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方舟聖女  作者: 京ヒラク
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14/37

記憶の方舟(3)

 男の頭が弾け飛ぶのと、ほぼ同時にパシンという軽い音が鳴った。続けてパチパチと小石を投げたような音が室内に響いた。鉄製の鎧戸に指で突いたような小さな穴が開き、一筋の光が建屋に差し込んでいる。先ほどまでは存在しなかったこの穴が、事象を起こしたのは一発の銃弾であることを示していた。


 時間が止まったかのような静寂が場を包む。


 大男の身体が崩れ落ちる。その音と合わせ、扉が勢いよく蹴破られた。鉄の引き戸がひしゃげ、地面を跳ねた。

 現れたのは、黒いスーツ姿の人物。青灰色の髪に、閉じられた右目と傷――リル。


「お見事。〝武器破壊〟成功」袖口のマイクに話しかける。


『武器破壊の報奨ちょーだいね』


「わかってるよ。ごめんね。仕事に戻って」


『了解。そっちも無理はしないでよ。イリアシュタットの部隊も分隊規模だけど向かってるから』



「ははは、思ったよりも早いし派手だな、おい」リーダー格の男は、芝居がかった口調で言った。


 ゆっくりと辺りを見回すリル。人質の様子に、敵の配置と数、装備を確認していく。突入時には椅子に縛りつけられた少年の陰に隠れていたために、見えていなかったウルリカに目が留まった。

 後ろ手に縛られ、半裸で跪かされている。加えて人質の一人が処刑寸前。


「ふぅ。街の警備を出し抜くだけの力があるのだから、敵ながら優れた〝兵士〟だと思っていたのだけど。ずいぶん余裕があるのね」リルは誰に向けてというわけでもなく言った。



「捕まえろ」リーダーの男がウルリカの肩を掴み、命令。


 扉から近い位置にいた二人の武装犯がリルに迫っていく。リルはその場に、立っているだけで、逃げる素振りも戦おうという素振りも見せない。

 一人がリルの手を掴もうと、手を伸ばした瞬間。リルは武装犯の手を掴み、一気に引き寄せ、盾にするように背後に回り、彼の腰に提げられた拳銃を奪った。

 もう一方の武装犯がとっさに自動小銃の筒先を上げるが、彼が引き金を引くよりも早く、リルは拳銃の安全装置を解除し撃った。

 銃声と着弾音。反響。観衆の耳と全身を揺らがせ、身を強張らせる。

 撃ち出された銃弾は頭に命中。撃たれた武装犯は後ろ向きに突き飛ばされように倒れた。彼らの防弾装備は超至近距離だろうと拳銃弾を停弾できる。しかし、彼は撃たれたのは人生で初めてのことで、想像以上の衝撃と音に驚き、混乱、転倒した。

 リルはその隙に、拘束した男の膝を折り跪かせ、防弾装備の隙間がある首筋から頭側へ三発。

 最初に被弾し倒れた男が呻きながら立ち上がろうとしているが、彼の頭を押さえ後頚部から心臓や肺に弾が到達するように射撃。ステープルガンで板を留めるかのような、人を撃っているとは思えない流れるような動作。十数秒にも満たない間の出来事。


 様子を呆けたように眺めていた残りの武装犯たちも脅威を理解したのか、号令をかけられる前にリルへ殺到。

 五人の武装犯、A~E。

 撃ち切った拳銃を正面先頭の武装犯Aに投げつける。拳銃とヘルメットのぶつかり合う鈍い金属音が不気味なほどに響く。Aは絵に描いたように盛大に倒れ、受け身もとれず後頭部を打ちつけた。後続の四人は彼を避けようと広がる。

 リルは落ちた自動小銃を拾い上げ、慣れた手つきでセレクターを単射に設定、コッキングレバーを引く。装填済みのカートリッジが吐き出される。

 狙いもそこそこに発砲。不幸にもランダム射撃対象に選ばれたのは武装犯B。鳩尾付近に命中、非貫通。撃たれた衝撃で、つんのめりながら倒れ込む。そこへ追従するようにさらに五発。胸部や浅い角度で中った二発以外はアーマーを貫き体内へ侵入。対人用途に設計された弾丸は臓器や重要な血管を傷つけ致命傷を与えた。

