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エスクード王国物語  作者: 葵大和
第二幕 ヴェール皇国編
30/56

28話 「戦場の悪夢」

 ユーリが目に映るルシウル兵の全てを撃滅した頃、急にデルサス南門の向こう側の森がざわめいた。

 ジュラール森林のざわめき。

 ――否。

 それは人の気配のざわめきだった。声と、地を鳴らす足音の合唱。


「――本軍か」


 ユーリは剣についた血油を近場の死体の服でふき取りながら、ジュラール森林の方を向いて呟いていた。

 培ってきた知識が状況の答えを導き出す。

 と、ユーリの後方からも同じようなざわめきが聞こえて、ユーリは振り向いた。


 広い中央通りの向こうから、大勢のヴェール兵が駆けてきていた。


 その先頭にはイシュメルとアガサ、それにリリアーヌ。

 そして皆に守られるようにして馬に乗るエンピオネの姿があった。

 着込んだ薄手の鎧にはヴェール皇国の紋章――緑炎に燃ゆる不死鳥の肖像――が刻まれており、その決意の込められた表情も相まって、勇ましく映った。


「ユーリ、無事だったんだね。――よかった」

「当然だ。お前は俺が死んだと思ってここまで駆けて来たのか?」

「そうじゃない。そうじゃないさ。ただいつだって僕は君を心配せずにはいられないのさ」

 

