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エスクード王国物語  作者: 葵大和
第一幕 亡国の王子編
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4話 「戦乱の傷痕」

 村を出て数日。


 徒歩での移動は思っていた以上に険しい。

 荷物は食料が減ったことで徐々に軽くはなったが、蓄積する疲労を考慮するとあまり意味はなかった。

 なによりユーリは危惧していた。

 リリアーヌの事を。

 ユーリでさえ、連日の徒歩による移動で足腰に痛みを感じ始めていた。

 年端もいかぬリリアーヌにとってはもっとつらい旅程だろう。


「リリィ、疲れてないか? ――大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよ」


 しかし、何度訊ねても、リリアーヌは「大丈夫」と言い続けた。


 ――まさか、大丈夫なはずがないのに。


 ユーリは内心でリリアーヌの精神力に感嘆しつつも、彼女が頑なに弱音を吐かない理由も知っていて。だから、よけいにリリアーヌが心配になった。

 それでも、長い休息を取る事は出来ない。

 その休息に遅れが、村人たちを殺してしまうかもしれないから。


 もどかしさだけがユーリの胸に募っていった。


「ユーリこそ大丈夫?」


 額から大粒の汗を流しながらも、リリアーヌが笑みを浮かべてユーリに問う。


「ああ、俺は大丈夫だよ。このくらい、大したことないさ」


 「レザール戦争の時に比べると」という言葉が続けて出そうになって、ユーリは理性でそれを押しとどめた。

 『戦乱の記憶』をリリアーヌに思い出させてはいけないと、理性が叫んでいた。


 しかし、言葉で出さなくともその記憶は『景色』に映ってしまう。


 ユーリとリリアーヌが今いる場所は、エスクードの旧市街だった。


 建物は崩れ落ち、焼け爛れている。

 過去、緑の映える美しい街だったその旧市街は、荒れ果てた荒野と、黒ずんだ瓦礫の街にすり替わっていた。

 景色は無音で二人に語りかける。

 すると、無言でいるのが辛くなったのか、リリアーヌが率先してユーリに話しかけた。


「ここらへんは……昔は綺麗だったのにね――」

「ああ。……本当に、綺麗な街だった――」


 それでも、口は凄惨な光景と事実を代弁するばかりだった。

 昔の姿を知っているからこそ、今の姿と比べてしまう。

 幾ばくか歩き続け、旧市街を抜ける頃には日が暮れ始めていた。

 このまま夜になるまで歩き続けて野宿をするより、旧市街の比較的傷が少ない建物の中で一夜を過ごす方が安全だろうと、そう思ってユーリがリリアーヌに言う。


「今日はどこか安全な建物の中で一夜を越そう。明日頑張ればどうにかキールには着けそうだ。リリィ、それでいいか?」

「うん」


 リリアーヌは笑顔で答える。

 リリアーヌの健気さはかえってユーリに罪悪感を募らせた。


 廃墟ではあるものの、人のいない街というのは現実味が薄れていて、不気味さと郷愁が相まって不思議な感覚にさせられる。

 それもユーリにとっては一時的な感情であった。

 人々で賑わっていた頃の面影を知っているからこそ、虚しくもなる。

 そんな微妙な感情の遍歴を繰り返している中、比較的痛んでいない建物を見つけたので中へ入ろうとした。

 そこでユーリは何かに気づいたようにリリアーヌをその場で制止する。


「倒壊する危険がないか俺が見てくるから、リリィはここで待っていてくれないか」

「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね、ユーリ」


 一歩、ユーリが一人で廃墟に足を踏み入れる。

 違和感の正体は余りにも呆気なく――ユーリの眼前に姿を現した。


 床に散乱する灰色の物体。薄汚れた――人骨。


 ユーリはそれを見ても動揺を抱かなかった。そこに骨があるのは何もおかしい事ではなかったから。

 感傷もなく、ユーリはすぐに引き返し、首をかしげているリリアーヌに声を掛けた。


「天井が少し倒壊しているから、他の家をさがそう」


 さりげなくリリアーヌの手を取って、足早にその廃墟から離れた。


 ――そうだ、思い出せ。


 此処は戦乱の火の粉が降り注いだ街なのだ。

 ユーリの心の中に言葉が生まれる。

 今こうして歩いている道端に人の残骸がないのが不思議なほどに、ここは荒れた土地なのだ。

 リリアーヌは気付いてしまっているかもしれないが、せめて、少しでも――過去を思い起こさせる『物』は彼女に見せまいと、今まで以上に歩く道に気を配って、ユーリはリリアーヌを連れて歩いた。

