22話 「急変」
計画実行一日前。
ユーリはリングスに改めて用意された一室で、静かに時を待っていた。
リングスに取り入った今は、リングス派の一員という肩書を背負っていたので、安易にエンピオネと接触することは出来ない。
動いても危険因子を増やすだけだ。
ユーリは自室で入念に計画の内容と、自分の役割を思い返していた。
やれることはやったが、正直、体に馴染み過ぎた戦闘技術をたったの数日で『騙し』きれたとは思わない。
されど理性を持って、意識して戦闘に臨めば御することは可能だろうという自身も相応にある。
後は――
ユーリが深呼吸をしていたその時、部屋の扉がノックされた。
ノックの後に今や少しも聞きなれた声が耳に入り、ユーリは立ち上がって扉を開けた。
「居心地はどうだ」
「まぁまぁだな、リングス」
「悪くないのなら十分だろう?」
ユーリを訊ねてきたのはリングス・ヴェールその人だった。
リングスは黒髪を掻き上げながらユーリの部屋に入ってくる。
ユーリは相槌を打ちつつ、リングスと同じように部屋の椅子に座りこんだ。
「それで、暗殺計画の実行は本当に明日でいいのか? 私はその類に関してあまり達者ではないが、それでもエンピオネの武力が強大である事は分かっているつもりだ。訓練等は必要ないのか?」
「構わない。おそらく俺の実力はエンピオネと同等か、それ以上だ。暗殺という不意を使えばその実力差が開くことはあっても、縮むことはない」
「そうか。ならばその自信を信じるとしよう。――どちらにしろ会談の約束は取り付けてきてしまった。あとはやるしかない」
「なるようになるさ」
ユーリはわざとらしく肩を竦めて見せた。
余裕の表情を作って、リングスの信用を深めておく。
「フフ、明日だ。明日エンピオネが死ねば、私が皇座に就く。先代ヴェール皇帝にエンピオネ以外の子がいなくて実に良かった。失策だったな、先代皇帝よ。貴公はたとえ脅されていてもルシウルからの申し出を受けるべきではなかったのだ」
「面白そうなことを言うじゃないか、リングス。俺はヴェール周辺の情勢に詳しくないんだが、今の言葉の意味を聞いてもいいか?」
「たいしたことではない。ヴェール皇帝が私とエンピオネとの婚儀を認めたのは、ルシウルに軍事力をぶつけると脅されていたからだ。最初はヴェール皇帝も断っていたのだぞ」
「へえ」
ユーリはそれをエンピオネから聞いて知っていたが、ここでは知らぬふりをした。
「ってことは、今のこの現状は計画的だったってことか」
「そうだ。ヴェールをルシウルの手中に収めるために、私が派遣されたのだ。政略のためにな。――まあ、ついでに絶世の美女と婚姻が出来るとなれば、少しも男として嬉々とするところはあるだろう?」
「――そうだな」
やや下卑た笑みがリングスの顔に載って、ユーリは目を逸らした。
「私が明日明後日にも皇座に就くことになるとは、皇国民の誰もが知らぬ事だろうな。公にする時が楽しみだ」
「すぐに公にするのか?」
「まさか。そんな馬鹿なことをするか。仮に皇国民の支持がエンピオネに傾いていたらどうする。しばらくは公にせずに内政に努める。そののち、民草ごとくでは反抗もできぬくらい地盤を固めたら、そのあとで公にしてやるさ。それまでエンピオネは言葉の上でのみ生きていてもらおう」
ユーリはリングスが『そんな馬鹿なことをする男』であることを期待したが、リングスもその点には自覚が及ぶ程度には賢いようだった。
「それが妥当なところか」
ユーリは鼻で笑いながらそう言った。
「とはいえ、私がヴェール皇帝となれば皇国民にとっても利益がある。私が皇帝になった暁にはルシウル王国とのより高い相互利益を生み出すことが出来るからな」
「相互利益ね。一応ヴェールを存続させるつもりはあるのだな」
「ああ。ただし、ルシウル色に染まってもらうがな。可能な限り早く、染まってもらうとしよう」
ユーリは内心で『そうはさせないけどな』と一人ごちて、続くリングスの言葉に耳を傾けた。
リングスの口は開いていて、まだ何かを喋ろうとしているようだった。
そしてユーリが内心に不穏を得たのは、リングスはそうして次に口から吐いた言葉を聞いた時だった。
「実はすでに『父上』に計画の事を知らせてある。暗殺の後、早々にルシウルからの内政官を引き入れて、ヴェールをルシウルの色に染めるためだ。ついでに、もし仮に今回の暗殺が成就しなかった場合にも、ルシウルの軍事力でもって別の作戦を実行できるようにな」
リングスの言葉がユーリの脳裏に反芻された。
そして思った。
率直に――
まずい、と。
リングスの言う『父上』とは、つまるところルシウルの現王のことだろう。
加えて、軍事力という単語。
暗殺が失敗した場合を想定した二重の策。
――まさか。
ユーリは内心の揺れの中で一つの結論を導いた。
『ルシウル側は、今回の暗殺が失敗しても最終的に軍事力をぶつけてヴェールを奪おうとしている』。
――暗殺は事前策か……!
