噓つきの末路
私は嘘を付くのが人よりうまい。
嘘の付き方を知っている。
嘘が下手な人や、嘘を付いたことない人は知らないと思うが嘘の付き方には法則のようなものがある。
第一にバレなければ嘘ではなくなるということ。
第二に確認しようがない嘘は付いても問題ないこと。
第三に嘘を付いているという自覚を持つこと。
第四についた嘘を付いた相手との関係が続く限り忘れないこと。
以上のことを守り、嘘を付けば8割バレない。
残り2割が気になるとは思うがここからは非常に細かいことになる、なので向き不向きが大いにかかわってくる。
第一に不意に嘘を付かなくてはいけない場面で動揺しないこと。
第二に嘘を付いた後のイメージを明確に持つこと。
第三にイメージを実現化させるためにする「嘘の上塗り」を躊躇せず行うこと。
現実で起きたことを嘘でごまかす場合、矛盾が絶対発生するものだから相手に対して「あれ?」という疑念を浮かばせないイメージの植え付けが必須であり、自分は正直者だという概念を普段から植え付けておけば成功確率は格段にあがる。
そこまでして付きたい嘘ってなんだ?と疑問に思うかもしれないが、噓がバレなかった時「嘘つき」は快感を覚える。
何か得体のしれない者に追われて無事逃げ切った時のように、興奮と安堵感が押し寄せてくる。
しかし・・・日常生活で「正直者」を演じていてはなかなか大きな嘘というものは付けない。
そこでだ、私は「大きな嘘を回避する」という非日常を作るべく・・・・・・・・殺人を犯そうと思う。
この世界、いやそれは言い過ぎか・・日常生活に起こる最大の非日常は殺人事件にあると考える。
それはなぜかといえば、すべからく罪を犯してしまったものは一瞬でも隠すため嘘を付こうと考えるからであり、その嘘がうまいほど捕まらない。
となれば正直者を演じ続け、そのために嘘を付き続けてきた私は捕まらず逃げおおせる事が簡単に出来てしまうのではないかと。
日常に潜むべき非日常をこの手で生み出し無かったことにするという、所謂マッチポンプのような行動は私のような「嘘つき」にとって最高の快感になることだろう。
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