 リル、銃を左手に持ち替え、姿勢を低くし、射撃を続ける。武装犯Cの下腹部に命中。うつ伏せに倒れる。

 Dが掴みかかろうとリルの背後から迫る。

 リル、躱して足を払う。

 転んだDに数発。

 一息、リル。

 芋虫のように倒れもがいているCの頭に、冷静に狙いをつけ一発。ついでとばかりに弾倉に残った弾を死体へ向かって撃ち切る。

 血溜まりが広がっていく。

 自動小銃を無造作に投げ捨てる。バシャリと血溜まりへ飛び込む。

 死体の手から散弾銃を剥ぎ取り、装弾を確認。

 ゆっくりと、残る武装犯を振り返る。

 Aを介助しようと、彼に寄っていたEはリルと目が合った、後退りながら銃を構えた。彼は、恐怖や初めて人の形をしたものを狙う緊張など様々なストレスで震えながらも、リルという眼前の脅威を確実に排除しようと彼女の頭に照準を這わせる。

 リルは、ゆらゆらと武装犯Eを試すように揺れたあと、素早く体を傾け、引き金を引いた。胴に命中、よろめく。

 起き上がろうと膝を立てた武装犯Aの関節を撃ち、立ち上がれなくさせる。続いて武装犯Eに詰め、内腿部に一発、首にもう一発。

 弾切れ。

 後に残され、泣くように喘いで地を這うAの後首に銃床を垂直に振り落とす。

 用済みとばかりに散弾銃を放り投げる。



 呆気にとられた様子のリーダー格の男。

 現場の武装犯はすでに彼しか残されていない。次は自分の番であることは明白。


 出方を窺っているのか、男を見つめ動かないリル。警戒している。

 男側もウルリカ、リルを見やり、悩むような戸惑うような素振りを見せている。


「クソ、だがしかし……」


「別にあなたが手を放してもわたしは逃げませんよ」彼にだけ聞こえるように言った。「戦士として死ねる最後の機会ですよ」


 男には、それが悪魔や魔女の囁きにも思えた。

 しばし逡巡するように宙を見つめるも、やがて決心したようにウルリカから離れ、リルを見据える男。

 一歩一歩と踏みしめるように、間を計るようにリルへと近づく。右手は背に担いだ剣の柄に触れている。


「どうした、かかってこないのか?」


「残りはあなた一人だけ。諦めて降伏するのが頭のいい選択だと思うけど」


「それは双方にわずかでも利益がある場合の選択肢だ。今回の場合、こちらにメリットは何一つない」


「生存は利ではないと」


「そうだ。生きることは与えられた理であり、求めるものではない」


「だとしても、あなたを活かすことを必要としている者もいる。具体的に言うと欲しいのは情報。今回の〝事件〟のこと。あなたが主導者ではないってことは想像に難くない。協力してくれれば――」


「仮に捕らえられたとしても話すことは何もない。お前たちの知りたいだろうことは、お前たちがそれを知ったところでどうしようもない。お前たちには扱えない情報だ」


 背の剣を降ろした。柄の長い、反りのある片刃剣。男がその柄を握ると、キィと小さく笛のような音が鳴った。その刃は持ち主に呼応するように仄かに赤く明滅している。


「やっぱり神器か、それ。どこかの脱走兵か」


「脱走兵……。ある意味ではそうとも言えるが、見捨てられた、と言ったほうが正しいな。未帰還者の生存率は極めて低い。部隊全員の安否を確認してから現場を離れる余裕が常にあるとは限らない。選択としては間違いではない。だから見捨てられたこと自体は恨んではいない。どのみち過ぎたことだ」


「そう。なら投降しなさい。いまなら一九番都市の権限であなたくらいなら保護できる」


「そうやって引き延ばすことで俺から情報を小出しにさせるつもりか? それとも援軍が来るまで時間を稼ぐのか?」


「いや、ただの手続きよ。わたしは別にあなたのことはどうでもいい。あなたの持ってる情報が欲しい人はいるけどさ、それをあなたが吐くとは思えないし。もし吐いたとしても、あなたが言ったようにわたしたちには見方がわからないだろうね。わたしにとってこの場で優先されるべき仕事は、高価値個体の保護と優先目標の排除。つまり、そこで恥じらいもせず裸になってる彼女と、あなたのこと。あなたが神器兵じゃなかったら、テキトーに縛って当局に突き出すだけで済んだのだけど」


