史書 『戦時下のエスクード王子について』
第三次レザール戦争出陣、マズール軍第一魔術師隊所属、マーク・ウェンハンスの手記、断章。
『レザール戦時下のエスクード王子について』
一部血痕により解読不可。
◆◆◆
開戦から一週間。
どうやら私は運がいいようだ。
今回の出陣にあたって叩き込まれたエスクード王子の特徴に見事に合致する子どもを、今日見つけた。銀髪紅眼――
間違いない、王子だ。
名は確かユーリ・ロード・エスクード。
だが、奇妙なことが一つだけある。
真紅の眼、確かに左眼は真紅なのだが、その子どもは――右眼が金色だった。
まあ、ほぼ聞いたとおりの容姿であるし、年の頃も同じだ。そもそもこんな戦場にいる時点で、あの子供が王子であることを証明しているといってもよいだろう。
ともかく、念には念をと言うことで、今日は尾行だけにしておいた。
焦るな。
ねぐらにしているのはエスクード王城からずいぶん離れた場所だ。
見るも無残なエスクード王都セリオンのはずれ。
倒壊した建物の下に空洞を作って寝ているらしい。
驚くべきことに、王子以外にも少女がいた。
グラン聖戦の経験が、少女がエルフであると私に叫んでいた。
どちらも仕留めれば昇進ものだ。
とりあえず明日、少し手を出してみることにしよう。
◆◆◆
ありえない。
かなり離れた位置から観察していたのに、勘付かれた。
激戦地から離れていて、人影がないとは言っても、距離が距離だ。なぜこの距離でこちらの気配に気づけたのか。
もはや人というより獣に近い感覚の鋭敏さだ。
――手を出すにはもう少し時間が必要らしい。
それと、気になった点が一つ。
私は魔術師だからこそ気になった点がある。
昨日よりも距離を縮めて王子を観察していたら、あることに気付いた。
あの金色の右眼から、視覚で捉えられるほどの濃密な魔力が噴出していた。
魔術的な視覚で見るまでもないほどの高濃度の魔力が、揺ら揺らと漂う炎のように噴出していたのだ。
眼と同様に金色に輝いていたあの魔力は、グラン聖戦の時に見たエルフよりもずっと多く見える。異常な量だ。魔の適性が人間より高いエルフ種と比べても、いっそエルフ種の方がちんけに見えるほどの魔力。
さらに、よくよく思えば、エスクード人には生まれつき魔の資質がないことにも気づいた。
あの子どもは本当にエスクード人なのだろうか。
多少疑惑が濃くなった。
いずれにせよ、こちらも存在を勘付かれた。
明日にはなにかしらの行動を起こさねば先手を取られるかもしれない。あの右眼については気がかりだが、進むべきだろう。
エルフの方だけでも仕留めれば、それだけで功績はあげられるのだ。
◆◆◆
なんだ、アレは。
――子ども?
違う、そんな弱弱しい存在じゃない。
肋骨のあたりがずきずきと痛む。おそらくどこかしらの骨が折れているのだろう。
治癒系の魔術について今ほど学んでおけばよかったと思ったことはない。
初撃。
様子見をかねて遠距離から魔術を行使しようとした。
気配は悟られていただろうが、正確な位置までは読まれないだろうと思い、魔術行使に踏み切った。
だが、早々に予想は裏切られた。
魔術行使のために呪文式詠唱を唱えた始めた瞬間だった。
瓦礫の上を器用に飛び跳ねてこちらに向かってくる人影が目に入った。王子だった。
なぜ居場所がバレたのかはわからない。しかし、王子は確かにこちらの居場所をつかんでいた。
私は詠唱を中断し、剣を抜き放った。見れば、あちらは丸腰だ。近距離戦でも圧倒的に有利と予想した。
だが、またしても予想は裏切られた。
あと十数歩の距離まで王子が近づいたとき、突然王子の左手から光があふれでて、次の瞬間には右手が左掌から剣を引き抜いていた。
それでも相手は子どもだ。まずもって体格差、筋力差がある。
まっすぐ突っ込んできたので、剣戟は合わせやすかった。
