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エスクード王国物語  作者: 葵大和
第二幕 ヴェール皇国編
37/56

35話 「少女の涙」

「どうしてヨキを選んだんだい?」


 皇都デルサスを抜け、他のヴェール都市付近を馬で疾走していると、イシュメルが突然ユーリに問いかけた。

 ユーリはその問いに端的に答える。


「誰よりも強くなる見込みがあったからだ」

「それだけ?」

「個人的に気に入ったからってのも――まあ、あるにはある」

「無理に着飾らなくてもいいのに」


 イシュメルが笑う。

 その笑いのあとに、アガサが馬を横につけてきてユーリに問うた。


「ところでナレリア王国ってここからどれくらいで着くんだ? あたしもあんまりこっちの方の立地は知らないからさ」

「何事も起こらなければ……そうだな、五日程で着くだろうな」

「思ったよりも近いんだな」

「ヴェールからナレリアまでの道のりは平坦なんだ。障害物もあまりない。余程不測の事態が起こらなければ実に素早く移動できるんだよ」

「そうなのか。なら不測の事態が起こらないことを祈るばかりだな」

「まったくだ」


 三頭の馬は走る。

 ただひたすらに、ナレリアの地を目指して。


◆◆◆


 ヴェール皇城を出てから最初の野宿。

 当初、街は身近にあったので少し戻って宿を借りようとも思ったが、念を入れて出来る限り馬を駆った。

 ユーリとイシュメルはテントを立て、余った時間で身辺の道具を整理する。

 アガサとリリアーヌは食事を作った。

 ユーリがリリアーヌ達から少し離れたところでイシュメルと会話しながら双剣の手入れをしていると、突然嘆くような声をあげる。


「嗚呼……」

「どうしたの?」

「これ、見てみろよ」


 そういってイシュメルに差しだすのはエンピオネに譲ってもらった『黒剣ゼムナール』。

 『刃が欠けた』黒剣。


「……見事なまでに刃こぼれしているね。頑丈が取り柄のメルツェム鉱石がここまで損傷するなんて……。まったく、どんな使い方をしたんだか」

「使いやすかったのになあ……」


 ユーリは子供のように残念そうなリアクションを取る。演技ぶった表情や皮肉っぽい表情を浮かべることの多いユーリをして、珍しくそれは分かりやすい悲哀の表れだった。


「それで、エスクード王剣の方は大丈夫なのかい?」


 イシュメルの言葉に反応して、ユーリが即座に左掌からエスクード王剣を引きぬく。

 入念に刃や柄をいじりながら、安堵したような声を漏らした。


「王剣は大丈夫だな」

「メルツェム鉱石で出来た黒剣が駄目なのに、どうして年代物のエスクード王剣は無事なんだろうね」

「確かに。考えたこともなかったな。何で出来ているんだか」

「父君からは聞かされていないの?」

「父さんは何も言ってなかったな。――いや、あの分だと俺と同じで何も知らなかったのかもしれない」

「ありえるのがユーリの父君の怖いところだね。それでもあの父君が振り回しても無事だったんだから、ちょっとやそっとのことじゃ壊れないと思うけど」

「いずれ調べてみたいもんだ。――はあ。とりあえず剣をもう一振り用意する事が先決か」


 子供のように真っ直ぐな嘆きを表すユーリの様子は、イシュメルを癒した。

 幼少のころから変わらないユーリの素の姿が、確かにそこにはあった。

 イシュメルはそれを見て、内心に思う。


 ずっとそのままでいられないことは分かっていたつもりだ。

 現に、ユーリは戦闘において人が変わる。

 だが、今こうして他愛のない話を昔と変わらぬ表情で出来るのは幸いなことだ。


 そんなことを一人で考えていると、ユーリがまた口を開いた。


「ところで、お前は魔術を使ったんだよな。どんなのを使った?」

「唐突だね。――うん、まぁいいか。エンピオネ様に貰った弓矢に魔術を上乗せして射た。水の魔術。切れ味の向上と、着弾時における微細な巻き込み効果を付与した、みたいな感じかな」

