ちが見つかっていないので、破損したら修復困難な部屋なのだ。
だがその部屋の効果は絶大で、少しの邪気ならそこに住む精霊の力であっという間に浄化してしまう。もしかしたらカークはゼイビアたちの体に巣くった邪気の浄化にその部屋を使うよう考えたのかもしれないとゼイビアは思った。
しかしゼイビアたちの体には最早取り返しのできないほどの邪気が根を張っている。これを全て浄化するとなると、きっと城の鏡では足りない。それこそ神聖ミラメアに相談でもしないと無理だろうと思っている。鏡の間でも延命はできるかもしれないが、それだけだ。
しかし鏡の間に入ってゼイビアたちが見たものは、想像をはるかに超えた光景だった。
「兄上……」
真っ青な顔をしたカークがゼイビアに助けを求めるように手を伸ばす。部屋の中は血にまみれていた。
「いったい何があった!?」
ゼイビアの服を掴んだカークが、怯えたように話し出す。
「フランクが逃亡したと連絡が入った後、城に遣える精霊の祝福持ちから、城の精霊が一斉に居なくなったと報告が入りました。訳が分からずとにかく原因究明を命じたのですが、先ほどこの部屋が見つかり……原因はこの血で描かれた魔法陣のようなものではないかと言うのです」
部屋をよく見ると、確かに魔法陣のようなものがある。その上には使用人の服を着た死体が積まれている。死体を引きずったのか、魔法陣の全貌はわからない。意図的に消したとみるべきだろう。四方の鏡は血で赤く染まって、この事件の凄惨さを物語っている。
「この部屋に精霊の気配は?」
ゼイビアは魔物化したため、邪気を感じ取れても精霊の気配を感じることはできなくなった。
「ありません。あれほど美しい部屋だったのに、今は一体も精霊が居ないのです」
事件を調べていた精霊の祝福持ちが嘆くように教えてくれる。
「そうか、不思議なことに邪気も全く感じない。邪気が精霊を殺したわけではないようだ」
ゼイビアが言うと、皆一様に驚いていた。無理もない。精霊は人間には殺せない。精霊を殺せるのは邪気やそれを纏った魔物だけであり、邪気を浄化できるのもまた精霊だけである。それが常識だ。これだけの精霊が一度にいなくなったのなら多くの精霊を殺せるだけの邪気が発生したと考えるのが普通だろう。
「引き続き調査を続けろ。カークはこちらへ」
ゼイビアは青を通り越して蒼白になっているカークを部屋の外に連れ出した。カークはほとんど軍人のような生活をしていたゼイビアと違って血に慣れていない。
二十代になったばかりなのに帝王代理という重責もおわされて、精神的にももう限界だったのだろう。少し休ませた方がいいと判断した。
「カーク。少し休め。仕事なら俺に回してくれてかまわない。マヤの居所はわかった。マヤはとりあえず安全な場所にいる。しばらくは元部下に隠れて護衛をさせるから、迎えに行くのは遅くなっても大丈夫だ」
「……マヤが見つかったのですか!? 私があれだけ探しても見つからなかったのにどうやって……結局私は何の役にも立てませんでしたね……」
落ち込んだ様子のカークにゼイビアは居場所を知っていた使用人が教えに来てくれたのだと語る。カークとは面識のない使用人だから口をつぐんでいたのだろうと。
「大丈夫だから、お前は一旦休め。寝てないのだろう? 隈が酷いぞ。後は任せてくれていい」
ゼイビアは弟を放っておけなかった。先程までイデアの事を考えていたから気がつかなかったが、よく見るとカークはボロボロだ。イデアの居場所がわかり、心に余裕ができてからしか気がつけなかったのは、兄としてあまりにも不甲斐ない。
ゼイビアはカークの側近に引き継げる仕事を全て自分に回すように頼むと、カークを寝室に連れて行って寝かせる。
城中を歩き回ったせいか、翌日にはゼイビアとアドニスが魔物化して変わり果てた姿になったことが下働きにまで知れ渡っていた。
教会は魔物化した人間を、理性のあるうちは同じ人間であると認めている。過去には魔物化した人間に石を投げた人間の方が罰せられた例もある。だから表立って差別する者はいないが、やはり気味悪がられるのは避けられない。
しかしゼイビアは英雄王子と呼ばれるくらいには、国のために戦ってきた。魔物化しても軍人の中にはゼイビアを慕うものは多くいた。ゼイビアはその中から数名選び、イデアの陰の護衛とした。
「イデア。迎えに行くのが少し遅くなるが、どうかそれまで健やかに……」
ゼイビアは懐からボロボロの万華鏡を取り出すと祈る。この万華鏡はかつてイデアが作った物だ。イデアの平穏を祈りながら、ゼイビアはカークからあずかった仕事を急いで片付ける。