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方舟聖女  作者: 京ヒラク
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18/37

対抗訓練(2)

 ウルリカとパルサティラを先頭に「聖女」一行は原野を進む。遠くの方で煙が上がり、微かに銃声も聞こえてくる。早くも演習場の諸処で交戦状態。

 一同が林地へ差しかかろうとしたとき、


「待って!」アネットが叫んだ。


「どうした」イリスが低い声で尋ねた。


「何か変です、見られてるような」違和感を訴える。「いや、もう囲ま――」


 アネットの訴えを遮るように、交通事故のような衝突音が響いた。ひしゃげたアローシャフトが宙を舞う。

 アネットの背へと迫っていた亜音速に達する常識外の矢、それをイリスが鞘に納まったままの神器で打ち払った。

 アネットの被弾を防いだものの、運動エネルギーを受け流しきれずに、イリスも弾かれる。


「散開!」イリスが叫ぶ。


「とっくに散開」アネット以外の面々が口々に答える。


「認識阻害かステルスがいる。アネット、敵はどこに――」


「もう来てます!」焦るアネット。戦闘態勢。


 ウルリカたち「聖女」の一団に、二本の赤い楔が飛び込んできた。

 少年が二人。臙脂色の戦闘服。ルクシュテルンの神器兵。

 アネットを挟み、ウルリカたちを分断する作意は明らか。初動で重要目標狙い。


「アネット!」


 アネットに一番近い位置にいるうえ、初撃を打ち落としたことで脅威度を高めたイリスめがけて、光の矢が降り注ぐ。躱し、弾き落すので手一杯の状況を押しつけられた。狙撃による制圧、行動抑制。遠距離攻撃への対抗手段に乏しい聖女チームには厄介な手。

 孤立したアネットに迫りくる紅衣の刺客。


「いきなり()()()か。幸先いいぜ」炭灰色の髪の少年が言った。


 彼の握るケーブルで繋がれた双剣の刃が、アネットを襲う。

 アネット、とっさに封印布で包まれた剣で受ける。衝撃が突き抜ける。


「くぁ――」小さく喘ぎが零れる。


 体格差に加え、不意打ち。苦しいアネット。追い打ちをかけるようにもう一人の少年が肉薄する。アネットには見覚えのある人物、先日のイリアシュタット派遣の際に会ったラルス。

 アネットの脳裏、先輩たちごめんなさい、詫びの言葉が巡る。万事休す。思わず目を瞑りそうになる。

 ふっと、腕に伝わる重さが消え、視界に何かが躍り出た。

 パルサティラが双剣持ちを蹴り飛ばした。

 アネットとラルスの間に割り込むロズメリー。散弾銃の銃口がラルスの眼前で鈍く光る。


「あなたの相手はわたし」ロズメリーは言い、引き金を引いた。


 素早く二射。

 訓練用の低致死弾だとしても高確率で致命傷になる距離。これに反応できなければ話にもならない。ロズメリーにしてみれば、軽い挨拶。

 ラルス、銃撃を躱し、ロズメリーに殺気の焦点を合わせた。


「ハハッ、コイツは厄介そうだな」隠しきれぬ戦意を誤魔化すように、おどけてみせる。「上級だろ、お前さん、資料で見た」


 それなりに勉強熱心なラルスは、事前資料で手強そうな「聖女」を予習していた。目の前の少女は上級戦力として記載のあったロズメリーだ。警戒すべき対象で、このチームの中で相手が務まるのは自分くらいだろうと考えた。ラルスには高い能力と、自信がある。


