53話 「再会」
「ヴェール皇国に戻りましょう」
ケーネは落ち着いてからリリアーヌにそう伝えた。
「もしかしたら陛下もお戻りになっているかもしれません」
「うん、そうだね」
「馬には逃げられてしまったので徒歩になりますが、お許しください」
「大丈夫だよ! 歩くのには慣れてるから!」
一日歩き続ければヴェールには着くだろう。
多少負担を掛けることになってしまうが、追手の可能性も完全には拭いきれてはいないので、ケーネは早々にヴェールの皇都デルサスへ向かうことにした。
◆◆◆
「フィオレだけならずっと早くヴェールに着くだろうから、アガサ、悪いのだけれどユーリを先に連れて行ってくれないかな」
イシュメルは馬で数十分走ったあたりでアガサに言った。
「確かにフィオレが全速力で走ればずいぶん早く着くだろうが……いいのか?」
「大丈夫、ナレリア領からは出たし、ヴァンガードも追い払った。さすがにもう障害はないだろうさ。それに、アガサにしても先にヴェール領内に入ってしまったほうが安全だ。僕はメイレンもいるし、そこまで消耗してないから大丈夫だよ」
「そうか……よし、わかった!」
馬を止め、ユーリをフィオレへと乗せたアガサはうなずいた。
「でも、もしなにか異変があったらすぐに逃げるんだよ」
「はは、大丈夫と言いつつ、いつになく念を押すな」
アガサが苦笑して言う。
少し元気が出てきたようだった。
あるいは空元気だったのかもしれないが、そうやって笑顔を浮かべようとする彼女のことを、イシュメルは強いと思った。
「あたりまえさ、僕は君を愛しているんだから!」
「声高にいうな、馬鹿っ」
メイレンが隣で顔を赤らめながら咳払いをする。
「ま、まぁいい。……それじゃ、先に行くぞ」
「うん、あとから行くよ。必ずね。フィオレもアガサのことをよろしく」
黒馬フィオレはその言葉に答えるように一度大きく嘶き、走り出した。
アガサの後ろ姿を見送るイシュメルの目は、やはり心配そうだった。
◆◆◆
半日は走り続けただろう。
アガサがフィオレの体力を気遣って一度休息を取った。
体力と疾走力に関してはずば抜けて優れているとはいっても、馬には馬の限界がある。
フィオレは一言も不満を漏らさなかったが、アガサが先にフィオレの疲労を感じ取って休ませた。
「お疲れ、フィオレ。休んだらまた走るから、今のうちによく休むんだぞ」
アガサがそう声をかけると、フィオレは愛おしそうにアガサの頬を鼻でつつく。
「さてさて、王様はいつ目覚めるんだろうね」
いまだに目を開けないユーリ。
さすがに長時間馬の上でゆられていては体の部分部分が痛むだろうと思ったのも休息の原因ではある。
ごつごつとした土の地面に寝かせるのも悪いと思い、アガサはユーリの頭を膝に乗せた。
我ながららしくないことをするものだと思ったが、そうするのが一番いいとも思った。
「本当に嫉妬してしまいそうなほど綺麗な顔をしているな」
美しい銀髪を撫でる。
恋愛感情は生まれなかった。
そのことになぜか自分自身が安心したような気がする。
(ふーん……)
寝ている顔なら中性的と言えるかもしれない。
どちらにしろ、そこらの町娘なら一目惚れだろう。
もしかしたら男からも惚れられることがあるかもしれない。
(ああ、なるほど)
ふと、恋愛感情が湧かなかった代わりに、母性というものを自分が発揮しているのではないかと思った。
明確にそれと言えるものは感じられないので、ただなんとなくではあるが。
「……ん」
「お、起きたか」
小さな声を上げたユーリに気付いて、アガサは銀髪を撫でるのをやめた。
代わりに体を起こすのを手伝う。
思った以上にユーリの体は重かった。
