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方舟聖女  作者: 京ヒラク
断片
35/37

夜鷹のためのパヴァーヌ

――――

エピソード「夜鷹のためのパヴァーヌ」の断片・プロット

――――


外郭要塞の残骸に立つリル。「天月の獣」を見上げている。


天月の獣――球体とその下部から垂れ下がる半身の女体から成るケモノ。「月の書」に記された最上位の個体。


宙に浮かぶ球体の周囲の空間は陽炎のように揺らぎ、その揺らぎ越しの風景は灰色と白の漂白された景色となって見えている。球体から落ちる影の領域もまた、色を失い、白い花が咲き乱れる草原へと変化している。


球体から垂れ下がり地面を仰ぎ見る女体を、リルが睨む。


「姉さん……」


リルの〝夢〟に出てくる自分の姉と思わしき女性。その姿をケモノに見た。夢の中の自分は、姉に対して敵意とも憎悪とも、はたまた嫉妬ともとれる感情を抱いていた。端的に言うと、姉が大嫌いだった。

リル自身は眼前の存在を強大な脅威としか見えていない。そのはずだが、心の内からは〝夢〟の中のもう一人の自分に憎悪にも似た感情を焚きつけられていた。



シースケースから、折れた剣を抜く。鈍い光が煌めく。

己の身に向けられる感情に反応してか、「天月の獣」の支配領域が波のように、一層大きく揺らいだ。


リルは折れた剣型神器〈耀う堅き悲憤〉を「天月の獣」の女性半身の部分目掛けて投擲した。その刃は、垂れ下がった女体の胴を切り裂き、リルの手元に返ってくる。

ボトッ、と切り離された半身が白花の花畑に落ちる。すると、球体の表面がボコボコと泡立ち、激しく波打った。数秒ののち、球体は溶け落ち、花畑に降り注いだ。

白い花の咲く草原が瞬く間に、リルのいる残骸の場所まで広がる。白花の領域に入った途端に景色が変わる。天上には、赤みがかった巨大な月が浮かぶ。その光の注ぐ花畑の中心地から、人型の実体がその身を起こす。青白い肌の色をした2メートルほどの存在。女性であることが見て取れる身体つき、異様に長い4本の腕、背からは触手とも縄ともとれる紐状の物体が天へと向かってたなびている。