 イシュメルは心底ホっとしたように馬上で息を吐いていた。


「おそらくすぐに本軍が攻め入ってくるだろう。ジュラール森林の奥が騒がしい。――エンピ姉、早々に兵を配置させるんだ」


 イシュメルの言葉に答えつつ、ユーリがその後ろのエンピオネに指示する。


「分かった。他に指示はあるか?」

「今のところはない。ただ臨戦態勢だけは解くなよ。適度な緊張だけは常に敷かせろ」


 エンピオネとユーリの戦場における経験差は大きい。

 エンピオネはその自負をもとに、ユーリの指示におとなしく従っていた。


 ヴェール兵たちが忙しなく動き始めると、ようやくユーリはアガサとリリアーヌに視線を移す。


「アガサ、リリィ、無事だったか」

「『当然だ』。あたしとフィオレがいるかぎりリリアーヌには指一本触れさせない」

「ユーリこそ、大丈夫だった?」


 アガサは力強く答え、リリアーヌはユーリを気遣った。

 同時に、その受け答えの間に二人の『違い』が浮き彫りになっていた。

 強がってはいるものの、ユーリの周りに広がる光景はアガサには刺激が強すぎた。ルシウル兵の死体と、石床を彩る赤黒い血だまり。

 ユーリの顔に付着した返り血。

 アガサはそれを見た瞬間に眉を顰め、口元をきゅっと閉めきった。


 だが、リリアーヌは全くと言っていいほど動じなかった。


「……」


 凄惨な光景を意に反さないリリアーヌの態度が、ユーリには気がかりだった。

 彼女が踏み込んでしまった領域を知りつつも、やはり彼女のその態度はユーリに罪悪感を募らせる。


「フィオレも――頼むぞ」


 ユーリはその内心の危惧を悟られないように、すぐにアガサとリリアーヌの乗る『黒馬』に話しかけた。

 フィオレは当初ユーリに対して異常な怯えを見せていたが、意外にも今度はユーリの労いに鼻息を荒くしていた。


「喜んでいるよ」


 アガサがフィオレの言葉を代弁する。

 そして最後に、ユーリはイシュメルの方を向いた。


「――『大丈夫か?』」

「うん、僕は大丈夫。――『大丈夫だよ』、ユーリ」

「そうか。……だけど一つだけ言っておこう」

「なんだい?」


 イシュメルが儚げな微笑を浮かべ、ユーリに問うた。

 ユーリは少しの間だけ口を噤んでいたが、ついに言葉を放つ。


「いざという時は何も考えるなよ。思ったままに動け。その後の重荷は――俺も背負うから。だから死ぬなよ。お前に死んでもらっちゃ俺も困るんだ」

「はは、ユーリらしいちょっと捻くれた言葉をありがとう。――心に留めておくよ。……うん、ありがとう」


 イシュメルは微笑を浮かべたまま頷いた。

 ユーリもそれに答えるように同じような微笑を浮かべ、イシュメルの肩を軽く叩いた。


 するとその頃になって、不意に後方の森のざわめきが大きくなる。

 ヴェール兵たちの陣形もちょうど整い、来ないならこちらから、と思っていたところで森の方から動きが起こった。


 ルシウル軍の全貌が姿を現した。


 思いもよらぬ物量。

 人、人、人。


 それを見たユーリが苦笑する。


「よくもまぁこれだけの人数を森に潜ませることが出来たもんだ」


 と、ユーリの隣に馬に乗ったまま歩み寄ってきたエンピオネが応えて紡いだ。


「これに気付けなかったのはわらわの不覚じゃな」

「または向こうの策士が優秀だったか、だ。成ってしまったことを悔やみすぎるなよ。反省こそすれど」

「分かっておる。ともかく――今は迎え撃つまでじゃ……!」


 エンピオネの張り上げた声にヴェール兵が反応する。

 エンピオネが引き連れてきた人数もかなりのもので、両軍の兵士を合わせると市街地戦にしてはかなりのものだった。


 そして両軍が前への大きな一歩を踏む。

 

