36話 「数奇な出会い」
ヴェールからナレリアまでの道のりは、立地が北方ということもあって肌寒くはあったが、その平坦な草原と、気候に恵まれたおかげで苦労はあまりなかった。
アガサはエンピオネにそのまま譲ってもらったフィオレに乗り、時折前方の様子を窺いに斥候に出る。
ユーリはリリアーヌと一緒に馬に乗りながら周囲を警戒。
イシュメルが後方に気を配るという形で、陣形を取りながらの旅程である。
ヴェールを出て数日。
ユーリ達は自分達にとって未踏の地である〈ナレリア王国〉に思いを巡らせていたが、ユーリに関しては母国エスクードの現状にも同時に思いを馳せていた。
「そろそろベルマールさんが王都セリオンに同胞を集め終わった頃か」
「どうだろうね。まだそんなに大した日数は立っていないよ。少し急きすぎじゃないかな」
「……そうかもな」
イシュメルがユーリに言葉を返す。
「でも逆にエスクードに関する情報がないってことは、エスクードの動きが悟られていないってことにも繋がるんだから――少しは安心していいんじゃないかな」
「それもそうだな。……ああ、そう思うことにする」
そんな事を話していると、斥候に出ていたアガサが強張った顔つきで戻ってきて、二人の間にフィオレを滑り込ませた。
「なんか前の方に変なヤツがいたぞ」
「抽象的な例えだなぁ」
「こういう場合は行ってみるに限るね」
アガサの抽象的な例えではユーリもイシュメルも驚きようがない。
しかし、平穏な旅路の変化となる可能性はあったので、自分たちの眼でその『変なヤツ』を確認するべく、足早に馬を駆った。
◆◆◆
馬で数分走ると、ついにアガサの言っていた『変なヤツ』が見えてくる。
整備された道の真ん中に、黒いローブを身にまとった何者かが堂々と立っていた。
順路を行くユーリ達を足止めするかのような仁王立ち。
ユーリがイシュメルの横に馬をつけ、小声でささやく。
「どう思う?」
「――ちょっと普通じゃないかな」
「何がだ?」
イシュメルは困惑していた。
「人間である事に違いはないんだけど……なんというかな。――君に似ている」
「俺に似ている?」
「あの人は僕の眼から見て、人間の領分を超えている『魔力』を纏っているんだよ。――あんな人間を見るのは初めてだ」
「――へえ」
ユーリはその言葉を聞いて軽く息を吐きながらも、警戒を強くする。
馬を進める。ゆっくりと。
そうして近づき――直近。
真横。
「っ――!」
黒ローブの下から覗く視線が自分の身に突き刺さった事を感じて、ユーリは馬から飛び降りてエスクード王剣を抜いた。
「――何用だ」
対する黒ローブは、品定めするかのようにユーリ、イシュメル、アガサ、リリアーヌと順に眺めて行き、はたからみても分かりやすいほど首をかしげた。
「〈エルフ〉が二人に……人間が一人……それと――」
イシュメルは耳まで隠れるターバンを巻いているし、リリアーヌもローブのフードを目深にかぶっている。
だのに黒ローブは二人をエルフであると見破った。
原理は分からないが、油断ならない。
ユーリ達の警戒は最高潮にまで達した。
そうして、黒ローブの視線がついにユーリに戻ってくる。
黒ローブはユーリを指差しながら、少ししゃがれた声で言った。
「――お前は『何者』だ? 人間? ――違うな。人間の気配に不思議なモノが混ざっている」
ユーリは黒ローブの言葉に素直に驚いた。
自分がある意味で『混ざりもの』であることを、この男は見破ったのだ。
「んーむ……わからん。これはどう解釈したものか」
「……」
ユーリは黙ったまま黒ローブを睨みつける。
右眼が金色に変わり、瞳孔が細長くなった。
その様子を見ていた黒ローブは「ああ」と閃いたように感嘆の声を口走る。
「お前は竜族か。――なるほど。……いやしかし、どうして竜族が人の形を為しておるのか」
黒ローブは相変わらず一人でぶつぶつと喋っている。
その様子に敵対心は感じられず、ついに毒気を抜かれたユーリがエスクード王剣を左掌に戻してその人物に近づいた。
「おい、道のど真ん中に立っていられると困るんだが――」
「あいや、これはすまん。感じ慣れぬ気配が近づいてきたもので知的好奇心をくすぐられたのだ」
