43話 「世界の鼓動」
「イシュメル、なにか言いたげだぞ」
サベジの本拠地からの帰り道。
薄暗い通路を歩きながらでユーリがそんなことを言った。
顔には苦笑がある。イシュメルがなにかを言いたがっていることを確信している顔でもあった。
対するイシュメルもまず初めに「そのとおり」と言って、あとに言葉を続けた。
「さっきはああ言ったけど、正直なところ人の妄信の方が国家にとっては都合の良い場合もある。妄信は絶対的な忠誠心にすり替わることがあるから。彼ら――サベジの暗殺者たちは金という無機質な物を求めている、ゆえに求めている物を与えてやれば忠誠心を捧げもするだろう。――だけど、その分結びつきは簡素で脆い」
「だから現状の主人よりももっと良い条件を出す者がいれば、そちらに靡く可能性もある。そう言いたいんだろう」
「……」
「俺も同様の考えだよ、イシュメル」
ユーリはイシュメルの沈黙を是と捉えて答えた。
イシュメルはそのユーリの言葉に対し、また鋭い光を瞳にたたえてユーリを見る。
「なら訊くけど、なぜすぐに交渉を成立させたの?」
「忠誠心なら交渉のあとに生まれることもあるだろう」
「生まれなかったら?」
「その時はその時だ」
「っ、これだから……」
言いつつも、イシュメルは最後まで言葉を続けなかった。
片手で髪をぐしゃぐしゃと乱しながら、言おうとした批判を心の内に留める。
ユーリの思惑が合理的であるとは言い切れないが、結局のところ、『時間がない』という条件下で交渉のことを考えれば、いずれユーリと同様の思惑に行きつくだろうことはイシュメルも自覚していた。
だが、そこに行きつくまでの速度は異なる。
ユーリの果断はえてして速度が速過ぎるのだ。
イシュメルはそのことに不安と――
――これもまた王の資質だろうか。
安心感を抱く。
世界を相手取って革命に近いことをしなければならない王としての資質。
不安は当然、その選択が間違いだったときのことだ。
――僕はユーリの考えが至らない可能性についても、ちゃんと思考しておかなければならない。
だからイシュメルは心の中で自分に言い聞かせた。
それが自分の役割だと信じて疑わなかった。
「だからこそお前が必要なんだ。イシュメル、『お前は俺の半身たれ』」
「神のような言い草だね」
「もっともだな」
少し恥ずかしそうに頬をかくユーリの顔を、イシュメルはため息ととも見た。
「……まあいいや。なら、ちゃんと褒美は奮発するんだろうね」
「俺に与えられるものならな」
「じゃあ、覚悟しておいてくれ」
「なんだ、物騒な物言いだな」
「君ほどじゃないから安心してくれ」
イシュメルに鼻で笑われたユーリはバツの悪そうな表情を浮かべる。
そんな二人の軽口の飛ばし合いを見ていたリリアーヌとアガサは、後ろで顔を見合わせて笑っていた。
◆◆◆
地下通路を抜け、一行は外に出た。
まだ日は照っている。
穴倉の中の灯火と比べると、いっそう明るくてなにより清々しい。
馬は近場の樹に縄で繋がれていた。
サベジの名無したちがあらかじめそうしておいたのだろう。
「ユーリ、気になることがあるんだけど訊いていい?」
ふと、四人がそれぞれ身体を伸ばしていると、リリアーヌがユーリに訊ねた。
「なんだ?」
「エスクードは領地を取り戻したでしょ? その場合、〈レザール鉱山〉はエスクードとマズール、どっちの物になるのかな」
リリアーヌは華奢な身体を一通り伸ばしたあと、好奇心の灯った目をユーリに向ける。
対するユーリはやや思案気な表情を浮かべて、リリアーヌの問いに答えた。
「……そうだな、父さんが捕虜になったとき使った王印はすべて偽物なんだから、レザール鉱山の所有権証書も効力を持たないことになってるはずだ」
「じゃあ、エスクードのもの?」
「……いや」
ユーリはかぶりを振った。
「現状を俯瞰的に見るなら、まだマズールの物だろう。マズールはレザール鉱山から手を引いていないし、エスクードもレザール鉱山を取り戻そうとはしていない」
「取り戻そうとしていない?」
「現状ではな」
ユーリは思案気な表情のままで言った。
「当然資源の産地としての価値はあるが、あれ一つで国の経済の基盤を作れるほどではない。レザール鉱山が優等な資源であることは間違いないが、国家を揺るがすほどの莫大な価値を持っているわけではないんだ」
「ならどうして、ユーリのお父さんはレザール鉱山のために戦ったのかな」
「……」
リリアーヌの質問はストレートだった。
ユーリは一度言葉を切って、また深く考え込む。
「たぶん――『合理性』と『意地』ゆえに譲れなかったんだろう」
「わかりやすく言うと?」
「少しは自分で考えろよ、リリィ」
「えー!」
声を張り上げるリリアーヌに、ユーリはため息をつく。
それから結局、仕方なさそうに続きを話しはじめた。
「はあ。……いいか、レザール鉱山はエスクードとマズールの国境線上に位置している。これはわかるな?」
「うん」
「天然資源の産地が国を股にかけている場合、その産地がより深く踏み込んでいる側の国に所有権が移る。これは大陸においての暗黙の了解なんだ。千年以上前からのな」
「でも、正式な決まりはないんでしょ?」
「その通り。だから、そこに純正の合理性が割り込む余地は本来ない。厳然たる真理がないからだ。とはいえ、その暗黙の了解が天然資源を巡る争いに際して最も信じるに足る合理性であることも事実で――だけどマズールはレザール鉱山においてそれを無視した」
「それは悪いことなの?」
