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精霊に捧ぐ  作者: 春生カタパル子
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第二十二話 前進

 1

 

 ランプの形をした花に照らされてどこかあかるい雰囲気のある夜の森とは裏腹に、空気は土のにおいや秋の枯れ草のにおいでよどんでいて、呼吸するたびに肺に重く苦しいものを溜めている心地になる。

 湿った空気に触発されてかコールタールみたいに混沌とした黒く暗い最悪の想定が頭をもたげて、雷は次第に息がつまり、窒息する寸前のような胸の締め付けを感じた。


 かたわらにいるクロスが、狼狽して震えた声で少女二人の名を呼んだ。かといって無策のまま突撃できるほど我を忘れるほどもできず、顔を青くしたまま狩猟士が示した方角を見つめる。

 きっと、自身も似たような深刻な表情をしているのだろうと雷はおもう。おもいつめた眼差しの中に、一心に友達の無事を願う追い詰められた希望を宿している。叫び出したいのだとか、走り出してすぐに確認しにいきたいのだとかをぐっと耐えていて、同時にただの絶望しか訪れないかもしれない現実を目の当たりにすることをひどく恐れて、一歩も踏み出せないでいる。

 シュレーディンガーの猫ではないが、真実を直視しないかぎり、友達が生きているかもしれないという期待にすがることが許されるのだから。


 動揺する見た目が子供なふたりを尻目に、索敵担当の狩猟士が淡々と己の仕事をこなしている。慎重に周囲に目を凝らし見渡し、ゆっくりと足を進めながら気配を読む。


「生きてはいる。だが、身動きひとつしねえ。もしかしたら、罠かもしれんな」

「魔物がまだいるってことか」

「巧妙に気配を隠してるが、空間に若干の違和感がある。奴さんは、隠形の使い手としては、まだまだ三流みたいだな。

 十中八九、敵はまだここいらにいる。それと、周囲に仕掛けもありそうだ」

「見せ餌に引っ掛かってうっかりほいほい近寄ったら、ぐさりって感じか」


 仲間内で通用する詳しい説明が抜けた会話をかわしている。


「どういうことなんだ?」


 話の内容が見えてこない兵がやや苛立った様子で尋ねる。


「ああ? そんなのすぐに理解しろよ。生きてるやつらを治療するために迂闊に近寄ると、治療しようとした奴が攻撃されるってこった。罠もあるんじゃねえか。死にたくなきゃ、誰がいようと迂闊に駆け寄らんことだな」


 言外に見棄てることを仄めかすいいざまに、クロスが無言で気色ばむ。

 なるべくこちらの損傷を抑えるために、不利益をできるだけそぎ落とす策は、同時にひとの持つ感情的な部分を切り離している非情な策だ。仲のいい友人が怪我で苦しんでいても捨ておけと言われて、はいそうですかと心の底から納得できる者は少ない。

 しかし、雷は接近しなくても対象を回復できる魔法が使える。

 冷静で実利的な判断に従いつつも、怪我をした仲間がいたら安全な場所から治療できる第三の選択肢を持っている。


「イカズチ……」


 それを把握しているクロスから懇願の眼差しを向けられるも、雷はそれにきっぱりと答えた。


「仮に」


 可能性が低い、仮定の話だ。それでも前もって自らの意思は告げておくべき必要性があると雷は判断した。


「旭日と、女の子二人組がいてどちらも怪我をしていた場合、俺は旭日を優先する。たとえ、それで回復が遅くなって彼女たちが死んだとしてもだ」


 クロスと目を合わさずに温度のない声で告げると、クロスに咎めるように強く睨みつけられた気がした。

 自分の大切な人を優先して何が悪いのだ。クロスが反射的に雷を責める気持ちを向けてしまう激情を理解はすれど、不快感はわく。ままならないやりきれなさすら抱くこともなく、もしもの場合切り捨てることに罪悪感はわかなかった。

 それに、そもそもまだ想像の段階の話なのだ。

 しかし、いまだ、三十人あまりのうち四人の誰がそこにいるともはっきりしていないうちだというのに、もしもの場合の優先順位を巡って、数少ない身内同士で険悪な雰囲気がながれる。