「相変わらず器用だな」

「君とは違ってね」

「ここぞとばかりに言ってくるな」


 ユーリはやれやれと肩をすくめた。


「――あ、そうだ。お前に見てもらいたいことがある」

「ん?」


 続けてユーリが言うと、ユーリはリリアーヌに見えないように二人が調理に勤しんでいる方向に背を向け、イシュメルに向かいあった。

 直後、ユーリの右眼が金色に変わり――瞳孔が縦に割れる。

 次いで、


「――左眼の瞳孔が……」


 イシュメルは異変に気付いた。

 ユーリの右眼は竜の眼だ。瞳孔が縦に割れるのも分かる。

 だがその左眼は純然たる人間としてのユーリの目だ。


 瞳孔が縦に割れるわけがない。


 その変化はイシュメルに言い知れぬ不穏を想起させた。


「やっぱり変わっているか」

「――いつから?」

「エンデに突っ込んでいったあたりからだろうな」

「体に異変はないかい?」

「今のところは」

「そう……ならいいけど」


 だが、まだイシュメルの胸にひしめく不穏は消えない。

 ユーリがその眼をしている間は彼が人間ではないような気がして、思考が鈍った。


 そんなイシュメルの様子に、今度はユーリが気づく。

 そうしてイシュメルを安心させるように、ユーリは言った。


「俺は俺のままだ。心配するな」

「……そうだね」


 その言葉は、まるで自分が自分の行く末を知っているような言いぶりで、ユーリの思惑とは逆に、イシュメルを一層不安にさせた。


「ユーリ、兄様ー、ご飯だよー」

「お、今日は何を作ったんだ?」

「雑草のリゾットだよ!」

「えっ」

「冗談冗談」


 リリアーヌが二人のもとに小走りで近づいてきて、多少の冗談を交えながら夕食の準備が整った事を知らせた。

 イシュメルもリリアーヌに連れられて行くユーリを見て、思考を切り替えながら後についていった。


◆◆◆


 夕食後、イシュメルはリリアーヌを呼び出した。


「どうかしたの? 兄様」


 テントから少し離れたところに腰を下ろすと、リリアーヌが先に尋ねる。


「リリアーヌとちゃんと話をしていなかったなって思ってね」

「忙しかったからね。兄様は大丈夫なの?」


 漠然としたその問いがリリアーヌの内面の成長を現していた。


 ――いや、成長と一概に言いきれることでもないか。


 イシュメルは考え直した。

 人の心の機微を汲み取れ過ぎるのは、時にその者にとってストレスを与える要因になる。


「僕は大丈夫だよ、リリアーヌはよく気がつく子だね」

「そっか。兄様、ヴェールでの戦争の後からずっと、苦しそうにしていたから」


 そういって、急に目を潤ませたリリアーヌの頭をイシュメルは撫でた。

 昔、エスクードがレザール戦争に差し掛かる前には、一緒に過ごし、いつもしてきた動作。

 懐かしさを感じながら、イシュメルは話を続けた。


「リリアーヌはユーリの父君に引き取られてからどんな生活をしてた?」

「んーとねぇ、基本的には楽しかったよ! 楽しかったけど、ユーリもユーリのお父様もこう、なんていうの? 豪快というか、やることなすこと派手というか――」

「ああ、それはそうかもね。ユーリと父君は内面がすごく似ているから」

「そうそう。あと親子喧嘩も派手! エスクード城の部屋が四つくらいぶち抜きになって……」

「そ、それはちょっとヒくね……」

「エスクード人がみんなあんな凄まじいわけじゃないけど、やっぱり私たちとは違って力が強いから」

「特にあの二人はね。エスクードの血の頂点にいるから」

「うん。だからエルフの私からするとちょっと疲れちゃうこともあったかな。特にユーリのお父様は私を娘のようにかわいがってくれて、いろんなところに連れて行ってくれたから。それに、ちょっと疲れたところ見せると『医者だ! 医者を連れてこい!』って大騒ぎするの」


