39話 「暗殺者の誘い」
思わぬ寄り道によってずいぶんと時間を取られた。
されど、その対価に見合うだけの収穫はあった。
そうユーリは自負していた。
多大な変化を伴った数日であったが、ついにユーリたちは、ダルヴァたちに別れを告げようとしていた。
「世話になったな、爺さん」
「まったくだ。――まあ、この先せいぜい気をつけることだな」
「いざというとき素直じゃない」
そっぽを向きながらユーリにいったダルヴァに対し、イライザがじとっとした目でつっこみを入れていた。
「や、やかましい」
イライザのつっこみに少し顔を赤くして反応するダルヴァだったが、最後には似合わない微笑を浮かべて、ユーリたち一行をぐるりと見渡した。
「時間がありましたら、ぜひエルフの森へ訪れください、」
そういったのはイシュメルだった。
「あぁ、そうするとしよう」
イシュメルの次に、
「後でまた昔話を聞かせてくれよ、爺さん」
「それまでに皮肉の練習をしておくんだな、小娘」
「へいへい」
アガサが軽い口調で言う。
この数日間で、さばさばとした性格のアガサと、皮肉屋なダルヴァは、思った以上に仲が良くなっていた。
性格的な相性がよかったのだろう。
別れのときまでその年齢を越えた気の合う友人同士、という空気を醸して、それが二人の挨拶にもなっていた。
「おじいちゃんもイーちゃんもまたね!」
「おじいちゃんか、なかなかに良い響きだな、これは」
「うん、またね、リリアーヌ」
リリアーヌの澄んだ声に少し恥ずかしそうにもじもじしながらも、イライザは笑みでもって答えていた。
今まで一番、はっきりとした声だった。
「それじゃ、行くか」
名残惜しさを理性で留め置き、ユーリが率先して言う。
馬は踵を返し、一行の背がダルヴァとイライザの瞳に映った。
「――シャル、お前の息子は、きっと大きな事を為すぞ。それがどういう結末を迎えるかはわからんが――もしどこかから見ているのなら、少しくらい背を支えてやれ。もう十分、あの子は苦しんだ。せめてこれからの旅路が、あの子にとって輝かしいものであるように」
ダルヴァは本当に小さな声で、その背を見ながら言葉を紡いでいた。
イライザだけが、その言葉を聞いていた。
◆◆◆
旅は終わらない。
終着点すらいまだボヤけて定まらぬまま、それでも立ち止まるわけにはいかないから、ただひたすらに道を行った。
◆◆◆
寄り道の結果として、当初の予定は大幅に狂った。
第一に、ナレリアとの同盟交渉予定の解消である。
ナレリアの方から断りのちょっかいを出してきたのだから、もはや手の打ちようもあるまい。
とはいえ、いずれにせよユーリの判断があってこその交渉だったから、単に可能性が先んじてつぶされたにすぎない。
あえて重く悲観するものでもなかった。
それに、代わりとでもいうように、あらたに浮上してきた可能性がある。
交渉なのかどうかすら危ぶまれるが、その可能性はユーリの好奇心をこれでもかとくすぐっていた。
ユーリがそうやって心に楽しげな表情を映していたのを、イシュメルは見抜いていた。
まったくもって気ままな王だとイシュメルは思った。
「なんだ、何か言いたげだな、イシュメル」
そうやってユーリの隣で馬を駆っていると、ユーリの方がイシュメルの様子に違和感を感じ、先に問いただしていた。
イシュメルは「先に言われたか」と適当に相槌を打ちつつ、すぐに言葉を返す。
「言わずにはいられないね。君は一国の王だというのに、そのたぐいまれな好奇心ゆえ、順路というものを無視してしまうことが多い。本来、国を強固にするには『国』と交渉するのが定石だろうに」
イシュメルは、ナレリアとの交渉の余地が消えたと同時に浮かび上がったもう一つの可能性――つまり、〈暗殺組織サベジ〉との交渉のことを暗に皮肉っていた。
「今から向かうのは国ですらなく、街ですらない。つまるところもっと規模の小さな――組織だ」
「国も街も一組織であることに変わりはないだろう」
ユーリ自身その言い訳がさすがにひどいものであることを自覚していた。
