33話 「密偵業国家の噂」
「ともかく、おぬしがそこまで言うなら譲歩してやってもいい。だが、同盟を結ぶ時は必ずやわらわに一報を入れること。可能であれば会談もしなければならんかもしれん」
「分かったよ」
ユーリは真面目な顔で頷いた。
「うむ。――それで、次の行先じゃったか。ずいぶん話が流れたな」
そうしてエンピオネがまた話題を元に戻す。
「東か西なら、まあ東じゃろ。西は小国が乱立するばかりで、その奥にはグランバニア大海しかない。無駄足になる可能性が大いに高い」
「ああ、だから西へ行く。たしか〈ナレリア王国〉があったな」
「うむ。あの国ならば国力という観点では十分な同盟相手になるじゃろう。じゃが――」
「ナレリアは良くも悪くも尖った国だからな」
「ああ」
「どういう意味?」
するとそこへ、イシュメルが口を挟みに来る。
ユーリとエンピオネは〈ナレリア王国〉について知っている風だが、イシュメルはさすがにエスクードからこう離れた地域の国のことは知らない。かろうじてヴェールまで、というのが実情だった。
ゆえに聞く。
「ナレリア王国は『密偵業』に特化した国なのです」
そのイシュメルの質問に答えたのはエンピオネの横に立つカージュだった。
後頭部で縛った茶髪が、身体に身振りに揺られている。
「ちょっと長くなりますが、よろしいでしょうか」
「ええ、ぜひとも。ユーリにやらせると分かりづらくなること間違いなしなので、ぜひカージュさんから知りたいです」
「あれ、今わらわ超自然にイシュメルにスルーされてないか? もしかしてわらわもユーリと同じ枠か!?」
エンピオネが抗議するように立ちあがったが、イシュメルとカージュは息のあった無言の間を作り、それをスルーする。
似たような者の付き人をしていて、それゆえかお互いの苦労を言わぬうちに察し合うイシュメルとカージュは、非常に息のあった連携を見せていた。
「んん、続けます」
「続けるなバカージュ!」エンピオネがカージュの襟をつかみにかかったが、それをユーリが止めていた。
「面倒だからやめろよ」エンピオネの襟を掴みながらユーリが額を押さえている。
「――ナレリア王国とは、商業競争の二次産物として生まれた『密偵業』を生業とする者が多く住まう地です。主に諜報、隠密活動を行うような、そんなスパイの巣窟です。商業競争が熾烈化するうちに、『いかにして他の商人の情報を得て、それをもとに相手を蹴落とすか』に力を注いだ結果、密偵と呼ばれるような者たちが多くなったようです。ナレリアの商人たちはみな口を揃えてこう言います――『多少の権力者の家ならば、少なくとも五人の密偵が潜んでいる』、と」
「うわあ……」
イシュメルがカージュの説明に分かりやすいヒき笑いを見せた。
「そしてもう一つ」
カージュはさらに人差し指を立て、話を続ける。
「優秀な密偵の輩出国としても有名なナレリアには、ある組織が存在します。密偵がさらに極まった存在。諜報等の隠密活動に加え、その『蹴落とす』の部分までもを一手に引き受ける過激派の密偵集団が存在しているのです。〈サベジ〉という名の集団です。一般に暗殺者集団として名を知られています。この組織にだけは気を付けた方がいいでしょう」
「暗殺者集団ってもっと暗闇に生きるものと思ってたけど、一般に、っていうくらいには名が知られているんだねぇ」
イシュメルの言葉に、カージュが苦笑して答える。
「名を知ったところでどうしようもないのですよ。手の出しようがないからです。〈サベジ〉の暗殺者たちは密偵業のエリートですからね。ナレリア王国の密偵は他国に派遣されればどんな場所でも絶賛されるエリート密偵ですが、そのナレリアの密偵たちのさらに上位にいた者たちが、サベジに加入していくそうです」
「な、なんだか恐ろしい国だね」
「ここまで特化している国家文化だと、かえって興味深いですけどね」
カージュの説明がそのあたりで切れる。
そうしてまたユーリとエンピオネの相談がはじまって、しばらく経ってからやっと朝食の時間は終わった。
◆◆◆
朝食の後、ユーリはイシュメルと共に、エンピオネに与えられた部屋に戻った。
エンピオネにも昨日今日で混乱に収集がつき切っていない政務をこなすための時間がいる。
ずっとユーリと話しているわけにもいかなかったので、一旦食休みという形で別行動になった。
そうして部屋にたどり着いたユーリとイシュメルは、椅子で向かい合って、視線を合わせる。
「さて、ユーリの言い分を聞こうか」
イシュメルが言った。
「アガサとリリアーヌは隣の部屋だから、気兼ねなく言ってくれていいよ」
「どうやって俺の心を折ろうか考えている目をしているぞ」
「具体的過ぎるねぇ」
イシュメルはため息と共に苦笑した。
「とにかく、まあ、君の身体はひどいものだった。なんで生きているのか不思議に思うくらいの壊れ具合だったよ。君を生んでくれたソフィア様と、あとエスクード人の中で最も『強靭な血』を与えてくれたシャル陛下に感謝することだね。常人ならそもそも帰って来れなかっただろう」
イシュメルはやれやれと首を横に振った。
対するユーリは、
「この身体に感謝しなかったことなんてないよ」
真っ直ぐな視線をイシュメルに投げる。
イシュメルはその返答に眉をあげ、すぐに微笑を浮かべた。
「うん。まあ、それが分かってるならまだ大丈夫だね。――で、聞こう。何をしたんだい?」