「騒ぐなよ。隙を見せるな。不用意に空気を乱すな。風が殺気を運んだら、こっちに気付かれるぞ」


 狩猟士(ハンター)のひとりが鬱陶しそうに雷たち二人を嗜める。これだから素人の餓鬼を連れてくるのは嫌なんだ、と嫌味のおまけ付きだった。

 雷もクロスも、それには粛々と従う他なかった。お互い、仲間の足を引っ張ってまで、刺々しい空気を振りまくほどばかではない。


 気を引き締め直し、敵の警戒網に引っ掛からないよう最大限に注意を払いながら、焦ったいくらいゆっくりと前に進む。

 そして藪の隙間をぬうような狭まった視界で捉えたのは、全滅といっていい討伐隊の惨状である。

 

(旭日……!)


 倒れ伏している者の中に、一際目立つ大男がいる。

 彼を他の誰かと見間違うはずなど、なかった。


 2


 頭の先から爪先まで、熱湯をかけられたような。もしくは真逆の冷水でもかけられたような。溶かし尽くすほどに熱いのか、凍りつくほどに冷たいのか。判別のつかない激情が雷の身を襲った。それは自身の中心から生まれるというよりは、上から叩きつけるように勢いよく落ちてきたとでもいうような、突然降りかかってきた土砂に近いものだった。頭を強く打ち付けられたあと、猛然とした怒濤に、突き当たりなどなくどこまでも流されていく。この感情のたどり着く果てなどなく、理性の堰など役には立たず、大事なひとを失ってしまうかもしれない恐怖と、友人を傷つけられた怒りはとどまることを知らない。


 予見はしていていも、見たくなかった現実を目の当たりにした雷は感情のまま飛び出しそうになった。次いで痛みにくぐもった悲鳴がでる。狩猟士のひとりに、声を出さないように口を塞がれながら、左腕を捻りあげられたのだ。利き腕ではないのはせめてもの優しさだろうか。


「出ていくな。こっちまで道連れにするつもりか。キャンプに来たやつらと同じなら、隠れてるのはただのゴブ共じゃねえ。

 てめえひとりが無様に死ぬのは構わんが、まともに動いているこっちを巻き込むな」


 脅しめいた冷淡な声で忠告されて、多少なりとも強制的に頭が冷やされた。というよりは、成人した男に体を拘束されるという、別種の恐怖により旭日への感情が一瞬塗り替えられたというべきか。喪失への激情と、男性への恐怖の異なる感情が同時に渦巻いた隙間に、平静を保つべきだという理性と矜持をねじ込み、雷は他人の話を聞き届けるだけの思考能力を取り戻した。

 雷は青い顔で押さえつけられた動かしにくい首をなんとか動かし、頷く。ようやく解放された雷は、やっとひと心地ついて息を吐いた。


「悪かった」

 

「回復魔法は、まだ飛ばすな。誰かがいるとすぐに気づかれる。てか、あれ《小回復(スモールヒール)》でなんとかなるのか? 毒くらってねえか?」


 雷を取り押さえた男が、倒れている旭日の様子を確かめながら言う。


(毒? でも、解毒魔法が使えるから、大丈夫、きっと大丈夫だ)


 生死を確かめる間もなく反射的に飛び出しそうになったが、一応、旭日はまだ生きてはいるらしい。目を凝らして雷は旭日の容態を確認する。目に見えて大きな怪我が背中にある、地に伏せ倒れている彼は苦しげな顔を横向けて忙しい呼吸をしていて、遠目に見ても顔色が悪い。雷はすぐにでも彼のもとに駆けつけたかった。