 イシュメルは苦笑した。


「でも、皆優しすぎるくらいに優しかったし、父様が言っていた人間からの迫害もなかった」


 続けて言ったリリアーヌの言葉を聞いて、少なくともその点において、リリアーヌに不幸が降りかかっていない事を知ったイシュメルは安心した。


「そうかい。それは良かった。――本当に」


 イシュメルは知っている。

 種族の溝の深さを知っていた。

 自身で体験したことがあったから。

 思い出すことは憚られるが、ユーリを探す為にマズールに来る途中で、何度か迫害を味わったのだ。


「そういえば、兄様はいつアガサと知り合ったの?」

「ああ、話していなかったね」

「うん、ずっと気になってたの。アガサ、兄様の事すごく信頼しているし」

「それは良い事を聞いた。今度悪戯でもしてみようか」

「駄目だよっ」

「はいはい、リリアーヌは優しいね」


 しかし、マズールで過ごしていたがゆえに得たものもある。

 それがアガサとの出逢いで、そして彼女への愛だった。


「アガサとはマズールの王都、キールで出会ったんだ。彼女、実は僕に会う前は奴隷でね。いや、半ば奴隷、という感じだったかな」

「えっ?」

「驚いたかい? 彼女は気丈だから、なかなかそういう素振りは見せないけど」


 リリアーヌでさえ、幼心なりに奴隷の言葉の重みは分かっている。

 戦争の多い昨今では、人権が極力薄い奴隷が蔓延っている。

 ずっと昔は、肉体労働者と知識労働者との区別こそあったものの、人力の供給源として奴隷にも一定の人権があったという。

 しかし、今は違う。

 リリアーヌはユーリと共にレザール戦争の只中にいた。そこで見、そして聞いたものを、リリアーヌは覚えている。


「でも彼女には言ってはいけないよ。アガサは〈南国パランティーヌ〉で馬売りをしていたんだけど、不慮の事故による両親の死や、その後の資金難のせいで奴隷売りに買われ、ちょうどマズールにつれてこられていた。僕はたまたますれ違っただけなんだよ」

「それだけ?」

「うん。でも数々いた奴隷の中でも、彼女だけは一際違って見えた。目が死んでいなかったというべきかな。僕にとってはその強さがえらく眩しく、そして羨ましく映った。たぶん、僕は彼女に憧れたんだ。一目見た瞬間から」


 イシュメルは郷愁を胸に抱いたような笑みで、言葉を続けた。


「だから、僕が買ったのさ。彼女をね。僕は僕の我儘で、彼女には自由にするように言いたかったけど、資金難のせいで奴隷売りに買われたっていうのにそこでまた自由の身になっても同じ轍を踏むだけだ。そのことにも気づいていた。それで、僕は自身のエゴを押して、彼女についてくるよう言った。そしたら彼女は喜んでついてきてくれた。その後も色々話をしたけど、いつのまにか僕が彼女に完全に惚れていたのさ」

「兄様って意外に積極的なんだね?」


 イシュメルはリリアーヌにジト目で見られて苦笑したが、リリアーヌの言葉をすんなりと認めた。


「うん、僕もそう思うよ。僕だってユーリに負けず劣らず、ときたま衝動的になるからね」

「放っておくと勝手にどっか行っちゃうユーリよりは全然マシだよ。本当の本当に」

「はは、ユーリは落ち着きないからね。好奇心旺盛ってのを地で行く子供だったし、今もその傾向が残っているんじゃないかな。魂に刻まれているんだろう」

「ふふ、そうそう。――でも、レザール戦争の時は私をおいてどっか行ったりはしなかったよ。いつも私を気遣ってくれたし、私が寝れない時はどんな傷を負っていても隣に寄り添って頭を撫でてくれた」


 不意にリリアーヌの目が虚空を見つめ、纏っていた雰囲気が変わる。

 イシュメルはその変化に気付き、悲しげな目で彼女を見つめた。


「――怖かったかい?」


 怖いに決まってる。イシュメルはそんな問いをしてしまった自分を叱咤した。

 その間にリリアーヌが答える。


「――最初は。でも、ユーリがいつでも守ってくれたから。私は瓦礫の下に隠れているだけ。食料も水も、全部ユーリが持ってきてくれた。敵の気配を感じればユーリが(ねぐら)から出て行って、怪我をして帰ってくる。私に敵を近づけさせないために、外で一人で戦っていたの」

「ユーリは……その頃どんな様子だった?」


 リリアーヌは物想いに耽るように夜空を眺めた。


「私と一緒に居る時は――いつものユーリだった。でも、敵の気配を察知してからのユーリはすごく怖かった。冷たい表情と、無機質な目。――たぶんね、ユーリは私を守るために大事な何かを自分で捨てちゃったんだと思うの。いつも――それだけが気がかりで――」


 リリアーヌはいつの間にか泣いていた。

 これまで溜めてきた何かを涙と一緒に吐き出すように、嗚咽混じりに言葉を並べる。


「ユーリは父様の言いつけがあったから私を守ったのかな。それなら私はいないほうが良かったんじゃないかって……」


 溢れ出る涙を手で拭いながら、リリアーヌは言葉を紡いだ。

 イシュメルはそんなリリアーヌを優しく抱き寄せる。妹の経てきた道が、自分の歩んできた道よりずっと過酷で、ずっと深い悲しみに彩られたものであることを、イシュメルは再確信する。


「そうではないよ。ユーリは父様の言いつけがあったからリリアーヌを守ったんじゃない。彼は自分でリリアーヌを守りたいと思ったから、守ったんだよ」

「そう……なのかな。本当に――そうなのかな……」

「そうだよ。彼はそういう男さ」


 それからリリアーヌは言葉を紡がなかったが、涙だけは零していた。


 夜は更ける。

 小さなエルフの想いを包み込みながら。



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