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エスクード王国物語  作者: 葵大和
第二幕 ヴェール皇国編
22/56

20話 「麗女の強がり」

 次の日。

 ユーリが皇室でエンピオネと雑談していると、突然扉が開いてカージュが姿を現した。


「お客様ですよ、お二方」


 カージュがそんな言葉を放つ。

 直後、カージュの背の方からちょこんと姿を現したのは、ユーリが見慣れた少女だった。


「ユーリっ!元気にしてた?」

「リリィ……なんでここに来てるんだ……」

「来て早々にそれっ? 来ちゃだめなの!?」


 〈リリアーヌ〉。彼女だった。

 ユーリは最初に目を丸め、次にうんざりしたような、げんなりしたような、そんな表情を浮かべて言葉を返した。

 リリアーヌの抗議の声が響いてからは、狼狽えた表情に変わる。


「だめってわけじゃないが……」


 すると、さらにリリアーヌの後ろからイシュメルとアガサが姿を現した。

 イシュメルは苦笑しながらリリアーヌの頭を撫で、アガサは「やれやれ」と額を手で押さえている。


「ユーリ、あまり酷い事をいってはいけないよ」

「まったく、色男の風上にも置けない奴だね」

「いや、色男の風上に立とうと思った事はないんだが」

「ばっ、馬鹿! 今のはそういう意味じゃなくてだな! つまり……なんだ……! そ、そういうことだ!」

「色男じゃなくて男の風上にも、って言えばうまく皮肉れたのにね。ユーリは皮肉を揚げ足取りで逃げる天才だから」

「う、うるさいぞイシュメル!」


 ユーリの言い返しに、見ている方が恥ずかしくなるほどうろたえるアガサ。イシュメルがそれを宥めようとすると、かえってアガサの赤面は濃くなった。

 そんなアガサの背をさすりながら、イシュメルがエンピオネの方に向き直って頭を垂れる。


「四日ぶりです、エンピオネ様。うちのユーリに粗相はございませんでしたか?」

「ハハ――言ったらきりがないぞ?」


 エンピオネがわざとらしく両手をあげて呆れ顔をして見せると、


「ユーリっ! 迷惑かけちゃ駄目でしょ!」


 即座にリリアーヌがユーリに近寄ってその頭を叩いた。

 細長いリリアーヌ指がユーリの銀髪にするりと絡まる。


「だから嫌だったんだ……」


 対してしょんぼりとしてリリアーヌの頭打を受けるユーリは、またげんなりとして言葉を紡いだ。


◆◆◆


 そんな軽いやり取りがあって、ちょうどそれが終わった頃にカージュが外から椅子を三つほど持ってくる。

 それに座りながら、リリアーヌとアガサもエンピオネに挨拶をした。


「こんにちは、エンピオネ様。私はリリアーヌって言います!」

「ほう、おぬしが噂に聞いていたお転婆娘じゃな」


 リリアーヌが一瞬のうちにユーリに鋭い非難の視線を送るが、ユーリはわざとらしく素知らぬ顔をしていた。


「ユーリ、晩御飯シャムの実だけの刑ね」

「ごめんなさい」


 リリアーヌがユーリに会心の一撃を加えにいったところで、今度はアガサがエンピオネの前で膝をつく。


「お、お初にお目に掛かります。南国で馬売りをしていたアガサ・ユークリッドと申します。私めのような下賤な者が――」

「よいよい、気にするでない。わらわは堅苦しいのが苦手でな。頭をあげてくれ、アガサ」


 エンピオネはアガサの肩を叩き、その身を立たせた。

 女にしては背の高いエンピオネよりも、さらに少し背の高いアガサの褐色の身体がすくりと立ちあがる。


「美しい身体をしているな。端正な、実に整った素晴らしい肉体だ。きっと武術などを嗜めばすぐにものにできるじゃろう」

「い、いえ、そんな――」

「それと、馬売りと言ったか。わらわも幼いころ城を抜け出して毎日のように馬に乗っていたことがある。おぬしのような美しい女性に世話されるのなら、馬たちもさぞ喜んでいるだろう」