「生きてんのはアサヒと、シングレイだな。ルーカスのやつ、あれは死んふりだ。生きてんなら自分で回復できてるだろうし、あれは即時戦力として数えていい。

 ……あとは、ルボイの下にいるガキ。ルボイの野郎、死んでんな。狩猟士(ハンター)嫌いの癖に、狩猟士のガキを庇ったか。ばかな男だ」


 索敵役の男が、生存者を遠目に確認する。

 ルボイというのは、確かクロスとクロエが所属する冒険者パーティーのリーダーだったはずだ。


「ルボイさん……マリィシア……」


 狩猟士のガキという言葉がさすのは、討伐隊にはマリィシアしかいない。

 目を見開いて食い入るようにクロスが視線を向ける先には、男が何かを守るように倒れていて、その逞しい体の下から金髪の三つ編みが見えた。雷の目にはマリィシアが無事かどうかなど全くわからないが、気配を読むことに長けた男が生きていると断言するのだから、多分生きているのだろう。

 底なしの赤黒い池の中に沈み込み溺れる寸前のような二人の姿が、燈花に照らされている。

 マリィシアの息がまだあることにほっとしたクロスだが、もう一人の少女の安否が気がかりだった。

 酷い顔で藪の隙間をのぞきこんでいる。


「クロエ……クロエは……?」


「ガキのエルフはいねえな。てか、エルフがいねえな」

「いないのはエルフだけか?」


 一歩下がった位置にいる兵が現状を尋ねる。


「そうだ。他の奴らは全員いる。生きているか死んだかの違いだけだ」


(だけ、だと?)


 ちょっと語弊がないかと言葉尻を捉えたくなかったが、雷は黙っていた。そんな揚げ足をとる発言をする場合ではないし、なにより狩猟士にとっては本当に言葉通りの感覚なだけなのかもしれない。

 雷も他人の生き死にを気に掛けるほうでないが、男はそれよりも遥かに興味がないのだ。薄情とか冷淡とかいう言葉が近いのかもしれないが、淡々とした発言からは温度めいたものすら感じることができない。機械めいていて、凪いでいる。


「エルフは、どっかに連れていったか」


 興味薄そうに狩猟士(ハンター)は言う。

 雷はジャーンビィラヤが贄といっていたのを思い出す。

 副長とゼオンを連れていこうとしていたし、ここにいないエルフも、なんらかの目的があって連れ去ったのだろう。それこそ、なんらかの『贄』だ。

 雷は言葉にするのは憚るような残酷な末路を想像した。


 ゲームでは好色な描かれ方をしていなかったので、まさか女神が性的な遊びをする目的で美男や美少年を欲しているとは夢にもおもっていない雷である。


「連れていくやつを無事確保したから、こっちの残りは殺して、あとは罠用に放置か。ゴブのくせに頭がいい」

「それで、どうするんだ? せっかくここまで来ておめおめと生存者を見棄てるわけにはいかないだろう?」


 魔物の狡猾な策に感心している男に、兵が詰め寄る。


「場所を特定して、奇襲」

「だな、囮がいたほうがいいよな。誰がいく?」

「こっちの戦力は俺たちだけか。兵士も、ガキも使えないだろ。きっちぃな。向こうの数はどんなもんだよ」

「十は超えてる。だが、倒せんことはないだろ。ルーカスが死んだふりをやめりゃあ、すぐに戦力になる」

「少なくとも一人二体か。襲撃しにきたやつらと同じ強さだったな手を焼くな」

「ちょっと待て、お前らだけで話を成立させるな。詳しく説明しろ」

 

 兵士が狩猟士(ハンター)たちの淡々とした会話に割ってはいる。


「ここでまとまっていても、いい的だからまずはある程度バラける。なるべくゴブ共の背後を取るようにするのが望ましいな。見せ餌に近付く囮に気を取られて隙ができたところを、殺す」


 男は首を掻き切る仕草をしながらこともなげに言い、仲間内で囮になるのが誰か押し付け合う。囮役は一斉に狙われるし、高確率で設置されているであろう罠の餌食にされかねないし、最も危険だ。戦力を減らさず、効率重視ならば人道的見地はともかくも兵士に任せるのが一番だろうが、それを押し付けないのは囮は兵士の仕事ではないと割り切っているためだ。雷やクロスに任せないのも、同じな気がする。荒事に携わる戦力ではなく、治療班みたいなものだと彼らに受け止められているのだ。

