9話 「屈辱の日々と決別を」
『陛下ッ!!』
その頃になって不意に謁見の間の扉が勢いよく開き、その向こうから『ケーネ』の声が響き渡っていた。
「――遅かったですね、ケーネさん」
「ベルマール様!! これは一体どういうことなのですか!!」
ケーネの視界に入ったのは、拘束が解かれたユーリの前で、折れたマズール王剣片手にひざまずいているマズール王。
そして、マズール王剣の折れた刀身が刺さった玉座の隣で、妖しげな微笑を浮かべているベルマール。
ケーネの危惧していた事が、現実となった証拠の光景でもあった。
「見ればわかるでしょう、あなたなら。――ああ、大丈夫、陛下を殺しはしませんよ。――ねえ、ユーリ?」
「これ以上そっちから向かってこなければな」
ユーリはリリアーヌの縄を解きながら平坦な口調で答える。
「大丈夫だったか、リリィ」
「うん!」
リリアーヌは縄をほどかれると、快活な返事の声をあげた。
しかし、そうはいってもこの状況に怯えを抱いてもいるようで、すぐさまユーリの背に隠れてしまう。
ケーネはその間に、ベルマールを問いただしていた。
「ベルマール様! これは謀反です! ――なぜですか! あなたには反逆不の制約が刻まれて――」
ケーネの言葉を聞き、ベルマールは着直していた服をうんざりした様子でもう一度はだけさせた。
それでケーネは合点がいった。
「魔術呪印が……ない」
「ええ。これで私は『自由』になりました」
「――」
ケーネが歯を食いしばる。
わかっていた。
わかっていたのだ。
どんなに人がよくとも、
この男は――エスクード王の宰相だった男なのだ。
「――嗚呼!! 長かった!! なんとも長い、屈辱の日々だった!! 私はね、ケーネさん、必死で耐えていたのですよ! この状態で恨みを吐き続けても、どうしようもなかった! 吐いても吐いても、自分の身を悪風の前にさらすだけだった! マズール王の宰相として使われる私は、中途半端な亡霊になるしかなかった!」
ベルマールが声を荒げるのを、ケーネは初めて聞いた気がした。
「ただ一つだけ、ユーリの生死がわからないことだけが、いっそのこと希望でさえあった!! 死んだと分かってしまえば、私は生きる意味を失う! 生きていると知ってしまえば、無理をしてでも衝動的に探しにいってしまったかもしれない! そうなれば私のこの国での立場は、ギリギリ許されている『生存の立場』が、確実に揺らいだでしょう! 死んだように、それでいてギリギリで理性をたもって、こうして仇の国で宰相などをしてこれたのは――」
絞り出すように、叫ぶ。
「――今日! この日のためだった!!」
ケーネは、その言葉で万事に納得できてしまう自分が嫌になった。
「それでも……私は……」
ケーネが何かを言おうとするが、それをベルマールが遮る。
「私としては、あなたの方にこそ問いたい。ご自分の信念を曲げてまで仕える価値が、このマズール王にあるのですか? このマズール王国に、本当にあるのですか?」
「っ……」
ケーネは言葉を紡げない。
ユーリと会話した時の、価値観の揺らぎが心に襲いかかった。
ケーネの言葉を待つベルマール。
「ですが……今は……今この時は……私はマズール騎士団長なのです……! だから――」
それ以上は言えなかった。
しばしの沈黙の間。
その間に、ユーリがリリアーヌを連れて謁見の間を出ようとする。
しかし、ケーネはそれをよしとはしなかった。
「――通さない」
「ならば『押し通る』。――ベルマールさん、リリィを」
リリアーヌは即座にユーリの顔を見上げてなにかを言おうとするが、ユーリの臨戦態勢とも言える冷徹なまでの無表情を見て、結局なにも言わずに引きさがった。
「さあ、おいで――リリちゃん」
満面の笑みで、ベルマールが大きく両手を広げた。
「――変態。――うわっ、近づいてこないでよ!」
「相変わらずツれないですねえ。まあ、生きていたのだから文句は言わないでおきましょう」
リリアーヌはしかたないといった様子でベルマールにわずかばかり近づき、ユーリから離れた。
一方のユーリとケーネは臨戦態勢に入る。
ユーリはまた左掌からエスクード王剣を抜き放ち、ケーネは腰の剣を抜き放った。
両者が正眼に構えて、じりじりと間合いを詰める。
先に動いたのはケーネだった。
「――斬る!」
騎士団長の座に居座っているだけあって、動きに無駄はなく、かつ、素早かった。
それでも、なおも――素早さではユーリに分があった。
「っ!」
ユーリはケーネの斬撃を剣で受け止めるどころか、軽々と避けきって見せる。
ケーネは初撃が空を斬ったことで、振り過ごしに重心を持っていかれ、若干の隙を生じさせた。
それを見逃さず、ユーリはすぐに防御の手薄なケーネの脇腹目がけて王剣を横に振るう。