「規模が違うじゃないか」
「いや、まあ、お前の言うこともわかる。――正論だ。だが戦力だって大きいから素晴らしい、ってわけじゃないだろう?」
「それも否定はしないけど、いくらなんでもサベジは得体が知れなさすぎるからね」
「でも政戦とかに使えそう」
どんどんとユーリの言い訳は子どもじみていく。
言っていることがあながち間違っていないだけに、イシュメルも思わずため息を吐いてしまう。
「その辺はなんか――頼むよ、未来の『宰相閣下』」
「結局まるなげ……。それに宰相って、まだベルマールさんがいるじゃないか」
「いるけど、どうだろうな」
「どうだろうなって?」
「父さんはもういないから」
「……」
ベルマールの真意は実のところまだよくわからない。
少なくともエスクードを再建することに全力を尽くすのは間違いないが、ベルマールにとって最愛の主であった〈シャル・デルニエ・エスクード〉がこの世にいないことは、ベルマールの意欲に影を落とさないともかぎらない。
「まあ、そこはまずエスクードに帰ってからだね」
「ああ、そうだな。いつになるかわからないけど」
二人はその話題を意図的に切った。
また、ユーリはまだまだ周辺の国家や組織を回って戦力を整えていくつもりらしかったが、
二人の予想よりずっと早く、のちにユーリはエスクードへの帰還を迫られることになる。
エスクードの新王の肩に、亡霊ではない、黒い影の手が、伸びてきていた。
◆◆◆
イシュメルはユーリとの会話を切り上げたあと、今度は自らの内側に思考の手を伸ばしていた。
ゆれる馬体に乗るのも慣れてきて、やや暇を持て余していた。
ふと、また前方に鋭い視線を向けて馬を駆り始めたユーリを見て、イシュメルは思考を引っ張られた。
さきほどの宰相という言葉にだ。
イシュメルはユーリを補佐することを信条にしていた。
突きつめていってしまえば、それに命を懸けているといってもよいほどだった。
だから、いずれ宰相という立場でユーリを補佐することになるとしても、なんら異存はない。
イシュメルにとっての夢は、ユーリを助けることそのものであった。
――いつからだろうか、そう思うようになったのは。
イシュメルはふと、過去へと思いの手を伸ばしていた。
◆◆◆
幼少時、イシュメルは枠にはめたような優等生であった。
おとなしく、勤勉で、真面目。
二人の兄も真面目で勤勉ではあったが、イシュメルのそれは少々度が過ぎていると言ってもいいほどだった。
精神の発達が、誰よりも早かったのかもしれない。
母によれば反抗期すらなかったという。
十に満たぬ齢の頃から頭角を現しはじめた現実に対する達観視点。
実のところ、エルフ王はそれを危ぶんでいたという。
陳腐な理由ではあるかもしれないが、イシュメルに子どもらしい思考が欠けていたことを不安に思った。
それが一変したのはエスクードと同盟を結んだ辺りからだった。
そんなイシュメルと正反対な性格をしていた子どもとの出逢いが、イシュメルを変えた。
エスクードの第一王子、〈ユーリ・ロード・エスクード〉との出逢いだ。
当時のエスクード王もかなり豪快な人物であったが、その息子にも確実にその血が流れていた。
好奇心のみで行動しているかのような、動物的な子どもであった。
彼を世話する人間の視点で率直に言ってしまえば、単なる聞かん坊でしかなかった。
少し目を離そうものならエルフ王の宮殿の窓をぶち割って脱出を試み、初めて目にするエルフの森に好奇心を燦然と輝かせ、いずこかへ走り去る。
イシュメルは当初、ユーリを理解できなかった。
そんなことをしたら従者たちに迷惑が及ぶし、第一に非生産的だ。
気になるものがあるのなら本などで調べてしまえばいいのに。
そう思っていた。
そう、思っていたのに――
◆◆◆
「父さんッ! ちょっと森を散策してくるッ!」
ビッ、ときびきびとした動きで片手を上げる銀髪の少年の姿があった。
その紅眼が好奇心できらきらと輝いている。