「へえ、物覚えがいいんだ……。すごいなぁ――すごい、本当に、そう」ロズメリーは真面目な調子で言った。


「……要注意の相手をチェックしておいただけだ。そこまで感心するようなことではないだろう」ぼやく。


「わたしも予習はしてきたけど、全然思い出せない。だからあなたはすごい。すごいと思ったことは、どのくらいすごいかに関係なく、すぐ言っておくべき。こういうの大事」


「そうか。だとしても戦いに来てるんだ、評価されるならそっちのほうでされたいものだけどな」肩を少し竦めてみせた。


 それもそうかも、とロズメリーは小さく笑みを浮かべた。

 二人が軽く言葉を交わしていると、大袈裟に痛みを訴えながら、蹴り飛ばされた少年が立ち上がった。


「クソッ、やりやがったな。もう少しだったのに」首に手をやり、言う。


 少年は、アネットの手を引き遠ざかるパルサティラを睨んだあと、指示を仰ぐようにラルスを見た。


「ヤン、平気だな。俺はこいつをやる。きみたちはフラッグを潰してくれ」


「了解。しかしノーラが……」


 ノーラという名のルクシュテルンの生徒は、真っ先にウルリカに攻撃を仕掛け、二人は既に一団とは離れた所へ移動してしまっていた。

 ラルスは、放っておけ、と首を傾げた。ヤンと呼ばれた少年は頷き、無線機に呼びかける。


「シモーネ、アロイス――、俺たちで逃げた目標を追撃する」


「わかったわ」気怠げな調子の返事があった。


 声とともにどこからともなく現れた赤い髪の少女――シモーネは見せつけるように欠伸をして、生地のない骨だけの傘を回している。傘としての機能の欠けた、奇妙な傘は、それが少女の神器であることを隠すことなく主張していた。


「にしても、さっきの吹っ飛ばされ具合、傑作だったわ。カメラを持ってこなかったのが残念ね」


「言ってろ」吐き捨てる。


 ヤンは身を翻し、森の方へと向かう。シモーネも彼に倣う。去り際、声を出さずに「カッコつけんな」と言い残していった。

 場を離れる二人を流し見、口を開くロズメリー。話すタイミングを見計らっていた。


「お話は終わった?」


「追わなくていいのか、旗役が追われているんだが」


「ん、強そうなヤツを止めるのがわたしの仕事。あなたを行かせないだけで、あっちの負担はかなり減る。そっちこそ、行かなくていいの?」


「こちらもお前を足止めできれば、仲間の勝率が上がる」


「願ったり叶ったりってやつ?」


「その言い方は違う気もするが……。まあいい、そういうことにしておこう」


 それきり言葉もなく見合うロズメリーとラルス。

 お互い、出方を窺っている――わけでもなく、ロズメリーは目の前の少年の顔と名前をうろ覚えの事前資料と照らし合わせようと試みていた。気合を入れて〝予習〟をしたが、あともう少しのところでその成果が出てこない。歯痒さのあまり、自分の頭の信頼性のなさに悪態を吐きたくなる。

 対するラルス側も、難しい顔をしてジッと見つめてくるロズメリーの一挙手一投足を注意深く窺っている。ロズメリーが強いという情報を持っているがゆえの過剰な警戒。

 しばしののち、ロズメリーは考えるのをやめ、楽な姿勢をとった。ぼんやりとラルスを見据えている。急にどうしたのか、と困惑するもより警戒を深めるラルス。


「――ええと、こういうときはなんて言うんだっけ……」斜め上を見て言う。「お手柔らかに? 優しくして?」


 惚けているようにも見えるが、ロズメリーは大真面目だった。数少ない同年代男性との対面の機会。別の都市の人物ともなれば、希少も希少。記憶力に乏しいロズメリー、そんな彼女が忘れる必要がないほどに出会いの機会はなかった。ロズメリーはロズメリーなりに緊張しているし、内心では男子と話せたことに喜び、浮かれてもいた。有り体に言えば、ワンチャンスがあるかもしれないと期待していた。


「旧第一九番都市、『学校』所属、ロズメリー。よろしく。改めて言うけど、優しくして、ね」


 ロズメリーは、シャツのボタンをいくつか外して、谷間とインナーを見せた。コルセット様の装具で、胸が強調されている。それから、軽く膝を折り、身を低くして礼をした。

 場違いな挨拶の仕草。挑発の意図もあるが、参照元がウルリカゆえに妙な気色も混ざる。ロズメリー的には、ウルリカは色々な意味で煽りの精神の塊だった。


「挑発のつもりか」


「お好きに」


 散弾銃へ消費した分の弾薬を装填し直すロズメリー。二発を一動作、習熟した手つき。流れるような動きで、射撃姿勢に移る。銃床を肩に乗せ、銃を横向きに。銃口はラルスを捉えている。

 フッ、とラルスは小さく笑い、自身のガンブレード型神器の切先をロズメリーに向けた。


「ルクシュテルン校のラルス・ヴァイス。訓練やら『聖女』やら、新型とかはこの際、やめだ。お前に勝って、俺は己を証明する」




   ◆


 誰が指揮するでもなく、聖女チームの面々はすべき行動を理解していた。


 一に、狙撃手の射線を切るために森へ入ること。ルクシュテルンチームに探知系能力者がいるのは間違いなく、隠れても位置は特定される。だとしても、直射させないことで狙撃手に少しでも負荷を強いられれば、それでいい。

