第五話 食事
1
朝、試験管の中にあるわずかな水で喉を湿らせながら雷は手帳をひらいていた。
犬を二匹倒した経験値で、レベルをあげられないか確認したのだ。
ゲームでは、ジョブレベルの経験値は割り振り制だった。経験値を得ると勝手にレベルが上がるのではなく、戦闘やクエストで得た経験値を自分がレベルを上げたいジョブに割り振る。割り振った経験値の分、レベルがあがる。
ステータス画面で操作していたジョブレベルの経験値だが、その代わりをするのがこの手帳なのではと考えた。
結果、雷は肩をおとすことになる。
思ったとおり、レベルアップ操作自体はできそうだった。材質は紙に見えるくせに、割り振っていない経験値の数値をさわると、タブレットのドロップ操作のように経験値の移動ができる。
レベルアップの仕様がわかり先行きが明るくはなった。しかし、レベルをあげるにはまだ経験値が足りない。
レベル0のジョブをレベル1にするには、100の経験値が必要だ。
昨日の戦果は、黒犬二匹で20の経験値。失神寸前になるまで疲れ果てたにしては、散々な数値だ。
あれだけ苦労したのだから、犬一匹の経験値100でもいいだろう。いじけた感情が湧き上がり、雷は誰にともなく悪態をついた。
「ああ、くそ」
あと八匹、犬を倒さないとレベルは上がらないらしい。
神経をすり減らし、あの疲労困憊とあと八回も戦うのは現実的ではない。
万全の体調で戦える状態を維持する材料を、雷はもっていないのだ。
水の調達の目処はついたが、食糧確保の問題もある。
水を飲んでいればすぐには死なないが、栄養をとらなければ体は衰弱していく。
(最悪毒消の魔法を使いながら、その辺に生えてるもんを食わなきゃいけないわけか)
雷は再び気落ちした。とんだサバイバル生活だ。
海に向かって、森の出口を探す。
昨夜ずいぶんと長いこと歩いていた。子どもの足だから距離は稼げていないかもしれないが、主観ではそうとう進んだ気がするのだ。
しかし、これが逆走して森の奥まったところに向かっているのか、それとも森の終わりに向かっているのかそれがわからない。
(体力があるうちにもう一回、木登りするか?)
しかし木登りで疲れはてて、結果魔物と戦えなくなるのも困る。ほんとうに僅かなリソースをどこに割くべくなのか。なにをするのが正しいのか。
だれか答えを教えてほしい。胸が潰れるおもいで願った。雷は生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
このままだと、自分はどうなってしまうのか、それもまたわからない。どうすればいいというのだ。
わからないことだらけだ。
なにより、どうして自分がここにいるのか、知りたい。何か意味があるのか、なんらかの重い役目を託されたのか。それとも神のような存在の気まぐれで助けられたか遊ばれているだけで、こんな場所に放置されているだけなのか。
大きな木のうろの中で、雷は膝を抱えた。
(とにかく、今するべきことを考えろ)
雷は己をさとす。
膝に埋もれさせた顔をわずかに上げて、朝日をうけてなお暗い森をぼんやりと眺めた。
(そういえば〈刻印魔法〉を使ってないな。使えるものは、がんがん使わないと。《遅滞》は武器に刻印を描くと、使用が可能になるんだよな。
《停止》は石や投げナイフに刻印を描いて、それを戦闘中に使うと魔法が発生する。あー、昨日これに気づけばよかったんだ。馬鹿だな俺、もっと早くに気づけば、ゴブリンもどうにかできたかもしれないし、もっと安全に犬と相手にできたじゃないか!)