暗殺でエンピオネが落とせればそれでよし。
もし落とせなくても、頃合いだから平和ボケしたヴェールに軍隊をぶつけて奪い取ってしまおう。
リングスの言葉から推測するに、その可能性はある。
ユーリは内心の揺れを悟られないように注意しながら、場を持たせるために相槌を打った。
「なんだ、そんな大層な策を用意していたのか」
「まあ、さすがに一手のみで次善策を用意しないのも愚かしいしな。ヴェール如きに、とも思うが、あえて自惚れてやる意味もあるまい」
「――そうだな」
ユーリは腕を組んで椅子を傾け、リングスと他愛のない会話をこなしながら思考を回す。
――どうする。
ルシウル王は思ったよりも過激な策を使うつもりだ。
暗殺がうまくいこうといくまいと、ルシウル王は軍事力を送ってくる。
暗殺がうまくいった場合は息子リングスがヴェール皇帝となった瞬間に大々的に軍事力を送り込んでくる算段だろう。
リングスが公に皇座についたことを皇国民に告げ、もしその時皇国民たちの反発にあっても、その時点でルシウルの兵がヴェールに踏み込んでしまえば――皇国民はリングスに反発することは出来なくなる。
反意を表に出す前に、ルシウルの兵とリングスの犬となりし新たなヴェールの兵に取り押さえられてしまう。
暴力だ。
力で抑えるつもりなのだ。
そうなればイシュメルの計画に支障をきたす。
民の反意、総意を使っての計画。
その民が活性化する前にルシウルからの敵勢軍隊に押さえつけられてしまうと、うまくリングスを民意で皇座から蹴り落とせなくなるかもしれない。
ルシウルからの『軍隊』が、あとどれくらいでこのデルサスに到着するのか。
時間がなくなってきた。
もし間に合わなかったらその時は――
「なあ、リングス。そのルシウルからの軍隊はいつ来るんだ?」
何も飾らず、率直に聞く。特に不自然さはないはずだ。初めて聞かされた次善策に興味を示すのは自然だろう。
ユーリはそう信じて言葉を紡いだ。
対するリングスは何の勘ぐりもせずに、一度深呼吸してから答え始める。
「父上の話ではデルサスまで五日ほど掛かるらしいのだが――出立したのが四日前だから明日辺りだろう」
「早いな」
「お前の暗殺計画に合わせたのだ。お前からしたら信用されていないようでやや頭にくるかもしれんがな」
「いや、国を盗ろうというんだからそれくらいして当然だろう」
ユーリは苦笑を浮かべてリングスに返す。
わざとらしく、リングスにいらぬ警戒心を抱かせぬように。
「分かってくれるか。――そうだな、お前の実力は確かであるし、もし失敗しても私がルシウル軍に仕官できるよう口添えしてやろう。だから変に緊張しなくていい。やりたいようにやれ」
「ありがたいね。部下思いの皇帝様に仕えられて俺は幸せだ」
「はは、まだ正式には皇帝ではないがな。まあ、明日明後日には私が皇座につくだろうが」
――もうヴェールを盗った気か、リングス。
ユーリはまた内心に浮かべた。
「だが仮にお前がしくじった場合は『戦争』になるであろうから、その覚悟は今のうちにしておけ」
「――分かったよ」
リングスの何気ない言葉を聞いた時、ユーリは一つの決意を胸に抱いた。
◆◆◆
――ダメだ、計画は中止しなければ。
◆◆◆
戦争。
ルシウル王は戦争を前提に事を進めている。
今回の偽暗殺計画には、エンピオネを傷つける算段が差し挟まれている。
それがまずい。
もし本当にルシウルの軍隊がヴェールに侵攻しているのなら、エンピオネを絶対に負傷させてはいけない。
たとえ傷がイシュメルの魔術によって治せるとはいっても、相当に傷を負わせることに違いはない。
傷が治っても体力が回復しない可能性がある。
そうなった時、エンピオネはルシウルとの戦に耐えられるだろうか。
――否、否だ。
ただでさえ戦争慣れしていないエンピオネは、万全を期さねばならない。
――計画は中止だ。
たとえここでリングスを殺してもルシウル王の策は止まらないだろう。
むしろリングスが『お払い箱』である可能性すらある。
なぜならヴェールとの真っ向勝負になった時、リングスはいてもいなくても変わらないからだ。
これはもう止まらない。
ルシウルの侵攻は、すでに止められないところにまで来てしまっている。
◆◆◆
その後、リングスはユーリの部屋を出て行った。
明日の暗殺計画本番に向けての打ち合わせをしたあとで、解散となった。
ユーリは一人部屋に残り、リングスの言葉を反芻する。
どういう風にしてこのことをエンピオネに伝えるべきか。
今ここで外に出るのはさすがに怪しい。
足がエンピオネの部屋に向かえば、もはや言い逃れはできないレベルで怪しい。
ユーリは結局、部屋に籠りながら足を待った。
――本番で、どうにか伝えるしかない。