18話 「策謀の始まりは静穏に」
「えっ! それで同盟が決まっちまったのか!?」
「まださ、エンピ姉を助けた瞬間に交換条件が成立するからな」
「王族ってのはこうどいつもこいつもおかしな奴らばっかなのかね。あたしの価値観の方が古臭いのか……?」
アガサの声が宿の一室で響いていた。なめらかで、それでいて芯の通った、心地の良い声だ。
アガサはユーリの話を聞いて即座に跳びあがっていた。
聞いた話が外交と名打つには余りに簡易なやり取りだったからだ。
急に立ち上がった為に倒れた宿の椅子を立て直しながら、アガサは悩ましげに眉間を押さえていた。
「それで、どうやって助けるの?」
次に響いたのはリリアーヌの柔らかな声だった。
リリアーヌはアガサほどではないにしろ、やはり驚いている様子だ。
「今それを考えているところだ。暗殺はダメだっていうしな」
「ユーリは短絡的過ぎる気がするよ……これからそういう政治的ないざこざにも巻き込まれるかもしれないから、ちゃんとなけなしの頭も使わなきゃだめだよ?」
「ここぞとばかりに攻勢に出てきやがった」
「えへへ」
リリアーヌがわざとらしく照れ笑いを浮かべる。
「ちなみに――兄様はどんな事を考えているの?」
リリアーヌの興味の矛先は兄に向けられた。
「そうだねぇ……内側からリングス派を崩さなければどうにもならないかな。たとえば皇国民を味方につけるとか」
「どんなふうに?」
リリアーヌが首を傾げて先を訊ねた。
イシュメルが微笑を浮かべてそれに答える。
「皇国民は今の皇城内の権力争いが佳境に差し掛かっているのを知らないだろうから、それを公にしてしまえば大きな戦力になるかもしれない。それはもちろん、皇国民がエンピオネ様側に賛同していることが前提だけどね。――でも、その方法は失敗した時の反動も大きい。仮に皇国民がリングス派に賛同してしまえば、エンピオネ派に勝ち目はなくなる」
「どうにも八方ふさがりだねぇ。この際ユーリの言うとおり手っ取り早く区切りをつけちまった方がいいかもな」
「アガサ、それはエンピオネ様が――あっ」
アガサが両手を宙に投げ出しながら言った言葉に、イシュメルが反応する。
「そうか――暗殺、暗殺がいいかもしれない!」
「ちょっと待てイシュメル。さっきまでお前は――」
ユーリが苦笑しながらイシュメルをたしなめようとした。
だが、それより先にイシュメルが早口でまくしたてる。
「違うよユーリ、暗殺するのはリングスじゃなくて『エンピオネ様の方を』さ!」
「……話がまったく見えてこないんだが?」
「説明する。いいかい、良く聞いて」
イシュメルは皆を近くに寄せて、小さな声で説明し始めた。
◆◆◆
「なるほど、成功すればそれは良い案だ。皇国民の反応も見れるし、もし皇国民がリングス派に偏っていても態勢を立て直す事が出来る。しかし確実性を上げておきたいな」
「ユーリ、私とアガサがヴェール国の皆に今のエンピオネ様をどう思っているか聞いてまわるよ。少しでも国の人たちがどういう意見を持っているか分かれば、判断の足しになるかもしれないでしょ?」
「そうだな、私にも手伝える事があるならなんなりと言ってくれ」
「じゃあ、そうしてもらおうかな」
ユーリはリリアーヌとアガサの言葉に頷いた。
「よし、なら僕たちはまたエンピオネ様のところへ行こう。この作戦の大役はたぶん君にしか出来ないから、打ち合わせが必要だ」
「わかった。善は急げと言うしな」
「決まりだね」
四人は片手を出して重ね合った。
「健闘を祈る」
ユーリとイシュメル、リリアーヌとアガサ、二人ひと組になって彼らは宿を出て行った。
時分は夜。
時間はあまり多くはなかった。
◆◆◆
ヴェール城、皇室。
「それにしても……エンピオネ様以外にも変わった王族っているものなのですね」
「カージュ、お前はまたぶたれたいのか?」
「いえ、少し興奮しているだけです。ユーリ様は変わっているお人ながら、確かに王としての資質を持っていらっしゃるように見えました。独特の威風とでも言いましょうか」
「まあ、そうかもしれんな」
ユーリたちが去ったあと、エンピオネとカージュは皇室で雑談を交わしていた。
「気になる点は他にもあったぞ」
「私にはそれ以外に特段に気になる点はないように思いましたが、何か思うところが?」
「うむ。――目について少しばかりな」
「目?」
「そうじゃ。わらわが剣を突きつけた時、ユーリも剣をわらわに突きつけたであろう?」
「はい、見事な早業でした。エンピオネ様の武力に拮抗するほどの力を持つ方を見るのは久方ぶりでしたよ」
