7話 「亡国の産声、商国の呻き」
その日、ベルマールは朝から王城内を走り回っていた。
「ケーネさーん!」
ベルマールは王城内を一周ほど走りまわったあと、ようやくさがしていた人物を見つけて大きめな声をあげていた。
通路の向こう側で、声を掛けられた男――ケーネが驚いたように振り向く。
と、同時に駆け寄ってきた。
「ベルマール様! 呼んでいただければ私が向かいましたのに!」
必死の形相でそう言うケーネの額をベルマールが小突いた。
整った顔が悪戯気に歪む。
「いえいえー、あなたは忙しい身ですから。私なんかに気を遣わなくてもいいんですよー。――そ、れ、に! あなた最近街で女性と会っているそうではないですか!! 私に割いている時間なんてないでしょう? ――いや! あってはならない!!」
「あなたが言いふらしたかったのは最後の台詞だけでしょうに……!!」
うんざりしたようにケーネはうなだれた。
どこで仕入れたかは知らないが、労働時間外の情報まで知られていることに多少の恐怖を感じた。
対して、嬉しそうに微笑むベルマール。
「うっふっふ、いずれは奥方になるんでしょうかねえ、楽しみですねえ。ご結婚なされたらどうぞ私を呼んで――」
「っ――で! 要件はなんですか!」
放っておくと止まりそうもない悪戯気な言葉を大声でかき消すケーネ。
その声にベルマールは多少引きさがりながら、表情を一変させた。
「ま、このくらいにしておいてあげましょうか。――要件というのはですね? さっき、執務室から街を眺めていたら、銀髪の紅眼の人間を見つけたので、ケーネさんに報せにきたんですよ」
「はっ? 本当ですか!?」
「ええ。私、昼は陛下の許可がなければ外に出られないので、こうして伝えにきたんです。あれが例の人物かどうかはわかりませんが、もしものことがあるので監視を強化してみたらどうですか?」
「そういうことなら早々に――」
ケーネは即座に近場にいた部下の騎士を呼びとめて、伝令を伝えた。
するとケーネ自身も襟をただし、
「では、私も行ってまいります」
「はいはい。もし見つけたら陛下の前に連れて行くのを忘れずに」
「はっ、かしこまりました」
踵を返して走り去るケーネを、ベルマールは後ろから悲しそうな目でずっと眺めていた。
◆◆◆
ケーネが王城の門に辿りついた時、そこには驚くべき光景が広がっていた。
『銀髪紅眼の青年』が、門兵に拘束されていたのだ。
隣には同じように拘束されている年端もいかない少女。
「ケーネ様、この者がエスクードの王子を語ったので、連れともども一時拘束しました。真偽の程は定かではありませんが、いかがいたしますか」
「あ、ああ……」
ケーネはその光景がまだ信じられなくて、とっさに言葉を紡げない。
だが、すぐに平静を取り戻して、
「よし、陛下のもとへ連れて行って是非を問う。縄主を代わろう」
「はっ!」
門兵はきびきびとした動きで敬礼をし、二人を拘束している縄を渡した。
「ところで、被害はなかったか?」
「いえ、抵抗をしなかったので被害はありません!」
「……抵抗をしなかった?」
ケーネは胸中に何かひっかかる物を感じた。
――そもそも、この者が本物のエスクード王子だとして、なぜマズールにきたのだ。
なぜ、抵抗もせずに捕まったのか。
――いや、考えてもしかたない。是非を問うのは陛下だ。
ケーネは思考を切って、二人をマズール王の元へ連れて行くことにした。
◆◆◆
「あなたがマズール騎士団長か?」
王城の通路を二人を連れて歩いていると、王子を語った男が突然話しかけてきた。
本来、問いに答える義務などケーネにはなかったが、特に支障もないだろうと思い、口を開いた。
「いかにも」
「そうか。――村では部下に悪い事をしたな。殺したのはやりすぎたかもしれない」
「いや……」
ケーネは部下に、報告に関しては偽りなく、細部に至るまで説明するよう指示している。その報告をもとにすると、その件ではどちらかと言うと騎士団の方に『非』があると、ケーネ自身は思っていた。
無抵抗の老婆を先に一人斬り殺した。
老人だから殺していいなどと、そんな命令を出した覚えはない。
部下の独断だった。
その事に対し、我ながら激怒したのを覚えている。
殺されるほどのいわれなど、彼らにはない。
――もう戦争は終わったのだぞ。
当事者であるこの青年ならば、より強い衝撃を受けただろう。
――それがなんだ。彼から見れば仇であるマズールの騎士を殺して、「悪い事をした」と。
仇である騎士を殺して、謝るのだ。この男は。