 自らの命がかかっていようと、ラベリングされたものに忠実で、そこから逸脱させずに任務を実行しようとする姿は、根本的な人間性はどうあれなかなかの胆力だった。自分の命惜しさに、危険な役目を立場が低い者に押し付けることはない。性格は荒っぽく一見チンピラじみた男たちだが、そんな印象を裏切り彼らなりの筋の通った美学を持っている。


 平素の発言や態度が問題がありすぎて尊敬はできないが、毛嫌いするほどでもない、と雷は男たちの認識を改めた。

 そして、狩猟士たちは雷を使う気はないようだが、その考えに雷は待ったをかける。


「その囮、俺がなる。どっちみち、俺はさっさと旭日のところに行って治療したいんだ。すくなくとも《浄水(クリアウォーター)》が届く距離にまでは近づきたい。俺が囮になれば、ゴブリンに不意打ちしにいく戦力が減らないんだから無駄がないはずだ」 


 雷は己の命が惜しい。何よりも大事だ。

 自己嫌悪すら忘れるほどの生き汚い性根をむざむざと晒し、助けられそうな命を見捨てようとしてまで守りたいのが己が身だった。けれど、理屈を捏ねて自分の得る利に納得してからようやく人助けに重い腰を上げるような、そんな卑怯で臆病で浅ましい雷が、命を失うような危険に身を賭してでも旭日を助けたかった。


 今、この場で、旭日を助けにいかなかったらかならず後悔する。

 このまま生きて二度と彼に出会えなかったら、雷は絶対に自分自身を許せない。何もせずにいた臆病と何もできなかった無能を延々と責めて生き続けることになるだろう。


 あのとき助けてもらっておきながら、旭日を見捨てていいはずがない。

 救われたのは命だけじゃない、心もまた旭日によって救われたのだ。孤独のまま彷徨いながらなんとか己を支え続けていた希望を粉々に砕かれて踏み躙られ、絶望によって死にかけていた心もまた彼の言葉によって救われて、息を吹き返したのだ。あの場に助けてに来てくれたのが旭日以外の誰かだったとしたら、雷はきっと雷礼央のままではいられなかった。

 そんな恩人を見殺しにするような不義理を、臆病風に吹かれてまかり通すわけにはいかないのだ。


 そして、どれほど自分が生きていることが大事でも、ただ生きているだけでは雷にとってもはや意味がなくなってしまった。生きる意義や生きたいとおもえる理由、生に執着するだけの渇望の根源。その味を雷は知ってしまった。

 平穏な生活が欲しい、それは雷にとって何よりの本音だ。旭日の望む生き方の真逆で、決して相入れないもの。それでも、雷は旭日の隣にいたいと願った。望ましいものを捨ててでも、彼の側がよかった。


 何よりも大切な人を失いかねないこの極限の状況に、まざまざと自身の抱える本音を自覚させられたのだ。

 自分が一人でも生きていけるなんていう意地など、もう張れない。彼に依存などせずに生きていけるという矜持だって折れた。

 雷は、旭日を失ったら喪失の孤独に殺される。

 旭日の存在は、雷が生きているうえで重要で手放せないものになったのだ。


 これから旭日を失って自分一人で理解者なく孤独に生きていくことと、敢えなく救助に失敗して死ぬこと。どちらがより恐ろしいかなんて、考えるまでなく自明の理だ。

 己の中にある感情を秤にかけたとき、自身と保身と旭日の生存ではあっけなく後者に傾いたのだ。

 自分の命の先が完全に閉ざされる恐怖なんて、旭日が死んでしまうことに比べればどうってことないかった。ちっぽけな恐れだ。そんな自分の感情の在り方を自覚した雷は、もうなりふり構わない。助けられるかもしれない彼の命を何もせずにみすみす失うくらいならば、いっそのこと自分の身を投げ打ったほうがましだった。

 

