32話 「双極する想い人」
「それで――ユーリ達はこれからどうするのじゃ?」
「んー、そうだなぁ」
ヴェール皇城、客間。
豪奢な長テーブルに座って、ユーリたちは食事をとっていた。
高級感のある整然とした盛り付けがなされた料理の数々が、長テーブルにずらりと並んでいた。
ルシウルとの戦を経た後だが、意外にもヴェール皇城のシェフはタフである。
ユーリはそのことに内心で感嘆しつつ、目の前に提示される数々の料理を、食べづらそうにフォークで掬い取っていた。
「おぬし本当に王族か? なんというか……下手じゃな……。いや、確かおぬしの父も似たようなお粗末ぶりじゃったか……」
「う、うるさいな……」
「わらわの父が大笑いしとったわ。『お前本当に王族かよ!』って、ずいぶん砕けた口調で騒いでおった」
「ハッ、時間を経て今度は俺が同じことをその娘に言われたわけか。皮肉にしてもタチが悪い」
「非が自分にあることは自覚しておろうな?」
「……」
ユーリは居た堪れないように口元をキュっと結び、それ以上を言わなかった。
「おい、悪かった、わらわが悪かったよ、ユーリ。さきの質問の答えを聞かせてくれ」
ユーリはエンピオネの言葉を受け、再び思考を回した。
当面の身近な目標がヴェール皇国との同盟にあった。
今、ヴェールが面していた危機は解決に向かい、とすればユーリとエンピオネの口上で行われた『交換条件』も成立することになる。
ユーリの助力によって、ヴェールは当面の危難を回避した。同盟自体はそれがなくても成立していたようなものだったが、結果として建前の交換条件が現実に成立する。対価。
エスクードがヴェールを助けたかわりに、今度はヴェールがエスクードを助ける。
いまだ折れかけの脚で立ちあがったばかりのエスクードを、目ざとい外敵から守るために、ヴェールが身を挺する。
――まずは一枚、防壁は築けた。
とはいえ、まだ一枚だ。
ヴェールは大国だが、軍事力という観点ではやはりまだ心もとない。
――まだ通過点。
ユーリは思い返す。
当面の自分が目指す大きな目的。
進む道の、最終地点。
「エスクード再建はまだ終わっていない。また――旅に出るさ。流浪の旅ではないけれど、結局似たようなものさ」
「――そうか。まあ、それが正しいじゃろうな。わらわとておぬしを守る意気は当然持っておるが、意気と現実は別じゃ。守りたくても守れないこともある。だから、おぬしがまた別の国に声をかけに行くのも、別段止めたりはせんよ」
エンピオネは優雅な手つきで料理を口に持っていって、咀嚼して飲み込んだあとにまた訊ねた。
「で、次に向かうのは?」
ユーリがエンピオネの言葉に答える。
「北は駄目だ。ルシウルとは実質的に敵対した」
「じゃろうな。ならば東か西か」
「ああ。でも北に関してもまったく全部を眼中から追い出すわけじゃない。ひとつだけ気がかりもある」
「ほう、それは?」
「もし存在するのなら――いや、もし再建するのなら、ぜひ同盟を結びたい国があるんだ。まだ希望さ。ただ、他人とは思えない国が北にあるらしくてね。しかもルシウルとは敵対しているときた。エスクードがルシウルと敵対していることを考慮しても、北の情勢を報せてくれる同盟国はぜひ欲しい。共通の敵を持つとなればなおさらだ」
「ふむ、そこまで言うとなると、嫌でも好奇心をそそられるな。なんという国じゃ?」
「――〈シーク公国〉」
エンピオネはユーリの言葉を聞いて納得したように頷いた。
「ああ、かの没落した国か。……確かに、シーク公国の長とは気が合ったじゃろうな。しかし事実、公国は滅ぼされた。もはや存在しないぞ」
「違うんだ、エンピオネ。まだ完全に滅ぼされたわけじゃないんだよ。昨日、そのシーク公国の『末裔』と相対した」
エンピオネの眼の色が変わる。
まるで何か不穏を予想したような変わり方。
表情もどことなく暗い。
「まさか、あの敵方の隊長格というのではあるまいな」
エンピオネの予想は正しかった。
だからこそ、ユーリは迷った。
真実を言うべきか、言わざるべきか。
――そりゃあ、エンピオネはエンデに兵を殺されているわけだからな。
今のエンピオネを見れば分かる。予想の時点で嫌悪を抱いているのだ。
エンピオネにとっては因縁の敵であることに違いはない。
――……。
だがそれでも、ユーリに退くつもりはない。
たとえエンピオネに殴られようとも、復活したシーク公国と同盟を結ぶ覚悟を抱いていた。
国家レベルの話。その利点があるから、というのも事実。
――まあ、少しも都合が良いのは理解している。
だけど、
――あの〈エンデ〉とは……
もし本当に彼がシーク公国を再建するほどの力強さを放ったのなら、同盟を結びたい。
似た境遇。理性を防壁に立てても、どうしても伸びてしまう共感の念。
結局ユーリは言った。
「――そうだ。あのルシウル軍の隊長格だった男だ。有能だったんだろう。たぶん、体の良い駒として使われたんだろうさ」
エンデは諦めかけていたから。