イシュメルの問いを得て、ユーリは思い返す。エンデとの戦闘を。
自分が何をしたのかを。
「たぶん――魔術だ」
「たぶんとはまた」
「術式を編んだ覚えがないんだよ。願いはしたが、式を編んだ覚えはない」
「君に即興で術式を編める技術なんてこれっぽっちもないのは僕も知ってるから、それは事実だろうと察せられるね」
「ただ速く、ひたすら速くと、そう願った」
「んー」
イシュメルは顎に手を置き、思案気に唸る。
「魔力って、もともと人の意志や願いに呼応する性質があるから――まあ普通は願いだけじゃ事象なんか起こせないんだけど――それによって変化があったのかもしれない」
「意志だけで?」
「普通ならありえないよ。だって、僕でも無理だもん」
エルフの中でも魔術の天才と謳われたイシュメルの実力は、ユーリもよく知るところだ。
ゆえにイシュメルでさえ無理ならば、到底自分でも到達できないだろうと理解できる。
「でも、君は普通じゃない。精確には――その右眼が普通じゃない」
イシュメルはユーリの右眼を指差した。
「『白竜様』の眼。その右眼は異常だ。異常な量の魔力を内包してる。これまで僕たちが白竜様としてきた秘密の話で、あの白竜様が竜の中でもかなり高い位置に君臨しているのは知ってるだろう?」
「ああ」
「だから、たぶん竜の中でも相当強い力をもっていたんだろうと予想できる。そして竜の魔力が最も多く宿るのはその目だ。そんな白竜様の右眼は、片眼であるのに、僕すらをたやすく上回る魔力量を内包している」
「それが本来ありえないやり方での魔術行使を可能にしたと?」
「可能性の話だ。そんなものやられたら、とてもじゃないがすぐには対応しきれない。魔術は意志に形作られている一方で、術式という理性の力によっても支えられている。事象式、その他変数式、色々だ。使う文字も違ければ、国や人によって回路の組み方にも大きな違いがある。でも君はそういう面倒な前提を全部吹っ飛ばして、魔術を発動させた」
「これはかなり危ういことだ」イシュメルは言う。
「――『歯止め』が利かない。意志というのは明確であるようで、その実かなり不明瞭だ。意志は規定できない。量を図ることもできない。形も分からない。だからどういう原理で魔術が発動しているのか、測ることができない。その結果、強すぎる意志が身体が耐えきれないような魔術を発動させてしまうこともある。あるって断言できるのは、先日実例を見たからね」
イシュメルの視線がユーリの目に突き刺さった。
「――俺か」
「そう、君だ」
イシュメルが頷いた。
「ユーリの身体は君が意志によって行使した魔術に耐えきれなかった。身体が魔術による超速度に耐えきれず、中身がぐちゃぐちゃになった。こんなことを繰り返していたら簡単に死ぬよ。いくらユーリが身体の丈夫なエスクード人でも」
「そう――かもな」
「もうそのやり方魔術は使わない方が良い――って言いたい」
「言わないのか?」
「言ったところで、君は使わざるえない状況になるかもしれないから。君が歩く――いや、走る道は、おそろしく険しい。だから、たぶん、そういう手段を使わなければどうしようもなくなる時が来る」
「勘か?」
「そうだよ。僕の勘さ。でも結構当たる。殊に、君に関するものは。伊達に君と長いこと遊んでないからね」
イシュメルは続けた。
「でも、極力使わないでくれ。僕が隣にいる時は、僕に頼んでくれ。そのためなら――僕も魔術を使おう」
「分かったよ。お前が言うならそう努力する。そういうお前は魔術を行使することに躊躇いは消えたのか?」
「まだ完全にとは言わないよ。でも、使えたよ。それも確かさ。そのあとにトラウマが脳裏に反響して、無様な姿を見せちゃったけど」
「――そうか」
自嘲気味に笑うイシュメルに、ユーリはそれ以上何も言わなかった。
◆◆◆
「そういえば、寝ている間にその白竜様に会ったよ」
「へえ」
唐突なユーリの言葉に、しかしイシュメルは驚かなかった。
ユーリが右眼を宿している現状、それくらい起こるだろうと、竜の持つ超越的な力についてイシュメルは予想と理解を得ていた。
「それで、何か話した?」
「他愛のない世間話を。あと、名前を聞いてきた」
「そういえば、僕たちは彼の名前を知らなかったね。白竜様、としか呼んでいなかった。周りがそうだったから幼い僕たちも自然にそうなったけど――」
「ああ」
「それで、彼の名は?」
◆◆◆
「――〈ゼクシオン〉」
◆◆◆
「ふーん、ゼクシオン、か。格好いい名前だね。僕も呼び捨てにしていいかな? 怒られないかな?」
「大丈夫だろう。ゼクシオンばかり俺たちを呼び捨てにするのはずるいじゃないか」
「ハハ、まったくそのとおりだね。なら僕も彼と対等でいられるように努めよう。彼はいつも寂しそうだったから」
イシュメルもユーリと同様の想いをあの白竜に抱いていたようだった。
「ま、僕にはそれを目の前で言ってのける度胸はなかったけど。その点ユーリって馬鹿だよね。かなり」
「褒めてるのかけなしてるのかどっちかにしろよ。反応しづらい」
「それくらいがちょうどいいのさ。淡々とするより、困った表情をしてくれた方が僕は安心する」
「あと、楽しめる、だろ?」
「そうそう」
「まったく躊躇せずに頷きやがった……」
そうして二人は軽口を叩き合いながら、またいつものように、楽しげに会話を進めていった。