戦に立たない戦闘員ではない民を斬り殺したのならともかく、少し悪い言い方をすれば『殺してもいい相手』を殺しておいて、謝るのか。
そう改めて思った瞬間――
ケーネは己の価値観が揺らぐのを感じた。
――私は……
◆◆◆
――ベルマールさんが言っていたのは彼の事か。――なるほど、なかなか興味深い人物だ。
ユーリは縄でケーネに引かれながら、内心にそんな言葉を浮かべていた。
ユーリは気付いていた。
ケーネ自身が自分の立場と考えの狭間に一筋の矛盾を抱き、動揺したことに。
――この男はマズール騎士団の悪行に辟易している。
その長でありながら。
――内心と体裁は別か。
それに辟易しながらも、こうして騎士団長の地位にいるということは、よくもわるくも要領がよかったのだろう。
――まあ、今はこれ以上混乱させるべきじゃないな。
そう考えて、ユーリは内心でほくそ笑むだけにしておいた。
◆◆◆
ケーネに連れられて行ったのはマズール王城の謁見の間だった。
扉は巨大で、開けることすら躊躇われるほどに威厳が漂っていた。
扉の前に着くと、ケーネが声を張りあげた。
「陛下! 例の者を連れてまいりました!」
少しの間があって、中から「入れ」という声が聞こえてきた。
ケーネはその言葉を受けて謁見の間の扉を開ける。
開かれる視界。
真っ直ぐに玉座に伸びるけばけばしい赤の絨毯。
そして、
その絨毯の先――
悠然と玉座に座る――
『マズール王』。
ユーリの目に、ついにその男が映った。
◆◆◆
ユーリの胸中は、ここでも思いのほか高ぶりはしなかった。
状況を合理的に判断出来るのならばそれでいいか、と軽く内心の危惧を受け流し、謁見の間に足を踏み入れた。
数歩歩いて顔を上げる。
その様子に気付いたマズール王が先に言葉を放っていた。
「ユーリ・ロード・エスクード」
噛み潰すような言葉。
「――いかにも」
ユーリは飄々として答えた。
「生きていたとはな。――正直驚いているぞ」
「そうか、驚かせることができたなら――生きていたかいがあったよ」
皮肉るように、ユーリが笑う。
それにマズール王は嫌そうな表情を返し、次にケーネに言葉を投げた。
「ご苦労だった、ケーネ。ここからは私が引き受ける。下がってよいぞ」
「はっ!」
軍人にとって、少なくともこのマズール王国において、王の命令は絶対だった。
その場に残って経緯を見たいという気持ちがケーネには少なからずあったが、王に促されれば謁見の間を立ち去るしか術はない。
――一応のところ、まだベルマール様がいる。
元エスクード王国の宰相。だが、
――……。
心苦しい関係だとは思うが、もうベルマールはマズール王国の宰相だ。たとえ内心にこのエスクード王子を助けたいと思っていても、
――『制約の呪印』があるかぎり、少なくとも王の敵となることはできない。
だから、大丈夫だろう。
そう思ってケーネは無理やり自分を納得させた。
すると、踵を返したところで、王の隣に立っていたベルマールから声が掛かった。
「ケーネさん、お時間があったら私の部屋にお行きなさい。机に例の突風帯『ハリネ』についての資料が置いてあります。読んでみる事をお勧めしますよ」
「御意のままに」
ベルマールの方を振り向いて頭を垂れて、ケーネは謁見の間を出て行った。
◆◆◆
「さて、邪魔者はいなくなった。何かするなら今だぞ? エスクードの亡霊よ」
「よくしゃべるな、マズール王よ。――邪魔者といったがな、お前の横に控えているのは宰相じゃないのか? そいつは邪魔者じゃないのか?」
「貴様、知らないわけではあるまい。この者は旧エスクード王国の宰相ベルマールだ。この『舞台』に面白みを加えはすれど、邪魔になることはない」
「下卑た趣向だ。まあいい、今日はお前に言いたい事があって来た。いや、教えてやりたい事と言った方がいいか」
そこでマズール王は顔をしかめた。
「ほう……言ってみよ」
「――マズール王よ、お前はエスクード王――つまり我が父に、『領土引き渡しの契約書』を書かせただろう? その時にエスクード王印も押させたな?」
「当然だ。私は戦に勝ったのだ。領土を得るのは当り前であろう。それがなんだ」
「面白いことがわかるから、その契約書を持ってくるといい。この『舞台』にはうってつけだ」
マズール王にとってはユーリの紡ぐ言葉は戯言にしか聞こえなかった。
だが、そのあとのユーリのひと押しで結局動いた。
「俺は縄で縛られているし、それを奪ったりはしない。冥土の土産にそれを俺に見せてくれよ」
「ふん、よかろう。――ベルマール、契約書を持ってこい」
「御意のままに」
隣に控えていたベルマールが動いたのを見て、ユーリは残忍な笑みをひそかに浮かべていた。