(どういう体構造してるんだ……)
エスクード人たるゆえんだろうか。
触れた背に分厚い鋼のような筋肉を感じる。
「……ああ、アガサか。イシュメルたちはどうした?」
「別行動だよ。私はお前を先にヴェールに連れて行くよう頼まれたんだ」
「……そうか」
ユーリはあたりをぼんやりと眺めてから、小さくうなずいた。
それからアガサの目を見て、微笑を浮かべる。
そのときのユーリは、どこにでもいる青年のようだった。
「苦労をかけたな」
「リリアーヌのことは言わないんだな」
「出来るだけ考えないようにしているのさ。俺を気絶させてまで休ませようとしたイシュメルのためにもな」
「なるほど、賢明だ。お前にしてはかしこい選択だと思う」
「からかってるのか?」
「ふふ、半分くらいな」
「はあ、少しイシュメルに似てきたな、アガサ」
ユーリがあきれたように笑う。
まあ、笑わないよりはいいだろう。
アガサは内心で思った。
「体は大丈夫か?」
「ああ、別段支障はない」
「なら行こう。早々に戻ってエンピオネ様の手を借りればリリアーヌも早く見つかるかもしれない」
「そうだな」
アガサはそれだけ言って、後はリリアーヌについて触れずにユーリをヴェールへ運んで行った。
◆◆◆
場所は変わってヴェール皇城――女皇室。
「……もどかしい」
こつ、こつ、こつ。
エンピオネは人差し指でひたすらに机を小突いていた。
カージュが若干どぎまぎしていたが、どうやら機嫌が悪いということだけはわかっていたので、何も言うまいとしていた。
「……もどかしい」
「あ、はい」
(必要以上にリアクションを取ってはダメだ)
「もどかしいといっておるのだ!」
「そ、そうですか!」
どうやらダメらしい。
「ふん! そこで気の利いた言葉の一つも掛けられぬとは情けない臣下じゃの!」
「あはは、おっしゃる通りです」
カージュは反論しない。
いつもなら反論していたかもしれない。
拳骨と引き換えに。
しかしながら今回は軽口も叩けなかった。
拳骨で済まない気がしたから。
「ナレリア領の外端で会合出来たならあと一日ほどで戻るはずじゃ。いや、もしかすればもっと手前で……だがナレリア王都まで行ってしまっていたら……いやいやそう考えるのは早計じゃの……だが考えられぬ事でもない……あー! 鬱陶しい!!」
はぁ、と大きめのため息をついて、カージュはエンピオネが突飛な行動に出ないか監視することしか出来なかった。
それから大きな変化が訪れたのは、わずか数分後のことだ。
(本当に、ここ数カ月でずいぶんと皇城が騒がしくなったものだ)
カージュは嘆きとも取れる思考をどうにかこうにか外へ追いやった。
(しかし、先にケーネさんのみが戻ってくるとは)
数日前にヴェールを発ったケーネが、リリアーヌだけを連れて皇城に戻ってきたという報告があった。
エンピオネは薄着のまま部屋を飛び出そうとする。
「陛下! 服!! 服着てください!!」
エンピオネは自室では下着姿であることが多い。
カージュはとっさに近場に用意しておいた羽織を差しだした。
エンピオネは最速でそれを着ると、どたばたと足音を豪快に鳴らして廊下を走って行く。
カージュも長い臣下服の裾を持ち上げながら必死でエンピオネを追った。
◆◆◆
「ご無沙汰っ、エンピオネ様!」
「リリアーヌ! 久しぶりだな!」
実際のところたいして月日は経っていない――とツッコむのはやめておいた。
カージュとケーネは二人の女が一瞬にして作り出した涙ぐましい雰囲気の空間に入れずじまいでたじろぐ。
「ところでユーリたちはどうした?」
「それがねー、私、途中でヴァンガードの人に攫われちゃったみたいで……」
「なんだとッ!?」