 雷の申し出に、狩猟士たちは「まあ、やりたいなら、いいんじゃね」とあっさりと許可を下した。 


「ぼくも、行きます。マリィシアを助けたい」


 クロスもまた、決然とした意思を湛えた瞳できっぱりと言った。


 3


 兵士は作戦の結果の可否を伝えるために、参加せず待機。

 雷とクロスが怪我人の治療に向かおうとする囮役。

 五人の狩猟士たちは二・二・一に別れてゴブリンを強襲。

 全員、五級回復薬(ポーション)をそれぞれ三本ずつ支給され、雷はこの世界で目覚めたときに持っていた回復薬とともに合計五本所持することとなった。〈神聖魔法〉は使えるが、それ以外の回復手段があることは心強い。


 一定時間後、ふたりはそれらしく仲間の元に駆けつけるのが役目だ。そこから先は自分の身を守りながら、仲間の治療。折を見て、死んだふりでやりすごしているルーカスという〈森林魔法〉を第三級まで使える男が加戦してくれるだろう。ただし「勝機があれば」という狩猟士の前置きが、なんとも頼りない曖昧さでとてつもなく不穏であったが。

 

 雷はクロスとふたりだけで約束の時間が来るまで待機していた。


「イカズチ……」


 懇願の視線が、蜘蛛の糸のようにうっとしいほど絡みつく。


「お願いだ。もしもの時……この回復薬ではどうしようもない時は、君がマリィシアを助けてくれないか?」

「旭日の治療の次にな」


 雷の返答は、当然のことながらにべもない。


 時計はないし、正確な体感時間を得るスキルもないので、地道に数をカウントして時間経過を大雑把に把握した。狩猟士から指定された数は1000。1000数えたら、動く。

 1000を超えたので、雷は飛び出すように前に出た。仲間を見つけて我を忘れて走り寄ってしまった、そんな(てい)を装う。いや、装うまでもない必死さが雷にはあった。今すぐにでも駆けつけたかったのを、全員の生存率を高めるためにずっと堪えていたのだから。


(《小回復(スモールヒール)》!)


 走り出すのと同時に呪文を唱え、旭日の大きな背中に淡い光がおちた。


(連続して同じ神聖魔法が使えないってだけで、《小回復(スモールヒール)》と《浄水(クリアウォーター)》の待ち時間(クールタイム)が別なのは助かる。あと、二メートル進んだらすぐに《浄水(クリアウォーター)》を使える)


 いきなり回復魔法をほどこされて、驚いた旭日が雷の存在に気づく。視線だけをこちらに向け、変色した唇で何かを必死に雷に伝えようとしている。雷は旭日の悲壮な形相から、声が届かないまでも言いたいことをきちんと受け取った。


(来るな、か)


 旭日もきっと、雷と同じなのだ。

 雷が旭日の身に何か起きるのがいやなように、彼も雷の身が損なわれるのが嫌なのだ。

 その気付きは、雷にとって場違いな居心地のよさを感じさせた。


 忠告されたそばから、雷が踏み込んだ足が何かを踏んだ感触がした。即座に飛びのいて後退。その直後、雷の目の前で巨大な鮫の顎門めいた金属の輪が現れ、硬質な音をたてて凶悪な牙を勢いよく噛み合わせた。一呼吸置いた雷が目にした全容は、落ち葉の中に隠された巨大な虎鋏だった。

 嘘みたいに大きな虎鋏は、その最長点は雷の首ほどの高さまである。こんなものに挟まれていたら雷はただではすまなかっただろう。


(どっからもってくんだ、このでかい罠)

 

 単純なゴブリンが使うには、あまりにもらしからぬ罠だ。感心とも驚きともつかぬ感想が一瞬だけ頭をよぎるも、それをすぐに散らして旭日のもとに進んだ。いや、進もうとしたのだ。

 旭日のすぐそばにまで行かなくとも、せめて解毒魔法が届く距離に行きたい。ひたむきなおもいを抱える雷の行く手を阻むように木々や藪の陰から射られた矢が、雨となって降り注いでくる。またたきの間の矢の強襲を雷の目ははっきりと捕捉する。鏃の先端の欠けまではっきりと見えるような、妙な感覚。

 みちみちと狭苦しいくらいに大量にばら撒かれて落ちてくる矢に、いわゆる安全地帯ともいえるような無事にすみそうな隙間などなく、攻撃は範囲が広がりすぎて避けるのも間に合いそうにない。