「なるほど、『聖女』というのは面白いな。もっと早く出会いたかったな」感傷的な目。すぐに切り替え、低く響くような声音で告げる。「だが、お前は仲間を殺した。付き合いは短く、愚かな連中だったが、それでもいまはあいつらが仲間だ。俺にはその権利がある」


「無茶苦茶だな、それは。だいたい、さきに仕掛けたのはそっち」


「そうだ。お前の言葉を使うなら、これは手続きだ。話が通じない。だから交渉は決裂し、俺はお前たちへ刃を向け、お前は俺を殺す。そういうことだろう?」


 懐から仮面を取り出し、装着。


「あなた、名前は?」


「アハト、いまはそれで充分だろう」そう答え、構えるアハト。


 リルは近くの死体の腰からナイフを二本抜き取り、右は逆手に、左は順手に握った。クリップポイントのブレード、着剣装置付きの鍔、革製ハンドル。好みのスタイルではないが、贅沢を言っていられる場面でもない。


 二人は同時に地面を蹴った。




――

 リル、アハト、双方、互いの力量や戦法を窺う攻防。

 打ち込む、躱す、踏み込む、受け流す。その繰り返し。


 わざと隙を見せ、誘う。相手の動きをコントロールして隙を突きたいが、噛み合わず攻めあぐねるリル。リーチと体格の差が効いている。

 アハトはリルが様子見に徹せざるを得ないことを見抜いてか、大胆に攻めに転じた。

 一撃一撃に重みが乗る。

 守りに入らざるを得なくなるリル。避けきれずに、ナイフで剣を受け流し、弾く。

 火花が飛ぶ。


 リルの右側を積極的に狙ってきている。目が見えていないと踏んでの攻撃。

 実際、リルの右目に正常な視力はない。しかし、黒い特殊義眼は活性法石(ユーサイト)の反応を捉えることができる。

 この場に限れば、アハトの心臓とその付近の太い血管部は右目でも見えている。だが、剣筋は視認できないため右方向は死角であることに変わりはない。


 打ち合いに耐えられず、ナイフが砕ける。

 とっさに投擲。

 アハトは、それに構わず投げつけられたナイフごと大きく横に薙いだ。

 リル、敢えて突っ込む。ここで後退するのは危険だと判断。

 潜り込むように、すれ違う。

 二連の斬撃が空を斬った。リルが退いていたら立っていたであろう位置。


「ほう、これも避けるか」


「いやらしい男」


 シャツの右側の襟に引っ掻いたような線状の跡が残っている。


「弱点を狙うのは定石だ。だが、お前さんの場合は弱点だと理解しているから決め手にならんな」


「死角側から首を狙われるのは慣れているもので」死体の装備から新しい武器を拝借。肘から指先ほどの長さの刃渡りの銃剣。「どうした? 話かけたりなんかして、疲れたのならもうやめにしましょうか」