乱暴に頭を掻いた。結果的に辛勝したが、自分を把握していればもっと安全なやり方を選べたことに、雷は悔しがる。後悔先に立たずだ。
この反省を活かし、これからは有用な手段はつかっていこう。
〈刻印魔法〉のことを考えていると、頭の中に現在使用可能な《遅滞》と《停止》の魔法文字と読み方、効果や意味、知恵袋のような細かい成り立ちがごく自然に思い浮かぶ。
最初からそれを呼吸するような感覚で知っていたような、本能のように己の中に最初から根ざしているような、「使える」という確信がなんだか奇妙で居心地が悪かった。
ただ、この二つの魔法よりも上位の魔法は、魔法文字だけは頭の中に浮かぶのだが、読みも意味もわからない。プレイヤーの知識としてはある程度知っているが、どうやらこの状態では使えないだろうな、というのは察した。知っていても、自らの身になっていない状態だ。
スキルレベルが、必要レベルに達していないのだ。
不思議なことに、プレイヤーだった雷はゲーム世界に描かれた文字なんてうろ覚えだったのに、今では手本も見ずに記憶だけで正確に描ける自信がある。
刻印の魔法文字は表意文字であり、その刻印を物質に刻むことからはじまる。
〈神聖魔法〉のように魔力を用いて魔法を生成するのではなく、予め刻んだ刻印に魔力を注ぎ込むことで魔法が発動する。〈神聖魔法〉や〈属性魔法〉よりも手順を多く必要とするが、そのぶん便利なところもある。
魔法文字には二種類ある。
一度使用すると消えてしまうものと、恒常的につかえるものだ。
恒常的に使用できる刻印は装備品に刻むことができる。たとえば《遅滞》ならば武器にその魔法を付加できる。魔法を使えなくても、その武器を装備していると攻撃したときに確率で追加攻撃が発生するのだ。
〈刻印魔法〉を使用できるものがその武器を使うと(相手の能力値によって失敗することもあるが)自動でMPを消費して、確実に魔法を発動させることができる。なお、戦技と〈刻印魔法〉の両立はできず、戦技の効果が優先される。
防具ならば、相手からの《遅滞》系の魔法攻撃に対する抵抗力があがる。
《停止》は一度使用すると消えてしまうもので、装備品には刻めない刻印だ。
石や投げナイフなど、投擲アイテムに刻印を描く。
こちらも魔法を使えない者でもアイテムとして用いれば、確率で《停止》が発動する。そして、〈刻印魔法〉持ちが石やナイフを使うと、MPを消費して確実に《停止》の魔法が発生する。
まずは《遅滞》を刻もう。
そうは思えど、雷はそこから手詰まりする。刻印を武器にいれるにはどうすればいいのかわからない。
可能とするものがあるならば、それはシステム操作の代替えとなる手帳だ。魔法欄を開き、《遅滞》の文字を叩く。しかし、何も起こらない。
(初期装備のロッドは刻印を刻めなかったけ? いや、そんなはずはなかった)
武器ごとに刻印を刻める数が決まっている。
最初期に手に入るどんなに弱い装備でも、一個くらいは刻印を込められた。
(もしかして、システムのボタンで解決じゃなくて自分で彫らなきゃいけないのか……?)
雷は結んだ唇を引きつらせた。この、魔法文字を描ける自信というのは、魔法文字を描くことも技能のもたらす能力の範囲内だからなのだろうか。
(ここは念じるだけで解決するものだろ? そうだろ?)
願いをこめながら雷はロッドを握った。何も起こらなかった。
嫌な予感が事実になりかけている。
(うわー。まじか。もしかして《停止》もそうなのか?)
雷は手近にあった石を拾い、念じた。
しかし、なにも起こらなかった。
(魔力で石に自動で刻印が描かれるわけじゃない、のか。自分で、文字を描けと?)
その不親切な仕様に気づいたとき、雷は気が遠くなった。
(うそだろ!? つっかえねえ!)
石を放り出して頭を抱える。なんて手間がかかるのだろう。だいたい、彫刻刀もペンもインクもろくにないような場所で、どうやって刻印を描けばいいというのだ。
(〈神聖魔法〉はどうなんだろう。この魔法まで使いにくいとなると、面倒なことになるぞ)
負傷時に使うことが多いから、レスポンスの速さが求められる魔法だ。
(まだこの世界での魔法の仕様がわからない状況で、ぶっつけ本番で使用するのは怖い。使えると思って使えなかったら嫌だしな。今使えるものなら、使ってみるか。
……うぅっ)