「あ、ありがたいお言葉です」

「なんでそんなに顔を赤くさせてるの? アガサ」


 そこへイシュメルが不思議そうな顔で口を挟んだ。


「あたしはあんたらみたいな地位の高い生まれじゃないんだよ! ただの平民だ! 普通はこうなるんだよ! ――女皇様ってのにもちょっと憧れるし……エンピオネ様があんまり綺麗だったから……」

「……フフッ、憧れてたんだ? いや、憧れてるんだ?」


 イシュメルがにやにや笑いをしてとどめを差したところで、同時にイシュメルの脳天に拳骨が落ちた。


「痛いっ! 痛いよアガサっ!」

「神経を逆撫でするお前が悪いっ!」


 エンピオネはユーリの髪をぐしゃぐしゃとかき乱しているリリアーヌや、口喧嘩を始めたイシュメルとアガサと見て、どっと笑い出した。


「ハッハッハ! ユーリの連れは面白いのう!」


 カージュもつられて控えめに笑っていた。


◆◆◆


「で、何をしにきたんだ? リングスに見られたらいらぬ思慮を抱かせるぞ」

「何って、リリアーヌやアガサが収集してきた情報を伝えに来たんだよ。忘れたの?」

「ああ――なるほど」


 イシュメルの言葉にユーリは思い出したようにホっと息を吐いた。


「それで、どうだった?」

「うん――結果から述べると、皇都デルサスの民は八割方エンピオネ様を支持しているようだ。残りの二割は国政に興味がないとか、他国からの行商、移住者だったりとか、そこらへんの関係もある。だから母数をしっかり計算した上で計れば、もっと大きな数字が出るだろう。支持率に関しては圧勝さ」


