辺境の小国の王
オババ様はモネグリアに行くと言ったから、モネグリアの北の港町に近い海に船を降ろしてくれると思っていたけれど、降ろされたのは地面だった。船から降りるとモネグリアの紋章が入った鎧を着た騎士に囲まれて、ウェルチニーさんが宰相様を連れてやってきた。
「皆さんお久し振りですな。わざわざ総首長殿と、ドーラ様までおいで下さるとは」
宰相様が少しだけ高圧的に聞こえるトーンで話しかけてくる。以前に滞在したときと全然違う態度だけど、オババ様にぶら下げられている間に総首長から聞いた事情を思えば仕方のない事だと思う。
都市連合で潰した帝国スパイのアジトから見つかった物の中に、国交のないモネグリアの製品だと分かるものがあったから、あの時使者としてザナラが来た。
あの農場での騒動の後で、王様と面会を果たしたザナラがそれらの品を手渡しつつ、根拠が勘という総首長の新書を渡した。受け取った王様が新書を元に捜査し、帝国のスパイを何人か捕縛したそうだ。
で、その中の一人があまりにもアタシに似てたから今回呼び出された訳だ。
「我が国で新たな神を顕現させられた眷属様の一大事ですからな」
「精霊様の友達に疑いがかけられては黙ってはおれまいよ」
総首長とオババ様が前に出て、アタシ達と宰相様の間に立った。アタシの両側にはジェサとシャナがいてぎゅっと手を握っている。
「ふむ。わたしどもはカラジョさんを呼んだつもりだったのですがねぇ。まぁ良いでしょう。ここではなんですから付いてきてください」
アタシ達が下りたのはモネグリア軍の訓練場だったらしく、宰相様は兵舎の会議室に案内してくれた。三匹の黒豚は兵舎の外で待っている。
「カラジョさんこの人に見覚えはありますか?」
リアスティ宰相殿は一枚の人相書きを取り出してテーブルの上に置いた。帝国人の特徴とも言える白に近い金髪に青い瞳で、アタシにそっくりな顔立ちの女の人の人相書き。目元と口元に皺が目立って年齢は四十~五十。髪の色は違うけれど、なんとなくその風貌に見覚えがある。
「……かあさん?」
「ふむ。やはりそうでしたか。ちなみに捕まえた時はくすんだピンクの髪でしたよ。カラジョさん、貴女の母親の事を話してはくれませんか?」
「かあさんは、アタシが十歳の時に家を出ていって行方不明でした。思えば、母が家に居た頃、よく金髪の旅人に部屋を貸していた記憶があります。うちに泊まるのは、ストラがシャナに近付けたがらない旅人ばかりでした。アタシが十歳になったから出ていったのか、六年前に何か別の理由があったのかは解りません」
幼い頃のかあさんとの会話を思い浮かべる。何もおかしな所はなかったと思う。かあさんの事を知っているストラとザスティも驚いている様だ。一緒に人相書きを見ていたザスティが、顔を上げて真っ直ぐに宰相様を見た。
「なぁ、宰相様?ここにいる他の団員に似たスパイは居なかったか?俺も、ストラの所も、それからスロボやサルジの所も十歳の時に母親が失踪しているんだ」
宰相はザスティが紹介した団員達の顔を一人ずつ、マジマジと見てため息をついた。
「ザスティさんの言う通り、カラジョさんだけでは無さそうですし、想定よりも厄介な事態の様です。王に報告して参りますので、このまま城でお待ちいただけますかな?もちろん客室を用意します」
「リアスティ宰相殿。申し訳ないが我に先程の軍の屋外訓練場を貸してはくれぬだろうか?事が事ゆえ妹も呼びたい。なぁに宰相殿が王へ報告している間に妹も到着するだろうよ」
アタシ達はオババと一緒に、再び軍の屋外訓練場へと移動した。オババがピィっと笛を吹いてしばらくすると、白い大きな竜が飛んで来た。そして地面に降り立つと同時にその姿を人へと変えた。
「いきなり強制的な呼び出しとは穏やかでないの、姉者」
「賢者様?!」
竜から姿を変えたのは、銀に見える艶やかな白髪を靡かせる、美人の若い女性。サークリティの賢者様だった。まぁ、賢者様にしては若いなとか、若く見えるけど言い回しが古いなとかは時々思っていたけれど。
「おっ?なんじゃ?自然と精霊と新しき神に愛された子供達か。先週振りだな」
アタシの驚きの声に賢者様は振り向いて、ニッコリ笑って手をヒラヒラと振ってくれた。
遠巻きに見ていた騎士達が、唖然とした表情で固まっている間をゆったりと歩いてくる人が見える。
