51話 「偶然」
「マーレ君には礼を述べなければいけないようですね。相変わらずどこにいるのかはわからないのですが」
キュイス・ホーリーウッドは担いでいた『二人』を地面に下ろしながらそうつぶやいた。
「ヨハン、生きていますか? ヨハーン」
地面に降ろした一方、いまだに目を開けようとしない黒髪の青年に呼びかける。
「はぁ……しかしここまで苦労するとは思いませんでした。まさかあんなものが出てくるなんて」
キュイスは灰色の髪を掻き上げながら大きくため息をついた。
思いだす。
さきほどまで目の前にいた化物のことを。
アレと相対してはいけないと本能が叫んでいた。
対峙して実感する。
最高種と人間との間にある絶壁。
――本来の姿をしていないというのにあれほどの力ですか。
まったくもって忌々しい。
キュイスはまたもう一つ大きなため息をつきながら、ヨハンが眼を覚ますのを待った。
◆◆◆
それは完全な偶然だった。
神はユーリたちに無情だったが、同様にキュイスたちにも無情だった。
運命に振り回されているかのような、そんな印象を彼は受けただろう。
キュイスたちが休んでいる木陰。
正確にはヴェール皇国と現在のユーリたちがいる場所とのちょうど間あたり。
そこに、一人の人間が通りがかった。
その者は木陰で休んでいたキュイスを視界に捉える。
気絶していると思われる二人。
その者はそのうちの一人に、見覚えがあった。
金色の髪をした『エルフ』。
彼女の姿を見たとき――
その者――ケーネ・ヴァスカンドの脳はめまぐるしい速度で動きだした。
(あれは……リリアーヌ様?)
祖国を捨て、新たに仕えることを決めた王の付き人。
マズール王城で一度見たことがある。
忘れるわけがない。
ユーリと同様に、彼女は印象的な少女だった。
なぜ彼女がユーリ以外の人物と共にいるのか。
そしてなぜ彼女は気絶しているのか。
(……)
思いのほか容易に結論にたどり着いた。
――彼女は攫われた。
過保護的なまでに彼女を溺愛していたユーリが、気絶している彼女の傍にいないわけがない。
同様に、気絶している隣の人物を見ると何やら手負いだ。
おそらくはユーリたちと戦闘をしたときに出来た傷だろう。
それもたいして時間が経っていない。
(エスクードの竜神よ、早々に私に加護を与えてくださったことを感謝する)
ケーネは腰の鞘から剣を音もなく抜き去った。
向こうはこちらに気付いていない。
かすかだが起きている灰色髪の人物も、静かに目を閉じている。
身体を癒している最中だろう。
ケーネは草陰からキュイスの行動を逐一観察した。
相手の力量がわからない以上、機会は一度だと思った方がいい。
(強いな……)
卑屈な考えだと非難されるかもしれないが、正直なところ、相手の力量に関して自分の目算は合っていると思う。
(あの陛下相手にリリアーヌ様を攫って逃げるだけの力量があるのだ)
少なくとも、マズール王城で相対したとき良いようにあしらわれた自分とは強さが違うだろう。
身体を癒すために半ば休眠状態であると言うのにも関わらず、たまに開く瞳に宿った光は鋭い。
(どうするか)
ケーネは焦らず冷静に、かつ合理的にリリアーヌ奪還の目処を立てた。
(……よし)
そして動きだす。
近場に落ちていた小石を掴み、明後日の方向へ投げた。
導き出した作戦は至極単純なものだ。
(まともに戦っても勝てないなら、目的を一つに絞る)
投げた小石に意識を集中させ、その隙に全力でリリアーヌを奪い返し、逃げる。
(その優れた警戒力を利用させてもらう)
小石が樹に当たる。
運命が分岐する音がした。
◆◆◆
カコン。
異様に短い音だった。
しかしキュイスにとってやけにその音が耳に残った。
まさかとは思う。
(追手ですかね……?)
体中を駆け巡る疲労を一刻も早く回復させようとしていたキュイスの意志は、ほんの少しだけ音が鳴った方へ関心を起こさせた。
(ささいなことが気になるのは、疲れている証拠でしょうか)
さほど離れていない場所だ。
(まあ、念には念を)
キュイスはゆっくりと立ちあがり、樹の方へ歩き出す。
まさに、その瞬間だった。
「ッ!!」
がさり、と草葉が揺れる音とともに、樹と反対の方向から一人の男が飛び出してくる。
「こしゃくな真似を……!!」
認識の遅延。
意図的に仕組まれた意識誘導。
なぜ後ろから迫る気配に気づかなかったのか。
キュイスは頭に血が上りそうになった。
「待てッ!!」
男は寝ていたリリアーヌを抱きかかえると、一目散に背を向けて逃げ出す。
キュイスの体中を一気に魔力が駆け巡る。
怒気を鎮めながらも意識を集中させ、背を向けて全力で逃げている何者かに魔術を放った。
◆◆◆
(地面……いや、土か)
最高度に集中された認識力でケーネはキュイスの魔術の質を看破する。
背後から迫りくる土の槍を紙一重でかわす。
自分でも驚くが、まるで背中に目がついたような感覚だった。
(とはいえ一時的な集中の産物に頼り切るのはいささか不安だ)
ケーネは顔をほんの少し後ろに向け、片目で背後を目視した。
同時、視界に映った光景に血の気が引く。
宙に舞う槍、槍、槍。
敵ながら感嘆してしまいかねないほどの高練度魔術。
土槍は寸分たがわず同じ形をしていて、土で出来ていることを忘れてしまいそうな造形美があった。
その者がいかに自分の魔術をめでているのかがわかる。
(感心してどうする! 対策を立てろ! ケーネッ!)
