シエラとミュール
むかしむかし、ある最果ての国で天才的な王女が誕生しました。
名をシエラ・レ・リアスル――代々受け継がれてきた王家相伝の魔道具製作技術を使いこなし、既存のすべてを改良するほどの天才でした。
齢2歳にして竜の形をしたミュレニクス島から、国だけを切り離して空を飛べるように改造して遊ぶほどに。
「あーあ、つまんないの。ひとりであそぶのも飽きたし、いたずらもすぐ怒るんだもん」
そうぼやきながら、シエラは自作の空中浮遊型自動運転ボールに座りながら城の中を飛び回っていました。
しかし、方向感覚に疎かったシエラはお城の地下にある大きな扉に行き着いたのです。
「とびら……ふーいん、かな」
その扉に手を伸ばしかけたその時、彼女の脳内に声が響きます。
『その先に待つのは災いだけ、やめておいた方がいいですよ』
「だぁれ?」
『……名前などありません。私はただ、黄昏れを告げるだけの存在』
「? 名前無いとよべないよ? あ、わたしはシエラって呼んで」
何がいいかな、と考えながら、シエラはポシェットから自作の万能鍵を取り出した。わんぱく姫なシエラが厳重な城のセキュリティを突破するために作ったそれを使いました。
「んー、ふーいんが複雑でほどききけれない? かいりょーしないと、だね」
『開けたところでいいことなんてありません』
「おねーさんはこの中にいるんでしょ? じゃあやることなくてつまんないよ。んー、あっ、ポワワちゃんとかどー?」
『そんな可愛らしい名前、私には似合いませんよ』
「そっかー……んー」
腕を組んで考えながら、シエラは階段を登って戻ってしまいました。
『行きましたか。よかった、誰かを悲しませずに済みます』
ほっと胸を撫で下ろす封印の中にある彼女は、その奥底にある期待と寂しさに気付きません。
――次の日。
「ミュール! おはよー」
『…………ミュールとは何ですか』
「名前だよ。昨日頑張って考えたんだー。えへへ、はじめて名前なんて真面目に考えたけど、どうかな?」
『名前など、私には必要の無いものです』
「そっか。まあいいや。今日はちゃんといろいろもってきたんだー」
『この封印は神ですら解除することのできない特別製です。何をしようと無駄ですよ』
「んー、これ魔道具じゃなくてスキル……それ以上の何かみたいなやつかなー。扉に見えるこれも変な感じだし……物に変えてから解く方向でいこっかなー」
『……』
「ちょっと出直してくるー」
『もう来なくていいですよ……』
難問を出されて興奮しているようで、シエラはルンルンと鼻歌を歌いながら帰っていきました。
――翌日、夜。
「ミュール、こんばんはー。準備に時間かかっちゃって、夜になっちゃった。お布団から抜け出してきたよ」
『……良い子は寝る時間です』
「悪い子だからいいんですー。よし、やるぞー」
そう言ってシエラは持ってきた金属を取り出し、楽しそうに組み立てます。
『シエラはいくつなのですか?』
「わたしは今2さい、ミュールは?」
『名前は不要と言ったはずです。年齢は……この世界と同い年くらいってところでしょうか』
「ふーん、じゃあミュールおばあちゃんってよぼっか?」
『好きにしてください』
「張り合いないなー。あ、そういえば今日ねー、剣のじゅぎょーでね、木の剣をぜんじどーすーぱーそーどに改造したらハツハったらすごい怒ってね――」
『……』
――翌日昼頃。
「ミュール、来たよー。今日はお昼寝から逃げてきたんだー」
『寝る子は育つと言います。お昼寝は子供のうちにしておくべきです。あと名前は不要です』
「よーし、型は昨日でできたから、今日からほんばんだー。物に落とし込むやり方、いっぱい考えてきたんだから。えーと、最初はこれをこーして……」
『……失敗も経験です。不可能なこともあると知るのはいいことかもしれませんね』
「ミュール何か言ったー?」
『いえ何も』
「そっかー、あ、そういえば昨日抜け出したのママにバレてさー」
『それでよく今日も来れましたね?』
「ふふーん! 地下階段は封鎖されちゃったけど、こーいうこともあろーかと、わたしのお部屋と繋がる鏡を置いといたんだー」
『関係なさそうな姿見があったのはそういうことですか』
シエラが地上の話をしながら試行錯誤して、概念に近い封印を物質化させようと奮闘すること、数年。
その日はついにやってきました。
「で、できた……!」
『本当に完成させるなんて……』
「ふふーん、見たか! ミュールおばあちゃんめ!」
『お姉ちゃんです』
「じゃあミュールお姉ちゃん? わたしは部屋に万能鍵をとってくるから、考えておくことだ」