すると、黒ローブの人物は目深に被っていたフードを取り払って、やっと顔を露わにした。
白髪混じりでぼさぼさの長い頭髪と、同様の顎髭。
一見してその人物が老人であることが分かる。
が、ユーリは違和感も感じる。
老人にしてはやけに鋭い視線と、そのローブの下に隠れているだろう鍛え抜かれた肉体の存在に気付いたからだった。
「面白い爺さんだな。知的好奇心は満足させられたか?」
「いや、それがの、お前の存在だけがよく分からん。――どうだ、日も暮れて来たし、旅の途中ならわしの家に来ぬか? 枯れかけた知的好奇心をくすぐってくれた礼に格安にしてやる」
「そこはタダにしてくれると助かるんだがな」
「タダはあとあと遺恨が生まれるぞ。老人の格言には耳を傾けておけ」
ユーリはイシュメル達の方を振り返る。
「どうする」と目で訴えかけると、イシュメル達からは頷くという形での答えが返ってきた。
「――それじゃ、お邪魔するかね」
「ふむ、では案内しよう」
ユーリが老人についていくことを決めたのは、日が暮れてきたから、という理由だけが原因ではなかった。
イシュメルの困惑気味の言葉が、同様にユーリの知的好奇心をくすぐったのだった。
――あんな人間を見たことが無い。
その言葉に。
◆◆◆
老人の後を馬を引きながらついていくと、草原の脇に群生していた規模の小さい森に足を踏み入れた。
森に入ってからはたいして歩きもせず、すぐに小さな木造りの小屋に到着する。
小屋に到着して、ユーリはふと思い出して口を開いた。
「そういえばあなたの名を訊いていなかったな。俺の名はユーリという」
現状、これからナレリアで何かを為そうという以上は、ユーリは自分の本名を軽々と晒せない。
特にそのエスクードの名を。
いかに辺境に住んでいるとはいっても、この老人が情報を漏らさないとも限らなかったからだ。
そうして短く名乗ったが、直後、老人から思いもよらぬ言葉が返ってくる。
◆◆◆
「〈ユーリ・ロード・エスクード〉か?」
◆◆◆
「なぜ――知っている……!」
ユーリは吃驚と共に即座に問いただした。
すると老人は大きな声で笑いながら答える。
「――ハッハ! 何を隠そう、お前の〈ロード〉というミドルネームを考えたのはわしだからな!」
「……なんだって?」
唖然とする一同。
ユーリの困惑はその中でも特に大きかった。
「わしの名は〈ダルヴァ・ガー・ドレン〉。しがない隠居の爺だよ。それでもお前の容姿はよおく覚えている。お前の、というより、お前の親父の、という意味だがな。こうも似ているとまあ、名など知らなくとも予測はつくものだ。そうしてユーリという名を聞けば、もはやわしには確信しかない」
そう言ってダルヴァは小屋の扉を開けた。
そこへ、
「――ダルヴァ。っ、まさか……! 〈大賢者ダルヴァ〉、あなたはあのダルヴァ様ではありませんか!?」
突然イシュメルの声が突き抜けてきた。
ダルヴァはイシュメルの方を振り向いて、悪戯染みたニヤけ面を浮かべる。
「そうも呼ばれておったな。我ながらたいそうな名だと思っとるよ。やつらはきらびやかな名をつけることに関しては一流だからな」
数奇な出会いが、旅路に一層濃い色を付ける。
◆◆◆
小屋に足を踏み入れると、小屋の中にはもう一人の住人がいた。
華奢な身体を持った女だった。
「――おかえり」
その女はダルヴァの帰りを労いつつも、その後ろからぞろぞろと姿を現したユーリ達を品定めし始める。
「あぁ、戻ったぞ」
「……誰?」
「客人だ」
雰囲気は物静かで、口数は少ない。
だが、長い前髪の中から時折のぞく人外染みた鋭い目が、ユーリを警戒させた。
その様子に気付いたダルヴァは安心させるように言った。
「警戒せんでもいい。こやつはわしの家族だ。血は繋がっていないがな。血走った目をしているから物々しい雰囲気も感じよう」
「――そうか」
ユーリは何か言いたげだったが、
「まあ座れ」
そうダルヴァに先に言われ、大人しくテーブル前の椅子に腰かけた。
ダルヴァはユーリたちからテーブルを隔てた対面に座り、「ふう」と軽く息を吐く。
「年じゃな。身体が重いわ」
「やろうと思えばいつでも動けるくせに。とてもじゃないが老人の身体じゃないな」
「ハッ、あいかわらずエスクード人は人の肉体を品定めするスキルに長けておるな。戦闘民族どもめ」