 二に、一対一の状況を作り、相手の連携を断つこと。新型神器兵はチーム戦を想定した異能と武装を採る構成が多い。相手のペースを乱す。

 三に、早々に自分の相手を倒して、重要目標アネットを援護すること。そして、アネットは身を守ること。



 ウルリカはノーラの強襲に早々と森の中へ。ロズメリーはラルスと交戦中。イリス、パルサティラ、アネットは双剣持ちヤンと傘持ちシモーネの迎撃と狙撃手の対処へ。

 事前に思い描いていた完全な想定どおりとまではいかないが、勝機のある状況にはなっている。

 そう思いたいが、実態はイリスたちは実体非実体両方の矢の雨に曝され、反撃の機もないまま、森に追い立てられるように進入した。森に入るなり狙撃は止んだが、相手側の意のままに動かされているようで、居心地がよくない。それがイリスたちの所感だった。


「クソ、バカスカ撃ちやがって。アネット大丈夫か?」


「あ、えと、はい」


「なんすか、イリスちゃん先輩、わたしの心配はしてくれないの?」膨れるパルサティラ。


 腹に矢が刺さっている。矢というよりも杭といったほうが近い径と硬度、質量のシャフト。おたおたした様子でパルサティラを見るアネットと、反対に事もなげな本人とイリス。


 溜息。「必要ないだろ、どうせこの程度じゃ死にはしないんだから」


「ひどい」呟き、矢を引き抜いていく。


「ごめんなさい。わたしを庇って――」本当に申し訳なさそうにアネットが言った。


「いいって。盾になるって言ったのはわたしだから」


「だったらなおさら――」


「そういうのは終わってからな」イリスが諭した。いまはやることがあるだろう、と言い足した。


「改めて作戦会議するの?」パルサティラが尋ねた。引き抜いた矢を杖代わりにして身を預ける。


「まあな。相手がわかったから対応の仕方も変えられる」


「なに気取ってるんすか」ぼそっと言う。


 パルサティラのぼやきに両手を小さく上げ肩を竦めてみせるイリス。わかりやすくおどけた態度。


「……だったら、わたしが伏兵やる」パルサティラが手を小さく上げた。不敵に笑い、眼鏡を押し上げる。「相手はわたしが重傷で動けないと考えるはず。探知スキルは基本的には生死は判別できるけど、詳細な状態までは見極められない。コスパ重視の新型に与えられるスキルならなおさら」


 パルサティラが動かずにいれば、探知スキル上では、待機中なのか養生中なのかは区別できない。矢が命中したことは目視もそうだが、地面の血痕からもわかりうること。戦闘に参加せず離脱もしないとなれば、動くこともままならないほどの負傷をした、と考えるはず。パルサティラはそう意見した。

 パルサティラの言葉に、なるほど、とアネットは頷いている。


「お互いの参加者の情報は事前に交換してるんだが、一応」


「たしかにそうだけど、短い交戦時間で顔と名前、能力を一致させるのは、結構難しいよ。わたしはできてない。相手が参加者全員の情報を覚えてないことを願おう」気楽に言う。「それに資料だと、わたしとイリスちゃん先輩は準二級だからマークは薄いよ、きっと。神器だって三級だし、言ってみれば雑魚もいいとこじゃない? ちゃんとお勉強してきてれば、そうなるはず」


「重要目標を制圧すれば勝利、とくればなおさらってか」


「そう」頷くパルサティラ。


「えっと、それってわたし……囮、になるってこと、ですか?」おずおずとアネット。


「実質」


「ふぇ?」


「少し本気出していいよ」


「本気って……。わたし、自分のこと強いって言われてもピンと来なくて……」


「本当に危なかったら、わたしが割り込んで盾になるから」


「……」この人は攻撃を喰らいたいだけなのでは、とアネットの頭に疑念が浮かんだが、考えなかったことにした。




   ◆


 アロイス、ヤン、シモーネのルクシュテルン組。


「二手に分かれたな」


「ターゲットのマーカーを優先しよう」


「ああ。……しかし、妙だな。逃げたのは三人のはずだ。探知には二人しか掛からない。どこへ行った」ヤンが首を傾げる。


「逃げたか、死んだんじゃないの? 人数が減ったなら、好都合よ。さっさと終わらせてしまいましょう」




   ◆


 大木を背にウルリカは両手を顔の横に掲げていた。その胸元には剣槍の穂先が突きつけられ、磔になる寸前といった様相。


「……怖いですね。最初から心臓狙いとは」ウルリカが冷静な声音で言った。「あなた、たしか、ノーラちゃんでしたっけ。殺せる人のようですが、少し踏み込みが甘いですね」


 槍を踏み込み突き立てた、その勢いのまま、ノーラとウルリカはフィールドを突っ切り森へと分け入った。が、どれだけノーラが剣槍を突き入れても、その穂先がウルリカの肌はおろか、衣服に触れることすら叶わなかった。


