8話 「亡霊の剣」
ケーネは謁見の間を出る際にベルマールに言われた言葉を忠実に実行に移していた。ベルマールの自室へ向かっていたのだ。
しばらく足早に歩いて、ついにベルマールの部屋の前に到着する。
部屋の扉の鍵は開いていて、すんなりと中に入ることができた。
扉を開けた瞬間に、すぐに目に入ったのは執務机の上に開いておかれた分厚い本だ。
みてみると、ちょうど開いていたページに話に聞いた突風帯ハリネについて書かれていたので、読み始めた。
そして、読み進めて行くにつれ、ある真実に行き着く。
自分の手に、意志とは関係なく力が入っていった。
身体が、強張る。
震える声が、そのページの内容を復唱していった。
「――『ハリネ』とは……」
名に違いはない。だが、その正体は――
「エスクード各地を転々とする突風帯ではなく――」
まるで別の――
「エスクード王国北部にのみ――それも冬にのみ吹く突風である――」
風であった。
「ブリザードを伴って吹く事が多いため、冬に育つ作物の類は被害を受けやすい……」
でたらめだ。
――でたらめなのだ。
ベルマールに聞いた内容は、この本に書いてあるハリネの内容とは、まるで別物だった。
「ま、間違いだ……間違いだこれは!!」
本が、きっと間違っているのだ。
「――そんなわけがあるか。この本を読むように勧めたのも、ベルマール様なのに……」
一瞬にして沸点に達した身の内の火気が、同じく一瞬にて冷却される。
なぜ。
どうして。
――『決まっている』。
ケーネはひとつの事実に気付いて、手に持っていた本を投げ捨て、部屋から走り出た。
◆◆◆
なぜ、わざわざ『でまかせ』を伝えてまで騎士団の出発を遅らせた。
理由は一つ。それは、
――あの青年のため。あのエスクードの王子を名乗る、青年のためだ。
あの青年は、部下からの話を聞けば、つまるところ身を挺してまで村を守ろうとした。そんな彼が村への『追撃』のことを考えないわけがない。その青年の懸念を報告のみで察したベルマールが、先んじて策を打ったのだ。
――おそろしい。おそろしい洞察だ。
もはや「運がよかっただけだ」「たまたまだ」と言われてもおかしくないような、異常な一手。
もし確信のもとにここまでシナリオを脳裏に得ていたというのなら、
――まるで化物ではないか。
だが、それでもまだ疑念が残る。
そうなることを読み切っていながら、なぜたったの数日という短い期間だけを遅らせたのか。
それは、
――数日あれば、その侵攻を完全に停止させるだけのほかの『策』があったから。
それはおそらく、今の状態そのものだ。
あのユーリ・ロード・エスクードが、キールをおとずれ、そしてマズール王との謁見にまでこぎつけてくるだろうと、それすらを予想していたから。
「……馬鹿な」
自分で思い描いて、ケーネはすぐさまそれを否定した。
青年が村を出る事は必然ではなかったはずだ。
だが、現実の方が『そうであった』と報せている。
「いっそ、事実の方が幻想じみたものに見えてくる……」
すべてを読んでいたのだ。そして、現実がその予測をなぞるように、淡々と進んだ。
――私は甘かった。
甘すぎるほどに、甘かった。
「今は思考を切り替えろ、ケーネ……!」
自分を叱咤する。
「陛下……!」
謁見の間を目指して走りながら、額から溢れだす冷たい汗が止まらなかった。
◆◆◆
「いまさら気付いたのか、王よ。――嗚呼、貴様はなんて愚鈍な王なのだ」
「エスクードの亡霊が――っ!!」
マズール王は玉座から立ち上がってユーリに向かって吠えた。
そして、隣にいるベルマールにも言う。
「ベルマール! 『奴を殺せ』!」
「残念ですね、陛下。私には『命令の遵守』という制約は設けられておりません」
「私に『逆らう』のか!」
「――ああ、そういう言い方をすれば『もしかしたら』あなたの命令を実行に移していたかもしれませんね。反逆不の制約のもとで。――ええ、もしかしたら、ですが」
そう言って、おもむろにベルマールは上半身の服を脱ぎ、マズール王に左胸の肌を見せた。
魔術呪印の消えた、その左胸を。
「呪印が……っ!」
「こういうわけで、私はもうあなたの『犬』ではなくなりました。――残念です」
そう言いつつも、ベルマールは悲しむどころか、笑みをまったく崩さなかった。
「く――!! な、ならば貴様ごとっ……!!」
すると、マズール王はかすかな狼狽を呈したまま、玉座の下に隠していた『剣鞘』を取り出し、刀身を抜き放っていた。
「――はあ、まあ、私としてはべつに構わないのですが、一応聞いておきますと――陛下、本当に私と剣を交えるおつもりですか? 『エスクード王国の』宰相をしていた、この私と」
それは鋭い眼光だった。
ニヤけていたベルマールはいつのまにか消え去っていた。
そこには好戦的な光を目にたたえる――武人がいた。
「――っ!」
気圧され。
圧倒的な力量差が雰囲気としてマズール王に伝わる。
気圧されたマズール王は苦し紛れと言わんばかりに玉座から飛び降り、縄で縛られているユーリを目がけて走りだした。
その様子を見たベルマールが、今度は残忍な笑みを浮かべ、マズール王の背に声をかけていた。