まあいい、と区切り、ダルヴァは続けた。
「改めて名乗ろう。わしはダルヴァ。大賢者ダルヴァと、そう呼ばれていたこともある。――自分で言うのもなんだがな。で、こっちは〈イライザ〉。昔拾ってきた野良猫みたいなもんだ」
そういってダルヴァはもう一人の小屋の住人を指差した。
少女。
本当にほっそりとした身体の少女だ。
リリアーヌもそうだが、リリアーヌ以上に縦に幅があって、さらに横に薄い。
目立つのは真っ白な長髪。
前髪に至ってはその長さも相当なもので、顎はゆうに超えている。
その前髪の間から覗くのは赤い瞳だった。
中性的な美貌を持っている事は真実であったが、近くで見ても異様な雰囲気ばかりが気になって、男か女かはわからない。
「女だ。貧相な体つきではあるがな」
その点を加え、ダルヴァは一旦話を切った。
言葉が切れた事を確認して、今度はユーリが質問する。
「まず先に、どうして俺の名を知っているか詳しく教えてもらいたい」
「――ふむ。そうだな。――端的に言えば、わしは〈シャル・デルニエ・エスクード〉と友人だ。あやつはわしに魔術を教えてほしいと訊ねてきたことがあってな。結局のところ、エスクード人であるあやつには魔術を使う事は出来なかったが、その時にちと親交を持った」
「それで?」
「急かすな。わしは個人的に気に入った人間としか会話をしないが、その点においてシャルは十分すぎる資質を持っておった。――で、だ。懲りずに魔術をまた教えてくれと何度目かにあやつが訊ねてきた時、息子が生まれるから名前を考えてほしいとも言ってきた。まあ、魔術師なんてもんは占い師みたいなもんでもあるからな。特に昔ながらの術師はそうだ」
「術式は事象を見る目でもありますからね」
「さすがはエルフ、話が早い」
イシュメルの声にダルヴァが嬉しそうにうなずく。
「ファーストネームはすでに自分で考えておったようだから、ミドルネームはわしが考えた。――どうだ、その名は気に入っているか?」
「――まあ、それなりにな。ちと大仰な気もするが、目立つのはいいことだ。いずれ役に立つ」
世界に名を知らしめる時に。
「そうかそうか、ならいい。考えた甲斐があったというものだ」
ダルヴァは嬉しそうに笑った。
次に、イシュメルが質問する。
「ダルヴァ様、なぜあなたほどの人物がこんなところに?」
「なに、わしも昔は各国を回って様々な事を成し遂げたが、五百年程してから急に虚しくなってな。それ以来気ままに過ごすようにしておるのだ」
「五百年っ!?」
思わずアガサが口を挟む。
「アガサ、生まれつき魔力の高い生物はその魔力量に応じた長命を持っているんだよ。この方は人間でありながら莫大な魔力を宿していたから五百年も生きているのさ。人間でありながらエルフより長命って凄まじいことだけど」
「はあー、あたしには理解できない話だねぇ」
アガサの感嘆が途切れたところで、ダルヴァがイシュメルの顔をまじまじと見ながら言った。
その顔には笑みがあった。
「そういうお前はエルフの王族か? ――直系だろう?」
「えっ、あ、はい。どうして分かったのですか?」
「面影がある。先代エルフ王とはよく話をした仲だった。ふむ、隔世遺伝でもしたか、よく似ているぞ。――名は?」
「イシュメルと申します。しかし僕には二人の兄と、一人の妹がおりますから、もしかしたら兄達の方がお爺様に似ているかもしれませんよ」
「ほう、それは今度見に行かねばな。そっちの娘は今言ったお前の妹か?」
ダルヴァの視線がリリアーヌに移動する。
「あ、リ、リリアーヌです」
リリアーヌは少し恥ずかしそうに頬を朱に染めてダルヴァに言葉を返した。
「玉のように美しい娘だな。あやつめ、よい孫を持ちおって。――まったく羨ましい。――それで、そっちの唯一普通と思える美女は?」
「アガサと申します、――っていえばいいのかね? いっつも思うけどこういうの慣れないんだよなぁ、あたし。基本的にお前らと一緒にいると会う奴会う奴身分的に目上だし」
「気にするな。楽にしていいぞ。わしも堅っ苦しいのは苦手でな」
「お、そうかい、気が合うね、爺さん。あたしは普通の人間だよ。――ああ、なんか五百年とか年の功ありそうだからバラしちゃうけど、〈ラ・シーク〉であることを除けば普通の人間だ」
