3話 「マズール王の懸念」
マズール王国――ヴァンガード協定連合法下、王都キール。
マズール王城、謁見の間。
壮大な天使の絵が天井に描かれているマズール王城の謁見の間で、『マズール王』は耳を疑う報告を部下から聞いていた。
少し灰色掛かった髭と、同じ色の髪を揺らす初老の男である。
淡い緑の瞳はそれとない狡猾さと隙の無さをたたえている。
彼が頭上に冠むる金の小さな王冠には、グリフォンの肖像が刻まれていた。
その冠を得る者が、確かにマズールの王である事を如実に報せていた。
「――頭を上げよ、ケーネ。下を向いていては報告するのにも難い」
マズール王は目を見開いて続けた。
「そして申せ、何があったのかを――」
謁見の間の玉座に座るマズール王の前、三段の階段の下側で、片膝をついて報告をしているのはマズール王国独自の防衛力にして、最大戦力である『マズール騎士団』の長――『ケーネ・ヴァスカンド』であった。
短く切り整えられた灰色の短髪に、大柄な身体。
頭をあげて露わになったケーネ・ヴァスカンドの顔は、騎士団の長という役職者のわりにはずいぶん若く見えた。
ケーネはマズール王の許しを得て、すぐに言葉を並べていった。
「はっ。昨夜、旧エスクード領の土地管理に遣わせた部下が王都キールに戻りました。――彼らには旧エスクード領南東の辺境をあてがっておりましたが、予定よりも早くに王都へ帰還したため、その理由を問い詰めたところ――虚言とも妄言ともつかぬ言葉が返って来たので、陛下へお知らせに参った次第です」
「虚言とも妄言ともつかぬ言葉を――か?」
「はい、私個人の判断でうやむやにしてしまうべきではないと判断いたしました。――ここに部下の言葉を述べさせて頂きます」
ふむ、とマズール王は少し首をかしげた。
少なくとも、マズール騎士団の末端の騎士の虚言をわざわざ王に伝えるわけもなかろうと思い、少々の疑問こそあれど、とりあえずはケーネの言葉に耳を傾ける。
「――向かった辺境にて、旧エスクード人の隠れ家となっていた田舎村を発見。そこに隠棲していたエスクード人たちを同南東部付近で最近発掘された鉱山の労働資源として活用しようとしたところ――そこで思わぬ反抗に遭ったようです」
「エスクード人なら、そうであろうな」
「そうですね。――続けます。反抗してきたエスクード人を何人か斬り殺したところで、さらに一人の青年が状況に介入。そして――……まことに申し上げるに難きことですが……」
「なんだ、言ってみよ」
ケーネは再び頭を垂れて、言った。
「そのたった一人に青年に――派遣されていた騎士の半分が『壊滅』させられました」
「なんだと……?」
「……残りの半分が命からがら逃げてきたということで…………」
マズール王は思わず額に手をつけて荒々しく息を吐いた。
「だからあれほどエスクード人には気をつけろといったのだ……あの戦闘民族を侮ってはならんぞ、ケーネ」
「承知しております」
「はあ…… それで、報告はそれだけか?」
「――いえ、肝心のところが抜けております」
マズール王はケーネの返答にうんざりしたようにまたため息をついた。
「まだあるのか……」
「はい。騎士達は撤退際に、その青年から我が王へ、『伝言』を頼んだようなのです。そしてその内容が問題とするところでありまして――陛下、彼はこう宣言したのです」
◆◆◆
「我が名は『ユーリ・ロード・エスクード』。マズールに滅ぼされたエスクード王国最後の王族である――と」
◆◆◆
「『ユーリ・ロード・エスクード』――――」
マズール王の表情が一瞬にして曇った。
「本当に、その名を言ったのか」
「はい。部下の話では、確かにその名であったと」
「――」
――忘れもしない。
マズール王は心の中で同時に毒づく。
第三次レザール戦争において、唯一生死を確かめる事が出来なかったエスクード王国要人。
そして、
最も生死を確認しなければならなかった者。
エスクード王国の王子は一人だった。