話の展開が遅い。
このままのペースで話させたら日が暮れる。
誇張表現ではあるがそう思ったケーネは、無粋と思いながらも横から口を出した。
「そのヴァンガード所属と思われる者が休息を取っていたところへ、たまたま私が通りかかったものですから、救出を試みました。結果としてここに戻ってくることが出来たのですが、早くこのことをユーリ様に伝えなければ――」
「そうか! 良くやったケーネ! この功績は大きいぞ! ユーリにいろいろねだるといい!」
「は、はい……。いや、死ぬかと思いましたけどね」
思いだしたくもない。
ここまでもかなり気を張っていた。
疲れた、と端的に言いたい気分だ。
そんなケーネの内心を察したのか、カージュが肩をぽんと叩いていた。
「うむ、じきにユーリたちも戻ってくるだろう。とりあえずは休め。カージュ、部屋を用意させろ」
「御意のままに」
やっと満足な休息が得られる。
ケーネはひとりごちて肩の力を抜いた。
◆◆◆
やはり、全くもって騒がしくなった。
何度も言うが騒がしい。
一難去ってまた一難とはよくいったもので、カージュはあまりのせわしなさに心の息を切らした。
「エンピオネ様っ、は、速すぎます……!」
壮大な風景画が無数に掛けられている廊下をまた服の裾を上げながら走る。
このときばかりは床の深紅の絨毯が憎くなった。
足が取られてしかたがない。
風景画でさえも壮大過ぎて嫌になってくる。
まるで絵の中のだだっ広い草原やら山脈やらを走っている気分だ。
エンピオネはそんなことお構いなしというふうに強靭な脚力で廊下をぴょんぴょん駆けて行く。
「はあ……はあ……!」
今度もまた衛兵からの通達。
アガサとユーリが皇城の前に姿を現したらしい。
エンピオネに言われたとおり即刻入門許可を出し、大広間に待たせている。
「ユーリ!」
大広間の扉をぶち破るかのような勢いで開くエンピオネ。
まずユーリの顔を見て思ったのは『やつれている』だった。
「ハハッ、ずいぶんとやつれたものだな!」
「当然だろう、今でさえ落ち着かないんだ」
「ふっふっふ、すぐに落ち着かせてやろう」
えらく上機嫌で言葉を放つエンピオネを見て小首をかしげるユーリ。
すると――
「ユーリ!」
ユーリの時間は誰の目から見てもわかるほどに一瞬止まった。
彼の耳に入った言葉。
彼の目に入った姿。
時間の動きだしたユーリは立ちあがっていた。
そしてゆっくりと加速する。
おぼつかない足取りで近づき、そして――
「リリィ……!」
カージュのさらに後ろから姿を現したリリアーヌを、抱きしめていた。
「ああ……」
ここに居る。
今、確かに彼女の形を腕の中に感じている。
「良かった……本当に……良かった……」
皆が一様に思った。
心の底から安堵し、感情の全てを曝け出しているユーリを見るのは初めてだ、と。
ユーリは何度も確かめるようにリリアーヌを持ち上げたり下ろしたりした。
そして気が済むと、彼女の頭を優しくなでた。
そのユーリに目には光るものが浮かんでいて、なにより端的に彼の嬉しさを表していた。
リリアーヌも目に涙を浮かべている。
ユーリと再会してやっと、自分が今までどれだけ不安な境遇にあったのかが現実味を帯びてきて、その恐怖を振りかえり、現状に心底安堵し、耐えきれない感動を涙で発散していた。
泣いてはいけないと何度も言い聞かせてきた。
でも……
(嬉しい時くらいは、泣いてもいいよね)
「これは出る幕がないな」
「そのようですね」
「陛下に褒美をねだるのはあとにしましょうか」
「仕方ないなぁ、あたしも外に出るとしよう」
今は二人だけに。
大広間に二人を残し、エンピオネ達はその場をあとにした。