「おぉ! あの古代遊牧民の末裔か! これは驚いた! わしですら数人としか出会ったことがないからな」
「数人と会ったことがあれば十分過ぎると思うぞ」
ユーリが最後に付け足す。
一同が盛り上がっていると、青白い肌の薄幸少女〈イライザ〉が、慣れぬ手つきでガラスのコップを持ってきて紅茶を注ぎ始める。
「ありがとう」
ユーリが率先して礼を言うと、イライザは恥ずかしそうに頭を下げた。
「すまんな。客人が来るのは珍しいもんで茶の入れ方もままならん。飯も結局はわしが作っているようなものだ」
「あっ! なら私が教えてあげるよ! いいよね?」
そこへリリアーヌは興奮気味に声をあげる。
その内心を、ユーリとイシュメルは即座に察していた。
見たところ、リリアーヌとイライザは『同年代』に見えた。
「願ったり叶ったりだ。イライザ、キッチンまで案内してやれ」
「ん、分かった」
リリアーヌがイライザの顔色をちらちらと窺いながらキッチンへと案内されていくのを見て、ユーリはほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「それにしても、よく生き残ったな、あのレザール戦争を」
「ん? ――ああ、まあな。死にかけはしたさ」
「正直お前の姿を見た時に心臓が高鳴ったぞ。竜の気配を感じていたから疑わずにはいられなかったが、その辺も訳ありそうだな」
ダルヴァの表情が急に重苦しくなる。
「人というのはいつの時代も愚かさを持ち合わせているものではあるが、わし個人としてはその中で友人が死んで行くのはもの悲しい。それで、改めて訊くが、その眼は竜の眼だな?」
ユーリはダルヴァの問いに、右の瞼に触れながら答えた。
「そうだよ。まあ、いろいろあってな。本当に、いろいろ」
「ふむ、レザール戦争の前後は東にいたからな。事情は知らんが――まあ、現状を知るには『そっちのやつ』と『会話』した方が早いな」
直後、ユーリが「ん?」と疑問の声を浮かべると同時に、ユーリの脳裏に警笛が鳴った。
瞬間、ユーリの身体が半ば自動で反応し、ダルヴァから一歩離れる。
突然の行動にイシュメルとアガサは目を見開くばかりで、言葉を紡げなかった。
そんな中、
「――思ったより『表』に出てきているようだ」
ダルヴァだけが一人納得したように頷く。
その後すぐに、ユーリが口を開いた。
だが、その口から出た声は――ユーリの声ではなかった。
◆◆◆
『どういうつもりだ、人間』
◆◆◆
不意に凍りつく空気。
ユーリの身体から漏れだす異様で圧倒的な威圧感。
右眼はいつの間にか金色に変わっていて、射殺すかのような視線をダルヴァに向けていた。
「なに、現状を知ろうとしただけだ。案ずるな、わしはその宿主と敵対するつもりはない」
その言葉で、イシュメルがダルヴァの行動の真意に気付く。
ユーリの座っていた椅子の下から、『水で出来た槍』が姿を現していた。
矢じり。
もう少し上に飛べばユーリが座っていた椅子を下から貫く。
魔術の行使だ。
それも、素早く、正確で、強力な。
ユーリの身体を易々と貫くであろうほどの。
ユーリは、いや、ユーリの中の『何か』が、本人よりもいち早くその危険を察知し、ユーリを後ずさらせた。
その事実に気付いた時、イシュメルは己の不安視していた予想が現実になってしまったのを知る。
『……』
「早くユーリに身体を返してやれ。その器ではお前の力を受け止めきれない。人間には過ぎた力だ。お前が顕現している間にユーリの身体が傷む」
『二度目はないぞ』
「分かっている。わしが悪かった。早く右眼に帰れ」
直後、ユーリの身体から放たれていた圧倒的な威圧感がふと消え失せ、今度はユーリが息を荒げた。唐突な息切れ。
荒い呼吸を整えるようにして、ようやく我に返ったユーリが椅子に座りなおした。
「自分で自分に何が起こっているのか分かるか?」
そんなユーリに、ダルヴァは優しく問いかけた。
ユーリはその視線と言葉を重々かみしめながら、苦笑して答える。
「まあ――何かが変わり始めていることには……気付いていたさ」
「……そうか」
◆◆◆
「どうやら俺は、本格的に人間じゃなくなるようだな」
◆◆◆