リルは、それを見て、笑う。

折れた剣を構え、囁く。


「vanitas vanitatum――」


折れた剣に刃が生えていく。淡く光る、薄片の結晶。構造色の剣身に景色が透けている。





「学校」内、技術棟。


ふらふらと通路を歩くウルリカ。

ウルリカは戦力から外されていたが、病室を抜け出していた。

鎮痛剤や興奮剤をかき集め、ポーチを薬剤でいっぱいにして。


制止するスタッフを押し退け、封印されている自らの神器を解放する。


大鎌を手にウルリカは空へ落ちていった。






ケモノの如き唸り声をあげ、リルは「天月の獣」に斬りかかる。

白い花が舞う。

リルの攻撃の多くは躱される。当たった攻撃も浅く、大してダメージを与えられていない。


獣の頭上に光輪が浮かぶ。瞬間、閃光と衝撃が一帯に走る。

リルは吹き飛ばされるが、要塞の残骸に衝突する直前で体勢を整え、足で壁面に着地した。そのまま、跳ぶ。

「天月の獣」はその背にたなびく紐状の物体を四本のうち二本の腕で掴むと、天から引きずり出すように剣とも槍ともとれる武器を引き抜いた。

跳躍し斬りかかるリルの攻撃を、獣は剣で受け止める。受け止めたほうとは別の刃がリルへ振り下ろされる。

リルは飛び退って、回避。

今度は獣から攻撃を仕掛けてくる。何度か攻防を繰り返すが、ついには獣は斬り結んでいる間に空いている二本の腕でリルを掴む。

悪態を吐き、喚き散らすリル。

万事休す、かというところに、ウルリカが突っ込んでくる。「天月の獣」の腕を二本斬り落とし、リルを抱えて離脱する。


ウルリカの腕の中で、獣の如く唸るリル。


「リル! 落ち着いて……。いい? あなたはリル。遠くの誰かじゃない」ウルリカは宥めながら、リルを抱き締める。


幾分冷静になったリルが、苦しそうに言う。「……どうして。どうしてあんたがここに」


ウルリカの身体は限界が近いことを知っている。戦いの場には出てこないで、病室のベッドで寝ていてほしかった。


「寝たきりも疲れるんですよ……、ですが……そんなことより目の前の脅威を片付けちゃいましょう」



ウルリカの大鎌は、どこの部位を斬っても斬撃が頸部にも加えられる断頭の呪いがある。腕を斬れば首も一緒に断たれる。

しかし「天月の獣」はその腕を斬り落とされたが、頸部には一切傷はなく、腕の損傷すらほとんど再生していた。

相手との「格」が大きくかけ離れているために、呪いが効力を発揮しなかった。

神器の格が足りず、断頭の呪いは機能していない。


威力不足とはいえ首に命中すればクリティカルヒットになる脅威に「天月の獣」は、行動パターンを変えた。

ウルリカを優先的に狙うようになった「天月の獣」。ウルリカには異能があり、獣の攻撃はウルリカに届くことはない。

しかし、ウルリカの状態は万全ではなく、息が切れてくる。

ついには、ふっと身体の力が抜け、跪くウルリカ。髪や肩に花弁が《《くっついている》》。震える手で、インジェクターを腿に突き刺そうとする。

その隙を敵が逃すはずもなく、「天月の獣」がウルリカへ向かう。

リルが間に入ろうとするが、数条の黒い光で縫い留められ、動きが封じられる。


「ウルリカッ――」


ウルリカの手からインジェクターが転げ落ちる。ここまでか、と諦めに飲まれながらも、迫り来る死の姿をまっすぐ見据える。


攻撃がウルリカに届こうというとき、一条の光が「天月の獣」を穿った。






「貸しだ、ぜ……」


援護射撃をしたゲルトルード。その顔には両目を横切る傷。死闘の痕跡。

目を潰されていたが、スキルを使ってリルとウルリカの動きを捕捉していた。

しかし、目だけでなく身体のほうも満身創痍、夥しい血を腹から流している。立つこともままならない。



瓦礫からケモノが立ち上がる。岩のような外皮の頭と巨大な顎、触手を束ねたような蠢く筋繊維の半獣半人型のケモノ。頭部は半分ほどが円柱状に抉れ、躰にいくつも開いた穴からは血が噴き出ている。肉が蠢き、少しずつ損傷を再生させている。


「まだ、生きてんのか。しぶといな」それは自分もだけど、と愚痴るゲルトルード。


ケモノの肉体は、再生しながら、新たな変化を始める。背から、血管のように羽根が広がっていく。

目が見えなくなっているゲルトルードも、脅威が迫ることは察していた。ふらつきながら大型ライフルを構え直す。

岩のようだったケモノの頭部が裂け、花弁のようにもイソギンチャクのようにも見える形状へ変化した。中心の巨大な眼球がゲルトルードを凝視する。


そこへ、数発のスモークグレネードが投げ込まれる。

ティナが現れ、ゲルトルードを担ぐ。


「先輩、大丈夫ですか。もうすぐ砲撃が来ます。ここを離れますよ」


ティナがスキルを使って、空間跳躍し、その場を離れる。

数秒後、数発の迫撃砲弾が煙幕地点に着弾した。

有効打ではあるが、倒すには至っていない。それは織り込み済みで、なんとかゲルトルードを確保したかった。

ティナが手持ちの救急セットでゲルトルードの応急処置を試みる。零れた腸を腹に押し込み、傷を覆ったが、すでに多くの血が失われており、すぐに必要な処置をしなければ死んでしまう。しかし、その処置ができる場所はこの都市にはあまり残されていなかった、「学校」まで戻らなければならない。ティナのスキル「ジャンプ」でもそれなりに時間がかかるし、そもそも移動にゲルトルードの肉体は耐えられそうにない。


「どうしよう、どうしよう……」ゲルトルードの血で濡れた両手を見ながら、おたおたする。



その背後で、第二波の砲撃が、ケモノに撃ち落とされる。煙幕から姿を現したケモノは、肉塊を撃ち出した。肉塊は砲撃地点へ飛んでいき、砲兵を消し飛ばした。

焦っているティナは、その様子に気付いていない。


「わたしは置いて別のところへ行け。他の助けられそうな奴を助けるか、ケモノどもを一匹でも多くぶっ殺したほうがいい」

「でも、ガート先輩は必要な人だから」

「こんな死にかけがか? 助かるような傷じゃないことはわかってる。まだ身体が動くうちに、アイツだけは片付けておきたい」

「アイツ?」


ティナは、ハッとすると、瓦礫から顔だけ出して、ケモノのいる場所を窺う。100メートルほど離れた煙幕から出てきたケモノ。通常であれば裸眼では顔の判別も難しい距離のはずだが、ティナはケモノと目が合ったと感じた。


