50話 「力の権化と、その行方」
「ゼクシオン……」
イシュメルは少し離れたところで一人得心がいったように呟いていた。
ダルヴァの時もそうだ。
ユーリが、またはゼクシオンが、ユーリの身の危険を察知すると、彼が現れる。
力の権化たる世界最高種。
――竜族が。
『体を借りるぞ、ユーリ』
ユーリではない声で、彼は言った。
傷が見る見るうちに癒えていく。
竜族の自己再生力がそうした。
人間の比ではない。
『矮小な人間よ、我が前にひれ伏せ』
そして、ユーリの右眼ではなく、その体中から形容しがたいほどの魔力が発せられた。
「ゼクシオンと……同化したのか」
イシュメルを嫌な不安感が襲った。
『案ずるな、イシュメル。ユーリは消えてはいない』
そこで、イシュメルの内心を察したように彼が言った。
なんと優しい声か。
ヨハンとキュイスに対する殺意とはまるで感じの違う声音。
イシュメルは泣きそうな顔に無理な笑顔を張り付け、一度こくりとうなずいた。
『しかしヴァンガード協定連合か……。よくもまぁここまで増長したものだ。まったくもっていまいましい』
「あなたがた竜族は人間が皆一様に憎いのではありませんか。なぜ今さらになってエスクードに味方するのでしょうかね」
いまだに動けないヨハンに代わって、キュイスがゼクシオンに近づいて言った。
『口を慎め、小僧』
「まぁ、あなたにならそう呼ばれてもしかたありません。しかし小僧を舐めないことです。いたずらで足元をすくわれますよ?」
強靭な精神力だとイシュメルは思った。
殺意を向けてくる竜族に向かって、よくそんな豪気な物言いが出来たものだと。
『……』
ゼクシオンが沈黙しながら腕を軽く振るった。
次の瞬間――
「ぐっ!」
キュイスとヨハンが暴風に煽られて吹き飛んだ。
続けざまにゼクシオンが手を顔の横に持ってくる。
なにかを握る仕草を見せると、その手の中に光り輝く槍が形成された。
「っ……!」
雷電が迸る魔術の槍。
見ただけでわかる。
――あれに触れてはいけない。
ゼクシオンは雷槍を振りかぶって放った。
ヨハンとキュイスはあらんかぎりの早さで横に飛び退く。
「はは」
雷の大槍は地面を大きく抉りながら彼方へ飛んでいった。
「……ばかげた威力だ」
二発。
たった二発の魔術でその場は荒野と化した。
木々は風で残らず吹き飛び、地面に生えていた植物さえ雷の大槍で焼け死んでいる。
さすがのキュイスも戦慄せざるを得なかった。
「くそっ!」
そんな中、ヨハンが立ちあがってゼクシオンの方へ駆けて行く。
「ヨハンッ!」
「魔術戦であの化物に勝てるわけがない! 僕が物理戦でどうにかする!」
彼もまた勇敢だった。
『なるほど、いいだろう』
ゼクシオンは走ってくるヨハンを見つけ、その意図を汲む。
そして動きを見せた。
『そうか、人間には翼がないのか…』
ふと、少し残念そうにつぶやいたゼクシオンだったが、次に起こした行動で、すべては代替された。
「なんだ……それは」
ヨハンはゼクシオンが起こした行動を見て、震える声で言った。
『翼だ』
背に、翼のようなものが浮いている。
膨大な魔力が感じられる。
最初こそ半透明だったそれは次第に濃さを増し、やがて美しい金色の翼となった。
瞬間、ヨハンの眼前からゼクシオンが消え去った。
「ッ――」
後を追う?
魔力の残り香を追う?