両手はリリアーヌを抱いているため剣は使えない。
もとよりあれほどの数の土槍に剣一本で対応できるわけがない。
ケーネは意識を集中させた。
(一本一本に対応することは出来ない。盾の乱立は逆効果だ)
眼に入った土槍の数に翻弄され、打開策が即座に浮かばない。
と、不意に後方に強烈な殺気を感じて、リリアーヌを抱いたまま横に転げた。
ボゴン。
さっきまで走っていた道が抉れた。
たった一本。
だのに――
「なんて威力だ……」
魔術戦における絶対的優位性が敵側にあることをケーネは再び理解した。
彼の魔術は効率性、燃費、自分が魔術を使う際に思い浮かべる些末な懸念など知らないと言っている。
眼に映る槍の一本一本が同等の威力を兼ね備えているとは意地でも思いたくない。
(これを才能の違いというのか)
魔力の絶対量は生まれつきの才能だ。
血の滲む努力をしたところで大した変化を見せない。
奇跡的な努力の成果が見て取れたとして、二割増しがいいところだ。
ならば、魔力の絶対量で劣っている者は才能に恵まれた魔術師に一生勝てぬのか。
(……違う)
ケーネは天才肌ではない。
俗に言う秀才のたぐいだった。
父は大工、早くに他界した母は中位種の魔術師。
ケーネは母が魔術師であったがゆえに、当たり前のように幼いころから魔術の修練を積んだ。
飲みこみは早い方だったと思う。
しかし十四歳になった頃、自分が魔術だけでのし上がることが出来ない人間だということに気づいてしまった。
――そうか。
絶望感はなかった。
気付いたのがそのときで良かったとすら思った。
それからは魔術の修練を減らし、残る時間を剣術の稽古に費やしはじめる。
大工であった父の逞しい体がうまく遺伝されたのか、体格や筋肉は常人よりも多少ながら優れていた。
――早く早くと思ったものだ。
母のいない中、荒くも必死で自分を育ててくれた父に、早く恩返しがしたかった。
十八の頃、マズール騎士団へ入団するために試験を受け、至って平均的な成績で試験をパスした。
それから一定した収入を得られるようになって、ようやく独り立ち出来るようになった頃――父が死んだ。
酷く悲しんだ。
何かに打ち込み、気を紛らわさなければやっていられなかった。
死に物狂いで騎士団の一員として働いた結果、二十八歳で騎士団長に任命される。
天才が現れた、と周りは持て囃したが、自分がそんなものではないことはとっくに知っていた。
――そう、所詮私は戦いをなりわいとしない国の騎士団長。
そのころに感じた自分の限界。
忘れかけていた――否、忘れたかった真実が、今、唸りを上げて再び眼の前に現れる。
――卑屈になるな。
意志を燃やせ。
――それでも私は、先を目指すと決めたのだろう。
「っ!」
敵が土槍の一本の照準を再びこちらへ向けたのに気づき、ケーネは我に返った。
(おそらくはリリアーヌ様に巻き添えを食らわしたくないのだろう)
今宙に舞っている土槍を一斉掃射すれば自分など軽々と粉砕できるだろうに。
キュイスが冷静であったことが皮肉にもケーネの救いとなっていた。
ケーネはすぐに立ち上がり、走り出す。
敵に背を向ける。
(笑いたければ笑え)
力の差すらわからない愚か者と一緒にされるぐらいなら、笑われた方がましだ。
(私は生きなければならない)
マズールには自分の求める志がなかった。
所詮騎士とは、商いを円滑に進めるための道具だった。
商いのために必要であれば、邪魔なものはすべて排除する。
たとえ相手が歩み寄る意志を持っていようと。
(私は過ちを犯した)
グラン聖戦に参加すべきではなかった。
あれはなにも産まない戦いだった。
ヴァンガード協定連合に調和は存在しない。
マズール王はそのヴァンガードをも商いのために利用しようとしているのだろうが、それは悪手だ。
それこそ、力の差を理解していない者の愚である。
(裏切り者と呼ばれようとも)
過ちを償う。
この手が奪ったエルフの命と同じだけの命を、助けなければ。
(そのための道が、ここなのだ)
だから、諦めるわけにはいかない。
(早く)
せめて長い詠唱を行うだけの時間があれば、自分でもかろうじてあの槍に対抗できる。
魔力を安定させる時間が欲しい。
意志を魔力に充填する時間が欲しい。
(詠唱を)
早く、短く、確実に。
「――」
それは単なる嘆きの言葉だったのか。はたまた詠唱の一節だったのか。
しかしケーネが何かを口にした。
次の瞬間――
キュイスの立ち位置を起点とし、周囲数十メートルに渡って無数の烈火の球が現れた。