6話 「策謀は巡る」
「例の契約書に関して、まだマズール王に勘付かれていないよね?」
「もちろん。昨日あらためて調べましたが、誰かが触った形跡はありません」
「わかった。なら明日の朝、リリアーヌを連れて王城前に行く。ベルマールさんは手回しをしておいてくれ。マズール騎士団が動くよりも早く、マズール王から『権利』を剥奪しておきたい」
「御意のままに。『陛下』」
「やめてくれ、今はまだその時じゃない」
「ではまたその時に言いましょう。――ああ、あなたにお願いしなければならない事がまだありました」
演技ぶって言葉を紡いだあと、今度は真剣な表情でベルマールが言った。
「実は私、マズール王に『制約の魔術』を刻まれてしまいまして。彼は私の才覚を買っていましたから重い制約ではないものの――それでもやはり厄介なものでしてね」
「どんな術式?」
「『反逆不可の呪印』みたいなものです」
「なるほど。『命令の遵守』とかじゃなくてよかったね」
「そんな重い制約を設けられていたら今こんなところに外出できていないでしょうね」
「マズール王は人を見る目に関しては中々才覚を発揮するらしい。重い制約を課さなかったのは正解だろう。それじゃあベルマールさんの才覚は存分に発揮できないだろうから」
「ユーリ、敵の大将を褒めるのもいいですが、私としてはそろそろ術式を解いてほしいね」
「わかってるわかってる。なら、魔術式が刻まれた場所を見せてくれ」
そう言われてベルマールは上半身の服を脱ぎ始めた。
そうして露わになったベルマールの肌。丁度心臓が位置する辺りの肌に、黒い魔術式が刻まれていた。
それをユーリはまじまじと見て、唸った。
「……んー……いまいちわからないな。反逆という術式言語こそ読めるけど――」
「ユーリ、少しは魔術の学習でもしたらどうです? 『不可能』の魔法陣を基盤に、言霊を反逆。――原理自体は非常に簡素なものですけどね。肝心の呪印を施したあと、その呪印を解除できないように周りに三重に鍵となる術式を刻んだようです。その鍵の解除術式は当然の事ながらこの呪印を刻んだ者と、マズール王しか知りません」
「頭が……」
「ユーリ、あなたは本当に座学がひどいですね……そこだけはシャルに似てほしくなかった……」
「なんかごめん」
「まあ今はいいでしょう。ともかく、正攻法ではどうにも解除出来ないので、あなたに『強制解除』してもらいたいのですよ」
「わかった。じゃあ――俺の魔力で術式に込められた魔力を強引に吹っ飛ばすから、少し痛むかもしれないけど我慢してくれ」
ユーリの言葉を受けたベルマールは了承の意を示した。
ユーリはベルマールが頷いたのを確認して、右掌を彼の左胸に当てる。
目を瞑って大きく深呼吸をするユーリ。
そして、一拍のあとに目を開けた。
右眼が金色に変わっていた。
すると、次の瞬間。ベルマールの胸に刻まれた黒い魔術式をかき消すように、ユーリの掌から金色の魔力が広がり、
「っ――!」
ベルマールが小さく呻く。それでもユーリは手を離さなかった。
さらに金色の魔力がユーリの掌からあふれ出ていって、刻まれていた魔法陣が徐々にかすれ――ついには完全にその姿を消してしまった。
「――これで大丈夫だろう」
「ふう、ありがとうございました。これで明日には何の支障もなく、あなたと相対することができるでしょう」
ベルマールが服を着こみながら言う。
「さて、では今日はこのへんで。私も早めに帰らないと不信がられますし」
「そうだね」
そうユーリは返し、すぐにベルマールと同様に踵を返した。
お互いに背を向けたままで、
「また明日」
「ええ、また明日」
二人の声が交差した。
◆◆◆
「ユーリ! いい加減に起きなさい!」
「……んー……あと一日……」
「それは寝坊の範疇越えてるよ!! 早く起きないとお腹踏むよ!」
「あうっ」
「あっ、ごめん、勢い余っちゃった……」
さきに起きたリリアーヌといくらかのやり取りをしたあとに、ユーリは目を覚ました。
眠気眼をこすり、昨日までの疲れを全く見せていないリリアーヌを見て、多少の安堵を抱く。
「はー……あ、リリィ、今日は行くところがある」
「急にどうしたの?」
「大事な話だ」
ユーリはふと顔に真剣さをのせて、リリアーヌに言った。
その雰囲気の変化にリリアーヌも気付いたのか、姿勢を正してまっすぐにユーリの眼を見返した。
「今日、マズール王城に行く。昨日『ベルマールさん』に会ったんだ」
リリアーヌはその言葉を聞くと、一層表情を硬くした。しかし、すぐに切り替えたのか、幼いながらも悪戯気な表情で言葉を紡ぐ。
「生きてたんだ、あの『変態』……」
死んでれば良かったのに、と小さな声で彼女が呟いたのをユーリは確かに聞いた。
「相変わらずリリィはベルマールさんが嫌いだな」
「だってあいつ嬉しそうな顔して私をいじめるんだもん!」
リリアーヌが抗議染みた声をあげる。
「まあ……確かに。ベルマールさんはちょっかいを出すのが好きだからな…… リリィはいじめられっぱなしだったっけ?」
「ホントに! やり返しても全部避けるし!! かすりさえしないんだよ!? 無駄に反射神経優れてるのってずるいよね……!!」
「はは、もう少しすればまたその感覚を味わえるよ」
ユーリはそういって、「むあああ!」とベッドの上を転げまわるリリアーヌを横目に、身支度を整え始めた。