「いいや、俺はそうは思わない。決まりがないんだ。しらばっくれても咎められる理由にはならない」
「うーん……ややこしいなぁ……」
ユーリは実際のところ、レザール鉱山をめぐる戦争において片方に味方するような合理的で有効な事実は存在しないと考えていた。
「だが父さんはそれをよしとしなかった。だから喧嘩を買った。それがたぶん――父さんの『意地』。マズールの裏に潜むヴァンガードの影がもっとわかりやすくちらついていたら、判断を変えたかもしれないけど。……ただ第一次レザール戦争の時点ではそれほどじゃなかった」
「ふんふん」
「ちなみに、別に俺は父さんを非難しているわけじゃない。たぶん、俺でもそうしただろうから。そして俺がマズールの王だったとしても――きっと同じことをしただろう」
「どうして?」
「マズールにはマズールの事情があるからだ」
ユーリは当時まだ幼かった。
だから実際にどういう情勢であったかというのを肌で感じて理解していたわけではないが、あとからさまざまな文献を読んでそれらを調べ上げた。
「エスクードの事情とマズールの事情は相容れなかった。両者の間に斥力が生じ、戦争が起きた。両国の王はどちらも――主観ではあるが――優秀だった。だからこそレザール戦争は起きたのかもしれないな」
広い目で見ればそんなものだ。
「もっと細かく説明もできるが、お前そろそろ飽きて来ただろう」
「あっ、バレた?」
「いつものことだよ」
「ご、ごめん」
恥ずかしそうに笑うリアーヌを前に、ユーリはうな垂れながらため息をついた。
「あたしにも何が何だか…」
と、その話を横で聞いていたアガサもまた照れ笑いを浮かべながら頬を掻いている。
「お前ら少しは歴史をだな――」
「まあまあ」
イシュメルが苦笑してユーリを制し、ひとまずその話は終わりを告げた。
「……まあ、過去を振りかえるのもこれくらいでいいだろう。今を考えるだけでも精一杯なんだから」
ユーリはあらためてそう告げて前を向く。
「まずは無事に母国に帰ることだ」
馬に歩みより、木に繋がれていた綱を解いていく。
それから馬の背に跨って、ユーリは続けた。
「そのあとでなら多少は時間も取りやすいだろう。そこでまたいろいろ話してやる」
「あ、やっぱり最後まで話したいのね……」
「学問の苦手だった俺だが、歴史だけは得意だからな」
「だからみんなに教授する側にまわれて嬉しがっているのさ」
「わざわざ言わなくていい、イシュメル」
「自分で手前まで言ったじゃないか」
イシュメルが肩をすくめながら同じく馬に飛び乗った。
また次の目的地への旅がはじまる。
◆◆◆
そのときはまだ知らなかった。
ユーリたちの予測する『世界の脈動』が、驚異的な速度で彼らの後ろに迫ってきていたことを。
そして――今にも彼らの肩を叩こうとしていたことに。
◆◆◆
ユーリたちがサベジとの交渉を丁度終えた頃、ヴェール皇国に世界の脈動を告げる一報が伝わっていた。
マズールに潜伏していた間者からカージュへ伝わり、カージュからエンピオネへとその報告が伝わる。
エンピオネはカージュから知らせを聞いたとき、あまりの衝撃に読んでいた本をぽろりと落とした。
目は見開かれ、美しい肌からは汗がにじみ出る。
「マズール王が………死んだじゃと?」
「死体がずいぶんと『削られて』いたので死を確認するまでに時間が掛かったようです。意図的に時間稼ぎをされた気がしますね。問題は時間を稼ぐ理由が何であったのかですが……」
「………」
何か嫌な予感がする。
エンピオネは漠然とそう感じていた。
マズールがヴァンガードに加入してからマズールをよく思わない国は増えた。
だがそのうちのどの国も王を殺すと言う過激な手段に出るとは思えない。
「主犯はマズールの周辺国家でしょうか?」
カージュも自分でそう思いつつエンピオネに訊ねた。
「違う、とは言い切れないが可能性は薄いはずじゃ。周辺国家では大国マズールに手をだせまい」
「……でしょうね」
嫌な予感は増幅していく。
「マズールが崩壊して利を得る者……」
口ずさんだ瞬間、エンピオネは勘付いた。
エスクードの滅亡に間接的なアプローチをした者。
『マズールがヴァンガードに加入してから――』
エンピオネは椅子を揺らして立ち上がった。
そしてつぶやく。
「ヴァンガード、協定連合……」
カージュも得心がいったように目を見開く。
「っ、カージュ、急いでエスクードに伝令を送れ」
「御意」
エンピオネは衝動に駆られた。
一刻も早くユーリにこの事を伝えなければ。
――ヴァンガードが動き出した。
マズールを完全に手中に収めた今、隣国エスクードに再度攻め入るかもしれない。
攻め入るとまではいかないまでも、何らかの動きを示してくる可能性は大きい。
――良くない流れじゃ。
エンピオネは自分の足でユーリたちを追いたくなる。
ようやく国家再建の目処が立ったのに。
どうあってもヴァンガードに先手を取られてはいけないのだ。
完全に復活したわけではないエスクードが後手に回れば損害が大きくなる。
今度こそ再起できないまでに傷つくかもしれない。
「一刻も早く」
ナレリアに間者を送るべきか。
ユーリがナレリアにいる確証はない。
――しかし何もしないよりは……
「エンピオネ様、面会を申し込む者がいます!」
すると、そこで家臣の一人が皇室の外からそんな言葉を投げかけた。
「こんなときに……!」
「誰じゃ」と苛立たしげに返した。
「はっ! ケーネ・ヴァスカンドと名乗るマズール人で御座います!」
世界がまた一つ脈打った。