――不可能だ。
その場全体がゼクシオンの莫大な魔力で満たされていた。
ほんの少しの殺意を感じ取って、ヨハンは振り向く。
眼前に拳が迫っていた。
「っ!」
自分の体とゼクシオンの拳の間にどうにか片手を滑り込ませる。
死の容易に感じ取らせるその拳は、ヨハンの片手を軽く粉砕し、ほとんど威力を失わないままその腹部に叩きこまれた。
ヨハンの体がくるくると宙を舞いながら吹き飛び、やがて周囲の木の数本をぶち折ったあと岩に当たって止まった。
「……」
意識などがあろうはずもなく。
粉砕されたヨハンの片手がだらりと力なく垂れていた。
『死んではいないだろう。私がそれに勝っても意味がないからな』
なにげなく言うゼクシオン。
その視線はすぐにキュイスへと向けられた。
◆◆◆
――脅威だ。
少なくとも人間の形を成していてはいけない種類の生物の力だ。
それほどの力を行使している現状、ユーリの体にはどれほどの負担が掛かっているのだろうか。
そんなことを考えていると、ふとユーリの左腕の皮膚が内側から破裂するように破れたのをイシュメルは見た。
「ゼ、ゼクシオンッ!」
よくよく見ればユーリの体には無数の真新しい傷が出来ている。
その傷はゼクシオンの力で即座に修復されているが、傷を負い、修復されて、を繰り返していればおのずと体の根本的な所に負担を掛けてしまう。
嫌な予感がした。
おそらくゼクシオン自身、気づいていない。
「ユーリの体が限界に近い! それ以上負担をかけないでくれ!」
ゼクシオンはイシュメルの言葉を聞き、ようやくユーリの体が悲鳴を上げていることに気付いた。
『……出過ぎた真似をしたようだ』
悲しそうに呟き、ゼクシオンは徐々に魔力を収めていく。
ゼクシオンの魔力で形成されていた力場のような物が消え失せ、光翼もフッと細かい粒子となって消えた。
「気を抜いてしまっていいんですか?」
その瞬間だった。
キュイスが隙を見て攻撃を仕掛けてくる。
地面が揺れる。
土中から計十二本の土の槍が現れた。
対空していた十二本の土槍は一刻を待たずして全方位からゼクシオンに襲いかかる。
『小賢しい奴め!!』
ゼクシオンは瞬時に体に力を入れる。
ユーリの体が今までに無いほど強い悲鳴を上げた。
体中の血管や筋肉や骨が軋み、千切れる音がした。
ゼクシオンは胸中で叫び声をあげた。
ユーリの体に掛かる負担を考えたとき、いてもたってもいられなくなった。
『……すまない』
【いいさ、ほかに方法が無かったんだ。ゼクシオンが謝ることじゃない】
土槍が目前に迫ったとき、ゼクシオンはユーリと短く会話をした気がした。
ドゴン、と爆発音にも似た音がなって、十二本の土槍はゼクシオンの放った魔力で吹き飛ばされる。
上がる土煙。
ゼクシオンはキュイスを探した。
――やつに一撃与えなければ。
気が済まない。
だが一向にキュイスの姿は見つからなかった。
土煙が完全に晴れたとき、すでに彼の姿はそこになかった。
振り向くとヨハンの姿もない。
『逃げられたか……』
ゼクシオンはついに体の力を全て抜き、その主導権をユーリに返した。
◆◆◆
「う……あ……」
「喋らないで、ユーリ!」
ユーリの体が纏っていた膨大な魔力と威圧感が消え去り、次の瞬間、『ユーリ』はその場に跪いた。
なにかを喋ろうとしているのだがうまく声がでないようで、そのもどかしさを体現するように拳を地面にたたきつける。
イシュメルが咄嗟にユーリの傍らに座り込み、即座に治癒魔術を発動させた。
「喉が高密度の魔力で焼かれているのかもしれない、ちょっと待ってて」
「い……いか……ら……。リ……リィ……たち、を――」
振り絞るように出た言葉。
イシュメルはそこでハっとした。
「い……って……くれ……」
「っ、わかった」
イシュメルは最低限の治療をユーリに施し、即座にリリアーヌたちが戻った村への道を引き返した。
走る。
キュイスという男は見るからに狡猾そうな男だった。
それに彼はゼクシオンとまともにやり合ってはいない。
十分に動ける体だ。
ユーリの思うところがイシュメルにもだんだんわかってきて、彼は命一杯走った。
◆◆◆
「ああ……なんて……ことだ」
どれほど全力で走っただろうか。
その場にたどり着いたとき、自分の感情のすべてが一瞬で氷河のように凍りついた気がした。
そしてすぐ、熱くなる。
アガサは放心したように虚空を見つめながら地面に座り込んでいて――
