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『日曜日の雨 ーー 七十歳からの挑戦』

作者: 小川敦人

『日曜日の雨 ーー 七十歳からの挑戦』


♪雨がしとしと日曜日、ボクは一人で君の帰りを待っている・・・


その歌が流れるたびに、私は中学2年生の自分を思い出す。1967年8月15日、ザ・タイガースの3枚目のシングルとして発売された曲。今でも耳に残る、あの独特のメロディライン。当時の私は14歳で、世間知らずな少年だった。

あの夏は、プールと学校の往復だけの毎日。特別なことは何もなかった。しかし、その単調な日々の中に、ある雨の日曜日があった。

その日は珍しく水泳部の練習をサボった。二階の自分の部屋に戻り、窓際のベッドに横たわって、雨に濡れた通りをぼんやりと眺めていた。手作りのゲルマニウムラジオからは音楽が流れていた。その音は今でも鮮明に覚えている。電波の微妙なノイズと共に届くザ・タイガースの歌声。ビートの効いたメロディと、どこか切ない歌詞が交錯していた。


♪雨がしとしと日曜日、ボクは一人で君の帰りを待っている・・・


歌詞は恋愛の物語だったが、当時の私にはそんな経験はなかった。それでも、その曲には強く惹かれた。今思えば、あの曲が描いていた「待つ」という感情、「一人でいる」という状態が、私の内面と共鳴していたのだろう。

ベッドに横たわりながら、私は漠然とした不安を抱えていた。将来の不安。自分が何者になるのか、何をすべきなのか。中学2年生の私には、それが見えなかった。友達は皆、夢や目標を持っているように見えた。医者になりたい、教師になりたい、パイロットになりたい。でも私には、そんな明確な夢がなかった。

強いて言えば、私の最大の喜びは「眠ること」だった。学校から帰り、宿題を終えると、すぐに布団に潜り込んだ。眠りの中では、現実の不安から解放される。眠りは、私にとって最高の避難所だったのだ。


♪雨がしとしと日曜日、ボクは一人で君の帰りを待っている・・・


あの日、雨の音とラジオの音に包まれながら、私は初めて真剣に自分の将来について考えた。何も見えなかったが、考えてみようとした。それが、私の人生の始まりだったのかもしれない。

時は流れ、私は二十代になった。学校を卒業し、就職し、いわゆる「大人」になった。周りの期待通りに、真面目に働き、給料を貯め、一般的な「成功」の道を歩んでいた。しかし、あの雨の日曜日に感じた漠然とした不安は、消えることはなかった。

二十代の私は、表面上は充実していた。仕事は順調で、同僚との関係も悪くなかった。休日には趣味を楽しみ、時には恋愛もした。しかし、心の奥底では常に問いかけていた。「これでいいのか」と。

自分が本当にやりたいことは何なのか。本当に幸せとは何なのか。目標が見えない。それは中学2年生の頃と変わらなかった。


♪雨がしとしと日曜日、ボクは一人で君の帰りを待っている・・・


雨の日に、ふとラジオから流れてくるその曲を聴くと、あの日の自分を思い出した。変わったようで、何も変わっていないことに気づく。

そして二十代。結婚し、子どもが生まれ、家族という新しい責任を背負った。家族のために働き、家族のために生きる。それが私の新しい目標になった。表面上は、目標が定まったように見えた。しかし、夜中に一人でいるとき、ふとした瞬間に、あの問いが戻ってくる。「本当にこれでいいのか」と。

家族を愛していた。それは疑いようのない事実だった。しかし、家族のために生きることが、自分自身の人生の目的なのか。それとも、それは単なる社会的な役割を果たしているだけなのか。この問いに対する答えは、見つけられなかった。


♪雨がしとしと日曜日、ボクは一人で君の帰りを待っている・・・


四十代、五十代と歳を重ねるにつれ、私は社会的には、それなりに「成功」と呼ばれる地位を得た。総務部長として、私の日々は激務の連続だった。寝る間も惜しんで働いた日々。朝は誰よりも早く、午前4時には会社に到着し、生産工場の朝礼を仕切る。昼食はいつも机の上で簡単に済ませ、夜は11時過ぎまで残業。クレーム処理や新規取引先との打ち合わせで、帰宅するのはいつも深夜だった。

家に帰ると、妻はすでに眠っていることが多かった。週末も緊急の仕事で潰れることが少なくなかった。見逃した子供の運動会、参加できなかった授業参観。家族との時間よりも、仕事を優先した日々。それが、私の中年期だった。

表面上は成功していた。会社での評価は高く、部下からの信頼も厚かった。経済的にも恵まれ、家族に不自由はさせなかった。しかし、心の奥底では常に何かが足りないと感じていた。充実感、達成感、本当の意味での「幸せ」。それらは、手の届かない場所にあるように思えた。

六十代に入ると、仕事からの引退が現実的な問題として浮上してきた。長年働いてきた会社を離れる時、私は複雑な感情を抱いた。そして、妻との死別。

43年間の結婚生活はあまりにも短かった。妻が乳がんと診断された時、私は退職を決意した。しかし、病状の進行は早く、十分に寄り添う時間すらなかった。妻のベッドの横で、彼女の手を握りながら、私は涙を堪えきれなかった。

「もっと一緒にいる時間を作るべきだった」

この後悔の念は、妻の死後も私を離れなかった。若い頃からずっと、家族のために働いてきたつもりだった。しかし、本当に家族のためだったのか。それとも、自分の出世のためだったのか。仕事に逃げていただけではなかったのか。これらの問いに、明確な答えは出なかった。