 仮初の平穏がある廃墟をさがしに。



◆◆◆



 ケーネ・ヴァスカンドはマズール騎士団の部下に例の辺境地への調査団を送るよう命じたあと、ベルマールに呼ばれて彼の自室に向かっていた。


 数々の豪奢な部屋が存在するマズール王城の中であるのに、ベルマールの部屋はたいして大きな部屋ではない。

 宰相という王の右腕でありながら、質素な部屋で生活するベルマールに、ケーネは好感を抱いていた。

 もちろん、それはベルマールなりのマズール王国への反逆なのかもしれないが、そんな様子を微塵も見せない彼はやはり優秀だと思う。

 すでにその才覚の数々を見せつけられてもきた。


 なにより、ケーネにとって、ベルマールは身分の違いはあれど――気兼ねなく話が出来る友のような存在だった。


 身分上、言葉はいつも堅くなってしまうが。相手の話を何の文句もなく聞き、親身に答えてくれる。

 能力をとっても、人格をとっても、信頼を置くには十分すぎた。


 そんな事を考えているうちに、いつの間にかベルマールの部屋の扉までたどりつく。扉には『王国宰相執務室』と彼の役職を表す言葉が描かれたプレートが掛かっていて、また、そのプレートに書いてあるのが彼自身の名前ではないのが、少し気がかりだった。


 ――いや、仕方ないか。


 彼は旧エスクード王国宰相なのだ。仇敵の王城に自らの名前など書きたくはないのだろう。


「失礼いたします」


 ベルマールの自室の扉をノックして、声をあげる。

 中から「どうぞ」と静かな声が聞こえてきて、ケーネは扉をゆっくりと開けた。


「急に呼び出してしまって申し訳ありませんね、ケーネさん」

「いえ、ベルマール様のお呼びとあらば――いつでも迅速に駆けつける所存です」

「ケーネさん、私に『様』などと敬称をわざわざ付ける必要はありませんよ。私はあなたが憎むべきエスクード人なのですから」


 優しげで、少し妖艶な笑みを浮かべるベルマール。

 その紫の双眸に貫かれると、自分の感情を全て読み取られてしまいそうで。


「そうはまいりません。ベルマール様は王国宰相です。私の上司みたいなものなのですから、敬称は無くてはならないものですよ」


 そう言いつつも、実のところ、前提としてケーネはベルマールを憎んでなどいなかった。


「あなたもお堅いですねえ。――いやこの場合は律義とでも言いましょうか。時には羽目を外してもいいと思うのですが」


 ベルマールがまた笑った。


「まあ、いいでしょう。ともかく、そこではなんですから部屋の中へどうぞ」

「はっ、失礼いたします」


 ケーネは一度頭を垂れて、いつも通りのきびきびとした無駄のない動きでベルマールの用意した椅子に腰かけた。


「それで――話と言うのは?」

「ええ、実はケーネさんにお願いしたいことがありまして…」

「なんでしょうか」

「――っとその前に」


 ベルマールが人差し指を立たせて、言った。


「最初に質問を一つ。――マズール騎士団を例の村へ再派遣させましたか?」

「はい、さきほど部下に小隊をいくつか組んで明日にでも例の村へ発つように、と。――それがどうかされましたか?」

「いえ、実はこの時分にあの村の周辺は特別風が強くなるので、少し騎士団の派遣をずらしてはどうかと思いましてね。今日は橙の月の十日でしたよね? たぶん、明日あたりから突風が吹きますよ」

「それは本当ですか?」


 ケーネが目を丸めて問い返した。


「ええ。私はなんといってもエスクードの宰相でしたから。あの国の地理上の天災等には詳しいですよ。ちなみにその突風帯は毎年決まった時期にやってきては、農作物等に被害を与えていくので、畏怖を込めて名をつけられていました。――『ハリネ』という突風帯です」


 ベルマールが得意げに説明し始める。

 そのあとで、


「そういうわけで、移動手段たる馬たちは余計に疲弊するでしょう。自然に逆らうのは得策ではありませんし、たかだか辺境の村一つに躍起になることもないので――どうせなら安全に後日進軍してみては、と提案しようとあなたをここへ呼んだのです」


 本旨を言った。

 対するケーネは、


「……そうですね、突風帯ともなれば広範に渡るでしょうから、さすがに影響を受けそうです」


 うなずきを数度、ベルマールに見せている。


「短期間のものですので、数日すれば止むと思いますよ。まあ、数日遅れても土地管理に支障はないでしょう。たかだか数日では村人が逃げるにしてもたいした距離を稼げないですし」

「――それもそうですね。ちなみに陛下はなんと?」

「私に任せて下さいました」


 王が任せるというのだから、彼の言葉は正しいのだろう。

 そうケーネは胸中で思った。


「――わかりました。ならば、急遽日時変更を伝えてきましょう」

「よろしくおねがいしますね」


 ベルマールが笑顔で言う。

 ケーネは小さくうなずいて椅子から立ち上がった。そうして、再びベルマールに頭を垂れて、踵を返す。

 ケーネが部屋から出るべく、扉に手を掛けようとしたところで――ベルマールが小さく呟いていた。


「――あなたも過去の楔に縛られるのではなく、今の己の心のままに行動なさい」


 それはとても小さな声で、ケーネには聞こえていなかった。



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