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エスクード王国物語  作者: 葵大和
第三幕 暗殺者集団サベジ編
43/56

41話 「ヴァンガードの影」

 再び理性がその輝きに引っ張られそうになって、ハイゼルはとっさに視線を逸らしていた。

 その金色の目に覗き込まれたら、心を掴まれるのではないかと思った。

 

 結局ハイゼルは、視線を逸らしたまま理性を働かせ、順当に自分が欲しいと思うものを口にした。


「金貨五百枚と、『五百名分のエスクード人の戸籍』」


 ハイゼルの言葉に、ユーリはすぐには反応を見せない。

 考えているように見える。

 だが、その様相も数秒してすぐに崩れた。


「わかった。それで手を打とう」


 あっけない了承の言葉をもってして。


「ユーリッ!」


 すると、それまで二人のやり取りを静観していたイシュメルが、椅子から身を乗り出してユーリに抗議していた。


◆◆◆


 そのユーリに対する制止のような抗議は、一般見識からすれば妥当な反応であった。

 この短時間に繰り広げられたのは、交渉と呼ぶには稚拙すぎる、滅茶苦茶なやり取りである。

 仮にも相手は暗殺組織。

 相手がなぜその条件を求めたかすらわからないのに、どうして早急に了承する必要があるのだ。

 ユーリの判断はイシュメルにとってあまりに浅慮に過ぎるように思えた。


 第一、サベジ側がユーリの交渉をまともに呑む保証はない。

 金貨五百枚ならまだしも、『エスクード人の戸籍』は危うい可能性を秘めている。

 悪用されればエスクードの信頼を落とすことが可能だ。


「――閣下は私たちを疑わないのですか?」


 どうやらハイゼルも内心で同じようなことを思っていたらしい。

 自分で出した条件ながら、ユーリがそれを易々と了承する意図が掴めないでいたのだ。

 そんな問いに、ユーリは片手でイシュメルを制しつつ、淡々として答えていた。


「無駄な労力だ。俺には時間がない。まして、辺境の一組織に裂ける時間などたかが知れている」

「疑うことすら、取るに足らない些事(さじ)であると?」


 その瞬間だった。


 いつの間にかハイゼルの背後に控えて交渉の成り行きを見守っていたメイ・レンが、目に見えて激昂した。

 怒号を発しながら、ユーリに殴りかかっていたのだ。


「貴様ッ! 私たちを馬鹿にしているのか!!」


 言いながら、右の拳を小さく振りかぶり、細剣を突き刺すようにユーリの顔面にまっすぐ飛ばす。

 だが、ユーリはメイレンの拳を易々と受け止め、逆にメイレンを投げ飛ばした。

 受けから投げまでの無駄のない流麗な動き。

 メイ・レンの拳はかすりもせず空を貫き、代わりにその細い身体が宙を舞った。

 力の差を見せつけるには十分だった。

 しかし、ユーリの動きは止まらない。

 数メートル離れた地面に尻から着地し、自分が投げ飛ばされた状況をいまだつかめずにいるメイレンに対し、ユーリは一瞬の近接からその胸倉をつかむと、真正面から金と紅の視線をぶつけていた。


