35.父の悔恨2
「失礼を承知で問わせていただきます。ゼイビア殿下にとって、マヤ姫はどういった存在でしょう?」
シェフは真剣な、どこか咎めるような表情をゼイビアに向けた。シェフの失礼な発言に怒ったアドニスを片手で制し、ゼイビアは言葉を返す。
「宝だ……何物にも代えようのない大切な……最も肝心な時にいなかった私が今更言えた口ではないが……」
そう語ると、シェフは眉根を寄せた。
「私には、なぜ殿下がお妃さま方を置き去りにしたのかわかりません。邪の森に行っているというのは風の噂で知っていましたが、なぜお戻りにならないのかとずっとやきもきしておりました」
ゼイビアはシェフの疑問に答えることにした。己の恥をさらすようなものだが、確実にジェフはイデアの情報を知っていると思ったのだ。
ことの顛末を知ったシェフは、考え込んだ後に話し出す。
「イデア姫は一度だけおっしゃっていました。父は母と自分を捨てたのだと。だから自分が母を守らねばならないのだと。私にもイデア姫と年頃の近い娘がおります。……恐れながら同じ父として、殿下の行動は間違っていたとそう言わざるをえません」
シェフの無礼極まりない発言に、怒ったアドニスが剣を抜こうとする。ゼイビアはアドニスの手を掴み、首を横に振った。
「ですが、私も父です。殿下のお気持ちも分かります。これをお渡ししようか、本当は迷っていました。今幸せに暮らしているイデア姫の気持ちを考えれば、お伝えしない方がいいのではないかと……しかしお渡ししようと思います。どうするかは、殿下がお決めください」
そう言ってシェフが差し出したのは、一通の手紙だった。
「これは……?」
「イデア姫が、逃亡先から私に送ってきた手紙です。居場所もここに記してあります」
ゼイビアははやる気持ちを抑え込んで便箋数枚に綴られた手紙をひらいた。そこに記されていたのは、鏡屋に下宿することになったこと、銀水晶狩りが面白いこと、友達ができたこと、店の手伝いが楽しいことなどイデアの日常の全てだった。
アゲハという毎日一緒に寝ているらしい正体不明の同居人が出てきたり、ゼイビアにはわからないこともあったが、ゼイビアはイデアが無事なことにほっとした。
「このアゲハというのは?」
「ああ犬です。拾ったらしいのですが、かなり賢い毛並みのいい犬ですよ」
「そうか……そなたがイデアの市井での生活の手助けをしたのだな。感謝する」
「……もったいないお言葉です。結局自分には、イデア姫を救うことはできませんでしたから。だから逃げ出した方が幸せに暮らせるだろうと、知識を与えたまでです」
ゼイビアは片膝をついて話すシェフを立たせると、シェフに言う。
「今日はそなたの作った食事が食べられるだろうか?」
「ゼイビア様がお戻りだと聞いたので、もちろんご用意してあります」
「では、食べながら私が居なかった間のイデアの話を聞かせてくれまいか。支度ができ次第イデアを迎えに行きたい」
「承知いたしました」
ゼイビアは一旦去ってゆくシェフの背中を見つめてため息をついた。イデアの居所がわかり安心したら体の力が抜けたのだ。
「よかったな、ゼイビア。明日、早速向かおう」
「まて、先にこの屋敷を何とかしなくては。綺麗に掃除してからイデアを迎えたい」
「娘を迎えに行くのに体裁を整える必要があるのか?」
「あるだろう……ただでさえよく思われていないんだ……」
アドニスが胡乱気な目でゼイビアを見る。ゼイビアだって、本当は今すぐに迎えに行きたい。だがイデアは言っていたのだ。父は母と自分を捨てたと。捨てられたと思っていたのに父が自分を迎えに来たらイデアはどう思うだろうか。
しかも今の自分は誰にも嫌悪される魔物化した人間だ。イデアに化け物だと拒絶されないだろうか。ゼイビアはそれがどうしようもなく怖ろしかった。だから、少し心の準備が必要なのだ。
安全な場所にいるとわかった以上、出来得る限りイデアが心地よいと感じる場所を作ってから迎え入れたい。何不自由ない暮らしを保証できなければ、イデアは帰りたいとは思わないだろう。
「まさか精霊の愛し子であるからと気にしているのか?」
アドニスの言葉にハッとする。そういえばイデアは精霊の愛し子だったのだと。
ゼイビアは寝物語に妻に聞いたことがある。精霊の愛し子とはなんであるのかを。いわくそれは精霊王から与えられた使命を持つものなのだと。だから愛し子は決して閉じ込めてはいけない。使命を果たせるように、自由を与えなければならない。
ゼイビアは迷った。本当にイデアを連れ戻していいのか。自分はどうするべきなのか。
「使用人を呼ぶ。とりあえず屋敷を明日中に掃除してもらおう。あと仕立て屋と宝石商も呼んで、イデアのドレスを仕立てる」
結局ゼイビアはイデアを連れ戻したいのだ。真綿にくるんで、大切に育てたい。たとえ神聖ミラメアに咎められようと戦ってみせると、この時は思っていた。