リアスティさんと並んで歩く、赤いマントを付けた細身の男性はきっと王様なんだろう。王様はアタシ達の姿を見て眉間を揉んでいる。
「リアスティ、私はカラジョ殿とスパイの関係を聞き出せと言ったのであって、伝説の人物を集合させよ等とは申しておらぬ筈だが」
「国王、私はカラジョさんの行方に心当たりはないかと都市連合の総首長殿に問い合わせをしただけです」
少し離れた所で交わされる王様と宰相様の会話が風に乗って聞こえて、賢者様がそちらに向かって歩きだした。
「ふむ。これはちょうど良い。其方らこの大陸の歴史と北の大陸の歴史を知っているか?」
「悠久を生きる守護竜様、こうしてわざわざ姿を現し、あまつさえその問いかけをなさるという事は、この大陸に危機が訪れているという事でしょうか?」
「ほう?ここはかの賢王と同じ血筋の者が治める土地か。其方はなかなかに勤勉な王の様じゃな」
賢者様が王さまの瞳を覗き混みながら嬉しそうに笑った。賢者様の不思議な力に今さらアタシは驚かないけれど最初はすごく不思議に思った。なのに、あの王様はあっさりと受け入れている。王様の知見が深いのか、何事にも動じない屈強な精神なのかどちらだろう?
「そうさな、勤勉な王と今代の勇者達に世界の真理を教えよう。王よどこか部屋を。それからこの土地で一番旨いものを用意してはくれぬか?久々に長距離を飛んだら少々腹が減ったわ。あぁ、ザスティ。お主ならこの土地にしかない旨いものを知っておろう?」
すっかり場の主導権を握った賢者様の言葉に宰相様が動き出した。ザスティと言葉を交わす所に総首長も何かを言っている。宰相様は、総首長の発言に一瞬顔をひきつらせてから、騎士に何かの指示を出してアタシ達を城の中へと案内してくれた。
アタシ達は立派な会議室で、大量の干物と見たことのない保存食を目の前にしている。この干物は都市連合の物だろうに、どうやって用意したのだろう。この土地で一番旨い物と賢者様は言っていたのに都市連合の食べ物で……いや、賢者様が喜んでいるから良いのか。
「ふむ、薫製というのは素晴らしいの。肉も魚も良い香りがして、旨味が増しておる」
賢者様は、見たことのない保存食を大いに喜ばれて、次々に口に入れていっている。ものすごい早さで食べてるけど、隣のストラとラダックも負けない早さで、果物の干物を食べている。
「なぁ、グミもドライフルーツにできるとおもうか?」
「いや、グミは食感が素晴らしいんだ。食感が変わる加工は向かないだろう」
賢者様の隣のストラとラダックの会話に頭痛がしてくる。グミの事ばかり考えるにも程があるだろう。ザスティが満足げに見ているのも気になるけれど。
よく食べる三人の姿に、会議室の中のほとんどの人間は、呆れたような、恐れをなしているような何とも言えない表情になっている。
「それで、守護竜様。先程問われたこの大陸の歴史と、この地に訪れんとする危機を教えては頂けませんか?おそらく歴史を知る者も、この場では私と守護竜様がただけでしょうから」
場の空気を引き締める様に、一つ咳払いをしてから王様がといかけた。王様が話し始めて、ストラとラダックはドライフルーツの皿から手を引っ込めて姿勢を正した。
「ふむ。この世界は創造神さまにより作られた。創造神様が世界を作った頃は一つの陸であったが、住まう者達があまりに喧嘩ばかりしていた為に、海で土地を分けられたのだ」
「では、元々は同じ一族だと?」
先祖が北の大陸の人間である、総首長が真面目な声で口を挟んだ。
「いやそうではない。様々な種族が覇権を争っていたのだ。故に種族ごとに陸を分けた。その時に邪神は魔法を使う精霊に見放され、魔法を失った代償として広大な土地を得た。それが北の大陸じゃ。精霊達は自分が守れるだけの弱き人々と、守れる範囲の土地を得た。それがこの大陸じゃ」
「だから、元々、この土地に住まう者しか魔法が使えぬと?それで、千年前に北の大陸から侵入してきた我らの同胞はどれだけこの土地の者と結ばれようと、その子供は魔法が使えぬのですか?」
「其方らが魔法を使えぬのは、其方らが呼び出す神のせいでもある。彼らは東の大陸に住まう神じゃ。かの地は自ら魔法を捨てた神属が住まう土地。魔法の奇跡より尊き物を見つけたと言っていたわ」
賢者様と総首長の間で交わされる会話を、皆集中して聞いている。こんなに注目しているのに、賢者様は話の合間に薫製や干物をつまんでいる。そんなにお腹が空いていたのか?