妻がいない家は、あまりにも静かだった。テレビの音も、料理の匂いも、妻の笑い声も、すべてが消えてしまった。空っぽの家の中で、私は初めて本当の孤独を知った。雨の日には特に、その寂しさが募った。


♪雨がしとしと日曜日、ボクは一人で君の帰りを待っている・・・


ラジオから流れてくるあの曲が、今の私の状況と重なって聞こえた。「君の帰り」を待っている。しかし、もう彼女は帰ってこない。

一方では解放感、他方では喪失感。そして、再び強く感じるようになった問い。「これからの人生で、私は何をすべきなのか」。

退職後の生活は、予想以上に空虚だった。趣味や旅行で時間を埋めようとしたが、それらは一時的な満足を与えるだけだった。心の奥底では、まだあの問いが消えていなかった。

そして、七十歳の誕生日。鏡に映る自分の姿は、明らかに老人だった。白髪、しわ、たるんだ肌。若い頃の面影はほとんど残っていない。しかし、心の中では、あの雨の日曜日に窓辺で考え込んでいた中学2年生と、何も変わっていなかった。


♪雨がしとしと日曜日、ボクは一人で君の帰りを待っている・・・


七十歳の誕生日の夜、私は一人で古いラジオを聴いていた。偶然にも、あの曲が流れてきた。半世紀以上前の曲が、今でも時折ラジオで流れるのは不思議な縁だと思った。

歌を聴きながら、私は自分の人生を振り返った。多くの人々と出会い、別れ、喜びと悲しみを経験した。家族を持ち、子どもを育て、孫の顔も見ることができた。社会的には「成功」と呼べる人生を送ったかもしれない。

しかし、あの最初の問いに対する答えは、まだ見つかっていなかった。本当にやりたいことは何か。本当の自分とは何か。

そして、ある人との出会いが、私の心を揺さぶった。退職後に始めた地域のボランティア活動で知り合った一人の若者だった。彼は障害を持ちながらも、明るく前向きに生きていた。私が何気なく手伝ったことに、心から感謝してくれた。

「おじいさんみたいな人が助けてくれると、本当に嬉しいんです。あなたみたいな経験豊かな人が、私たちの活動に参加してくれることが、どれだけ大きな力になるか、わかりますか?」

その言葉は、私の心に深く刻まれた。それまで私は、自分の年齢を否定的にしか捉えていなかった。老いることは、ただ衰えていくことだと思っていた。しかし、彼の言葉は、私の年齢と経験が「価値」になり得ることを教えてくれた。

それから私は、より積極的にボランティア活動に参加するようになった。障害を持つ人々の支援、地域の環境保全活動、子どもたちへの読み聞かせ。様々な活動に関わるうちに、私は少しずつ変わっていった。

他者のために何かをすることで、私自身が生き生きとし始めた。感謝の言葉や笑顔が、私に新しい喜びをもたらした。それは、お金や地位では得られない種類の満足感だった。


♪雨がしとしと日曜日、ボクは一人で君の帰りを待っている・・・


ある雨の日曜日、活動を終えて家に帰る途中、私はふとあの曲を口ずさんでいた。そして気づいた。今の私は、誰かの「帰り」を待つのではなく、自分から誰かのもとへ「向かう」側になっていることに。

七十歳を過ぎた今、私はようやく理解し始めている。人生の目標とは、必ずしも大きな成功や名声ではない。それは、誰かの人生に小さな違いをもたらすことかもしれない。自分の経験や知識、そして時間を、必要としている人々に分け与えること。

人生の終焉に近づいている今だからこそ、私には与えられる新しい役割がある。それは、過去の経験を活かし、次の世代を支えることだ。七十年の人生で得た知恵や経験は、決して無駄ではない。それらは、誰かの役に立つ貴重な資源なのだ。

年を取ることを恐れていた私だが、今は違う。七十歳からの挑戦。それは、自分の残された時間と能力を、誰かのために使うという挑戦だ。それはカッコいいことだと思う。少なくとも、私自身はそう感じている。

中学2年生の頃、雨の日曜日に窓辺で感じていた漠然とした不安。二十代、三十代、そして七十代に至るまで続いていた「本当にやりたいことは何か」という問い。それに対する答えは、案外シンプルだったのかもしれない。

人の役に立つこと。それが、私の残りの人生の目標だ。


♪雨がしとしと日曜日、ボクは一人で君の帰りを待っている・・・


今でもこの曲を聴くと、あの日の自分を思い出す。窓辺で雨を眺めていた少年。未来が見えずに不安を抱えていた少年。その少年に、今の私は言いたい。

「大丈夫、いつか見つかるよ。遠回りするかもしれないけど、必ず見つかる。そして、それは思ったより遥かにシンプルなことかもしれない。」

雨の日曜日。今日も私は、誰かの役に立つために外出する準備をしている。年老いた体は、かつてのように動かない。しかし、心は以前よりも軽やかだ。

七十歳からの挑戦。人生の最終章で、私はようやく自分の居場所を見つけた気がする。それは決して遅すぎることではない。むしろ、この年齢だからこそ見つけられた答えなのだと思う。

窓の外では、しとしとと雨が降っている。静かな雨音を聞きながら、私は穏やかな気持ちで外出の準備を続ける。今日も誰かが、私を待っている。

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