10話 「亡国再興への方策」
昼の内にマズール王城を抜け出した三人は、小走りに王城周辺から離れた。
向かうのは、ユーリとリリアーヌが一泊に使っていた安宿だ。
とにもかくにも話し合うべき事が山ほどあった。
走っている最中、ベルマールがマズール紋章が刻まれた硬貨バッヂを服から外して地面に捨てながら口を開いた。
「これからどうするのです、ユーリ」
ユーリはリリアーヌの手を取りながら彼女の歩幅を気にしつつ走っている。そうしながら、ベルマールの問いに思案気な表情で答えていた。
「今に見据える最たる目的は、エスクード王国の『国としての復活』だ。とりあえずはこの西方大陸にエスクード王国がいまだ存在していることを知らせたい」
でも、とユーリは続ける。
「今知らせたところで、エスクードは他国の干渉をはねのけるだけの『力』を持っていないから、戦争でも仕掛けられればボロボロになる。それこそ、二度と立ちあがれないように。今回のマズールの失策を諸国が知れば、二度目を必ず警戒するだろう」
「今回のこの策だって、当時はほとんど成功するとは思っていませんでしたからね。賭けに近かったのは確かです」
「天運が味方したと、そう思おう」
ユーリがうなずいた。
「ともあれ、マズールから領地を奪い返してもそれでは意味がない。まずは他国の干渉に対抗できるだけの『力』を手に入れなければならないかな――」
「訊きますが――どうやって?」
「近場の国へ直接この足で向かう」
ユーリからの返答は即時で、端的だったが、いまいちそれのみでは的を射なかった。
「向かって、それでどうするのです」
「――同盟を取り付ける」
「……ふむ。まあ、うまくいけばそれでいいしょう。――ですが、そうしている間にエスクードがその日ギリギリで生存していることを、諸国に悟られるかもしれませんよ?」
「ああ」
ユーリもその点は認識していた。
ベルマールが続ける。
「マズール王は今の突発的な出来事による精神的衰弱から復活すれば、当然なにかしらの選択をしてくるでしょう。その選択によっては、エスクードの生存が諸国に瞬く間に知らされるかもしれない」
「……そうだな。まあ、どっちかだろうとは思うよ。のちのちの体裁のために、すぐに軍を退かせるか――あくまでシラをきって黙ったまま群を留まらせるか」
「前者は免罪を求めるような動きですが、果たしてその程度で諸国からの非難を和らげられるかもひとつ疑問なところですね。バレてしまえばいまさら、というところでしょうし。後者は成功すればこのままエスクードを吸収してしまえるかもしれませんが――」
「失敗すれば免罪は絶対に不可だ。言い訳のしようがない」
「ですね。どうでしょう、マズール王はどちらを取るのか」
「ベルマールさんはどう思う?」
ユーリはベルマールの意見を求めた。
ベルマールは捕虜になってからこれまで、マズール王の傍らでその姿を見てきた。だからこそ見えたものもあるだろうとの予測だ。
「そうですねえ…… 傍らで見て思ったことですが、マズール王はああ見えて王としての才覚を確かに持っている人間でした。少なくとも、私たちの命をつなげた『致命の大失敗』をのぞけば、エスクードをほぼ壊滅させたことは事実ですし、有能ではあったのでしょう」
「そうだな。――そうでなくては困るさ。いくらなんでも、『無能だった』では父さんたちが報われない」
「ええ。――まあ、もっともマズール王が優れている才覚は――マズール人の民族資質にもれず、その商業的才覚でしょう。『ヴァンガード協定連合』を味方につけたことが、すべての決定打でしたから」
だから、
「そんな王だからこそ、いったんエスクード領地からは手を引くでしょう。マズール王は、取り返しのつかない絶対的なリスクには飛びこまない。マズール人は商談の成立のためにリスクを負うことはままありますが、それでも『狂人』ではない。マズール人の中の価値判断の天秤は、いつもやや保守的に寄っていると、私はここで過ごして思いました」
「そうか。――加えれば、マズール王が直接父さんたちに会っていたのが効いてくるかもな。さっきの大盤振る舞いを含めても、マズール王はエスクードに多少は畏怖を抱いていたはずだ。その印象が、王の中の天秤を保守へと傾けるかもしれない」
「となれば、やはり前者でしょうね」
ベルマールは唸った。
なぜなら、
「マズール王が軍を退かせれば、その異変に諸国が気付くかもしれません」
「気付くだろう。これまで堂々と土地管理などをしていたマズール王が急に軍を退かせれば、よほどの馬鹿でなければなにか異変の匂いを察するはずだ」
「それがエスクード生存の事実を悟らせる要因になるでしょうね」
「ああ」
ユーリも思案気に唸る。