少年にそう告げられた銀髪の巨漢の方は、焦ったように少年に手を伸ばしていた。
「待てっ! このクソガキ!」
だが、その腕は虚しく空を叩くに終えた。
少年は軽い身のこなしで巨漢の腕の射程圏外へ逃れ、さらに一言を加えた。
「父さん! 最近腕が鈍ったな!」
少年はそう付け加えたあと、『なぜか』窓ガラスをぶち割って、外に大きく身を乗り出した。
盛大な破裂音が鳴ってガラスが階下に舞い落ちる。
「お、お前はどうしていつもいつも窓ガラスをぶち割っていくんだ!!」
「かっこいいからに決まっているだろう!」
階下に落ちながら少年は溌剌とした声を発していた。
巨漢が割れた窓から身を乗り出して下を向いたときには、すでに少年は森の中へと駆け去っていた。
「す、すまぬな、エルフ王よ……。また面倒を……。弁償はかならず……」
巨漢は後ろで微笑ましげに笑っていた金髪痩身の男に、その大きな身体を縮こまらせてぺこぺこあやまっていた。
「なに、気にすることではない。子供はあのくらいの方が元気があっていいでしょう。それに――いつものことですしね?」
金髪痩身の優男は、微笑みを崩さずにそう答えていた。
そして、今度はその後ろに控えていたもう一人の少年の方を向き、話しかけた。
痩身の男と同じく、綺麗な金髪を宿した少年だ。
「イシュメル、ユーリ王子が迷って帰れなくなることがあっては困る。ついでにお前も遊んでおいで」
「嫌です、父上。なんで僕が――」
「いいから、行っておいで」
「…………わかりました。そこまで父上がいうのなら」
むすっとした表情を浮かべた幼子――イシュメルは、渋々階段を使って階下へおりて行った。
「イシュメルはどうも子供らしい一面が欠けているようで、多少不安がつのります」
「なに、子どもの頃ならいくらでも修正は聞くだろうよ。心配しすぎだ、エルフ王。――さて、クソガキが帰ってきて騒がしくなる前に今後の国の方針でも決めておこうか」
父親たる二人は、互いに互いの悩みを相談しながら、別の部屋へと歩んで行った。
◆◆◆
――どうして彼はあんなにも無邪気でいられるのだろうか。
当時のイシュメルは心底からそう不思議に思っていた。
イシュメルはそのときからエスクードが戦に直面しそうであることを知っていた。
いくらあの浅慮短慮なユーリでも、一国の王子であるし、それくらいは耳にしているだろう。
それを知っていてなぜ、あそこまで楽観的でいられるのだろうか。
やはり不思議でならなかった。
イシュメルがそんなことを考えていると、森の一角に厳然と佇む大木の上で、そのユーリがシャムの実をかじっている姿が目に入った。
「おっ、イシュメルか。――どうだ、食うか?」
ユーリの方もイシュメルの姿を確認したようで、木の上からシャムの実を投げつけながらそう言っていた。
イシュメルはそれを受け取りながらも、口をつけなかった。
「シャムの実は煮た方が甘くておいしいじゃないか。別に生で食べなくても持って帰れば……」
「相変わらず面倒な奴だな。それこそ別にいいじゃないか、今腹が減ったんだから、今食うんだ。宮殿まで持ち帰る前に腹ペコで死んでしまうぞ」
「それくらいじゃ餓死なんてしないよ」
「お前は理屈ばかりだな、イシュメル」
「君は衝動的すぎる」
ユーリは、背で縛った銀髪の一房を揺らしながら、木の上から飛び下りてきた。
そうしてイシュメルの前に立ち、じろじろとその顔を観察し始める。
目がいやに輝いていて、鬱陶しかった。
「――よし! じゃあそんな理屈ばかりでお堅いお前を、今日は俺の秘密の場所へ連れて行ってやろう!」
「頼んでないけど」
「頼まれてないけど細かいことは気にするなって!」
イシュメルはユーリに連れられて、日の光を全身に浴びながら森の中を走った。
途中で手に持っていた分厚い植物の図鑑本を落としてしまったが、「帰りに拾えばいいだろ!」と言うユーリにそのまま引っ張られ、結局空手になって走った。
◆◆◆
ユーリに連れられて行った場所は、森のはずれに位置する湖だった。