「陛下、陛下、それは『悪手』です。あなたはその方策を、もっとも取るべきではなかった。そこにいる青年は――」
いまにもマズール王が玉座前の階段を降り切ったあたりで、言葉が飛ぶ。
「――『戦神』と謳われたあの『シャル・デルニエ・エスクード』の一人息子ですよ」
そして、
「あなたのよく知る『レザール戦争』を、もっともしつこく狙われたエスクード王族として生き抜いた、圧倒的な強者です。さあ、それに剣を振り下ろすのなら――『お気をつけを』」
言った。
当のマズール王は、その言葉を聞いているのかいないのか、とにかくお構いなしと言わんばかりに速度を緩めずにユーリに向かって行った。
そしてついに。剣の間合いに入るかと言うところで――ユーリが身じろぎをした。
すると、次の瞬間。
縄で縛られていたはずのユーリは、その拘束をなんらかの手段でたち切り、両手が自由の状態でマズール王と相対していた。
ユーリが目の前に立ちあがったのを見て、思わずマズール王は歩を緩めた。
これ以上踏み込んではいけないと、本能が叫んでいた。
「なんだ、来ないのか」
つまらなそうに呟くユーリ。
その後ろ手には華美な装飾が施された『剣』が握られていた。
柄に刻まれているのは、翼を広げた『竜』。その紋章は――
「エスクード紋章――『エスクード王剣』か……!!」
マズール王は体中から冷や汗が迸るのを感じた。
エスクード王剣。
権力を主張する唯一の剣。――王冠と同じようなものだった。
エスクード先王が持っていたはずのもの。王の象徴とも言える、その剣。
「なぜ――なぜそれを貴様が持っている……確かに『あの時』奪い取ったはずだ……!」
「ああ。――俺の父はな、マズールがヴァンガード連合に加入したのを知ったとき、『負けを悟っていた』。だから、第三次レザール戦争に踏み切るにあたって、王印をベルマールさんに、そして『王剣』を俺に渡しておいたのだ」
「だが私の前に跪いたときのエスクード王は、たしかに王剣を持っていた。王剣をもっていたぞ……!」
震えながら言うマズール王を見て、ユーリは「はあ」と大きなため息をついた。
そうして、心底あわれむような目でマズール王を見た。
「訊くが――お前が奪ったエスクード王剣は『やけに簡単に折れなかったか』? 『刃の閃きが鈍くはなかったか』? 『装飾は拙くなかったか』?」
微動だにしないマズール王を見て、ユーリは眉をしかめた。あわむような視線が、いっそう濃くなる。
それは、マズール王にしてみれば最大の屈辱だった。
「貴様はそんなものなのか」と、馬鹿にされたのだ。
「――本当に気付かなかったのか……」
ユーリがとどめの一撃を口ずさむ。
「――『愚鈍な奴め』」
「き、きき、貴様……貴様ァ!! 亡国のッ!! 私に負けた国のッ!! 消えかけたの亡霊が!! 私を憐れむのか!! なにをもってだ!! なにをもって貴様は私を憐れんだのだッ!!」
「その愚鈍さをもってだ、マズール王。貴様はな――『間抜け』だったんだよ。仮初の勝利に浮かれ、足元が泥沼にはまっていたことにも気づかなかった、ただの『間抜け』だったんだ」
その言葉を受けたマズール王の怒りは頂点に達していた。
「なぜだッ!! なぜ『お前』はこれほどまでに執拗に!! ――私の前に立ちはだかるのだ!! 嗚呼!! なんと忌々しい『エスクード王』よッ!!」
マズール王が叫んだ瞬間、ユーリの体がゆらりと動き、次の瞬間にはマズール王の眼前まで間合いを縮めていた。
ここにきて、マズール王と間近で相対して、これまで比較的穏やかだったユーリの心が――沸々と燃え上がりはじめていた。
錆びたはずの復讐心が、狂ったように雄叫びをあげる。
「お前がばかりがわめくな、マズール王よ! 俺とてお前を猛烈に殺したいのだ!! 父と母と、膨大な数の民を奪っていったお前を!! 今すぐ八つ裂きにしてやりたい!! だがな! 『だが』だ! 今ここでお前を殺してしまえば! その行動がのちのちにエスクードへの災厄になるだろうことを俺は知っている! だから――!!」
ユーリは怒りを必死に抑え込み、そして――言った。
「――我が父の謀略がお前に勝った印に!! その『マズール王剣』だけは折らせてもらおう!!」
マズール王は背筋の悪寒を感じて、なけなしの戦闘本能のままに剣を構えた。
それを待ちわびていたかのように、ユーリも同じように剣を構える。
「しかと見届けよ――エスクード王剣の切れ味と、その閃きをッ!!」
横一閃。
中段に構えていたユーリの王剣が、マズール王の目では捉えきれないほどの速度で宙に閃いた。
そして次の瞬間には、金属同士がぶつかる甲高い音すら鳴らずに、王の持つマズール王剣が刃半ばから切り飛ばされていた。
剣と剣同士の衝突。
なのにも関わらず、音すら鳴らずに切り落とされたマズール王剣。
切れ味の違い、そして剣を扱う者の力量の違いはあきらかだった。
吹きとんだマズール王剣の刃が、マズール王国の玉座に突き刺さる。
「――よくもこんなナマクラで……父を切れたものだな…… さぞ、苦痛だったろうに――」
吐き捨てるようなユーリの声が、謁見の間に小さく響いた。