「なにを企んでいる?」
「なにも企んじゃいないさ」
――俺はな。
ユーリは内心で付け加えた。
◆◆◆
少し経って、ベルマールが金糸の髪を揺らしながら契約書を持ってくる。
マズール王はそれを受け取ってユーリに見えるようにひるがえした。
「これだ」
ユーリは契約書をまじまじと見、こらえ切れないと言わんばかりに「くっくっ」と声をもらした。
「マズール王、一つ良い事を教えてあげよう。その契約書の王印はな――」
◆◆◆
「線が一本足りないんだ」
◆◆◆
マズール王が、見たこともないような凄まじい驚愕の表情に変わる。
こぼれんばかりに目を見開いたマズール王は、契約書をまたひるがえしてまじまじと王印を見た。
しかし、一見しただけでは線の有無などわからない。
そこへ、隣から妖しげな笑みを浮かべたベルマールが何かを手渡してきた。
「陛下、これが『本物の王印』でございます。その契約書の王印の隣に押してみては?」
マズール王は言われるがままに王印を紙面に押した。
並ぶ二つの王印。
そこで、ベルマールが改めて押した方の王印を指さして言った。
「――陛下、どうやら本物の王印はここに一本線が入るようです。ははあ――なるほど、これは一本取られましたね?」
続けて言った。
◆◆◆
「これでは契約は成立しませんね」
◆◆◆
「ば、馬鹿なッ!! ありえない!!」
こんなもの、気付くわけがない。
怒りと共に叫んで、しかし、
「――」
マズール王の脳裏でめまぐるしく思考が動いていた。
◆◆◆
馬鹿な。馬鹿な。馬鹿な。
――私に慢心があったというのか。
エスクード王直々に王印を押させた当時の事を思い出す。
かたくなに自国を守ろうとしていたあの屈強なエスクード王が、なぜこの契約に際してあんなにも簡単に王印を振り下ろしたのか。
当時は剣を突きつけられた状況下にいたために、判断が狂ったのかと思っていた。自分の命が握られている状況下で、頑固も何もなく、なされるがままにそうしたのかと、思っていた。
違う。――違う!!
――アレがそんな弱者であったものか!!
いまさらになって、マズール王の中に確信染みたものが浮かんできていた。
徐々に状況の変化に気付き始める。
――私は今……
◆◆◆
『過去からの剣』を突きつけられている。
◆◆◆
「く、くそッ!!」
手に持ったエスクードの王印を地面にたたきつけようとしたが、そこをベルマールにおさえられた。
「陛下、いけません。これは大切な『証拠』なのですから」
ベルマールの妖しげな笑みの意味に気付くマズール王。
「あ、ありえん……!! 貴様が捕虜になったときに持ち物はすべて没収した! なぜこんなものを持っている!!」
「いやはや、私も捕まった時にうっかりしていまして。ついエスクード王から受け取った王印を『飲み込んで』しまったのですよ。あなたの監視が外れた時に慌てて吐きだしましたがね。はあ、あれはなかなかにつらかった――」
わざとらしく、大仰に身振り手振りで事の詳細を告げるベルマール。
そこへ、追撃と言わんばかりにユーリが言葉を紡いできた。
「――つまり、だ。マズール王よ。領土引き渡しの契約が無効になっているということは、今もあの領地はエスクードのものということになる。エスクードは『まだ生きている』。その領地だけでな」
ユーリは妖しげな笑みを浮かべて続けた。
「だから、お前が今まで騎士団を使って行っていたエスクード領の『管理』というのは、言いかえれば列記とした――『侵略行為』となるわけだ。――この意味がわかるか? マズール王よ」
侵略。
暴力を糧とした、政略行為。
他国の領土を無断で侵したという事実が、そこにはある。
その事実があるだけで、マズール王国は周辺各国から敵対の目で見られることになる。
なぜなら、
周辺各国から見れば『いつ自分たちの領土が侵略されるともわからない』から。
そんな状況下で、他国領地へ無断侵略をするような危険国を放置しておくことはおよそできるものではない。
攻め入られるとまではいかなくとも、少なくとも外交上の信頼は地に落ちる。
和平は解消され、孤立無援の状態に陥る。
そんな状況に自分の国が陥り始める転機が、今ここに訪れている事をマズール王は知る。
そうして、それに気づいた瞬間、マズール王は自分の目の前に膝をついているエスクード王家の末裔と、隣で残忍に笑っている自らの宰相に多大なる怒りが湧いた。
だから、強声をあげた。
身の中のすべての感情をつめ込んで、放った。
◆◆◆
「謀りおったなッ!! 貴様ら!!」
◆◆◆
――と。