 その言葉を聞いたエンピオネは安心したように椅子を傾けて、天井を見上げながら笑みを浮かべていた。


「恥ずかしながら――安心するものじゃな。ちゃんとわらわは民に見てもらえていたか……」

「当然です、あの豚と比べてエンピオネ様が劣るなど、どんなに目が節穴でも言わないでしょう。それくらい差があるのです」


 カージュが自慢げな表情で付け加えた。


「はは、お前の言はやや飛躍しすぎだ、カージュ。民は民で正直だし、そして時に辛辣だ。失敗すれば民は正直に否というだろう」

「ですが、今それを言わないということはエンピオネ様が正しい道を歩んでいるという証明でもありますよ」

「――そうだな。その点はありがたく賛同しておくとしよう」


 エンピオネは笑いながら、手を振ってカージュとの会話を一旦切った。

 その会話の切れ目を狙って口を挟んだのはユーリだ。


「となれば、計画の成功率はかなり高くなるな。これは良い情報だ」

「でしょ? 私も結構頑張ったんだから」

「ああ、認めるよ。――助かった、リリィ」


 リリアーヌがわざとらしく痩躯を折って、ユーリの方に頭頂を向けた。

 まるで『撫でて』と言わんばかりの仕草に、ユーリは苦笑してからその頭に手を伸ばす。


「ふふっ」


 リリアーヌはユーリに頭を撫でられて、嬉しそうに笑みをこぼしていた。


「――さて、あとは計画を実行に移すだけだな。民を味方に出来れば、リングスを殺さずに皇位から遠ざけることが出来る」

「問題はリングスが少しの間でも皇位についてしまう可能性があるってことだね。向こうの動きが早ければ、そうなる可能性もある」

「ああ」


 ユーリがリリアーヌの頭から手を離し、真面目な表情でイシュメルの言葉に頷いた。


「その間にやられると一番厄介なのは――『外交』だな。内政ならまだしも、外交の場合はエンピ姉が皇位に返り咲いた時に足かせになってしまうかもしれない」


 ユーリの神妙な声が部屋に響いた。

 しかし、その声にすぐさま答える声があった。


「そこはわらわがなんとかしよう」


 エンピオネの声だ。

 対してユーリは問い返す。


「策は?」

「ない!」


 エンピオネが「ふふん」と自慢げに鼻を鳴らし、胸を張って言い放ったと同時に、ユーリとイシュメル、そしてカージュのため息がその場で交錯した。


「これ大丈夫なんだろうか……」

「ユーリからその言葉が漏れるってのがまたなんとも……」

「……」


 ため息は深くなった。


◆◆◆


 早々に諸処の問題に関して何か策が思いつくわけではなかったので、一旦その場は解散となった。


 皇城で見慣れないリリアーヌたちが長居するのも危険だったので、ある程度の情報を交わしたあと、ユーリ以外の三人は城を出ていった。


 当のユーリもそろそろリングスと関わり合いを持っておきたかったので、リングスに取り入るべく単独行動を開始する。


「じゃ、俺は行くよ」

「うむ、気をつけてのう」


 カージュは三人を城の裏口に案内しにいったので、部屋にはユーリとエンピオネの二人きりだった。

 そんな中でユーリも退室するべく、席を立つ。

 扉にまで歩いて行く途中、ユーリはふとエンピオネの方を振り向いた。

 そうして、これまでやたら明るく強気だったエンピオネの顔に暗い表情が映っていることに気付いた。

 