「ヤバいヤバいヤバい――どうしよう、どうしたら」

「……だろ? ここはわたしに任せて、お前は遠くへ」

「でも――」

「でも、じゃない。わたしの自殺に付き合う必要なんかないんだぜ?」


わかった、と渋々従うことにあいたティナ。


「せめて、遺体が残るような死に方してくださいよ」強がりにも似たセリフを吐き捨てる。


ティナの気配が消えたことを確かめたゲルトルードは立ち上がる。潰された目でケモノを見据える。

ケモノも獲物を見つけ、俄かに震えた。


「狩りより楽しいものはない――そうだろ? お前も!」ゲルトルードは力を振り絞って、声を張り上げた。






ゲルトルードの援護で、回避する猶予を得られたウルリカとリル。

リルはウルリカに薬剤を注入する。注射で身体が動くようになったウルリカはさらにもう一本のインジェクターを首筋に刺した。緊急時とはいえ、使用制限を上回る投与量。

案ずるリル。


「ウルリカ、それ以上は――」

「わかってる、わかってるから邪魔しないで――」


リルの言葉を遮り、ウルリカは最後に一際長い針のついたインジェクターを胸に突き立てる。

ウルリカは痙攣し、そのあとスッと立ち上がった。


「ウルリカ……」

「わかってます。……ですが、それよりもまず……」ひどく真面目な顔で。身体の異変などないかのように、言う。「コレをヤりましょう」



損傷を負った「天月の獣」は再生を終え、ゆらゆらと佇み、二人の少女を見ている。

獣の頭上の光輪の内側の景色が黒く染まり、中心から光を放つ。日暈の如く、輝く。白い花畑は地平の果てまで広がり、遠巻きに見えていた都市は見えなくなった。

リルとウルリカ、そして「天月の獣」は別の空間に跳んでいた。



ウルリカは大鎌を構え、呟くように告げる。「憐れみ給え――」

リルも結晶の剣を構える。

「天月の獣」は、わずかに宙に浮かび、4本の腕を広げる。その背後には巨大な月が浮かんでいる。空中から大槍と大剣を引き抜いた。


リルとウルリカは駆けた。獣へと肉薄する。


黒く耀く光の雨が降り注ぐ。

ウルリカの異能で、彼女に触れる数センチ手前で雨は止まる。しかし、義手である左腕には雨が届き、侵食されていく。大鎌にも傷がついた。

「天月の獣」はウルリカを優先的に狙う。振る舞われた大剣を躱しきれず、大鎌で受けるが、支えていた左腕は衝撃で破壊された。異能で肉体へのダメージはないが、それでも薙ぎ払われ、勢いで弾き飛ばされる。


リルも自身を追従する黒光の雨や結晶の棘を躱しながら、ウルリカを気にかける。


「ウルリカッ」

「大丈夫、まだヤれる――」


ウルリカは、空中で無事な三肢を振って、投擲された大剣を躱しながら、姿勢を立て直し、宙を蹴って、再び「天月の獣」へ向かう。大鎌を逆手に持ち直し、斬りかかる。胸には、黒い燐光を放つ結晶が衣服を突き破って露出している。リルに比べれば、回避以外にもリソースを割ける自分が何とかしなければならないと考え、果敢に攻める。

吶喊するウルリカを再び黒光の雨が襲う。それを掻い潜り、ウルリカは肉薄する。雨が静止する地点が徐々にウルリカの肌に近くなっていく。

右腕だけで大鎌を振るう。身体を捻り、重心移動と遠心力で刃を叩き込む。

「天月の獣」はウルリカの一撃を二本の腕で構えた大槍で防いだ。大鎌の鋸刃が槍に食い込む。

黒光の雨が俄かに止み、今度はウルリカめがけて天から紐状の杭のような物体が数条落ちてきた。やはり、ウルリカの数センチ手前で止まるが、ゆっくりと距離を縮めていく。


短時間だが雨が止んだことで、リルの行動を阻むものはなくなった。ウルリカに集中している「天月の獣」へ一気に詰める。


「はぁあああッ――」


獣が空いたもう二本の腕を薙ぐ。リルはそれを飛び越え、自身の攻撃のレンジに敵を収めた。

結晶の刃が閃く。

ウルリカに降り注ぐ黒杭ごと薙ぐ。一撃は「天月の獣」の持つ大槍もろとも、その肉を切り裂いた。振り抜いた、一瞬、背後の空間が揺らぐ。

心臓を断ったはずだったが、わずかに下に斬撃がズレた。即座に分かれた胴体が繋がり始める。

二撃目を浴びせようとするリル。しかし、結晶の刃は砕け、元の折れた剣に戻っていた。それでも無理やり「天月の獣」の懐に潜り込み、その胸に刃を突き立てる。

心臓に切先が触れたとき、リルの肌に黒い光が差し込んだ。次の瞬間、リルはウルリカに腕を掴まれ、放り投げられた。

ウルリカに黒色の結晶の杭が降り注ぐ。ウルリカの肌に到達する前に、砕け、霧散する。しかし、ウルリカがスキルを維持するのは限界で、数本の杭がウルリカに突き刺さった。

背を穿ち、身を貫いた杭は、地面に刺さり、砕け散った。痛みは、もはや感じないが、肺に穴が空いたことで、息が満足にできなくなっていく。咳き込み、血と吐きながらも力を振り絞る。胸の幻炎はいまにも消えそうなほどに弱くなっている。


「ッ――、く、ぅぅっ――」


ウルリカは獣の胸に突き刺さった剣を握り、押し込んだ。心臓まで刃が届いたところで、ウルリカは力を保てなくなり、柄から手を離し、ふらふらと後退り崩れ落ちた。

獣も膝を突いた。天を仰ぎ、その口からは歌のような響きが零れる。空に、小さな穴が空き、その穴の奥は虹色に明滅している。

吹き飛ばされボロボロのリルは大鎌を拾い、天を仰いで歌う「天月の獣」へ歩み寄っていく。鎌を振り上げ、その首を斬り落とした。

その瞬間、天が割れ、元の景色に戻った。


後に残るのは、消えずに残っている白い花畑と、その中に立ち尽くすリルと横たわるウルリカのみ。

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