 横にずらりと整った陣形が前進する。

 そこからは瞬く間だ。

 互いの全身が互いの戦気を刺激し――行った。弾けた。

 火花が散った。


 ジュラール森林から続々と現れてきたルシウル軍と、市街地に陣形をとったヴェール軍が、正面から激突した。


◆◆◆


 ユーリ達は一旦エンピオネと同様に後方に下がり、戦況を見つめる。

 森の中からはどんどんとルシウル兵が姿を現し、留まることを知らぬように見えた。

 そして十数秒で激突する両軍。

 上がる悲鳴、罵声、叫び声。


 戦の戦慄が、旋律を奏で始める。


「何も出来ぬ……か」

「見守れ。そして決断するんだ。いつ進むか、いつ退くか。兵達はエンピ姉の指示をいつでも待っているんだ」

「――そうじゃな」


 こうして両軍が真正面から激突すれば、どうあっても死者は出るだろう。否応なくして。

 それが戦だ。

 エンピオネは悲痛な思いを押し殺して、瞬きせずに戦況を見つめた。


◆◆◆


 幾分かして、森の中から一際守りの強固な一団が姿を現すのをユーリたちは発見する。

 数十人の歩兵に守られるように出てくる騎兵の群。

 騎兵はルシウルの紋章旗を掲げて姿を現した。


「あいつ、たぶん軍師だ」


 ユーリがその騎兵の一軍の中心に凝視を向けていた。

 呟きが示すのは敵の首級の存在。

 そう呟いた直後、その騎兵群を囲んでいた歩兵が流麗な仕草で弓を構え、即時の動きで矢を射てきた。

 凄まじい速度で近づいてくる矢。

 その軌道は確実にエンピオネの体を狙っていた。

 ユーリの身体がその矢に反射的に弾かれる。

 あろうことか、ユーリはエンピオネの体に矢が突き刺さる前に、飛んできた弓矢を掴んでいた。


「ご挨拶だな。――エンピオネ、弓兵だ。高い位置に頭を置いておかない方がいい。馬からは降りておこう」

「分かった。――しかしわらわとて今ので逝くほどやわではないぞ。おぬしが止めなくともあれくらい避けておった」

「ああ、分かっているとも」


 ユーリが矢を膝で真っ二つに折りながら返す。

 当のエンピオネは激戦部を挟んで向こう側の騎兵群に敵意の視線をぶつけていた。

 ユーリとてこのままで済ます訳もなく、再び双剣を強く握る。


「俺も行くか」


 そして低い声で呟いた。

 だが、ユーリが一歩踏み出そうとした瞬間、眼の前の激戦部に大きな動きがあった。

 まだ大々的に開戦して幾分も経っていないのに、ルシウル兵が一気に『後退し始めた』のだ。

 不意の行動に固まるユーリの身体と思考。

 しかし、さらなる動きをルシウル兵が見せたことで、すぐにユーリの思考は再起動した。


 森の中から相当数の弓兵が列をなして姿を現していた。


 まだいたのかと悪態をつきたくなるほどの弓兵の数。

 ただでさえ前線のぶつかりが五分であったのに、予備兵力の姿を見せられると士気にも影響が出てくる。

 加えて、そのルシウルの前線兵たちが急に後退し始めた理由。


 ルシウル軍が狙ったのは――弓兵による一斉掃射。


 味方に矢が当たらないように、わざわざ激戦部から後退させた。

 ユーリはその答えに誰よりも早く行き着き、そして行き着いたと同時に叫んでいた。


「兵を退かせろッ!! 追わせるな!!」


 追ってもどうせ追いつけない。

 真っ先に全面衝突したことでヴェール兵の方も俄然『やる気』だ。

 やる気にさせておいて、即座に意表をついてきている。

 このギャップにヴェール兵の思考は間違いなくわずかの時間凍結した。

 そのわずかの時間が命取りになる。

 あらかじめ退くことを決めていたルシウル兵と、目の前の状況の原因が理解できずに迷いを呈したヴェール兵では、行軍速度に違いが出る。


「中途半端な距離を開かせるな!! 隊列がバラけるぞ!!」


 その中途半端な距離と空間。ルシウル軍の退却に沿って行く者にも判断速度の差がある。そのせいで前と後ろに隊列が崩れ、バラバラになって万遍なく面に広がってしまう。

 密集陣形で盾や鎧を重ねるのならまだしも、バラバラになった状態に弓矢の雨が降ってくれば――


 ――貫かれる。


 エンピオネもユーリの言葉で相手の真意に気付く。


 しかし、遅かった。


 ヴェール兵達はルシウル軍の後退の意味に気付いていない。

 むしろ一部は早々の敗退と誤認して追走を始めていた。


 そこに実戦経験が薄いがゆえの『脆さ』が現れていた。


 格好の的だ。

 エンピオネを守る壁としての役割さえ、半ば放棄している状態。

 ユーリが打開策を練ろうとした時には――


 空に無数の矢が放たれていた。


◆◆◆


 弦が震える音が重なり、耳を穿つ。

 光景が悪夢を映す。

 ユーリはそれを見た瞬間、再び叫びをあげていた。


「――イシュメェェェル!!」


 名を呼ぶ。

 自分のわずかばかり後ろで待機していた友の名を。

 名を呼ばれたイシュメルの行動は早かった。

 まるでユーリの喚起を予期していたかのような反応の良さで、一歩躍り出てていた。

 そしてエルフの口が――呪文を紡ぐ。


「水流よ! その身を以て我が身を守れ!」


 イシュメルが両手を広げる。

 直後。矢がユーリたちの場所にまで到達するより先に、眼前に巨大な『水の壁』が建ちあがっていた。

 そして――


「伏せてろ!!」


 ユーリが自分の後ろにいる者たちに告げると同時、矢が降りそそぐ。

 その半透明の水の壁は、ことごとく矢を受け止めていった。