「それで、この地に訪れんとする危機とは?」
平然とした顔でモネグリアの国王が賢者様に問いかける。誰も賢者様の食べっぷりは気にしていないのか。賢者様は今度は酸っぱい果物の干物を口に入れて、ものすごい顔でお茶を飲んだ。
「邪神は魔法を取り戻したいと、何度かこの大陸を狙っておった。実際、千年前に北の大陸から来た者も邪神に唆された者だった。此度はかの皇帝がどこかで邪神に会ってしまったのだろうよ。皇帝のコンプレックスか、欲望につけこんで甘言を囁き、魔法の力を取り戻す手駒として操っておるのではないかと」
総首長や王様が賢者様と話を進めていくなか、ザスティがそっと手を上げて話を止めた。ザスティに向かって賢者様が頷く。
「邪神が魔法を取り戻すと何が起こるのです?」
「あれは欲望と狂気の神よ。魔法を手に入れれば何をするか分からぬ。それこそ創生神様さえも殺そうとするやもしれぬ。少なくとも間違いないのは、人々が欲にまみれて奪い合い、殺し合うように仕向けて楽しむ事よ。故に、精霊と力を合わせて邪神の影響を受けた物をこの大陸から追い出さねばならない」
「しかし、追い出すと言っても、この大陸の軍事力はこの国の軍がほぼすべてでしょう。とても東の支配地域全体に出す程はありません」
なんだか随分と話が大きくなって、アタシ達がこの会議室に居るのは場違いなんじゃないかという気がしてくる。
「モネグリアの国王殿よ。我ら都市連合は先日、北の大陸の宗主国と協定を結んだ。宗主国から帝国にしかけるタイミングを、こちらの作戦に合わせてもらって、一部の帝国軍を北の大陸に引かせたらどうだろうか?」
「それでも、かなり劣性だ」
「軍事力は然程無くとも、精霊さまの魔法も振るわれよう」
会議が始まってからずっと、無言で賢者様に呆れの視線を向けていたオババ様が発言して、王様が驚いた様な顔をした。
「ギフトと魔力の見分けもつかない、あのヒヨッコ精霊にそんな大層な力があるのか?」
賢者様は鼻で笑いながら言う。
「カラジョ達のおかげで精霊さまは力を取り戻した。さて、ストラよ。おまえはそのサッカーの力で民を一つにする事はできるか?」
「どういう事?」
オババ様の問いかけにストラが顔を上げた。
「精霊さまが本気を出されたら、その被害は図り知れぬ。あの山に火を噴かせられる力で、土地のや天候を操るのだ。力なき者が土地の動きに巻き込まれぬ様避難させたい。其方が今までしてきた様に、サッカーで人を纏め上げて、力なき者を安全な場所に移動させる説得をして回ってくれぬか?」
「風の噂には聞いていたが、サッカーとやらにそれほどの力があるのか信じきれぬ。すまぬが私にそのサッカーの力というやつを見せてはくれぬだろうか?」
王様の一言でモネグリア騎士団とカラジョ義賊団の試合が行われる事になった。場所は軍の訓練場だ。
アタシとザスティは今陣地の線を引いている。モネグリア騎士団にルール説明は必要なかった。王様の知らないうちに、ウェルチニーさんが騎士団に広めていたらしい。
「試合時間は、この砂時計を八回引っくり返して砂が落ちきるまで、でよろしいかな?」
「いつもそれで試合時間を図ってるの?」
アタシ達が線を引いている間に、ストラとウェルチニーさんはその他の決まり事の確認を終えていた。
真ん中にこの国で作ったボールを置いて、騎士団の人が小さく蹴ったところで試合が始まる。コロコロと真っ直ぐに仲間の所に転がっていくボールを見ると、一蹴り目をした人はかなり上手いと思う。
訓練場の中では双方十一人づつが試合をしているが、アタシは観客席にいる。いつの間にかサッカーをしたい人間が十一人に増えていたので、アタシは見物に回った。アタシはボールと強く蹴りすぎて思った通りの所に飛ばせないし、走るのもそんなに早くなくて、サッカーには向いていないのだ。
訓練場の中は、ボールを追って走り急に方向を変えるときや、遠くへ飛ばすために強くボールを蹴ったときに、土埃が巻き上がっている。
