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エスクード王国物語  作者: 葵大和
第四幕 明雲と暗雲編
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42話 「マズール王」

 マズール王国、マズール城――最高客室。


 豪奢な調度品が整然とおかれた客間で、王冠を被った一人の王が冷や汗を流していた。

 あのマズール王である。

 商業大国マズールの王である彼の前には、一人の若者がいた。


「陛下、正直に話してください。我らは同志でしょう? 私たちだってマズール王国には多大な敬意を払っています。ヴァンガード協定連合の首脳陣としても、マズールには一目おいているのです」

「隠し事など……」

「本当にないと言いきれますか? 私を前にして言いきれますか? もしそれが嘘であったなら、それなりの対価は払ってもらうことになりますよ」

「脅しか……」

「いいえ、予定された事実です。いや、仮定されたとしておきましょう。ともあれ、もし陛下が嘘をついていらっしゃるとして、それが露見したときは――」


 この国は滅びますよ。


 冷静に、淡々とそう紡いだのはひどく冷たい瞳をした男。

 青い瞳とダークグレーの長髪。

 見るからに若く、現状マズール王が怯える要素は少なくとも容姿にはない。

 だが、マズール王は冷や汗を流しながら、弱ったとばかりにしきりに額の汗をハンカチで拭いている。


 マズール王が下手に出なければならない理由は一つ。

 たった一つだった。


「キュイス殿、どうか私を信じては頂けまいか。商業大国の王は、信用を大事にする。それはヴァンガード協定連合の首脳陣の一人である貴殿を前にして、なおも主張できる私の美徳の一つなのだ」


 彼がヴァンガード連合の『要人』であるからだった。


「いいえ陛下、信じる信じないの問題ではないのです。さきほどから言っているではありませんか。『亡国エスクードの末裔』に襲撃され、その領地所有権を奪い返された――否、もとより策にはめられていたというのは事実ですか、と。つまり、事実か事実でないか、必要なのは曖昧な信頼とか信用ではなく、ただ確固とした答えなのです」