「あの時の状況を思い返して、わからぬか?」
「はて、何が、でしょうか」
カージュは首を傾げた。
エンピオネの言わんとする事が分からない。
「わらわはあくまで『試す』ために剣を突きつけた。もちろん本気で刺すつもりなどなかった。だが、正直に言うと――あの時わらわは血の気が引いていた。ユーリの目には本物の殺意が通っているように見えたのじゃ」
「……」
カージュの身体に無意識で力がこもった。
「いや、それでもユーリは剣を突きださなかったから、理性もあったのじゃろう」
エンピオネがカージュを落ち着かせるように手を振って言葉を続ける。
「それでも、恐ろしかった。わらわをたったの一瞥でここまで震え上がらせたのはあやつが初めてじゃろうな」
エンピオネの自嘲気味の言葉に、カージュは驚いた。
エンピオネが戴冠するずっと前から彼女の側近をしていたカージュにとって、エンピオネがここまで弱気な発言をする事は驚嘆に値する出来事だった。
強気で、豪気で、物怖じしなかった彼女が――
「そこまで、ですか」
カージュの言葉のあと、エンピオネは机に突っ伏してしまった。
「悪戯に相手を試したわらわにも非はあるのじゃが……」
独りごとのように呟き続けるエンピオネに、カージュは言葉をかける事が出来なかった。
「剣を椅子の下に戻す時、手が震えた。察するに、ユーリはわらわたちとはまるで違う世界の住人なのじゃろう。忌まわしい『レザール戦争』を生き抜いたという証明が、あの目になされいた。そしてその目に詰まっていた哀しみの色が――わらわにとってはいつまで気がかりじゃ。……ユーリを癒す事は出来ぬのだろうかの」
◆◆◆
ユーリとイシュメルが一日も立たずして再び謁見を申し込んできたのは夜も更けた時間帯だった。
エンピオネとカージュは快く入城を許可したものの、何故こんなにも早く、と疑問も持っていた。
皇室に招かれて部屋に入ったユーリとイシュメルは、椅子に腰を下ろしてすぐに話しはじめた。
「イシュメルが策を思いついた。その打ち合わせに来たわけさ」
「ほう、もう閃いたのか」
エンピオネの言葉にうなずきつつ、ユーリはイシュメルの方を向いて話を促す。
イシュメルもそれに応えて口を開いた。
「少しばかりの準備が必要なので、失礼とは思いながら参上しました。僕が考えた案はそれなりに危険も伴うので、先に言っておきますね」
危険という言葉にカージュはぴくりと反応したが、エンピオネがカージュの言を遮る。
「よい、申してみよ」
「まず――」
深夜、四人は多くの言葉を交わしていった。
◆◆◆
結局、朝日が顔を出したころに話が纏まり、皆が眠気眼を擦りながら労いの言葉を投げ交わす。
「ふう、疲れたのう」
「エンピ姉は我慢弱いな、お疲れ」
「その言葉、聞き捨てならんぞ、ユーリ。まあ、今は眠気が強い、仕方ないからおいといてやろう。――それで、お主は計画に臨むに際して少しばかりの鍛錬が必要なのじゃな?」
「そうだな、慣れない事をするんだから練習は必要だろう。それにはエンピ姉の協力が必要だが」
「わかった、リングス派とのつながりも得なければならぬのじゃから――お主は今日よりわらわの部屋で過ごせ!」
「えっ」
「えっ!?」
奇天烈な物言いにユーリとカージュの時が止まった。
「エンピオネ様! さすがにそれはっ! 部屋を用意させますから!」
「えー」
「『えー』じゃありません! 一国の元首たる者が淫らな――」
「淫らな?」
「い、いえ、なんでもありません――ともかく! それは許可できませんよ!」
カージュの焦りようは凄まじく、ユーリとイシュメルは二人のやり取りを傍観することしかできなかった。
結局、ユーリは秘密裏に別室を用意してもらい、計画実行の日までそこで過ごす事になった。
「イシュメル、お前はリリィたちと合流するんだろう?」
「うん、そのつもりだよ」
「じゃぁリリィにこの事を上手く誤魔化しといてくれないか。エンピ姉のところに寝泊まりしてるなんて知れたら――あとが怖い」
「尻に敷かれてるねぇ、ユーリは」
「皮肉はいいから、頼んだぞ」
「はいはい」
そんな適当な返事を残して、イシュメルは部屋を出て行った。
ユーリはカージュに案内されて別室へと移動を開始する。
部屋に残されたエンピオネは、一人むっつりとした顔でつぶやいていた。
「むぅ、ユーリには他にも妃候補がおるのか……これはうかうかしてはいられんな」
冗談なのか本気なのか、それを判断する者はそこにはいなかった。