案外、短い距離のパスを回している騎士団に対して、カラジョ義賊団の面々は近くの騎士にボールが渡りそうになると寄っていくけれど、相手に遠慮しているのか体当たりとかはしない。それでも、時々騎士団の人のミスを誘発しては自分達の攻撃にもっていっている。
「ふむ、これは確かに、子供の遊びと捨て置くには高度な技能が必要そうだな」
アタシがオババ様と眺めていると、隣から静かで威厳のある声が頭上から聞こえた。見上げると、王様と目があった。王様はオババ様とか賢者様の隣に並べば良いのに、なんだってアタシの隣なんかに来たのだろう。王様の向こうには総首長と宰相様も並んで、ボールの行方を目で追っている。
「急に国王に話しかけられては、戸惑うだろうよ。賢王かと思ったが、とんだ唐変木だね」
「おや?守護竜様と普通に話しているのに、たかがこんな小さな辺境の王ごときに、何を思うのだ。私はサッカーが分からないので、見ている者の中で、一番詳しそうな人に教えを乞いたいだけだが、カラジョどの、頼まれてはくれぬか?」
「アタシが教えられる事なんてないと思いますよ。教えれる程上手けりゃあそこに居るはずです」
アタシが指した先では、ストラが中央付近から、敵陣の右端に大きくボールを蹴り飛ばしている。ちょっと大きすぎる様に見えるけれど、ギリギリでチャーガなら追い付ける場所を狙っているのは分かる。今回は追い付けなかったけれど。
「ストラ殿でも蹴り損なう事があるのか?」
「あれは、チャーガが遅れたんです。あそこの、背の小さい騎士さまが、ボールに向かって走るチャーガの邪魔をしてました。あの騎士さまは、ボールを思い通りに蹴れなくても、チャーガやサルジの邪魔をするのが上手いです」
チャーガが追い付けなかったボールは眉毛が特徴的な騎士様の足元に落ちた。その騎士さまは前じゃなくて、横に居る顎の出た騎士さまにパスをした。そこに向かってサルジが寄っていくけれど騎士様の蹴るタイミングには間に合わず、サルジの右をすり抜ける様な軌道でこちらの陣地へとボールが飛んだ。
「あの、顎の出た騎士様はずいぶん器用ですね。あんな風に曲がるボールを蹴るのは難しいんですよ」
気がつけば、七回砂時計をひっくり返されていた。ここまで、どちらも点を決めていないけれど、ストラの事だまだ何か秘策があるだろう。
七回目の砂も半分ほど落ちた所で、守備に徹していたスロボが相手陣地へと走り込んだ。ボールは中央付近でジェサが持っている。ゆっくりと前進しているけれど、どこにボールを蹴ろうか迷っている様にも見える。けれど、違う。
「随分とてこずっている様だけど、大丈夫なのかい?」
「そう見えますか?まぁ見ていてください」
怪訝そうな顔をするオババ様の言葉にアタシは笑って返した。
ストラとチャーガ、ミリテが別々の方向に散って、騎士を引き付けている。中央にできた空白地帯にスロボが足音を忍ばせながら走り込んでいく。悪戯好きでアタシ達を驚かす為に習得した技能がこんな所で役立つなんてね。
スロボの動きを確認したジェサが、高くボールを蹴り挙げた。
ゴールの十歩手前の位置まで走り込んだスロボのすぐ後ろ、胸くらいの高さにボールが飛んで行く。振り向いたスロボが宙返りをする様な姿勢で蹴ったボールは、番人役の騎士様の隣をすり抜けた。
「アッハッッ。実にあの子らしい点の決め方じゃないか」
「ホントだよ。終わる直前にあんな派手に決めるなんて、目立ちたがりでカッコつけたがるあの子に似合いすぎだね」
オババ様と賢者様が楽しそうに大笑いをしている。さっきまで大陸の危機なんて話をしていたとは思えない様な大笑いだ。総首長はニヤニヤしながら、王さまに何かを言っている。
「オババ様。アタシはサッカーが上手くないし、こんな風に人の心を掴む技も持ってない。以前にオババ様が教えてくれた適材適所って言葉で、アタシはどこが適所になるかな?」
「成長したね、カラジョ。あんたはここで軍人さん達と戦力を整えるんだ」
三日後、オババ様が振り分けた役割に従って、ストラ達が旅立っていくのを見送った。