1.「サニーパッパは雲巣を畳む」
「携帯食料良し、テント良し、ナイフ良し、ロープ良し、お金は――まあ、あんまないけど良し!」
俺はバックパックに入れた旅の道具の最終確認をした。
これでもかと詰め込んだため、ずしりと重いが「世界を旅する超有望生物学者」たるものこのくらいは当然の装備だ。
「っと、これも入れておかなきゃ」
机の上に広げられたぶ厚い本を手に取る。
深化生物学の第一人者、グレイ・J・コルピドが著した『世界と出会う歩き方』は俺のバイブルだった。
まだこの本に並んでいる文字の半分も読めないほど小さかったあの日にこの本と出会い、俺は世界を見て歩くことを決めた。
もう何度読み返したかわからないそれは、ページの端は折れ曲がり、手あかで汚れている。背表紙の文字はかすれていてもう判別がつかない。
過ぎた歳月を感じ、少しだけ感傷に浸る。開かなくても、どのページに何が書いてあるかまでわかる。
『この世界は未知と可能性で溢れている。私が発見した生物などこの世界のほんの一部でしかないだろう。各地に生息する【魔物】と出会うことは「世界」の一端を知ることに他ならない。この本を手に取った君が、いつかまだ見ぬ「世界」と邂逅できることを私は心待ちにしている』
854ページ、最終章の締めの言葉だ。
何度読んでも心の奥がチリチリと焼け、まだ見ぬ世界を夢想する。
「ダイナ―――!あんたもう準備できてるの―?」
ほとばしる気持ちを一瞬で現実に引き戻す母の声がする。
ったく、「世界を旅する超有望生物学者」は引く手あまたで参っちまう。
ちなみに言っとくけど、超有望は自称な。
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履きなれた厚手の皮のブーツに足を通す。
アカデミー入学の時に親父が買ってくれたものだ。
「ダイナあんたお弁当は持ったの!?お金は!?忘れ物はない!?ひとりで行ける!?」
「初めてのお使いじゃねーんだから大丈夫だって」
心配性な母は俺がいつまでもガキのままだと思っている節がある。
「だってアンタこの間まで学生だったじゃない」
両親にはアカデミーを卒業し、成人したらすぐに旅に出ると何度も説明していた。
それでもやはり心配らしい。
「その学生の間に博士号取って最年少生物学者として“深化生物学”界の門を叩いたのは誰だァ~!!」
「ご近所さんに自慢して回っちゃったわ」
「学生の間に魔力量の減少と深化の相関を研究して、その功績が認められて、世界に13人しかいない【広域調査特権】を付与されたのは誰だァ~!!」
「あれは信じられなくて何度もアカデミーの先生に電話しちゃったわね」
「世界の生物と出会いたい」そんな思いが高じてここまでたどり着いてしまった。こんな辺鄙な街で。
「それに一人じゃねーからへーきだよ」
なあ、チャコ――と外でお行儀よく待機していた俺の相棒に声をかけた。
チャコは『銀翼竜(推定)』という種類の翼竜だ。体長の倍ほどもある翼をもち、青い瞳、真っ白な体躯が特徴的だ。全長は5mを超え、すくすく成長中だ。いやほんとこいつどこまで成長するんだ。
俺が8つのころは同じくらいの大きさだったが、今は俺の3倍近くある。
チャコはぐる、と喉を鳴らす。待ちくたびれたといった様子だ。
「じゃ、行ってきます」
「気を付けてねー!たまには連絡寄こしなさいね!」
はあい、と生返事をして家を出た。
「旅立ちはこのくらいあっさりしてないとな。【サニーパッパは雲巣を畳む】って言うしな!」
少しだけ後ろ髪を引かれる思いだったが、新たな門出と、これから待ち受ける数多の出会いに胸を馳せ、俺は地面を蹴った。
【だいなのせいぶつじてん】#1
サニーパッパ:ダイナたちが住む大陸「ヒューマ」の固有種。標高の高い山にのみ生息し、雲の成分を凝固させる能力を持つ。彼らの巣は雲を編んで作られるため、「雲巣」と言われる。気候の変化によって移住する種で、移住の際に「雲巣」をきれいにほどく習性がある。
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