◆◆◆
数日後。
ユーリは見慣れた城内の通路を歩いていた。
壁にはいくつもの絵画が飾られており、皇城らしい華やかさを彩っている。
大陸中最も美しい国と謳われているヴェールの皇城に飾られているほどなのだから、著名な画家が描いたものなのだろうと、絵画に造詣のないユーリにもそれくらいの思いは抱かせた。
そんな取るに足らない考えを巡らせていると、向かい側からいくつかの足音が聞こえてくる。
一人は漆黒の髪の毛をオールバックにした男。
若い。
容姿は整っていて、仕草からはどことなく教養の深さが見て取れた。貴族らしい、優雅さがある。
隣の人物と雑談中らしく、気取った身振り手振りが少しユーリの目に映った。
声をかける事もなく、ユーリは二人の横を通り過ぎる。
すると、不意にその男から声が上がった。
「この絵は南国パランティーヌの著名な画家が描いたものだ。――ルシウル王国の風景画。ヴェールにも劣らぬ美しい国の風景だ。私は大陸の中で最も美しいのルシウル王国だと思うのだが……そこのお前はどう思う?」
ユーリは行動を起こさない。
その言葉が自分に向けられている確証がないからだ。
すると、今度は明らかな苛立ちを含んだ声色が通路に響いた。
「お前に聞いている、銀髪の」
「――悪いな、絵画には詳しくないんだ。ついでに言えば、ルシウル王国に大した造詣もない。俺にとっては取るに足らない、他国の話だ」
その場で銀髪を宿した者はユーリしかいなかった。声を発した男は黒髪であったし、その隣にいた男は金髪だ。
ユーリはようやく男の言葉が自分に投げかけられていることに確信を抱いて、今度は振り向いた。
「見かけぬ顔だな。どこかの国の貴族か。――ひとつ言っておく。この城で私に舐めた口を利くんじゃない。命が惜しければな」
「……」
ユーリに向けられた直接的な悪意。
わざとらしい高慢さと、わざとらしい威圧を含んだ言葉が、ユーリの耳を穿った。
ユーリは「やれやれ」と皮肉っぽく薄い笑みを浮かべて見せて、
「それは悪かった。『今日だけ』は覚えておこう。善処するさ」
そう返した。
「貴様ッ……」
「文句があるなら好きなだけ言えばいいさ」
男がユーリへの一歩を踏んだところで、隣にいた金髪の男がその袖を引っ張った。
「殿下、今ここで大事には――」
「――ち、興が殺がれた。もういい」
そんな制止の言葉を受けて、男は苦々しげに吐き捨てたあと踵を返す。
二人はそのまま通路を行った。
ユーリは男が視界から消え去ってから、口元に露骨な笑みを浮かべて、小さな声をあげる。
「――なるほどな」
そんな呟き声だった。
◆◆◆
ユーリは男との会合のあと、エンピオネの自室を目指した。
目的の扉の前にたどり着き、ノックもせずに扉を開ける。
「エンピ姉、〈リングス〉らしき男に会ったぞ」
エンピオネは椅子に座って書物を読みふけっている最中だった。
彼女は突然入ってきたユーリを見て、その美麗な顔に苦笑を浮かべ、軽いため息を吐く。
「ノックぐらいせんか、馬鹿者」
「俺とエンピ姉の仲じゃないか」
ユーリが仰々しくお辞儀をして述べる。
悪ふざけではあるにしろ、その動作は優雅で、超俗的な容姿と相まって美しく映った。
妖艶な微笑みを浮かべるユーリを叱咤しつつも、エンピオネがユーリを椅子に腰かけるよう促す。
「どうじゃった?」
「自慢げに壁に掛けられた絵について語られたよ。ルシウルの風景画って言ってたかな」
「ああ、それはリングスに間違いないな。あやつはいつもあの絵を自慢する。わらわたちの婚儀に際してルシウル側から送られたものじゃからな」
「そういうことか。――とりあえず、彼の印象には残る具合に会話をこなしてきた」
「おおよその見当はつくが、神経を逆撫でしてきたのではあるまいな」
「よくわかってるじゃないか。無難に褒められるよりも、頭にくる発言をしたやつの方が印象に残る」
エンピオネが「はあ」と大きなため息を漏らす。
「それで取り入ることが出来なかったら、どうするのじゃ」
「大丈夫だ。段取りはついてる。印象が問題なんじゃない。俺を使わざるをえない状況に持っていけばいいんだ」
「それとなくあくどいやり方じゃな。まあ、ある意味合理的か。――それで、今日も演習か?」
「そうだよ。まだ完璧じゃないからな」
「そうか、なら、さっそく始めるとするか」
エンピオネはユーリに椅子の剣を渡して立ち上がった。
「といっても、やはり気乗りはしないのう」
「ほら、文句言わない」
「むー」
その日も皇室から聞きなれない音がかすかに鳴っていた。