 だが、かえってその魔術の防壁が半透明であったことが、壁の向こうで起きている『惨状』を如実に映してしまっていた。


 降り注ぐ矢に無防備な状態で放置されるヴェール兵たち。


 アガサが目をそむけ、リリアーヌが俯き、エンピオネが取り乱すには十分な悪夢の光景だった。


◆◆◆


「おい! わらわをここから出せ! イシュメル!!」


 エンピオネが壁の内側で絶叫をあげていた。

 イシュメルが生み出した水の壁から飛び出そうとするエンピオネを、近衛兵たちが押さえている。


 不本意ながら、相手方の軍師の策はあまりにも効果的だった。


 相当数の矢が降りそそぎ切り、イシュメルの作り出した水の壁が消え去ったあと、眼前に広がったのは凄惨な光景だった。


「――やられた」


 ユーリが呟いた。

 その目には無残なヴェール兵たちの姿が映っていた。


 数本の矢によって殺された者。

 なまじ中途半端に矢が突き刺さり、息も絶え絶えな者。

 運よく矢には当たらなかったが、仲間達の惨状に放心したように立ちすくむ者。


「なんじゃ、なんなのじゃこれは――っ、ああああああ!!」


 馬から降りていたエンピオネは地面に跪いた。

 しかし現実は非情だった。喚く女皇に慈悲は与えられない。

 一旦退いていたルシウルの前線兵が、再度反転して猛烈な勢いで攻め入ってくる。

 先ほどまでは互角だった物量差も、今となってはあまりにヴェールに劣勢だった。


 そんな中、跪いているエンピオネの傍らにイシュメルが近づく。


「エンピオネ様、まだ戦は終わっていません。それまで僕が守りますから、どうか気丈でいてください」

「わかっておる……わかって……おる……つもりだ!」


 それにつられてアガサとリリアーヌもフィオレから降りようとしたが、それをユーリが止めた。


「降りるな」

「で、でも」

「いいか、絶対に降りるんじゃない。自分達の身を守ることだけを考えろ」


 ユーリだけ、王剣と黒剣を構えて臨戦態勢を取っていた。


「エンピ姉――気丈でいるんだ。君臨者がそれでは兵も勢いが出ない。ほら、指示を出して」


 ユーリの言いようは残酷であったかもしれない。

 ただ、そうしなければならないのは確かだった。

 それが分かっていたからこそ、イシュメルも黙ってユーリの言葉を聞き、咎めなかった。


「――俺は行くよ」

「っ! ユーリ! 駄目だよ! いくら君でも危険だ!」


 だが、次のユーリの言葉にイシュメルは反論した。

 ユーリがあのルシウルの前線兵の波に突っ込むには、さすがに数の上で劣勢過ぎたからだ。イシュメルはそれを理解していたがゆえに、ユーリを行かせるわけにはいかないと思った。

 そんなイシュメルの制止を聞きながらも、ユーリも退かなかった。

 剣を数度取り回しながらイシュメルにまっすぐな視線を向け、言葉を紡ぐ。


「こうなっては行使できる術が少ない。だが打開策がないわけじゃない」

「――どうするつもりだい。あんな膨大量を相手に、打開策なんてものがあるのかい」

「俺が向こう方にいるであろうルシウルの軍師を消す。隊長格が消えれば相手も退かずには居られない」

「本当に退くのかい。これだけの戦力差が明確で、それを目の前にしたあのルシウル兵たちが、果たして隊長格が死んだくらいで退くと思うのかい」

「だからお前があのルシウル兵を押しのけろ」


 ユーリは平然として言った。


「エンピオネもヴェール兵を持ちこたえさせろ。ハッタリでいい、今からで互角に『見せかけろ』」

「また難解なことを……!」


 イシュメルはこちらに向かってくるルシウル兵を見ながら、話している時間があまりないことを知る。しかしユーリの言葉に反応せずにはいられない。


「互角であれば話は別だ。互角であった時、ルシウル軍は軍師の死を重く受け止める。今の策を見ても分かるだろう。向こうの軍師は優秀だ。『だからこそ』軍師が死んだ時にルシウル軍は撤退に意識が傾く。――経験則だ、信じろ」


 ユーリは力強く言い、今にも前への疾走を始めそうだった。


「信じる。ああ、信じるさ。でも言わせてくれ。その軍師――将軍かもしれない――が君よりも強かったら?」


 いまさら否定的な言葉を吐いてもユーリの士気を下げるだけかもしれない。イシュメルとてそれは分かっていた。

 他に策が思いつくわけでもない。

 しかしイシュメルはユーリの友として、どうしてもそのことだけは言っておかなければならないと思っていた。

 そしてイシュメルは、ユーリが『その時は逃げるよ』と言葉を紡いでくれること――祈っていた。

 横にエンピオネがいながら、しかしそれでも祈っていた。


 イシュメルにとっては――ヴェール皇国よりもユーリの命の方が重かったのだ。


「――なんとかする。たとえそうであったとしても、手傷を負わせて退却へ判断を傾けさせるくらいはしてみせる」


 だがイシュメルが望んだ答えは返ってこなかった。

 イシュメルもそれを予想していたし、実際にそうであったことに落胆は抱かなかった。

 だからイシュメルは代わりに決意を胸に立てる。


「……『分かった』。なら僕が戦線を持たせよう」

「頼んだ。――悪いな、イシュメル」


 そしてユーリの身体は前に弾けた。

 その後姿を見て、イシュメルもまた意気を強めた。



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