日の光をこれでもかと水面に反射させ、揺れる宝石のようにぴかぴか光っている。
澄んだ水の匂いが鼻孔をくすぐった。
普段水の匂いなんてかいだこともなかったが、そのときの澄んだ空気が、水の匂いであるとイシュメルはなぜか確信していた。
「どうだ、知っていたか? ここには生物もたくさん住んでいるんだぞ!」
イシュメルは答えなかった。
正確には、答えられなかった。
故郷であるはずの自分の森に、『自分が知らない場所』があって、なによりそこを部外者であるユーリがさきに探し当てたことが信じられなかった。
「どうやってこの場所を……?」
「歩いてたら見つけた!」
「――また非生産的な方法だね」
「ま、そんなもんだって。探そうと思って探してたわけじゃないんだからな」
それもそうか。
そう小さく呟いて、イシュメルはただひたすらに美しい光景に見入っていた。
すると、不意にユーリが服を脱ぎ始める。
一体何をしでかすのかと考えるより早く、イシュメルはユーリに引っ張られて湖に転落した。
「な、なにするんだっ!」
「なにって――湖には飛びこまなければ損だと相場が決まっているんだぞ? 知らなかったのか? これだから温室育ちってのはなあ」
「ッ! 断じて! 断じてそんな決まりはない!」
そう言いながら振り向いた時、ユーリの掻き上げた大量の水が顔面に激突した。
イシュメルの怒りが最高潮に達する。
「やったな!!」
「ああ! やったとも! 悔しかったらやり返してみるんだな!」
ユーリは大笑いしながら凄まじい速度で湖を泳いでいく。
まるで巨大な魚のようだった。猛然とした泳ぎの速度だ。
イシュメルは大声を張り上げながらユーリを追った。
衝動的に追ってしまっていた。やり返さなければ気が済まなかった。
ただ、怒りが最高潮に達した時、不意に今までの『虚勢』がくだらないものに思えてきて、最後には笑いながらユーリを追っていた。
虚勢。
今この瞬間に、それまでの自分の威勢を虚勢と呼べてしまうのは、いささか納得できないところもあった。
けれども、自分の頭がその言葉を瞬時にはじき出してしまったのだから、仕方のないことだろう。
そう、細かい事なんてこの際どうでもいい。
たまには衝動的になってみるのも、たぶん悪くないことなのだとその時イシュメルは幼心に知った。
◆◆◆
「おい、物想いに耽るのもいいが、一応は緊張を保っていろよ?」
不意にユーリの言葉が聞こえて、イシュメルは我に返った。
その声で、過去から今へ、戻ってきた。
「――わかっているとも」
「ならいい。ナレリア領に入って十分な時間がたったし、そろそろ『サベジ』か『ナレリア』からの、なんらかの行動が見られてもおかしくないからな。こちらから動けないのがもどかしくはあるが、あえて探し回るよりこっちのが早いかもしれない」
イシュメルは思考を切り替える。
幼き日々に思いを馳せるのもいいが、今はするべきことがあるのだ。
また時間がある時にでも思い返せばいい。
忘れるつもりなど毛頭ないのだから。
――意地でも忘れてなるものか。
◆◆◆
ユーリの言葉が現実となって目の前に現れたのは、半分偶然で、半分必然だった。
問題は『どちらの勢力』が現れたか、と言う点にあったからだ。
幸か不幸かは知るよしもないが、ユーリたちの眼の前に現れたのは黒装束の胸辺りに『蠍』の刺繍を入れている人物だった。
目深にかぶったローブで顔を隠しているため、素顔すらおがむことは出来なかった。
ただし、確かにその人物はユーリたちに用があるらしく、道の真ん中に突然現れては一行の順路を阻んだ。
そして、ユーリが率先して馬から降り、一歩前へ出た。
「さて、鬼が出たのか、蛇が出たのか、見ものだな」
ゆっくりと、相手の動きを観察するように黒装束に近づくユーリ。
だが、一向に黒装束は行動を起こさない。
しびれを切らしたユーリがついにその人物の目の前まで迫って、無反応にやれやれと肩をすくめながら言った。
「で、どっちなんだ? ――ナレリアの密偵か、サベジの暗殺者か」