『……何を、でしょう?』
「決まってる。最初に行くところだ。いっぱい色んな場所教えたろう? だから決めておくように。ってあれ、鏡割れちゃってる。歩いて取りに行かないとか」
『行きたいところ……』
「それじゃあちょっと走ってくるから!」
『……転ばないように気をつけてくださいよ』
はいはい、と元気に部屋へ走るシエラ。
ふと廊下の外の騒ぎが彼女の耳に入りました。朝は快晴だったのに、昼間に重苦しい雲が見渡す限り空を覆っています。
「なにこれ……」
「シエラ殿下!! ここにいらっしゃいましたか! 緊急事態でございます。灰が、降り注いで……現在陛下もハツハ団長も隣国へいっていらっしゃいます!」
「落ち着いて。灰ってただの灰?」
「いえ、それが触れると次第に化け物になるもよで……!」
「屋内は?」
「屋根が押しつぶされて建物が次々に崩壊、化け物になった住民による無差別攻撃で一箇所に留まることは――失礼ながら城の庭園に生存者を集めていますが、団長も陛下も不在で、化け物も手強く、それほど長くは――」
「チッ……こんな時にそんな大事が……生存者が集まっているならすぐに避難させる! 警備させている兵も集めろ!」
「はっ!」
「(ミュールの解放は申し訳ないけど後回しになりそう。王女として、まずは転移装置を起動、の前に防衛装置も点つけておかないと……!)」
シエラは走ります。
急いでそれぞれの起動を開始し、庭園を一望できるベランダへ向かいました。
拡声器を手に、シエラは声を張ります。
「みなのもの! シエラ・レ・リアスルである! 今から母上の滞在している国に近い平地への転移を行う! 既に壊滅状態と聞いた。全て失うことにはなるが、命だけは大事にするように!」
ザワザワと困惑の声が広まりますが、惨状を直接見てきた民は文句を言うことなどできませんでした。しかし、ある兵士は気付くのでした。
「姫様もはやくこちらへ!」
「わたしはいい。こやつらを野放しにしていてはすぐにお前たちに追いついてしまう」
そうです。灰は空を舞って進出しているのです。例え逃がしたとしても、隣国くらいの距離であればすぐに追いつかれてしまいます。
そこで、シエラは少しでも時間を稼げるよう手を打ったのでした。
――それは国の隔離と浮遊です。
国境にまで仕込んでおいた結界の魔道具を起動し、数年前につくった国をまるごと浮かす機構をも起動していたのです。
そうしてシエラは、有無を言わせず、守るべき民を母親のもとへ転移させました。
「結界も軋んでいる。やれるかどうか……」
シエラはまたもや急いで母親の寝室へ向かいます。そこには、こっそり浮遊の機構を作ったときに没収された制御用の水晶があるのです。
「はあはあ……灰は重い。一時的でも海にぶちこんでやる……」
複雑な魔道具は、開発のみならず操作すら難しいものです。シエラは防衛装置の一斉操作や転移装置、結界など、たった一人ですべてを制御していて心身共に限界が近づいていました。
「はぁ……!」
それでも、王女としてやるべきことはやりきると、国を大地ごと持ち上げ、急発進で海の深いところを目指します。できるだけ遠く、できるだけ深く。次第に水圧と内側からの圧で結界は壊れ、水が押し寄せます。
「ぐぅ、ミュールを、迎えに……っ!」
流され、もみくちゃにされながら地下へ向かうも、這っていた足すら滑らして転んでしまいます。そして扉の手前、もう一歩のところで瞼が閉じていきます。
「ミュー、ル……」
意識を失ったシエラのその手には、もう二度と会えない母親が城内でしか使っていなかったタバコと、万能鍵が握られていました。
――少しずつ水が肺に入っていく中、転移の魔法陣が彼女を覆いました。
『まったく。転んでしまったのですね。――黄昏を告げる。其は終幕の日、大切な人達に囲まれて、安らぎの中、笑顔で永遠の別れをする』
それは、誰もが恐れ、投げ出した不可能を可能にし、世界の希望の蓋を緩めた英雄に――などではなく、長年おしゃべりしていた友人に告げる、ただの独り言。
強大な力を持つミュール、封印が緩んだとはいえ自力で力を行使することはできません。彼女は、シエラの中にある自身に関する、“力を持った記憶”を雲に変え、転移の源にしたのです。
そうしてシエラはこことは遠く離れた、新たな友人のもとへ送られ、力を失った雲は海を揺蕩いました。
そして――緩んだ封印の隙間から、“黄昏”の呪いを持つ思念体だけが、幽体離脱でもするかのように、縁のある場所に出現できるようになったのでした。