「はは、まだだ。やっと準備運動が済んだところだ。楽しくなってきたな。お前もそうだろう」


「まったく、どいつもこいつも」


 一気に詰めるリル。加害距離的に不利である以上、懐に入り込むしかない。銃を使っても、おそらくは銃口の向きで射線を見切られる可能性が高い。


 肉薄、右手の銃剣による攻撃だと見せかける。

 アハト、受けようと構える。

 掻い潜り、左手で掌打。鳩尾を狙うが防弾プレートに阻まれ、最大の威力は発揮できない。しかし、胸部への打撃はわずかな隙を作るには充分だった。

 一瞬、息が詰まるアハト。

 リル、その隙を逃さず、顎へ蹴り上げを放つ。

 アハト、それをすんでで躱す。足が顎先を掠める。

 視界からリルが消える。

 しまった、とアハトが思いかけたとき、彼の背に衝撃が走った。腹の中で凍てつくほどの冷たさと焼けるような熱さが染みる。

 背後からの刺突。四〇センチの刃が装具の隙間から侵入。切先が胸側の防弾プレートに当たり、衝突音が響く。

 リルの手に鈍い振動が伝わる。

 捻り込む。

 リルの膂力、防弾板との衝突で銃剣は折損。

 素早く後退。

 アハト、振り向く勢いのままに剣を薙ぐ。刀身に炎が宿る。

 刃がリルを追う。

 身体を反らせ、ギリギリで躱す。胸先を刃が掠める。

 背後の壁が熱と斬撃の衝撃で破壊される。

 リル、避けた勢いのまま後方へ倒立回転し、体勢を直し、アハトと向き直る。

 アハトの握る太刀の刀身に薄っすらと炎が揺らいでいる。



 リルはアハトと太刀を見つめた。

 適合者の受けた傷害に応じて出力を増強、あるいは放出するタイプの神器か。頭の中で反芻するように呟いて情報を整理。

 いままで機能を使ってこなかったのは、手加減や不具合ではなく条件を充分に満たしていなかっただけだろうとも。

 さきの一撃で心臓こそ破壊できなかったが、腎臓か肝臓に刃が通ったはず。普通であれば致命傷。しかし相手は普通の人間ではない。この手のカウンター系の機能を有する神器は生命維持機能もセットの場合がほとんど。それを過信し火力を出すためにわざと被弾し、引き際を間違えて戦死する例をリル自身も幾度と見ている。総じて高いバランス感覚の要求される神器の系統。脱走し一線を退いたとはいえ、今日まで生き長らえてきた彼は高い技量を持つと再確認。

 アハトへの評価、脅威度を修正する。

 どう対処するか。

 神器の生命維持機能の許容量を超えるまで逃げ続けるか、距離を保つか。それはリスキーだと判断。おそらくは他の剣や槍型の神器と同様に投擲時必中の効果があると推測。最悪、斬撃必中や長射程化の可能性も考えられる以上は、下手に時間をかけて出力を上げさせるわけにもいかない。



 ――次で決める。

 そう考えたのはリルだけでなく、アハトも同じ。

 アハト、踏み込む。リルが動く前にカタをつけようと。

 リル、死体をアハトへ向かって放り投げる。


「外道が――ッ」


 振りかけた刃を止め横へ避けるアハト。

 その隙、リル、横合いから蹴りつける。

 アハト、反応が遅れ、もろに蹴りを受け、壁へ叩きつけられる。その勢いのまま、壁を崩し外へ。

 リル、疾走し追撃。

 ギリギリで受け身をとったアハト。考えるよりも先に迎撃態勢。左手を突き出し、肩に担ぐように太刀を構える。

 目標に向かい一直線に飛ぶリル。

 一〇メートルほどの距離。リルがアハトに到達するのには二秒もかからない。しかし、両者にとってはもっと長いように思える時間。

 互いに、神経を研ぎ澄ます。相手の呼吸まで聞こえるほどに。

 大太刀のレンジに入る。ギリギリまで出方を窺い、振り抜く。

 リル、紙一重で躱す。

 躱されるのは想定の範囲内。次の一振りが本命。

 それよりも早くリル。刃の背を押さえ、剣を握る腕を掴む。

 勢いと体重移動で、捻り、投げ飛ばす。相手の腕を潰し、投げざまに剣を奪う。

 投げられたアハト、なんとか姿勢を保ち両足で着地。一、二メートルほど滑り膝を突いた。

 だらりと垂れた右腕は布を絞ったように捻じれ、血が滴っている。


「やはり足りないか……」やられた、というふうに力なく笑う。


 アハトもかつては手練れの神器兵の一人であり、並みの相手であれば勝てる力をいまでも持っていた。それでも現役の上級聖女には競り負ける。相手は神器なしという彼にとって圧倒的な有利条件下でも。

 アハトは自らの衰えと、想像以上の実力差を感じた。

 降伏のチャンスを捨て、武器まで奪われてしまったとなると「奥の手」を使わざるを得ない。


「この手は使いたくなかったが……」


 杭状の法石(ユーサイト)結晶を取り出す。薄く紫がかった黒い結晶。角度によっては緑の光も混じる。


「あなた、死ぬよ」


「はは、初めから殺すつもりで来ていて何を言う。だがお前……、その目、見えているな? なら、話は早い。これが俺の役割だったということだ。あのお方はこうなることを見越していたんだな」長い溜息を吐き、真面目な口調で続ける。独白のような。「……あのお方とは、我々の扇動者のことだ。彼女は自身のことを『残響』と名乗っていた。黒い少女。アレは人間でもケモノでもない。もっと不自然な何かだ。彼女の正体は大した問題ではない。それ自体に意味はない、俺にとってはな。そうだな、奪われていたものを取り戻す、それが彼女の目的だ。彼女の言う奪われていたものが何を指しているのかは俺にはわからないし、詳しく中身を知りたいとも思わない」