先王の妃が子を産むという事に関して、あまり恵まれていなかったからである。
そしてその妃はレザール戦争にて没した。
この目で見たからには違うはずがない。
とはいえ、エスクード先王――『シャル・デルニエ・エスクード』が没した状態なら、この際妃の生死など些細な問題だった。
「シャル・デルニエ・エスクードの血が、エスクード最高の血が、まだ生きているというのか……」
問題なのはシャル・デルニエ・エスクードがその身に宿したエスクード王の『血の系譜』だった。
「それは……それは真の事なのか、ケーネ。――真実なのか? 本当にあの血族が生きているのか?」
マズール王はケーネに対して真偽を問うが、ケーネ自身が最初に部下の言葉を『虚言妄言の類』と称しているかぎり、ケーネに真偽を決定する材料はない。
「私めにはいかんとも……。この目で見るまでは、私個人では判断のしようがありません」
「ああ、いや――構わぬ。下らぬことを聞いたな。今のは忘れろ」
マズール王は少し苛立った様子で自分の頭を掻いた。
虚言であればいい。むしろ、虚言であってくれ、と思う。
マズール王はエスクード王族に畏怖を感じていた。
「ふむ……では、騎士たちはその者の容姿を覚えていたか? 容姿について、なにか言っていたか?」
「御意のとおりでございます」
ケーネはマズール王の言葉を予測していたかのように、即座に言葉を紡いだ。
「部下にその者の外見的特徴を述べさせたところ――」
マズール王がごくりと息をのんだ音が、謁見の間に小さく響いた。
そして、ケーネの口から言葉が出でる。
「――その者は『銀の髪』と『真紅の瞳』を宿していたと、そういっておりました」
その言葉を聞き、マズール王は、
「嗚呼…………」
疲れ果てたように短い声をあげていた。
ケーネはマズール王の様子を見て、個人的な確信を得る。
「――虚言ではなかったということでしょうか……」
「……まさに。銀の髪と真紅の瞳は、あの忌々しいエスクード先王『シャル・デルニエ・エスクード』と同じだ。……間違いないだろう」
最後の言葉はまるで自分に言い聞かせるように呟かれた。
マズール王の意気が消沈していく様を、ケーネは傍らで見ていた。
「――おそれながら陛下、しかし、私自身部下の話で奇妙に思う節がありまして」
「それはなんだ。私にとってよい話であることを願うがな」
ケーネは畏まって言った。
「部下の話によると、その青年は『魔術』を行使したようなのです。さらにその時、右の真紅の瞳が黄金色に変色していたと――」
「――――『魔術』だと?」
真に御座います、とケーネは端的な返事をする。
対するマズール王は思案するように顎元の髭を何度か指でさすり、声を発した。
「――その一点に於いてはなにかがおかしいと言わざるを得えないな。エスクード人は古来より『魔術の資質』に恵まれていなかった。自然出産で生まれたエスクード人にはまず『魔力』が宿ることはない。それに――金色に染まる瞳か」
思案気に言いながら、ふと、マズール王が玉座の真横へと首を振り、
「――ベルマール、なにか心当たりはあるか?」
言葉を紡いでいた。
すると、その玉座の横の方――謁見の間の上部から玉座の左右を覆い隠すように垂れ下がった紅色のカーテンの裏から、一人の男が姿を表す。
「いいえ、陛下。私には心当たりがございません」
パっと見て齢二十代半ばぐらいの、落ち着き払った雰囲気の男だった。肩を優に覆う金髪と、紫の双眼が印象的だ。
「ふむ――『旧エスクード人』のお前なら何か知っていると思ったのだがな」
「私でも、魔術を使うエスクード人など、聞いたことがありません」
「そうか」
そのあとに、さらに続く言葉があった。
「――シャル・デルニエ・エスクードの下で『宰相』をしていたお前にも、わからぬか」
「ええ。心当たりはございません」
紫の双眸は表情の変化を表さない。
全く動じない微笑を浮かべたまま、ベルマールは答えていた。