 ――少し、気がかりだな。


 ユーリは内心にそんな言葉を浮かべつつも、一旦は部屋の出口を跨ぐ。

 しかし、やっぱりエンピオネの表情が気になって、十歩ほど廊下を歩いたあとに引き返した。


 ――何か声くらいかけてやろう。


 そう思って、いつものようにノックをせずに扉をあける。

 部屋に入り直した。

 瞬間、


「あ――」

「ん?」


 ユーリが予想していた暗い表情のエンピオネは、そこにいなかった。

 代わりにいたのは、さっきまで身に纏っていたドレスを完全に『脱ぎ去った』エンピオネ。その姿態。

 彼女は裸の状態でユーリの方に背中を向けていた。


 ユーリの唖然とした声に気付いてエンピオネが軽く振り向く。

 ユーリの目にその動作が艶めかしく映った。


 透き通るような白い肌。

 細く長い四肢と腰。

 背中に垂れる長い髪。


 女の艶やかさをこれでもかと醸すエンピオネの後ろ姿は、優れた武人という肩書にはまったく似合わず、絶世の美女と讃えられるに相応しい美しさだった。


「ユーリ、いつまでそうしておる。後ろを向くか、『襲うか』、どっちかにするとよいぞ」


 ユーリはエンピオネのその言葉でふと我に返って、即座に後ろを向いた。視線を逸らす。


「ぬ……ふむ、後ろ姿にはちと自信があったのじゃが、ユーリの理性を吹き飛ばすには魅力が足りなかったようじゃの」


 笑いながらエンピオネが言った。


「今回ばかりはノックなしで俺が入って悪かった。だからできるだけ早く服を着てくれ」

「勝手に部屋に入ってきたのはおぬしじゃろうが。それにここはわらわの部屋じゃ。わらわがいつ服を着るのも自由じゃろ?」

「……はあ」


 エンピオネの悪戯気な声に、思わずユーリはため息を吐いた。額を手で押さえ、そのままで少しの間だけ固まる。

 その後ユーリは、エンピオネの方を見ないように注意しながら、部屋から出ようと歩を進めた。


「フフ、待て、ユーリ。逃げるのも許さん」


 しかし、そんなユーリの耳元でエンピオネの声が突然に鳴る。

 忍び足で寸前まで近づかれていたらしい。

 ユーリの心は嫌な高鳴りを起こした。


「おぬし、わらわの裸体を見よったな?」


 後ろからユーリの身体に腕が伸ばされた。

 白く、細長い女の腕。

 それが絡みつくようにユーリの腰に回された。


「見てない」

「嘘をつけ」

「ああ、背中しか見てない」

「本当か? ――『尻』も見たじゃろ? ぷりっぷりじゃったろ?」

「いやあ、まったく見えなかったんだなこれが」

「見たんじゃな? いや、見た。見たということに今した」


 「俺の意志まるで関係ないじゃねえか」ユーリが肩を落として言う。

 対するエンピオネはいまだに悪戯気な笑みを崩しておらず、ユーリに背中から裸のまま抱き着いている状態だった。

 しかし、ついにエンピオネが行動を起こす。


「見たから、おぬしも脱げ」


 エンピオネがユーリの服の襟元を掴み、無理やりに脱がせようとしたのだ。


「待て待て待て、やめた方がいいと思うぞ」

「なーに、仕方ないじゃろうて。女の裸体は高いのじゃ。――思ったよりリリアーヌが上手じゃったからな、今のうちに――」


 最後の方は小言で、ユーリにさえも聞こえないほどの声量で紡がれた。

 エンピオネはユーリの制止を押しきり、艶めかしい手つきでユーリの服を剥いでいく。

 ユーリの方もついに逃げられないと悟ったようで、抵抗する素振りは見せなかった。

 徐々に露わになるユーリの背中。


「フフ、少しは興奮するか? 女に服を剥がれるというのは」

「男に剥がれるよりはずっとな」

「なんとも喜びづらい形容をしよる」


 そうしてついに、ユーリの上半身の服が取り払われた。

 引き締まった肉体が露わになる。

 しかし、その直後、エンピオネの思考は唐突に止まった。


「あ……」


 ただ短く、唖然とした声が彼女の口から出た。

 エンピオネが一歩後ずさる。

 後ずさるしかなかった。


 その背中に刻まれた『無数の傷』を見て。


 裂傷、裂傷、裂傷。

 また裂傷。

 

 見たこともないような数の傷が、エンピオネの視界を穿った。


 ユーリがそんなエンピオネの様子に気づいてか、剥がれた床に落ちた自分の上着を拾って、それをエンピオネの身体に投げかけながら、振り向いた。

 振り向き、エンピオネの視界に今度はユーリの胸部と腹部が映る。


 その鍛え抜かれた胸部や腹部にも――傷が無数にあった。


 背部から腹部にかけて刻まれた傷もあれば、明らかに心臓付近を刺されたであろう傷まで。

 横腹には古い火傷痕のような物もあった。


「背中から腹部まで伸びている傷は寝込みを襲われた時のものだ。左胸の裂傷はリリィを庇った時の傷。横腹の火傷は魔術師と戦った時のもので、右肩の噛まれ痕は獣に襲われた時のもの。それと――」

「もうよい!」


 エンピオネは叫んでいた。

 言葉を並べたてるユーリの目が、徐々に虚ろになっていくのに気付いていた。

 そしてそれに耐えられなかった。

 エンピオネの叫びで我に返ったようにユーリは目を見開いた。


「――悪かった。少し意地悪だったよ」

「……いや……わらわの方こそ……すまぬ」


 エンピオネの申し訳なさそうな、それでいて泣き出しそうな顔を見て、ユーリは優しく微笑みかけながら彼女に近づいた。

 エンピオネは腰が抜けたようにその場に座り込んでいる。

 ユーリもしゃがみ込んで、自分の額をエンピオネの額に当てた。

 吐息が顔に当たる。


「非があるのは俺の方だ。気にしなくていい。それと――」


 ユーリは顔を少しエンピオネから離して、彼女の頭を優しく撫でた。

 何度か頭を撫でて、その手をエンピオネの頬に添える。


「大丈夫だ、計画は成功する。成功させる。不安に思う事なんか、何もない。――安心しろ、『エンピオネ』」

「……」


 エンピオネは為されるがまま、ユーリに体を預け、その胸に顔を埋める。

 ユーリは確かに、エンピオネの目から涙が零れたのを感じていた。

 堪えるような声が部屋に何度か響いて、その間ユーリはエンピオネを抱き寄せ続けた。


 わずかの時間が過ぎて。

 エンピオネの嗚咽が止まる。

 ユーリはエンピオネの頬に手を添えながら、再びその顔を自分の顔に合わせて、言葉を紡いだ。


「――よし、ならエンピ姉は気丈でいなきゃな。カージュに怒られるぞ」

「――うむ……うむ……わかっておるとも」


 エンピオネの顔に、少しだけ笑みが戻っていた。


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