私が袈裟に斬りかかる。王子はそれを真っ向から受けるように、横一線に剣をなぎ払ってきた。
鍔迫り合いを確信した。
腕力なら負けるはずがない。
――それが油断だったのかもしれない。
王子は刃と刃がぶつかる瞬間、柄から手を離した。
そのあとで刃同士がぶつかるが、王子の剣は寸前で宙に浮いていた状態。もちろん私の剣が王子の剣を吹き飛ばした。
だが、鍔迫り合いを覚悟して剣をふるっていた私は、勢い余って態勢を崩してしまった。
そうして前屈みに私の身体が傾いたところで、王子の右拳が異常な速力と圧力をまとって、私の腹部に叩き込まれた。
なにかが折れるような音と、なにかが潰れるような血の気の引く音が腹部で鳴った。
子どもの拳ではなかった。
王子が『エスクード人』であることを失念していた。
それもエスクードの血族の頂点に君臨するあの『シャル・デルニエ・エスクード』の子息であるということを。
内臓を圧迫される嫌な感覚を感じながら、ようやく王子に対する認識を変えた。
苦し紛れに簡易な炎弾を無詠唱で数個飛ばしつつ、私は後退した。
至近距離からの複数炎弾。
一つぐらいは当たるかと思ったが、王子は全ての炎弾を片手で受け止めた。
防御系の魔術の発動はなかった。なぜ手が焼けないのかと思った。
もう一度、数個の炎弾を飛ばしたが、同じように片手で受け止められた。
そこでようやく、私は直感した。
防御の魔術などではない。
あの手を覆っているのはただの『魔力』なのだと。
あの右眼から常時漏れている魔力が、その手を覆っているのだと。
魔術の理屈が根底から覆された気分だ。私が学者ならさぞ大きな悲鳴をあげていたことだろう。
王子は魔力そのもので私の魔術を受け止めていた。
受け止める、というよりも、私が術式に込めた魔力を、さらに上回る魔力で握り潰し、かき消したという感じだろうか。
常識が通用しない。
私の眼前に現れたその膨大な魔力はどうあっても人間種が持ちうる魔力量ではなかった。
常時右眼から魔力を放出してなお、底を尽きない魔力量。
エルフでさえも持ちえないだろう。
まるで、生態系の頂点に君臨する竜種のそれだ。
――そうだ、なぜ今まで気付かなかったのだ。気付くのが遅すぎた。
竜種は一様に金色の眼をしている。
どういうわけか、その竜の片眼をあのエスクードの王子が持っていたのだ。そうとしか思えない。
なんてことだ。『アレ』は人間ではなかった。
撤退するべきだろうか。
――いや、いまは傷の痛みで弱気になっているだけだ。
そ戦闘経験は私の方が上だ。とにかく今は身体を休めて、明日に備えることにする。
◆◆◆
視線が恐ろしい。
アレの眼が、常にこちらを見ているような気がする。
理性を失ってはいけない。
落ちつくんだ。
◆◆◆
あれから二日。
昨日は筆をとる気になれなかったので、手記の日付を飛ばした。
一睡もしていない。
アレのねぐらからは十分に離れたはずなのだが、どうにもアレの視線の気配が消えない。
攻めるにも攻めきれない。はやく打開しなければ。
昨日は再度アレに近づいてみたが、一瞥されて足がすくんだ。
情けない。
どうにも、アレの眼は能力的に恐ろしいだけではないようだ。
目つき。血走った眼。
常に開いている瞳孔。
射殺されてしまう。
少なくとも、人の子がするような目つきではない。本当に、獣のようだ。
体力的にも明日が山場だろう。だから、今日は早めに筆をおく。
◆◆◆
視線が近づいてくる。
瓦礫の下に掘った穴倉から出れない。
早く、一刻も早くここから抜け出さなければ。
――誰か助けにきてくれ。
◆◆◆
マズール騎士団の角笛の音色が聞こえた。
終戦の合図だ。
戦は終わった。
ここを出よう。
◆◆◆
アレの視線がいまだに私を見ている気がする。
まだ穴倉から出れていない。
痛い。
助けて。
◆◆◆
瓦礫が軋んだ。
なにかが来る。
ダメだ、でれな――
◆◆◆
――以下、血痕により解読不可。