〈神聖魔法〉の使用を頭に浮かべると、知らない文字と単語で記された呪文がぽんと思い浮かぶ。この感覚、まだ慣れなくて雷は少し気持ちが悪くなった。
これが本当に使えるのか。そして魔法という不思議な力が本当に使用が可能ならば、魔力が減るとはどのようなものなのか。それを確かめたほうがいい。
(手の甲にちっちゃい擦り傷があったな。試しにそれが治せるか使おう)
雷はちいさく呪文を口にした。
呼吸とともに、自分の中で何かが動いて形をつくる。しっかりとした形になると、それが抜けていく感覚があった。これが魔力なのだろう。例えるならば、一回の呼吸で息を多めに吐くようなものだった。深く息を吐き出したぶん、同じくらい吸い込まないと次の魔法が使えない気がする。言葉ではうまく説明できないが、これがいわゆる待ち時間なのだろうと推察はできた。ゲームでは、連続して同じ〈神聖魔法〉を使えなかった。
魔法が発動すると、光を放ちながら、傷跡が瞬く間に消えていった。
最初からそこに怪我などなかったように、手の甲はつるりとしている。
「魔法……使えた。本当に、使えるのか」
望んでいたとおり、〈神聖魔法〉は自分の意思ひとつであつかえた。まどろっこしい手順は必要ないことにほっとする。
雷は唇がむずむずと上にもちあがるのをこらえきれなかった。
生存能力が上がったことが、嬉しいのはたしかだ。
けれど、魔法という夢物語のような不思議な力を自分が行使したというのが単純に嬉しくて、こころが浮かれる。
戦技のときは、疲労感のせいで何があったのか、自分が何かをおこしたのか、よく分かっていなかったし、〈刻印魔法〉はまともに使えていない。
だから、いかにもファンタジー世界の住人めいたことを、雷は今この瞬間はじめて経験したのだ。
雷はこの一瞬だけ、自分のとりまく状況も忘れて素直によろこんだ。
すごい、すごいな。どういう理屈で一瞬で傷が治るんだろう。幼い子供のように関心し、しげしげと傷が消えた手をながめる。
しばらくして体が空腹をおもいだし、雷は現実に引き戻された。
(全く、姿形と体はどうあれ、子供じゃないんだから)
我にかえった雷は誰に見られているわけでもないに、ばつの悪い顔になる。
(いや、でも。やっぱり魔法が使えるのはすごいし、回復魔法だから今後すごく役に立つだろうし、浮かれるのも仕方ない。……うん、〈神聖魔法〉がちゃんと使えて、でもたて続けに使えないっていうのが分かったのは、大切な情報だ。これは頭にいれておこう)
こほん、と照れ隠しのためのわざとらしい咳払いをひとつ。
(とりあえず、飯だ。腹がくちくなれば、〈刻印魔法〉に関しても何かいい案が思い浮かぶかもしれない)
覚悟を決めてうろから這い出る。
食料を確保しつつレベルを上げて安全性をあげながら、森の出口を探る。
森の出口を見つけるのが先か。はたまたレベルがあがるのが先か。
(先に森から出たいなあ……はあ)
雷はロッドを片手に構え、森の中を分け入る。
先がわからない不安を抱えながら雷はすすむ。それでも、生きることを諦めない蒼い瞳は力強く輝いていた。
2
むっとする汗のにおいがずっと張り付いている。
そんな雷を後ろ指さして笑うひとすらいない深い森の中である。他人の耳目など気にしなくていいのだが、むしろ身だしなみを気にしなければならない場所だったら、どんなにましだったろう。未練がましく雷はそうおもってしまうのだ。
雷は昨夜の泉にいた。
脅威になりそうな生き物がいないことを確認し、雷は水を飲み、試験管にためる。こんな容量の少ない容れ物でもないよりはましだ。
(水筒でもあればいいんだけどな)
胸中でぼやき、泉で顔を洗った。
水面にうつる女の子は、「こういう創作物のキャラは現実化したら左右対称の顔立ちの美少女なんだろうよ」というきちんと容姿を確認する前から漠然と抱いて予想を裏切らず、整っていた。どことなく、日本で暮らしていた雷の面影があるのは表情のせいだろうか。「こんなの俺じゃない!」と拒絶したくなる顔ではなく「うわ、顔立ちがめちゃくちゃ変わってるのに、やっぱり俺だ……」と絶句したくなるほど以前の自分との類似性があった。
幼い少女らしいやわらかな輪郭線のなかに、バランスよくパーツが配置されている。吊り目がちな眼差しで、目鼻立ちはすっきりととおっている。唇がつんとしていて、ちいさい。しかしながら内面の陰気さがただよってくるようで、綺麗な容姿の魅力が三割くらい減っている気がする。