「暗殺者なら確実に殺せると判断してから手を出せ。暗殺を生業としている者の猪突は愚策だ。それくらい俺だってわかる」

「くっ……! 知った風な口を……!」

「メイ!」


 まだ強情を張り、胸倉をつかまれながらユーリに対して片腕を振るおうとしたメイ・レンに対し、ハイゼルの鶴の一声が掛かった。

 それまで静かな声音で対応していたハイゼルをして、意外なほどの大声である。

 そのハイゼルの声は、どこか焦っているようでもあった。


「あなたでは敵いません。そしてあなたの方こそ、閣下に対して軽はずみな言動を慎むべきです」

「しかしッ!」

「二度は言いませんよ」

「っ……! わかり……ました」


 メイ・レンが渋々という様子で引き下がる。

 腕をおろし、しゅんと表情を曇らせた。

 それを見たユーリが、なにもいわずにメイ・レンの胸倉から手を離し、彼女を解放する。

 緊迫した空気が去る。

 ユーリが椅子に座りなおすと、ハイゼルが頭を下げた。


「申し訳ありません。部下が無礼を」

「いや、俺も出過ぎたことを言った。悪かった」


 ユーリはユーリで、ハイゼルに謝る。

 そうして、一拍置いて再び話が商談へと戻り、ハイゼルが先に言葉を紡いでいた。


「――そちらの聡明そうなエルフの方が懸念している疑惑を、この際解決しておきましょう。本来なら順序は逆なのでしょうが」


 ハイゼルの言は、その時点ですでにユーリの提案を受ける方に傾いていた。

 そのことをイシュメルも察し、緊迫感が和らいでいくのと同時に不安を抱く。

 ハイゼルはもうユーリの提案を呑む気でいる。

 このままでいいのか。

 そんな思いがやはり胸の底にはあった。


◆◆◆


「今現在ナレリア王国とその手足であったはずのザベジが敵対しているのは知っていますね? 来る途中に少し部下が粗相をしたようですので」

「ああ。ナレリアの密偵の転がった腕を見たよ」

「それは失礼いたしました。

 さて、ではなぜ私たちが今になってナレリアに反乱の意を示したか、閣下はご存知ですか?」

「いや、詳しいことは知らない」

「ではお話しましょう。

 その原因はナレリア王の采配にあります。実はナレリア王は、ひと月ほど前、王国をある協定連合に加入させました」

「協定連合?」


 瞬間、ユーリの背中に悪寒が走った。

 協定連合といえばあの組織が思い浮かぶ。


「その協定連合とは――」


◆◆◆


「閣下もよくご存じの――〈ヴァンガード協定連合〉でございます」


◆◆◆


「……」


 ユーリの顔が苦虫をかみつぶしたように歪んだ。

 対し、ハイゼルはそのまま話を続ける。


「私たちはヴァンガードの方針に反対しています。あの連合の協定は国という組織を崩壊に至らしめる。アレはあってはならない組織です。国という垣根が崩壊し、知らぬ間に吸収され、消え失せる。

 相互関税の廃止にはじまり、軍隊の合併、資源の共有。あるいは、小国には魅力的に映るかもしれません。しかし、加入した途端、それまで独立して存在していた国は傀儡への道を歩むことになる。徐々に徐々にヴァンガードという巨大な組織に蝕まれ、最終的にまったく同化してしまう。

 最後にできあがるのは、ヴァンガード上層部の傀儡と化した国の残骸だ。 あれにはよほどの強国でなければ立ち打ちなど出来ないでしょう」


 長々とまくしたてたハイゼルは、そこでようやく息を継いだ。

 そしてその間隙に合わせ、今度はユーリが返す。


「おおむねその意見には賛成だ。事実、マズールはいまだにその実質的主導権をヴァンガードに明け渡してはいない」

「マズールは経済面で非常に強力な主権基盤を持っていますからね。さすがは商業に特化したマズール民族がいる国です。

 しかし、小国であればヴァンガードから抜けようとした時点で滅びます」

「ああ」


 ヴァンガードの連合軍隊は、ヴァンガードそのものの力の後ろ盾である。

 すでに傀儡とされた国家の軍隊が集められているため、統制も整っている。

 そんなものに睨まれては、結局逆らうに逆らえなくなる。

 無言の圧力も、この際暴力的だった。

 小国にとって魅力的な仕様に目がくらみ、加入したが最後、あとは底なしの沼に絡め取られる。


「ナレリアはここ数年、領土内の天然資源の減少に悩まされてきました。おそらくナレリア王がヴァンガードへの加入を決めたきっかけはそれです。しかし私は、当初その程度でナレリア王がヴァンガードに加入するとは思えなかった。ナレリア王は計算高い男です。決して頭も悪くない。むしろ(めぐ)りは良い方でしょう。だが――」

「入ったか」

「――ええ。もしかしたら、ナレリア王は逆にヴァンガードを利用しようと思ったのかもしれません。やや強欲なところがありましたから。決してナレリアが小国ではなかったことも合わせ、その無駄に廻りの良い頭でもって、なにがしかの方策を閃いたのかもしれません。

 ……ならばいっそ、そのときばかりは愚かであって欲しかった。今のヴァンガードを相手取るのはいかにナレリアでも不可能だ。あの軍事力は一国ではどうしようもない。あの軍事力をその身で体験した閣下なら――お分かりですね?」