 ヴァンガード連合首脳陣の一人、〈キュイス・ホーリーウッド〉は、淡々と言い放った。


◆◆◆


 キュイスはマズール王にそんな言葉を飛ばしながらも、マズール王が答えを紡がないその理由を理解していた。

 あるいは心情というものを。


 ――なかなかしぶとい。さすがは大国の王というところでしょうか。……あなたはあくまで根底はヴァンガードから独立しておきたいのですね。


 心の中で呟く。

 実のところ、マズール王に真偽を訊ねる事自体は意味を持たない。

 有力な情報網からすでに事実を把握しているのだ。

 ここで必要なのはそれをマズール王に『認めさせること』だった。


 王が自分の失敗を認めれば、ヴァンガード協定連合内での地位を失脚させることが出来る。


 マズールはヴァンガード協定連合下でも力を失わなかった強国だ。

 だからこそ――


 ――邪魔なのですよ。


 キュイスは冷え切った微笑を浮かべ、マズール王に再び問いかけた。


「よろしい、言いにくいのならここで保障しておきましょう。私は決してそのことを口外しません」


 それはわかりやすい嘘だった。

 あえてわかるようにして言った、嘘だった。

 その意味をマズール王ならすぐにくみ取ることを、キュイスは知っていた。


◆◆◆


 マズール王はキュイスの言葉を聞いて思った。

 見え透いた嘘である、と。

 否、嘘ですらない。


 ――これは脅しだ。


 紡いだ言葉の裏側に、本当に言いたいことが薄く描かれているはずだ。

 つまり、


 『認めなければ私の持っている情報を他国に言いふらすぞ』、と。


 ヴァンガードが本気でそれをやると、あるいは白も黒になるかもしれない。

 大衆扇動力の高さはそういう結果をたやすく作り出す。


 ――そうされたくなかったら、おとなしくこのあたりで跪いておけ、ということか。


 マズール王とて自覚はある。

 先日の出来事はまず間違いなくヴァンガード連合首脳陣にバレている。

 キュイスの態度を見ればたやすくわかるし、それ以前にヴァンガードなら、という妙な納得もあった。

 現状、自分のプライドなど守っている余裕はない。


 ――私のプライドはどうでもいい。しかし、国の主権がヴァンガード連合に奪われることだけは阻止しなければ。


 こう見えて、マズール王は国政をあずかるにおいて優秀な王だった。

 だからこそ、キュイス――つまりヴァンガード連合首脳陣の意図もつかめていた。

 彼らにとっては連合内でいまだにその発言力を失わないマズールが邪魔なのだ。

 ほかの連合国のほとんどが傀儡とされている状況で、マズールだけはまだヴァンガードの黒い影に侵食されるのを防いでいる。


 ――だから、今の内に失脚させてしまおうと。


「キュイス殿、貴殿がどう言おうと、そんな事実はないのだから是とは答えようがない」


 はあ、と、キュイスがあからさまなため息をついた。

 マズール王は挑発に乗らない。

 乗ってはいけない。

 乗ってしまえば、国が傾く。


「――んー、粘りますねえ。ちょっと面倒になってきました」


 と、急にキュイスの態度が砕ける。

 灰色の挑発を掻き上げ、冷淡な瞳に邪気をまとい、マズール王を射抜いていた。


「もう、いいでしょう。殺してしまうとあとの管理が面倒だから我慢していましたが、そろそろ面倒なので方針を転換します」


 マズール王は身構えるにわずかな時間を要した。

 マズール王が近場に立てかけておいた剣を抜く前に、


「次のマズール王は最初からヴァンガードの息のかかった者にすることにします」


 キュイスが腰に下げていた鞘から『剣』を引き抜いていた。

 銀閃。

 それは袂を分かつ合図だった。


◆◆◆


 煌めいた銀の一閃が自分の身体を切り裂いていく。


 ――斬られた。


 そう自覚したときには、マズール王は胸部から多量の鮮血をほとばしらせていた。

 走馬灯のように今までの後悔が脳裏をよぎっていた。


 元々、苦肉の策だった。

 ――ヴァンガード連合に加入したことは。


 当時マズールの経済情勢は衰退の一途をたどり始めていた。

 隣国エスクードとの国境線沿いという『危うい位置』に、鉱山資源豊富なレザール鉱山が発見されたときは、歓喜と同時に諦念のようなものも感じ取っていた。

 貴重な天然資源をマズール人の類まれな商才でもって売りさばけば、確実に経済状況は好転する。

 確実に、だ。


 しかし、もしエスクードと戦になったらどうなる。

 ――ダメだ、たとえ人口という点においてこちらに圧倒的な優位があったとしても、エスクードと戦をすればただでは済まない。

 第一、勝てないかもしれない。

 もし勝てなかったらマズールは滅亡する可能性すら孕むことになる。

 人数ではなく、経済という面で。

 経済状況の没落は国家の崩壊に等しい。

 戦は準備するだけでも金がかかるのだ。

 戦は博打だ。


 結果的に慎重さが功を奏し、第一次レザール戦争、第二次レザール戦争とどうにか戦況を持たせることが出来た。

 しかし、それによってはっきりと姿を現す事実もあった。


 マズールは、マズールの力のみでエスクードに勝つことは出来ない。


 このままなにも得られずに引き下がっては意味がない。

 国家に対して逆効果ですらある。

 あるいは、それが悪い欲だったのかもしれない。