メイレンは片腕からおびただしい量の血を流しながら倒れていて――
そして――
リリアーヌの姿がそこにはなかった。
「ああ……」
最も忌避すべき現実が、今こうやって目の前に現れてしまった。
イシュメルは打ちひしがれた。
しかしすぐにメイレンの傍らに移動し、意識を集中させる。
「裂傷か……この程度ならすぐに……」
「申し訳……ありません。妹君が……攫われました」
「わかってる!!」
イシュメルはつい声を荒げる。
――そう何度も現実を突きつけないでくれ。
「ユーリになんて説明したら……」
「イシュメル、リリィはどこだ」
そこで、ユーリの声が背後から聞こえた。
――神は……考える暇すら与えてくれないのか。
イシュメルは振り向かない。
ユーリの顔を見るのが怖かった。
「イシュメル」
――わかっているくせに。
つい自棄になりそうになるのを理性で押し留める。
かすれそうな声を振り絞って、声を上げた。
「ここには……いないよ」
「そうか、どこか安全な場所に逃がしたのか。俺が迎えに行ってこよう。どこに避難させた」
「……」
「イシュメル――」
「うるさいっ!!」
怒気の発露。
ユーリに対してではなく、キュイスたちと、自分に対する。
ついにイシュメルはユーリの方を振り向いた。
泣きそうな顔のユーリが、剣も持たず、呆然と立ちすくんでいた。
そして――
「ああ……」
心を揺るがすような震える叫びが漏れる。
「うおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああ!!」
聞いたことのない友の悲痛な叫びが、木霊した。
◆◆◆
イシュメルは早々に最も危険な可能性の一つを予想した。
それは、ユーリが暴走するのではないかという懸念である。
――止めないと。
ユーリまでここで失うわけにはいかない。
ユーリは王である。
エスクード人、そしてエスクード人と命運を共にするエルフたちにとって最後の柱だ。
――ユーリが狂乱状態に陥ろうとするならば、半殺しにしてでも止めなければならない。
このときイシュメルはそれほどの覚悟をしていた。
だがその懸念はユーリの第一声で否定される。
「……落ち着け。……そうか、奪われたか。なら――奪い返そう」
自分に言い聞かせているような、自分を諭しているかのような、そんな口ぶりだった。
ユーリはすぐに立ち上がり、アガサとメイレンに駆け寄った。
「ユーリ……すまない……あたしは何も……」
「言うな、わかってる。元はと言えば俺が奴らを仕留め切れなかったのが過ちだ。アガサが謝ることはない」
アガサの背を優しくさすり、ユーリは彼女を立たせる。
それからメイレンのもとへやってきて、同じように声をかけた。
「陛下、申し訳ありません……。みすみすリリアーヌ様を――」
「早々の任務にしては難易度が高すぎたんだ、気にするな。腕は大丈夫か?」
イシュメルはいまだにユーリの状態を判断しきれていない。
混乱した上での虚勢か、それとも冷静な理性の働きゆえの姿か。
もし後者であったならば、イシュメルは自身の持つユーリに対する印象を一つ変えなければならない。
そう思っていた。
――ユーリにとってリリアーヌは……。
良くも悪くも抑止剤である。
リリアーヌ一人がいるだけで、ユーリは戦の狂気から脱却することが出来て、逆にリリアーヌ一人がいないだけで、もっと奥深い常闇に囚われる。
「ユーリ、今、君は冷静かい?」
陳腐だ。
言うのが憚られるほどに陳腐な物言いだと、そう思った。
「……半々だな、イシュメル」
どちらでもない。
ユーリはそう答えた。
その答えにイシュメルはどこか納得し、そのときようやく自分の思考回路も平常に戻ったと確信した。
「そう遠くへは行っていない――とは言い切れないか。気配がまるで無い」
「奴ら、リリアーヌを攫った瞬間その場から消えた。あたしにはそう見えた」
アガサも放心状態から徐々に復帰し、そのとき見た光景をユーリに伝えた。
「足元に魔法陣が開いていたのを私は見ました」
イシュメルの治療を受けながらメイレンが言う。
「特異な能力者が向こう側にはいるようだね」
ユーリたちは精神的には立ちあがった。
が、立ちあがったはいいがリリアーヌを救う術を見出すことができずにいる。
「エンピオネに知らせよう。使える手段、すべてを使ってリリアーヌを探す」
できることをすべて。
ユーリはそう言って一度空を眺める。
「待ってろ、リリアーヌ」
ユーリはそう言って拳を握りしめた。