「ナレリアの実情はともかく、小国でありながら大陸屈指の防衛力を誇ると言われたエスクードが墜ちたんだ。言うとおり、ナレリアでどうにかできるとは思わないな」


 ユーリは言った。

 ハイゼルはその言葉に頷き、続ける。


「ナレリア王には最後まで現実が見えていなかった。机上の計算にとらわれ過ぎたのです。だから、私たちは国を捨てました。まあ、もとより私たちは国を愛してはいなかったので、その点は決心してしまえばどうってことはありませんでしたが――」

「それは初耳だ」


 これまでの口ぶりから、ハイゼルがナレリアに何かしらの思いを抱いているようにユーリには思えた。

 しかしどうやら違ったらしい。


「私たちの大部分は国籍を持ちません。多くは戦争孤児、身寄りのない子を集め、鍛え、そして作られたのがサベジなのです。つまるところ私たちに必要なのは生きて行く上での居住地と、金を落としていく主人。その二つしかなかったのです。だから、場所と金を提供してくれたナレリアは優等な主人ではありましたが――」

「その主人が悪徳商人にやられたとなれば、それからのまともな金は期待できないか」

「ついでにいえば、私たちもろごとヴァンガードに吸収されてしまいそうでしてね」

「なるほど。――だから戸籍という居場所と金を俺に求めたわけか」


 ようやくユーリはハイゼルがどうしてその二つを求めたのか合点した。


「いまさらこの稼業から足を洗えるとは思っていませんので、ならばせめてこれ以上状況が悪化しないように部下たちを守るのが、長である私の務めです」


 ハイゼルはようやくそこで言葉を切った。

 対するユーリは、そこまでを静かに聞いていたイシュメルの方を見て言う。


「で、未来の宰相殿はどう判断するかな?」

「――彼らが求めているのはとても無機質的な物だ。場所と、金。ひどく合理的で、冷たくも感じる。ただ、その分求めているものを与えてやれば裏切る可能性も低くなるとは思う。人の心なんていう変動的なものを信じて妄信にとらわれる人間よりは、かえって信じられるかもしれない。別に、人のカリスマ性を否定するわけじゃないけれど」

「ああ、同感だ」


 イシュメルはまだ少し釈然としていない様子だったが、それでもはっきりと意見を口にした。

 ハイゼルの話を聞いて、ユーリと同じ方向に意見が傾いたようだった。


「よし、交渉は改めて成立させよう、サベジの長ハイゼル。それでいいな?」

「条件を飲んでいただけるのなら、喜んで」

「わかっている」


 そこでユーリはようやく体面を崩した。

 王としてそれまで在った厳格な声色と表情は消え失せ、一介の飄々とした旅人に戻ったような様子だ。


「じゃあ、今ここで言い渡そう。

 ハイゼル、お前は部下を引き連れてエスクードへ向かえ。すぐにだ。そしてベルマールという人物に会え。そのときに金と戸籍をくれてやる。必ず、与えてやる。俺も約束はたがえない」


 ユーリの顔はやや柔らかさが戻ってきたとはいっても、真剣そのものだった。

 ハイゼルはユーリの顔を見てその言葉をついに信じたようで、頷きと共に訊き返した。


「到着後はなにをすればいいのでしょう――『陛下』」

「別段、指示がなければ悠々と過ごしていればいい」


 それはあまりに簡素で、拍子抜けする指示だった。


「……本当に、何もしないでよろしいのですか?」

「まあ、いつでも任務を受けられるよう準備はしておけ。だがまだ脈動の時ではない。せめて部下たちと他愛のない日々を過ごせばいいさ」


 ハイゼルはその瞬間に、えもいわれぬ感動を覚えた。

 これまでの殺伐とした生活が霞んでいくのを感じた。

 寛容とも、慈愛とも、情けとも違う。

 だが、この暗殺集団という異質で危険なものを引き入れるというのに、そうやって簡単に言いのけてしまうユーリの中に、そのとき初めて底の見えぬ器を見た気がした。


「――御意のままに」


 ハイゼルは、いつの間にか自然と片膝を折って頭を垂れていた。

 ユーリはそれを見てまた頷き、次に虚空に視線を泳がせて、自分に言い聞かせるように呟いた。


「さて、ヴァンガードが動き始めているのならそのうちまた世界が動く。せめてそれまでに――出来ることをしておかないとな」


 ユーリの呟きは宙に浮かんで静かに弾けた。



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