 無慈悲な矢の雨は、たとえたった一本でも雷に突き刺されば、すこしでも早く前に進みたい雷の妨げとなる。

 

「邪魔だ」

 

 邪魔だ。邪魔するな。感情が高ぶり、総毛立つ感覚がする。

 雷の腹腔の奥深くからせり上がってきたのは、怪我を負う不安よりも道行きを邪魔される苛立ちだった。

 こうやって、狙われることは予想がついていたことだ。それを覚悟でこの場にいる。だが、わかってはいてもこのうえなく鬱陶しい。

 雷はこの矢の襲撃を凌げるスキルを持たず、また、そういった魔法を習得していない。だが、魔力操作によって無理矢理魔法に似た力を発揮することはできる。

 怒りに全身を焼きなながら、今日一番といえるくらいに迅速に魔力をちぎり、千切り、『契り』、練り上げる。

 使用したのはどこから取り出しのかもわからない膨大な魔力だ、万全の状態の雷が本来抱えているものよりも、大きい。こんなにも魔力があったかと頭のどこかで雷は首を傾げる。だが、ふしぎなことをあれこれと考えている余裕などない。


(よくわからんが、助かった!)


 雷は、本能的に知っていた。魔力操作を習得することによって、魔法の一旦に触れたことによって感覚的に理解せざるを得なかった。魔力操作で顕現させる擬似的な魔法は、系統だって存在する魔法よりも効率がかなり悪い。

 規則単語(ルールワード)を使えば、自由度が高い魔法をなんでも使えるわけではないのだ。

 なんらかの系統名を冠する有名な魔法は、伊達に長い歴史によって研鑽されて作られていない。なるべく少ない魔力で最大の効果を発揮できるように作られている。


 しかし、魔力操作によって、魔力を魔法のように偽装しているだけの剥き出しの不恰好な力の放出ではそうはいかない。顕現させたいものの力の効果や効果時間が長ければ長いほど途方もない魔力量を要求する。

 例えば同じような火の玉一つ出現させるだけでも、〈属性魔法〉の火魔法であれば3ですむMPが、魔力操作のみによって同じ威力の火魔法をだすには倍以上のMPがいる。


 なんの奇跡かは知らない。だが、今、この場をやりすごすために必要な魔力が雷の手の内にある。 


「俺の行く道を遮るな!」


 天空に右手を突き出す。鈍色の鏃の先端が、雷の差し出た手に触れる寸前に、守りの力が力強く顕現する。


「『大いなる盾よ(ゴット・シールド)!』」


  

 第三級神聖魔法

 《小再生スモールリジョネレイト》 一定時間、一定の間隔で小回復

 《大回復(ラージヒール)》 HP大回復

 《覚醒(アラウザル)》 意識不明に陥るほどの重体になった状態から意識を覚醒させることが可能 植物人間状態の治療 生きてさえいれば瀕死状態からかろうじて命を繋ぎとめる ゲーム的には戦闘不能回復魔法 

 《防護(シールド)》 防御力上昇

 《光の衣(ライトローブ)》 闇に対する抵抗力を上げる 呪いにかからない 瘴気攻撃の威力低減

 《護葉(リフューズリーフ)》 状態異常を治療し、かつ状態以上になりにくくする

 《反魔法解除(レジスト)》 ステータスを下げるデバフ効果を解除

 

 《広域大回復(エリアラージヒール)》 全員のHP大回復

 《祈りの鐘(プレイベル)》 悪魔を浄化させる魔法の鐘の音を鳴らす 悪魔属性特攻魔法

 《広域防護(エリアシールド)》 全員の防御力上昇


 《聖眼(ホーリーアイ)》 フィールド魔法 神の祝福を一時的に目に付与し、優れた目によってもたらす力で生産の成功率と制作された物の品質を向上させる 他の魔法やアイテムと重ねがけ可

 《聖域(サンクチュアリ)》 フィールド魔法 一定時間魔物の侵入を阻み、安全に休める場所を作れる ゲームではキャンプ地が各地に点在していたので割と使い所がなかった

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