3
泉から離れた雷は、森を見て回った。
太陽の光がさえぎられて薄暗いが、日中なのでそれなりに森の全容は見てとれる。
実りの秋というのは異世界でも通用するのか、食べられそうなものはいくつかあった。
きのこは初めから視野に入れていない。
現実世界ですら知らないきのこを採ろうとはおもわないのだから、未知の世界のきのこなど手を出したくはない。
毒消の魔法があるとはいえ、わざわざ猛毒の可能性が高いものを口に含みたくない。
どんぐりや固い殻に覆われた木の実、まだ青いいがに覆われた栗。見知ったものに似た、だが少しだけ違う気がする山の幸が、視界が限られた夜とは違いたやすく見つかる。
だが、くるみのように殻を割ればすぐたべれそうな木の実ならばともかく、どんぐりと栗に似たものは手を出しかねた。ああいったものは火を使い手間をかけて調理しないと、食べられたものではないだろう。
ギザギザした葉っぱが生えた背の低い木に、房に実がたわわになっている果実をみつけた。
「ぶどう、か? 山ぶどうってやつかな。なんか、渋そう」
スーパーに並んで売られているものよりも、小粒で色が濃い。
これなら、生で食べられそうだ。雷はあさはかに喜んだ。唾液が口内にわく。視覚情報によって、空腹中枢が刺激される。
もしかしたらヨウシュヤマゴボウのようにぶどうによく似た別物なのかもしれないが、背に腹はかえられない。飢えは確実に雷の身に迫っていて、何かを口にしたいとうるさいくらい胃が訴えている。それに、万が一毒があっても、解毒の魔法がある。こうなったなら挑戦あるのみだ
雷はためしに一粒だけもぎって、しげしげと実を見る。そのまま食べるのはなんとなく嫌で、試験管の水をさっとかけて洗った。
それから、おそるおそるぶどうっぽい実を口にした。
「……! ぶはっ」
あまりの味のえぐさに、口から吐き出した。
舌や粘膜に痺れを感じないから、即効性のある毒物ではなさそうだが、そうでなくても食べようという気持ちにならない味だ。
甘みは一切なく、顔をしかめるほどのえぐさの中に、耐えがたい酸味がある。
「人間のたべるものじゃない……」
日本の原種である山ぶどうは生食に向かないというが、それをしのぐひどい味ではなかろうか。
雷は口直しに試験管の水を飲んだ。もちろん、念の為解毒魔法の《浄水》を忘れない。
まだ口の中に残っている攻撃的なえぐみに眉をしかめて、雷は山ぶどうを食べることを諦めた。これを食べるのは、ほんとうに最後の手段だ。いよいよになったときなど訪れないように、なにか他にもないか探さなければ。
それからすぐに昨夜も見かけた、赤い実をみつける。低木の枝にたくさん連なっていて、艶々として美味そうに見えなくもない。
粒々した小さな実をひとつだけ。水はないので服の裾で適当に拭いて(それで綺麗になったとはおもえないが)こわごわと口にいれる。
(……う!)
耐え切れない味ではない。だが、強烈に酸っぱい。小指のさきほどにも満たない実が、アセロラやクランベリー、レモンを凌ぐ酸味を持っている。
すでに空腹で、何か腹におさめたほうがいいとおもう。毒でなければ、体力の維持のために食べておけ、と理性が雷に命じる。
雷は我慢しきれず、赤い実を吐き出していた。強い酸味の刺激に大量の唾液がからみ、小さな赤い実の僅かな果汁はそれを染め上げ、出したものは吐血したみたいに真っ赤だった。
(まともな食べ物が、ない)
雷は顔面を蒼白にして口元を抑える。
周囲に気を払いながらも急ぎ泉に戻り、気が済むまでうがいして後味の悪さを洗い流した。
3
水で空腹を無理矢理ごまかし、食料調達を再開した。
上も下も正面も、なるべく見落としがないように何か食べられそうなものを探す。
(魔物の肉は……今俺がどうにかできるとしたら、犬か? でも犬の肉は食べたくない。ゲームでは、鳥とか猪とかの現実でも食べてそうな肉は素材としてドロップしてたな)
鳥や猪の魔物にはみかけていない。魔物の猪なんてどうにかできる気がしない。かろうじて鳥ならば倒して食べられそうだが、仮にでくわして倒したとしても、調理するための火をおこせない。雷はライターやマッチを使わないで火をおこす知識がない、生粋の現代っ子だった。
「〈属性魔法〉があればなあ。火が点けられたかもしれないのに」