だが、ケーネの方も即座に体勢を整え、ユーリの斬撃を受け止める。
今度は金属音が鳴った。
「――良い剣だ」
ただ一言。
その一言の声音から、ユーリの雰囲気が連行中のときとは一線を画したものになっていることに気付く。
ケーネはそこで改めて確信する。
目の前のエスクード王家の末裔が、レザール戦争を生き抜いた『強者』であることを。
同時に、その心に巣食った闇の深さを知る。
臨戦態勢に移行することで剥き出しになったユーリの纏う雰囲気とは――洗練された冷たい『殺意』の波動だった。
――恐ろしい。……恐ろしい目だ。
ケーネは胸中で血の気の引く思いを得ていた。
目の前の修羅の顔にある金と真紅のオッドアイがその異質な恐ろしさを助長させる。
――一体どんな環境に、どれだけの間身をおけば、こんな目になるのだろうか。
背筋がゾっとした。
「くっ……!」
殺意の波動に気圧されて、ケーネは一歩後ずさる。
たった一度の斬り合いであったのに、ケーネの息があがっていた。
やらねばやられる。
そう思った瞬間に、ケーネは『魔術』の詠唱を唱えていた。
「炎術式――無限の業火、その身を以て、刃に閃け――!」
ケーネの剣が突如として渦巻く真っ赤な炎に包まれる。
刀身が燃え盛る業火を身に纏いはじめたのだ。
炎の燃え盛る轟音が、謁見の間に響く。
ケーネは炎を纏う剣を構え直した。
しかし、ケーネの一連の動作のあとに、先に動いたのはユーリの方だった。
その速さは異常にして神速という言葉に尽き、ケーネが気付いて剣を振り下ろすより速く、その懐にもぐり込んでいた。
――速い……っ!
心中にそんな言葉を浮かべることしか、ケーネにはできなかった。
目の前にユーリの身体がある。構えた剣が視界に映っている。
幾秒もすれば、彼の剣が自分の体を貫くだろうと思った。
何度経験しても、その死の予感への恐怖は慣れない。
死を覚悟して、ケーネは目を瞑った。
――だが、
衝撃はいくら待ってもおとずれなかった。
自分の刀身から弾ける炎の音だけが、いくらかの間響き続けて。
なにが起こっているのかとゆっくりと開けた目の先に、ユーリの顔があった。
「――まあ、悪くはない。ただ、刺されるその時まで目は瞑るな。諦念は敗北を呼び込んでも、勝利を呼び込みはしない」
言いながら、低い姿勢でケーネの首元に剣を突きつけていたユーリが身体を起こす。
すると、なにを思ったか『素手』でケーネの燃え盛る剣に触れた。
「なにをっ……」
突然の行動に唖然とする。
うねる炎の渦が、その手を燃やすと思った。
――しかし。
炎がユーリの手を燃やすことはなく、まるで手懐けられたかのように、その勢いを弱め、ついには消え去ってしまった。
「なんで――!」
その問いに答えるでもなく、ユーリは言葉を紡ぐ。
「もう少し精進すれば、剣術に関しても魔術に関しても上位に食い込む良い騎士になるだろう。大国の騎士団長を務める事が出来るほどの指揮能力もあるしな」
言いたい事はそれだけだったようで、ユーリは王剣を掌に戻すと、踵を返した。
「ま、待て! なぜ私を殺さない!」
「――気まぐれだ。――次あった時に、まだお前がマズール騎士団長であった時は、その時こそ斬ろう」
「意味がわからない……」
「だから、気まぐれだといったろう。――まあ、仮に意味があったとしても、それをお前が知る必要はない」
一方的な物言いで会話を終えたユーリは、ケーネに背を向けた。
なんにせよ、ほとんど慈悲をかけられたようなものだ。
完敗だった。
ケーネには謁見の間から出て行く三人を引きとめることなど出来なかった。
自分にはその力がない。
すると、去り際にベルマールが悲しげな表情でケーネを振り向いて、言った。
「ケーネさん。事の詳細は『陛下』にお聞きなさい。そして、それを聞いたうえで、あなたがどう行動するかはあなたの自由です。私は『あるべき場所』に戻ります。マズール王を陛下と呼ぶのも、これで最後でしょう。あなたも私に敬称を施す必要はありません」
ベルマールは続けた。
「――それと、この際ですからあなたが昔、私に問いかけた『質問』に、今答えましょう。もう隠す必要もないので。――あなたはおだてるように、それでいて少し真面目に、私にこう言いましたね。『なぜあなたは年の割にそうも顔や身体が若々しいのですか』、と。あの時ははぐらかしましたが――今はっきりと答えましょう」
ベルマールは一息をつき、最後に言った。
「なぜなら私は――『長命のエルフ』と人間の『混血児』だからです。――それでは……いずれ、また会えることを祈っています」
茫然自失のまま虚空を見つめるマズール王と、跪くケーネ騎士団長を謁見の間に残し――
三人はその場を去った。
―――
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