「ッ――あんたのスキルは『絶対防御』ってあったのに。嘘の情報だったってこと?」


 槍型の神器のほとんどに障壁へ有効打を与える特性がある。ノーラの剣槍〈夜祓の塔〉も例に漏れず障壁特効の機能を有する。それが通じない、ウルリカの〝防御〟は壁や盾とは異なるのか。


「ああ、交換用の情報では『絶対防御』と『立体機動』というふうになっているんでしたっけ。『聖女』の異能はピーキーですから、本人にも厳密なところはわかりません。自己申告ほど信用ならないものはないですし、第三者視点では『絶対防御』も『立体機動』も間違ってはいませんし……。騙そうだとか、情報戦をしようとか、そういう意図はないんです」一息吐き、目を細め微笑む。「――でも、防御と聞いて盾や壁だと勝手に勘違いしたのはそっちでしょう? 相性有利だと思って狙ったはいいものの防がれて……可愛いですね」


「~~~~!」形にならない声をあげるノーラ。


 俄かに沸き立った怒りと羞恥に任せ、剣槍を大振りに薙いだ。刃が首を横切るようにして。

 ウルリカは避ける素振りもなく、ただそのまま立っているだけだったが、やはりその一撃がウルリカに触れることはなかった。刃はウルリカの首に触れる数ミリ手前で止まった。

 ノーラが寸止めしたわけでもなく、それどころか背後の樹木ごと斬るつもりで振り抜いたはずだった。事実、ウルリカが背を預けている大木は、ウルリカの首を通り過ぎた場所まで刃の圧で抉れていた。


「そんなのでは届きませんよ。全然()()」ウルリカは冷ややかに告げた。


 とはいえ、内心、ウルリカは驚いていた。自分に届くことはないが明らかに急所を狙ってきているのを目の当たりにするのは、慣れ事とはいえ、肝が冷える。


「クソビッチが――」吐き捨てる。


 跳び退り、構え直すノーラ。


「可愛い女の子がそんなこと言ってはいけませんよ」揶揄い気味に諭す。「ギャップがいいって方もいるのでしょうけれど、わたしの好みではないかな」


「ふざけないでッ! 余裕ぶりやがって」


「ふふ、ごめんなさいね。さきほども言ったように初撃から急所を狙ったことは評価します。わたし以外の相手だったらヤれていたかもしれませんね。でも――」ウルリカが真面目な調子で言う。「対象の取捨選択においては、まだ目がよくない、未熟だと言わざるを得ません」


 ノーラは舌打ちを堪えた。ウルリカの余裕綽々、上から目線の態度が気に入らないが、この程度の挑発に律儀に反応していたら身が持たない。自分はルクシュテルンの代表として来ているのだ。結果を残さなければならない、こんなわけのわからない女相手に消耗するわけにはいかない。

 その内心を察してか否か、


「では、こうしましょう。一〇数えますので、その間わたしは動きません。数え終えるまでに一度でもわたしに触れることができたら、あなたの勝ちです。あなたの言うことを聞きましょう。死ねと言われたら死んでも構いません。ですが、わたしに触れられなければ……」そのときは――、ともったいぶるように指を唇に当てる。「――白狼の狩りを見せてあげますよ」ウルリカは妖しく笑みを浮かべた。


「イキってられるのもいまのうちよ」ノーラも引き攣った笑顔で返した。


 それはあなたのほう、と内心返すウルリカ。こんなところで言葉で殴り合うのは不毛。そもそも言葉の喧嘩は、結果が不明瞭で実感も乏しい。目の前の少女を〝更生〟させるには、神器兵としての格の違いを肉体的な暴力によって教え込むよりほかはない。

 ウルリカが、コホン、と演技じみた咳払いをした。


 ――では、


「ひとーつ、ふたーつ」


 カウントが始まる。

 ノーラが剣槍を振るった。刃先はウルリカに届かない。透明な何かに阻まれている。続けて、連撃を繰り出す。それも、そういう曲芸をしているかのように、紙一重で逸れた。


「みぃーっつ」


「ああ! もう!!」


 かすり傷さえ負わせられないことに苛立ち、気が急くノーラ。


「なんなのよ、いったい!」


 型も構わず、剣槍を振り回す。やけっぱち。攻撃が中りさえすればいい。

 それでも、ウルリカに刃が触れることはおろか、剣槍を振った風圧でウルリカの髪や衣服がなびくこともなかった。

 淡々と、数える声がノーラの耳に入り込んでいく。


「とお――」


 さきの宣告どおり、カウントを終えると、ウルリカは合図とばかりに納刀したままの戦術刀を頭上へ放り投げた。

 ノーラは視線を刀へ移した。動くものを目で追ってしまった。

 その隙、ウルリカが眼前に迫っていた穂先を拳で弾いた。磁力の反発のような、柔らかくも硬い感触で跳ね返される。その奇妙な手触りの反撃に、ノーラの体勢がわずかながら崩れた。

