あなたは祟りを信じますか?
これは私が小学1年生の頃のお話です。その頃は毎日家族3人で川の字になって寝ていました。父と母の間に私を挟む形です。
いつものように夜9時までにお風呂や歯磨きを済ませた私は、寝室のある2階に向かうために階段を上っていました。その途中で、右足に違和感があることに気が付きました。
少しだけ痛むのです。どんな種類の痛みかと聞かれると答えられませんが、切り傷や打撲のような痛みではありませんでした。しかし、耐えられないような痛みではなかったので、そのまま2階の寝室に行きました。
布団に入ると、先程の痛みは無くなっていました。その日は運動会の練習やらなんやらで疲れていたこともあって、すぐに眠れました。
しばらく眠っていると突然右足が痛みだし、飛び起きてしまいました。先程の痛みとはまるで比べ物にならない、まさに激痛と呼べるレベルのものでした。私は4歳の頃に手の指を骨折したことがあるのですが、その時と同じくらい痛かったと思います。
足が痛くて階段も降りられないので、1人でただ泣いていました。10分ほど経った頃に母が寝室のドアを開けました。母は足を押えて泣いている私を見るとすぐにこちらに駆け寄り、色々聞いてきました。
「どういうふうに痛いの? どうすれば治りそう? どれくらい痛い?」
いっぺんに何個も聞かれても、こちらも痛くてパニック状態なのですからちゃんと答えられません。でも伝えないと、と思い頑張って頭の中を整理しました。
「初めて感じる痛み、骨折とも違うけどめちゃくちゃ痛いの⋯⋯」
私がそう答えると、母が思い出したように言いました。
「祟りだよ! この前××ちゃん、五月人形のガラス割っちゃったじゃん! 絶対それの祟りだよ!」
へ? 母の予想外の言葉に私は足の痛みを忘れてキョトンとしてしまいました。
「今からお寺さん行こ!」
そう言って母は私を抱きかかえ、階段を降りました。降りたところにちょうど父がおり、不思議そうな顔をしていました。
「××ちゃんが足痛いって言って大変なの! お寺行ってくるね!」
「いや、病院でしょ。この時間なら〇〇会館がいいな、俺の車で行こうか」
そんなこんなで私は父の車に乗せられ、3人で〇〇会館という病院に向かいました。車の中で2人に色々言われました。
父には「転んだとか、どこかにぶつけたとか、なにか覚えてないか」と聞かれ、母には「他には罰当たりなことしてないでしょうね?」「でも、仏様にお祈りすれば大丈夫だから」と言われました。
皆さまもお思いのことかと存じますが、なぜ私の母はこんなにも祟りを信じているのか、気になりますよね。それは母の子ども時代に原因がありました。母は昔、原因不明の高熱を出したことがあったらしく、その時にうわ言で「井戸の穴掘って!」と家族に言ったらしいのです。
それを聞いた母の母、つまり私の祖母は外に出て庭を確認しました。かつて井戸があった場所に小さな穴があったそうなのです。その穴の上に土が積もり、完全に塞がってしまっていたといいます。その土をどけたところ、すっと母の熱は引いたそうです。
が、私はこの話を全く信じていません。私がスピリチュアル的なことは絶対に無いと思っている、完全な否定派だからです。無神論者でもあります。この話をすると面倒なことになりがちなので、このへんにしておきます。
病院に着いた我々はすぐに中に通してもらい、私は1番に診てもらえることになりました。心配した両親も診察室についてきていました。
症状や、そうなった心当たりなどを聞かれたあと、レントゲンを撮ることになりました。この時私は焦っていました。
『どうしよう⋯⋯今さら治ったなんて言えない』
明日も仕事がある両親に夜中に病院に連れてきてもらって、先生にも色々話を聞かれて、今からレントゲン。言えるはずがありません。何も無くてもレントゲンを撮るのはいい事なのかも知れませんけどね。
「骨に異常はありませんね。歩き方や触った感じですと肉離れでもなさそうですし⋯⋯おそらく、骨の成長による痛みですね」
その時私はとても驚きました。骨って成長するんだ、と。今思えば当たり前ですが、その時はなぜかビックリしていました。
「そうなんですか、僕の時はそんな痛くなかったんですけど」
父が先生に言いました。
「痛みには個人差がありますからね。××くんのようにとても痛がる子もいますよ。ただ、もう大丈夫そうですけどね」
しまった、痛そうな顔をするのを忘れていた! 私はとっさに作り痛顔をしましたが、時すでに遅しでした。
「作り痛顔しなくても大丈夫だよ。成長痛はすぐに治まることも多いから」
優しい先生でした。家に帰ってからが問題です。父と母に怒られるのではないか、こんな夜中に運転させて、病院に行ったら治りましたで許されるのか、迷惑をかけてしまった、といろんなことを考えました。
「ごめんなさい、あんなにすぐ治ると思わんかったの」
家に帰った私は2人に謝りました。2人は明日も朝から仕事なのです。怒っているに違いありません。私は身構えました。
「やばい病気とかじゃなくて良かったよ」
父がそう言ってくれて、私は気持ちが楽になりました。
「祟りで骨が成長したんだ、だから痛かったんだよ。絶対そうだよ」
母はまだこんなことを言っています。その頃はまだ私も純粋だったため、母の言うことにも「そうなのかな?」と思っていました。
次の日学校から帰った私は、母に連れられ☆☆会という謎の仏教の施設に行きました。信者の方が数人集まっており、皆正座して手を合わせていました。
「ほら、××ちゃんもやりなさい」
私は母に手渡された数珠を握り、手を合わせました。
「÷$¥☆%〒〆&」
皆何やらお経のようなものを読んでいます。母も同じようになにか唱えています。その時私はなぜか怖かったのを覚えています。何が怖かったのかは分かりませんが、ただ怖かったのです。
お経を読み終えると、どこからか菓子盆が出てきて、お茶タイムになりました。抹茶は苦かったのですが、饅頭やヤンヤンつけボーが美味しかった記憶があります。この時点で先程の恐怖も消え去っています。
次に私たちは、かの有名な弘法大師の宗派のお寺に行きました。正直私にはお寺には見えませんでした。老人憩いの場、という感じの広間のある建物です。
「お加持してもらいなさい」
母はそう言って私をお坊さんのもとへ行かせました。お坊さんと対面で正座していると、お坊さんはお経を読みながらカッコイイお経の書いてあるアコーディオンのようなジグザグの折り方のしてある紙の束をバタバタさせていました。説明が下手すぎて申し訳ありませんが、実物を知っている人なら伝わるかと思います。
対面での加持が終わったので、私は後ろを向きました。お坊さんは先程と同じようにお経を読みながらバタバタした後、アコーディオンジグザグ束で私の背中をバンバンと叩きました。
「お疲れ様でした」
「ありがとごじゃました!」
私はお坊さんにお礼を言い、母のもとへ戻りました。それからお経が始まったのでみんなで木魚を叩いて過ごしました。
家に帰ると、父が先に帰っていました。
「もしかして、寺に行ったのか」
「当たり前じゃん! これで××ちゃんは当分大丈夫よ! ××ちゃん、ちゃんと毎日仏様に手を合わせて感謝するんだよ、分かった?」
私は嫌でした。私は手汗がすごいのです。合掌なんてしたら暑くてたまりません。
特にオチもない話でしたが、「そういえばあの時は母が宗教宗教していて怖かったなぁ」というのを思い出して書きたくなった次第です。備忘録として。
もし感想に祟られた体験を書かれても、私は全く信じないので良い返信は出来ません! ごめんなさい!