もしかしたらベルマールと同様に、何らかの制約魔術が掛けられていた可能性もあるが――
そんなユーリの思考を、エンピオネの鋭い声が切り裂いた。
「……たとえシーク公国が再建しても、わらわの因縁の相手であるその者が統治する国と、このわらわが統治する国が相容れると思うか? もしおぬしがシーク公国と同盟を結べば、わらわのヴェールもエスクードを中継してシークと接することになるじゃろう。それが本当に可能だと思うか?」
「正直に――簡単には相容れないだろうな」
もし自分がそういう立場だったら。
ユーリは考え、エンピオネの言わんとすることを当然の如く察知する。
そして自分も、
「俺でも割り切れないだろう」
「なのに、おぬしはわらわにそれをやれと言うのか」
「言う。悪いと思ってる。それは本当だ。でも、エンピオネに殴られても、俺は言うよ。――頼む、って」
エンピオネの顔に怪訝な色が混じる。
だが、ユーリも一歩も譲らなかった。
その様子をフォーク片手に唖然として見ていたイシュメル達は、心底肝を冷やしていた。
同じくカージュはエンピオネを落ち着かせようと四苦八苦している。
ユーリとエンピオネだけが、長い視線のやり取りを整然として行っていた。
そして――
「――はあ。……分かった。ユーリがそこまで言うのなら、考えてみよう」
意外にも、先に折れたのはエンピオネだった。
「その目はずるいぞ、ユーリ」
「どんな目のことだ」
「わらわはおぬしに惚れかけておるからな。そうなるともう、大体の目はわらわにとって『ずるい』ものになる」
『ぶっ』とカージュが吹いたあとに咳き込む。
イシュメルが「えっ? なにそれすごく面白そうだね――」と口走った直後、「イシュメル、茶化すのは無しだぞ。それにしても、王族同士の恋路か……やっぱりキラキラ――」とアガサが繋ぎ、「いやアガサはちょっとその偏見を頑張って取り払った方がいいよ」と最後にイシュメルが締めた。
ただ一人、リリアーヌだけが、カラン、と料理皿の上にフォークを落として、悄然様にユーリとエンピオネを見ている。
そんなリリアーヌに先に視線を向けたのは――エンピオネだった。
「負けないぞ、リリアーヌ」
エンピオネの笑みは優しげだった。
嫉妬も、怒りも、悲しみもない。
どれかと言えば楽しげな、心からの笑顔。
それを見たリリアーヌは、
「わ、私は別に――」
とっさに身を引いていた。
そこへエンピオネが、
「本当にいいのか? ――取ってしまうぞ。おぬしがボケっとしていると、わらわが攫って行ってしまうぞ。……それでいいのか?」
「それは――」
リリアーヌは答えあぐねていた。
◆◆◆
リリアーンの胸中には迷いがあった。
――私は、きっと……
身を引くべきだ。
自分がユーリの重荷になっていることは、これでいて理解しているつもりだった。
ユーリが自分を守るのは、親愛の情もあるのだろうけれど、同時にとある約束のためでもある。それを知っている。
その約束の内容的に、自分はユーリの重荷なのだ。
立場的に、重荷にならざるを得ない。
だから、自分がずっとユーリの傍にいると、ずっとユーリは重荷を背負うことになる。
――それは……
ダメだ。
ユーリには今まで十分すぎるほどに背負ってもらってきた。
これ以上はダメだ。
だから、新しい、重荷とならないエンピオネは、きっとユーリに相応しい。
自分は弱いし、頼りない。
こんな細いばかりの身体で、ユーリをどう助けるというのか。
兄と違ってしっかりとした魔術の訓練も受けていない。
すべてその『約束』のためだ。
それを言い訳にすまいと思っていても、少し恨んでしまうところもある。
でも、それを抜きにしても、自分よりエンピオネの方がふさわしいのではないか。
そう思った。
◆◆◆
「それは――ダメ」
◆◆◆
しかしリリアーヌの声は、ユーリを離さなかった。
なんでそんな言葉が出たのかは分からないが、自分が紡いでしまった言葉は、ユーリにしがみつこうとする意気の表れを呈していた。
「そうか。ああ、それでいい。リリアーヌ、お前はそれでいいんだ」
違う。違うのだ。
リリアーヌはエンピオネが嬉しげに笑うのを見て、違うとは言えなくなった。
「おい、俺を抜きにして話すのはやめろよ」
「ハッ! おぬしがわらわとリリアーヌの間に入るとややこしくなる。というか、おぬしはこーんな美女に好むとか言われて何も言葉を返さんのか? んん?」
「返して欲しいのか」
「嫌じゃ」
「どっちなんだよ……」
「おぬしが今わらわの美貌に溺れると、エスクード再建が危うくなるからな。すべてが安定したら、その時答えを聞こう」
「自分で言ってて恥ずかしくないのか?」
「恥ずかしいに決まっておろう! だから訊ね返すなんてのはタブーじゃ! この朴念仁めっ!」
「横暴だろっ! かなり!」
そうして場が笑いに包まれて、リリアーヌは何も言えなくなった。
ただ皆に合わせるように、少し眉尻を下げた笑みを浮かべることしか――できなかった。