34話 「麗国と麗人に別れを」
ユーリとエンピオネの間の話し合いは、エンピオネが時間を作りながら何度も重ねられていった。
今後の方針や、同盟後の経済的な援助の話。まだエスクードが国家としてまともに立ちあがっていないため、あくまで予測と予想に基づいた計画でしかなかったが、だからこそ、ずさんに話を進めるわけにはいかなかった。
次いつこうして相対して言葉を交わせるか分からない。
東大陸の方では有翼生物を使った空路運輸業が発達しているというが、この中央西から西方大陸に関しては、まだ運輸業の発達は十分でない。
ミロワール運河沿いの水路や、一番基本となる陸路の運輸業は十分に発達していても、やはり情報の到達にタイムラグがある。
それによる遅れが致命的になることもある。
だから、今の内に話しておこうと、そういう算段だった。
そうして話し合いは続き、その途中にいくつかの取引もなされて、ついにユーリたちはひとまず納得のいく線まで話を終えることができた。
そこからの動きは速い。
話が決まってしまえば、長々とその場に留まる意味はなかったし、その時間もなかった。
瞬く間に過ぎ去った数日の後、ユーリたちがナレリア王国の方面へと出立する日がすでに目前に来ていた。
◆◆◆
ユーリ達の出立の日。
ユーリ一行はヴェール皇城の前でエンピオネとカージュに見送られようとしていた。
そうしてもう一人、ユーリにとっては見慣れた男の姿がそこにはあった。
「それじゃ、ヨキは貰っていくぞ」
「ああ、構わぬ。ヨキ、おぬしもそれでよいな?」
「はっ! 未熟ながらエスクード王国に貢献してまいります!」
話し合いの合間になされた取引。
それはつまり――あの一際生きの良い若人兵士、〈赤髪のヨキ〉の譲渡であった。
譲渡と言うと無機質な感じがするが、事実、ヨキはその武力をエスクードに買われたことになる。
貸出ではなく、譲渡なのだ。
ユーリの思惑。
それはエスクード王国の軍事的戦力増強だった。
自分が目を付けた人物を、半ば強引にでも引き抜く。
それぐらいの意気がなければ、エスクードを再建することなど出来ないだろうと、ユーリは内心に思っていた。
同時に、エンピオネにとっても、ヴェールがユーリの武力によって救われたことを考慮すると、その申し出を無碍にはできない。
仲が良くとも、立場は立場。政治的な取引も当然行う。先手を打ったのはユーリであったが、エンピオネはエンピオネでそれに受けて立った。
あとは肝心のヨキである。
強引な引き抜きをされる彼は、ヴェールに強い忠誠を誓っての志願兵であれば当然ユーリを恨む。
しかし、ヨキはユーリを恨まなかった。
ヨキは志願兵であって、一旦志願した以上当然の如く忠誠心を持っていたのは事実。
だがヨキの出身はヴェールではなかった。
両親に連れられてやってきたヴェールで、その両親が死んでしまい、行くあてがなくなったから兵に志願した。それがヨキの素性であった。
身体を提供することで一定の生活を保障してくれる軍に入ることが、ヨキにとってはてっとり早く食いつなぐいくつかの道の一つだった。
そんなヨキは、ヴェール軍に入隊してから大した時間を過ごしていない。
それも理由の一つ。
ヨキ自身の真面目な忠誠心は、長いことヴェールに仕える過程でおそらく堅固なものになる。
そうなれば引き抜くのも容易ではない。
この点ではヨキが軍人になってからの日の浅さがユーリに味方した。
そして最後に。
なによりも、
ヨキ自身が、何度かの協同訓練や今回の戦を経てユーリに惹かれていたのが、大きな要因だった。
「ヨキ、お前は馬を駆って出来る限り早くエスクードに向かえ。エスクードの王都セリオンに着いたら、〈ベルマール〉という人物を探し、事の詳細を伝えた上で指示を受けろ」
「はっ、畏まりました、陛下」
「いまさら陛下ってのはどうにもむず痒い感じがするな。だから、今までどおりでいいぞ」
「では『ユーリ様』、旅のご無事を祈っております」
「ああ、お前も気をつけていけよ」
ヨキはそのまま馬を駆り、皇都を南に走って行く。
背に担いだ大きな旅荷が揺れ、そして見送っているうちに、瞬く間にヨキの背は街並みに消えていった。