 その隙を逃さず、

 ウルリカはノーラの腕を掴み、足を払い、背負い上げると、一振りに投げ飛ばした。ノーラは、受け身を取る間もなく、勢いよく樹に激突した。

 天地が返り、宙に浮かんだ感覚ののち、強烈な衝撃がノーラを襲う。

 嘔吐、失禁、眩暈。全身が震え、動けない。

 遅れてやってきた肘と背の痛みに嗚咽し、涙が溢れる。「痛い、痛い」とうなされるように口から零れ、身を竦めるノーラ。


「さあ、泣いていないでかかってきてください」落ちてきた刀を受け止めて言った。「骨は折れてないんですから」


 ウルリカは何事もないかのように澄ました顔で立っている。

 ノーラにはそれが恐ろしかった。無様を晒すノーラを笑っていたのであれば、怒りで奮い立つこともできただろう。


悪い狼(フローズヴィトニル)……」上擦った声で零れた。


 技量で遠く及ばないどころか、それ以前に地力の差があまりにも大きすぎた。ふっと湧いた虚無感を前に、ノーラの口から笑いが溢れ出てくる。


「あは、あははは――」


 壊れたように笑うノーラ。ウルリカは興味を失ったように背を向けた。その隙を狙って、

 ノーラは跳びかかった。


「ですよね」


 ノーラの攻撃をひらりと避けるウルリカ。

 この程度で戦意を失うような戦士ではないだろうという、見立てどおり。ノーラへの好感度が上がった。半ば自棄になりながらも戦いを放棄しなかったことは、この場においては評価に値した。



 ――、

 ノーラは諦めずに攻め続ける。が、ウルリカはその手を尽く躱していく。


「これでもッ!!」ノーラの双眸が光った。


 ノーラが異能を使った。


「――ッ」


 眩暈と耳鳴り。突如襲った酔いにも似た不快な感覚にウルリカはふらついた。


 ノーラの異能の効果――対象の感覚を失調させ、認識を撹乱する。類似した異能はイリスも持っていて、何度か受けたことがあった。


 さしものウルリカも心構えのない状況で、まともに喰らってしまえば、影響は免れない。

 感覚の不調から醒めるまでは、ほんの数秒。しかし、それは戦いの場では大きな隙。

 復調したウルリカ。目前に、投擲された剣槍が迫っていた。

 ノーラの放った最後の手段。剣槍〈夜祓の塔〉の機能限定解放。槍型神器の例に漏れず、投擲時に目標を追尾し、目標を逃さない。さらにこの神器は命中時に光熱を放ち、敵を滅ぼす機能がある。制限下の解放だが、それでも一人を塵にするには過剰火力。

 後方へ身を引き、抜刀するウルリカ。目前に迫る剣槍を叩き落さんと、刀を振る。刃が触れ合い、戦術刀の黒い刀身が火花と溶け散っていく。


 一瞬の煌めきののち――、

 ――ウルリカは光に包まれた。


 閃光、熱波の放射。さながら小さな太陽。地を抉り、樹木を焼く。半径およそ一〇メートルのクレーターを形成。

 役目を終え、剣槍は遣い手へ飛び戻った。ノーラは力尽き倒れている。指一本動かす体力も気力も残っていない。その柄を掴まれなかった剣槍は、独りでにノーラの横へ突き立った。主人の代わりに立ち続ける意思を見せるように。最後まで立っていたのは自分だと言うように。


 しかし、必殺の確信はすぐに揺らいだ。

 クレーターの中心で、動く影が一つ。

 ――ウルリカ。

 破壊の只中にいながら、帽子を落とした以外には傷一つない。


 ノーラはいますぐにでも慟哭してしまいたかった。遠く及ばなかったことに、己の弱さに。俄かに憤りと歯痒さが湧いたが、すぐにそれらは消え、寂しさがノーラを満たした。


 ウルリカは、短くなった刀を鞘に納めると、帽子を拾い上げ、土埃を払い、告げた。


「最後の最後で、ギリギリですが、甘く採点して合格ということにしておきましょう」



 ウルリカは、ふと空を見上げた。


「みんなは大丈夫でしょうか……」ノーラに聞こえるように言った。


 木々の隙間から、信号弾の青い彩光が煌めき、彩煙の尾が引いていた。

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