「――まあよい。――ケーネ、土地管理については継続して行うよう伝えよ。やり方はお前に任せる。同時に、エスクードの王子を語るその者の正体をさらに正確に調査するよう別働隊を派遣するのだ。その者を捕縛出来た場合は――」
マズール王が玉座の下を指差して言った。
「――私の前に連れてこい」
「はっ、御意のままに」
マズール王の王命に対し、ケーネは短い返事の声をあげると、無駄のない動きで立ち上がってもう一度マズール王に頭を垂れ、即座に踵を返した。
そこで、マズール王が思い出したように一人ごちて呟いた。
「ユーリ・ロード・エスクードか――大層な名だな」
◆◆◆
ベルマールにとっては、いつもの見慣れた謁見の光景だった。
しかし、彼は今、歓喜に満ち、そして震えていた。
その感情を愚かにも表には出すまいと、ベルマールは理性を総動員して柔和な微笑を浮かべ続ける。
変化を悟られてはいけない。
横で玉座に座り、思案気な顔をしているマズール王に――
「陛下、私めはまだ執務が残っておりますゆえ、先に失礼させて頂いてもよろしいでしょうか」
声は震えていないだろうか。
ベルマールは内心に若干の不安を抱きつつ、言葉を並べたてた。
マズール王はベルマールの内心に気付いている様子もなく、いまだに自分の思考につかっているようで、心ここにあらずといったていで返した。
「よい、下がれ。――王子について何かわかれば逐一報せよ」
「御意のままに」
ベルマールはゆっくりと足を動かし、その場をあとにする。
――足早になってはいないだろうか、などと些細な不安を再び抱きながら、しかし、ようやく王座側にある廊下への扉の前にたどり着く。
そうして、同じようにゆったりとした動作で扉を跨いだあとで、声を出さずに――大きく深呼吸をした。
◆◆◆
『ユーリ』。
『ユーリ・ロード・エスクード』。
――なんと、なんと聞きなれた名か。
◆◆◆
ベルマールにはマズール王国において最大の『穢れ』とも見なされる過去があった。
それは
『元エスクード王国宰相』という過去だった。
そんな彼がなぜ、今ではマズール王の側近をしているのか。
理由は単純だった。
ベルマールは王の側近として最上級の力を持ち合わせていたからである。
政治力、戦略力、そして――個人としての武力。
すべてを高次元で持ち合わせていた。
その脅威性を誰よりも知っていたのは、敵国の元首であるマズール王その人。
だから、マズール王はそれを活用することにした。
使えるものはなんでも使うという、マズール人の商魂たくましい民族性が現れた瞬間だった。
ベルマールを第三次レザール戦争終結後に捕虜として確保した際に、魔術で誓約と制約を彼の身体の内に刻み込み、同じく一国の王である自分の片腕として使用することを決めたのだ。
◆◆◆
「ああ――しかし、なんということだろう」
ベルマールは自室で誰にも聞こえないように呟いていた。
――ユーリが生きていた。
これほどまでに歓喜を覚えたことが、これまでにあっただろうか。
仇敵の王に仕えなければならないという絶望に近い暗闇の中で見つけた光。
銀の髪に真紅の瞳。そして
――『魔術を行使するエスクード人』。
ベルマールは知っていた。
シャル・デルニエ・エスクードの一人息子であるユーリ・ロード・エスクードが、魔の素質がまるでないエスクード人として生を受けながらも、ある特異な理由で魔術の資本である『魔力』を身体に宿していることを。
どう考えてもユーリだ、と何度も確かめるように頭の中で反芻する。
愛する友の息子。
あるいは、自分の息子のように可愛がったエスクード王国唯一の王子。
ふと、ベルマールの胸には、マズール王に仕え始めてから心の奥底に沈殿してしまっていた『光』と『決意』が浮き上がってきていた。
「これで、私にもやらねばならぬことができたようです」
――全うしましょう、最後の君の命令。
否、
「――その『願い』を」
ベルマールはほんの一瞬だけ決意のこもった鋭い視線を窓外の空へと投げかけた。