「だがマズール王だって一度手に入れたと思った領地は失いたくない。だからひとまずの撤退で『免罪と慈悲への既成事実』を作りながらも、可能な限りエスクード生存の事実を隠すはずだ。そうして再度の侵攻のための準備を万端にして、そのあとで正式に発表する」
「ええ」
「そして、発表と同時にほかのどの国よりも早く、一気に手をまわすだろう」
「仮に途中でバレてしまったとしても、マズール王なら他国を牽制するでしょうね。そこもまた、マズール人の商人気質によって、一度手に入れたものをタダでほかにかすめ取られるのをよしとはしないでしょうから」
いくらかの会話を経て、ユーリとベルマールの間で意見が固まっていった。
そのあたりでマズール王国の今後の動きに関する予想図は輪郭が見えてきて、今度はそれを踏まえた対応策の話に移る。
「それを踏まえると――とにかくまずは一手を急ぐしかありませんね」
「ああ。マズールが散っている軍備を整えるまでの時間か、マズールが諸国を牽制していられるまでの時間が、俺たちにとってのリミットだ」
そこでユーリは一度話を切って、深呼吸してからまた口を開いた。
「だから、『同時進行』する。ベルマールさんにはエスクード領地にさきに戻ってもらう。そこで周辺に散らばったエスクードの生き残りをあつめて、俺が同盟へ走る間に独自の防衛力を再編してくれ」
「確かに、その方法しかありませんかね」
予期していたようにベルマールは答えた。
そして、次に――ベルマールは足を止め、ユーリの前に立ちはだかった。
胸に片手をあて、おもむろにベルマールが、
ひざまずいた。
それは端的な敬意の表れ。
王に対する、臣下の佇まいだった。
「ならば、『命令』を、我が王。私はあなたの真の僕。今こそ、今こそ私に――エスクード王の臣下としての命令を」
ユーリはベルマールのひざまずきを見て、沈黙する。
そして、しばらくをおいて、腕を振り抜いて放った。
「――わかった。ならば命ずる」
それが、王としてのはじめての言葉。
まだ正式ではないけれど、世襲王位の順当な配当として――
ユーリしか王となり得る血統が存在しなかった。
エスクード王族は、ユーリをのぞいて残らず死んだ。
世界に残ったのは、その身に宿る、たった一つの直系の血。
もっとも民に愛されたエスクード王と謳われた、『シャル・デルニエ・エスクード』の血。
――だけど、
――俺は……
――いや。
――今はただこの身を、エスクードのために――尽くそう。
「――現エスクード王国最高権力者の力をもって命ずる。ベルマールは前任『王国宰相』を再び引き継ぎ、今の時刻よりエスクード王国王都『セリオン』に帰郷せよ」
そして、
「王が不在の間、王国再興の舵を取れ」
細かくは『三つ』。
一に、現エスクード領に散らばっているエスクードの民をセリオンまで誘導し、再興への意志を促せ。
二に、ベルマール本人の判断において、民の中から有望な者を集め、国の防衛力となるべく、教育を施せ。その際、能力だけでなく、再興への意識の有無、その高さも判断基準に含めよ。
三に、最後に、ある程度再興への舵取りが安定したならば、ベルマールは単独でエスクード最西端の『深森カルム』へ向かい、そこに住まう『エルフ王』に謁見を試みよ。必要ならば我が名を使え。
そしてエルフ王との謁見が可能ならば、エルフ王に王国再興への協力を進言せよ。
ユーリはすべてお言い、大きく息を吐いた。
ベルマールはひざまずいたままで、胸に手をあてながら答える。
「御意のままに、必ずや」
「頼んだよ。――はあ、つかれた。堅苦しいのは苦手だよ、やっぱり」
「フフ、なかなか様になってましたよ?」
ユーリが表情を崩したのを見て、ベルマールも微笑を浮かべて、おもむろに立ち上がった。
「エルフの協力が得られればエスクードの国力は一気に持ち直しますね」
「ああ、だから――頼むよ」
「しかと、心得ました」
そうして、再びユーリたちは走り出す。
すると、またベルマールが思い出したかのように言葉を紡いだ。
「――あ、そういえば、切羽つまっていて話をする暇がありませんでしたが、ひとつ重要な情報がありましてね?」
「どんな情報?」
「どうやらあなたの『親友』がキールにいるらしいという情報です」
ユーリが一拍をおいて驚愕の表情を浮かべる。
大きく眼を見開いたまま、問い返していた。
「……なんだって?」
「ですから、あなたの親友であり、兄弟のような存在でもある『あの御方』が、この王都にいるらしいのです。それもちょうどあの辺の宿に――」
ベルマールはおもむろに前方の小汚い宿を指差した。
そこで真っ先に走り出したのは、ユーリではなく――『リリアーヌ』だった。
「待て! リリィ!」
「ウッフッフ、リリちゃんは我慢が苦手ですねえ。――さ、追いかけましょう、ユーリ」
ベルマールが不敵に笑いながら走る速度を速める。
ユーリもそれを追って、歩を速めた。