「それにしても、本当にヨキで良かったのか? 他にも猛者はいるが――」
「現時点ではな。でも、俺の見立てが正しければヨキは大成する。ちゃんと伸びる方向を指示してやれば、ヨキはその方向に勢いよく伸びるはずなんだ」
「ほう。まあ、わらわにはそれを見抜く目がなかったということか。少し身体がなまってきておるな。また鍛え直すとしよう」
エンピオネは笑った。
「それじゃ、俺たちもそろそろ行こう」
ユーリもエンピオネの笑顔に答え、口角をあげる。
そして、
「同盟の正式な手続きは任せた。時が満ちたらまた会おう」
「うむ、お主らも無事でな」
「御武運を」
ユーリ、エンピオネ、カージュと続き、
最後に――
「あの、エンピオネ様――」
リリアーヌがおずおずとエンピオネに手を伸ばした。
エンピオネは少し目を丸めて、
「リリアーヌ、わらわと友達になろう」
リリアーヌの手を取りながら笑みで言う。
「え?」
「だから、もしその申し出を受けてくれるなら、わらわのことはエンピオネと呼べ」
「あ、あの……」
「どうじゃ?」
「んん?」と首を傾げながら言うエンピオネに、リリアーヌはわずかの間を得てから返した。
「――分かった。私からも――お願いするね」
「あと良き友でもあろう。ふふ、どっちがユーリを先にオとせるか勝負じゃ」
「――」
リリアーヌは言葉を返さなかった。傍にユーリがいたからだ。
あっけらかんとするエンピオネと違って、リリアーヌはまだ言葉として紡げるほどの勇気はない。
それでも、リリアーヌは真っ直ぐな視線をエンピオネに向けた。
「――よろしい」
エンピオネがその視線を受けて、強く頷く。
「ならばリリアーヌ、わらわたちがオとすより先に、天神がユーリを攫って行かないように、しっかり見ておくのじゃぞ」
「うん!」
リリアーヌとエンピオネが固い握手を交わす。
その状態のまま、エンピオネはアガサの方を向き、
「アガサ、おぬしもわらわと友達になってくれ。身分など関係ない。わらわには同年代の友人がいないから――頼むよ」
「えっ!? あたしでいいのですか!?」
「おぬしは友人にそんな堅苦しい敬語を使うのか?」
「あっ、いや、その――うん、分かった。じゃあ、なんだ、その……よ、よろしく、エンピオネ」
「やればできるではないか」
エンピオネがリリアーヌとの握手を交わした後、アガサに歩み寄ってその背をバンバンと叩いた。
顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしているアガサは、嬉しげな笑みを浮かべていた。
「イシュメル、アガサはいい女じゃぞ。手放すなよ」
「当然です、エンピオネ様」
「まあ、おぬしもエルフの王族であるし、もう敬語はいるまいよ」
「堅苦しいのが苦手なんだね、エンピオネは。カージュさんからちょくちょく悩み相談受けたよ?」
「イシュメルさん! それは内密にとっ!」
「ほう、カージュが。うむ、あとで手を下しておこう」
自然とイシュメルとエンピオネの会話からも堅さが取れた。
「じゃ、行くぞ」
最後に、皆が会話を終えるのを待っていたユーリが言う。
「死ぬなよ、ユーリ」
「死なないよ。大丈夫、俺は目的を完遂するまでは、絶対に死なない」
「そうか。――でも、身体には気をつけろ。それくらいは言わせてくれ」
「ああ、エンピ姉もな」
「ふふ、最初はその呼び名で悪くなかったが、今は逆に呼び捨ての方がいいかもしれん。妻を姉と呼ぶ男もそういまい」
「お前の中で何がどうなってロジックが組まれているのか分からないが、それを望むならそうしよう」
「あの時みたいに、別れの前に、わらわの名を真っ直ぐ呼んでくれ」
「――エンピオネ」
「うむ」
「行ってくるよ」
ユーリが踵を返す。
その背にエンピオネは――
「――いってらっしゃい」
あらん限りの想いを詰め込んだ微笑を向けた。
その姿は女皇ではなく、少女のような透明感に溢れていた。
―――
――
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◆◆◆
まだ序章。
されど、大きな一歩を踏み出した実感を全身に感じながら、ユーリは馬に乗ってヴェール皇城をあとにした。