魔法を日常生活において便利に使うのは、定番だろう。だが、雷の覚えている魔法では火付けには使えそうにない。
(〈刻印魔法〉じゃなくて、〈属性魔法〉が使えればなあ。この魔法は、たぶん〈神聖魔法〉と同じ使い心地だろ。消費するのはMPだけで、使ったあとの待ち時間があるタイプ。攻撃魔法が使えてたら、絶対犬との戦いも楽だったろうし……)
なにせ、雷は魔力がとても高いのだ。
(〈属性魔法〉の一番最初の魔法……魔弾だっけ? 使えないかな……使える感じしないな)
最初から覚えていた魔法と違い、使える、という感覚がなかった。予想の範囲内だが、残念だと、雷は肩をおとす。
(新しく魔法スキルを覚えるのにはアイテムの魔法書を使うか、スキルが習得できるクエストを受けるといいんだが、森の中じゃ、無理だな)
ないものねだりをしても仕方ない。雷は軽く息を吐いたのち、使えない魔法について考えるよりは、原始的な方法で火を付ける方法をおもいだしたほうが有益だと意識を切り替えた。
「お」
泉とうろの中間地点あたりを入念に調べている途中、はるか頭上に見覚えのある果実を見つけた。
「林檎だ」
ニュースで映る林檎の木よりも、だいぶ大きい。昨日登った木ほどではないが、栽培には絶対に向かない大樹だった。林檎がなっているのは、一番低いところでも雷が手を伸ばしてもとどかない高いところだ。ほとんどがまだ青い果実のなか、わずかに赤く染まり始めたものが数個、点々と成っている。
(あれなら、食べられないかな。食べられるといいんだが。いや、きっと食べられる。あれは、林檎だ!)
この空腹を救う救世主たれと祈る気持ちで、雷の意識は林檎の存在に夢中になる。
(木に登って落とすか? 足で木を蹴って衝撃で落とすか。虫が一緒に落ちてきても、もう今更だし。いや、蹴るのも体をけっこう使うだろうし、石でぶつけて地面に落とせないかな)
昨日の木登りに体力を使った記憶をおもい出し、それ以外の手段を雷は求めた。
まずは小手調にその辺にあった手頃な石を投げる。軽く投げたつもりだが、かなりの速さで飛んで行き、ひょい、とものの見事に対象から外れる。
(ま、最初はこんなもんだろ。もう一回)
二投目は、狙いに近くなった。
三投目、林檎の近くの枝にかすめる。林檎が揺れて、一瞬落ちかけたが、以前枝についたままだ。
(残念。でもこれは、おもったよりも早くいけそうだ。コントロールいいな)
調子良くした雷は、四投目を気合を入れて投げる。無事、石は林檎に当たるが、狙いが良すぎて虫食いができたように石が果実に食い込んで地面に落ちた。
「あ、あーあ」
やってしまった、と雷は少し反省する。
ここにぶつけたいと狙ったところに、石が本当にいくものだから、つい遊びのように楽しんでしまった。
だが、林檎はまだ残っている。
雷は的が大きい実ではなく、枝を狙うことにした。
的が小さいと、そのぶん当てるのは難しい。雷はいくぶんか集中して、石を投げる。
石を拾っては投げ、石を拾っては投げ、まるで子供が遊んでいるかのように繰り返し、雷はついに狙いさだめた林檎の果梗部分に正確に当て、林檎を落とすことに成功した。
「よっしゃ!」
雷は達成感で、ぐっと拳を握り、両腕に力を込めて肘を曲げた。幼い仕草だった。
落ちた林檎に駆け寄り、宝物でも扱うかのように拾う。
手でほこりをはらうと、雷は期待に胸を膨らませながら、林檎にかじりついた。
多少味が悪くても、空腹がきっとスパイスになる。
雷は林檎を手に入れるために頑張った。きっと努力に報われる味をしていてくれるはず。
そんな、希望があったのだ。
(うぐぅ)
その希望はすぐに絶望へと変わった。
ぶどうと似たようなものだった。まだ熟していないためか、味の青臭さと酸っぱさはさらに増している。
(こんなのっ! 食えるか!)
雷はもったいないとおもう余裕もなく、かじりかけの青りんごを地面に叩きつけた。
空腹を救う救世主でも見つけたような感動は、一気に地獄の猛火に移り変わる。期待が大きかった分だけ、裏切られた反動が大きかった。
結局、雷は赤い粒々した実を手に取った。
これ以外の食べ物を今のところ探せそうにない雷は、念のため毒消の《浄水》魔法を自らの体にかけながら、泣く泣く食べ切った。
きゃっきゃと石投げを楽しんでいたことも忘れ、ただただ落ち込む。
現代の管理された果物の味がいかに偉大かを思い知り、痛切に帰りたくなった。