 勝たなければ、レザール鉱山を手に入れねば――そんな思いがあって、


 ヴァンガードの誘惑に乗った。


『レザール鉱山が欲しいのなら、手を貸して差し上げましょうか?』


 当時のキュイスの言葉が蘇る。


 結果的に、戦には勝利した。

 レザール鉱山を手に入れた。

 エスクード王国を――生贄にして。


 後悔はない。

 マズールは生きた。

 一命を取り留めた。

 国を生かすためならいくらでも他を犠牲にしよう。

 ――私には民を守る義務があるのだ。


 そうしてやっと、一時の休息がやってきた。

 けれどすぐに―――


 また悲劇の幕が上がった。


 主観的に言いきってしまえば、『騙された』だ。


 ――使われたのだ、私は。


 これはあくまで主観で、客観視するならば自分の言は狂人の戯言に違いない。

 ヴァンガードは定められた条約に背いてはいない。

 だがマズールの王として言えば、確かに私は良いように使われたのだ。

 マズール王国を媒体として、ヴァンガード協定連合はレザール鉱山を手に入れた。

 大国であったことが仇となり、マズールは連合首脳陣に集中して虐げられた。

 今思えばそれも計画のうちだったのだろう。

 また同時に、ヴァンガードに対して良い念を抱いていない他国からも虐げられた。

 いろいろな厄介事がどんどんと生まれていって、


 最終的に逃げ道がなくなった。


 そして今ここに、退路を断たれた王が意地を張った結果が存在する。


「私は……無力だ……」


 ヴァンガードに逆らった者は、もはや死ぬ運命にあるのかもしれない。

 それほどに、ヴァンガードは誰も止められない怪物になってきている。


「なにをいまさら。さて、レザール鉱山は私たちが有意義に使って差し上げますので」


 マズール王は客室の床で血と共に臥していた。

 這いつくばる王と、その背中に突き刺さっている剣。

 キュイスはその剣を引き抜いて、残忍な笑みを浮かべながら――再度マズール王の脳天に突き刺した。


◆◆◆


「おやすみなさい、愚かな王よ」


◆◆◆


 マズール王はこと切れた。

 流れ出る血。

 床は鮮血に染められ、


「ハハ……、アハハ……! アーッハッハッハ!! やっぱり人が絶望しながら死ぬさまは素晴らしいですね!」


 客室はキュイスの楽しげな笑い声に包まれた。


◆◆◆


 いつだってそこにあるのは人の思惑。

 そしてそれに絶対的な善悪はない。

 マズール王にとっての善は、ヴァンガードにとっての悪であった。


◆◆◆


「ヨハン、後始末は任せましたよ」


 キュイスはマズール王が絶命したことを確認すると、部屋の入口に向かって大きめの声を飛ばした。

 すると入口の扉が開き、外からもう一人の青年が姿を現す。

 目にかかるくらいの黒髪を揺らす、不思議な空気をまとった少年だった。

 あるいは青年へなり立てというところだ。

 ただ彼の目は血に伏したマズール王を見ても波一つたたず、瞳の光は静謐(せいひつ)としていた。

 〈ヨハン〉と呼ばれた青年は、足音一つ立てずにキュイスに近づくと、いまいましげに顔をゆがめて言った。


「気安く僕に指図をするな」

「もちろん、駄賃くらいは差し上げますよ」


 キュイスは不敵な笑みでそう答え、懐から革袋を出してヨハンに渡した。

 ヨハンは納得いかないと言わんばかりに反抗的な視線をキュイスに投げかけたが、キュイスはそれをまったく気にしない様子でそのまま足早に客室を出て行ってしまった。


 客室に残ったヨハンは、しかたないというように革袋を懐にしまい、足元のマズール王の亡骸に再び視線を落とす。


「……くだらない」


 ヴァンガードの意志も。

 キュイスの意志も。


「こんな狭い世界で、よくも争っていられる。……まあ、そんな世界で飼われている僕も、たいして偉ぶれたやつじゃないな」


 ヨハンはそんなことをいって、幾ばくかその場に佇み続けた。

 その間にキュイスが戻ってくることもなく、結局ヨハンは腰の鞘から一振りの『刀』を引きぬいて、その切っ先をマズール王の亡骸に向けた。


「誓おう。僕は貴様のようにはならない。必ず、最後まで成し遂げて見せよう。貴様のように、途中でしくじることもなく。……亡骸に誓うのも、存外むなしいものだな」


 ヨハンはそういって息を吐いた。


◆◆◆


 キュイスは客室を出たあと、出来るだけマズール王城の役人の目に止まらぬように城を抜けた。

 門の近場の宿まで足を運ぶと、そこで待機していた間者に言伝を頼む。


「マズールは死んだ、とハルメント様に伝えてください。つけ加えて、私はヨハンと共に『エスクードの末裔』を追います、とも」


 間者はキュイスの言葉に一度頷くと、何も言わずにそそくさと宿を出て行った。


 キュイスは椅子に座り、一息をつく。

 あらためて自分が為してきたことを思い出し、えもいわれぬ高揚感が全身を駆け巡るのを感じた。


「どうなることやら。これでまた西国が荒れる。エスクードもなにやら動いているようですし、楽しみで仕方がないですね――」


 ヨハンが宿に戻ってくるまでキュイスは不敵な笑みを浮かべ続けていた。まさしく不気味としか言いようがなかった。


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