「――後者だ」
「ほう」
ユーリはあっけらかんとしつつも、瞬時に異変に気付いた。
路の脇の茂み。
その茂みから、『人間の片腕』が飛び出していた。
おそらく死体の腕だろう。
目の前の人物がサベジの『暗殺者』ならば、その片腕の所有者は十中八九ナレリアの密偵だろうと予測する。
どうやら待ち伏せのポイントがかぶったようだ。
暗殺者と密偵の間に いさかいがあって、暗殺者が勝った。
「後処理くらいしっかりやってもらいたいものだな。こっちには清廉たる淑女がいるんだぞ」
皮肉っぽくそれを顎でさしていうが、ユーリの言葉に黒装束はろくに答えなかった。
「我らが長がお前を待っている。ついてこい」
「ずいぶん乙女な暗殺者もいたもんだ。待ってくれるとはまた」
減らず口を叩きながら、ユーリは再び馬に乗った。
サベジの暗殺者がユーリたちを先導するべく指笛で馬を呼び、それに飛び乗ったからだった。
◆◆◆
長のもとに連れて行くというものだから、いったいどんな険しい道を行くのかと思いきや、先導されていく道は一般の行商人が使うような簡素で平坦な道だった。
ただ奇妙なことも一つだけあった。
先導者が次々と代わっていったのだ。
途中で別の黒装束が出てきて先導者を変わったり、どこからどう見ても一般人にしか見えないような人間に変わったり。
服装、人相もまちまちだった。
これまで先導していた者がその場に留まり、待っていた者と代わる。
そんなことが短い時間でかれこれ十回は起こっていた。
ユーリがその事について現状の先導者に訊ねようとしたとき、不意に後方から人の悲鳴が上がって、ようやくその意味に気付いた。
つまりは――
「追跡者への対応か」
「……」
先導者からの答えはなかったが、ユーリはなるほど、と勝手に頷いていた。
「さすがは密偵の巣窟ナレリアと言ったところか。一体どれだけの人数が俺たちを追跡しているのやら」
「軽く見積もっても三十だ。お前は自分が置かれている立場をちゃんと理解しているのか? ――三十でも少ないくらいだぞ」
「これは驚いた。いつの間にそんな有名人になったのやら」
ユーリの認識の甘さに苛立ったように、ついに先導者が声をあげていた。
声色は女だった。
それもまだ若い。
「これまでの先導役は誰も喋らなかったのに、お前は喋るんだな」
「――お前こそいちいち喋るな。癇に障る」
「これはこれは」
ユーリは大仰に手を仰ぎ、イシュメル達の方を振りかえった。
そういう露骨な皮肉が効くことを、ユーリは把握していた。
だから、情報を得るために、あえてそういう演技を加えていった。
イシュメルはそれを理解しつつ、自分にユーリほどの演技の能力がないことを自覚していたから、苦笑でもってそれに応えるしかしなかった。
それから先導者が代わることはなく、十数分してついにその先導役も足を止めた。
だが、その場所に建物はなかった。
「なにもないよ?」
リリアーヌが真っ先に疑念を打ち明ける。
すると先導役はしゃがみ込み、地面を数回小突いた。
待っていたと言わんばかりに即座に地面が割れて、地下への小さな入口が現れる。
「見ての通り馬は入れない。降りていけ」
「その間、馬の安全は保障してくれるんだろうな?」
アガサがややきつい口調で言い放った。
特に馬に対して情の深いアガサらしい声音だった。
先導役は目深にかぶっていたローブのフードを取っ払って、それに答える。
顔をあらわにした先導役は、後頭部で団子状に纏めた真っ黒な長髪と、同様に真っ黒なつり眼をもっていて、いかにも気が強いといった風な若い女だった。
いっそ少女と呼べた。
きっとリリアーヌと同じくらいの年だろう。
「当然だ。いいから早く入れ。癇に障る」
「どうやら彼女は不機嫌なようだ」とユーリがこともなげに言いながら、真っ先に地下へ踏み込んだ。
その後をイシュメル、リリアーヌ、アガサが追い、最後にその少女も地下へ踏み込む。
あとにその場に残ったのは、馬と、その馬を守るように茂みから現れた他の黒装束の数人だけであった。