「どうして――」


「この計画に乗った奴らは何かを取り戻したい人間が多かった。追い詰められ、暴力しか手がないと思い込んだり、思い込まされた者たちだ。俺も、自分の力をもう一度必要とされたかったんだろうな。結局、兵器として生まれた以上は戦いの中にしか存在理由を見出せなかった。そのチャンスが得られれば、〝彼女〟の目的や、仲間の求めるものは些細なものだった。それらに個人的な思い入れはないが、彼女たちが成し遂げるものが大きければ大きいほど、手を貸した自分の戦いに価値があったのだと実感できる。それを見届けられないのは、少しは残念ではあるが……。いや、むしろおぞましい結末を見ずに済んで幸せなのかもしれないな、お前たちからすれば。――そうだな、コレを使えば俺は死ぬ。だとしても、そうしてでも、俺はお前に勝ちたい」


「……」リルはうまい言葉が出ず、ただ首を小さく横に振ることしかできなかった。


「せめてもの礼だ、受け取れ」


「ちょっと――」


「勝利と自由を!」


 リルが口を開きかけるも、アハトはそれをよそに結晶を胸に突き刺した。

 熱と蒸気が突風のように吹き抜けた。

 肉体が泡立ち、肥大化していく。

 三本腕。鋭い爪。艶のない深黒の体躯に、その半身を覆う濡羽色の長い毛。露出した心臓は赤熱し、体表には心臓を起点に亀裂が走り、赤い光と血が漏れ出ている。その血は比喩ではなく、火のように燃えている。発火する血が毛を伝って流れ、躰に炎を纏う。

 頭部は無数の尖った小骨によって覆われ、目は塞がれ、口も完全には開かないようになっている。棘の兜や冠のよう。

 蒸気が立ち昇り、背後の景色が揺らぐ。

 凄まじい熱。

 放っておけば、周囲の酸素や可燃物を喰らい尽くしてしまいそうな圧迫感と自由さ。

 熱気と重圧に晒され、汗が噴き出てくる。地面に含まれる水分と流れ出た汗が蒸発し、その湿気と熱に息が詰まる。


「獣化……した?」


 リルの予想とは異なる展開。法石(ユーサイト)を用いて自己強化するものだと思っていた。

 神器兵には意図的に半暴走化し、出力を上昇させるという奥の手がある。リミッター解除の類で、半暴走状態とはいえ、あくまで制御下にある疑似暴走。

 さらには法石(ユーサイト)を使うことで、制限を完全に取り払い、瞬時に最大値を指定できる裏技も存在する。リルは彼がこの完全な制限解除を行うものだと考えていた。

 しかし、そうではなかった。

 こうなることがわかっていたなら、無理にでも止めていた。介錯人をやりすぎて、最期の要求を認めてしまった。自分の甘さだと、俄かに自分を責めそうになる。


「また準上位相当か。なんでまた、こうもポンポンとヤバそうなやつの相手をしなくちゃならないのか」独り言。


 カテゴリー上は準上位と推測できる。しかし同じ格でも先日の女王蜘蛛とはわけが違うことは一目瞭然。このケモノに群れはないが、個体としての力は圧倒的で、明確に破壊や戦闘に特化していることが見て取れる。

 リルの手元にあるのは、アハトから奪った炎の太刀のみ。いまの装備では眼前のケモノを排除することは容易ではない。


「ガート、援護はできる? 大物が出た」無線で呼びかける。


 ほとんど間を置かずに応答。


『リル? ごめんムリ。こっちも手一杯』


 断続的な銃声や、怒号、叫声がバックに混じっている。ゲルトルード自身もあまり余裕のなさそうな声音。


「わかった。こっちはこっちで片付ける」


 通信を終え、ケモノに向き直る。炎熱のケモノはリルを待っていたかのように、ただ泰然と立っていた。


「いいわ。これがあなたの望んだ最期であるなら、わたしがそのようにしてあげる」


 柄の長い片刃の大剣を両手で構えるリル。

 応えるように、ケモノも半身の構えをとった。

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