米良の宿
「アマメだって」
私は前の座席をつかむようにしながら、声をあげた。
「はい。ゴキブリのことをこの地方ではアマメと呼んでいるんですよ」
「その老人は、運転手さんに色んな話をしたようだね」
私はそう言いながら、乗降口から二番目の席に移動した。運転席のはす向かいだった。
「はじめはあまりにも荒唐無稽な話なので、信じられなかったけど、話を聞いていくうちに、だんだんと、そんな考えもあるのか、と思うようなりました。
鬼の磐屋古墳は男狭穂塚、女狭穂塚の近くにあって、ハヤト人の祖といわれるクマソ系の族長の墓ではないかと考えられています。
その鬼の磐屋古墳の外壕が、二、三年前に改修されました。辺りは、春にはソメイヨシノ桜と菜の花が一度に咲き誇って、古代ロマンを彷彿とさせてくれるところです。
その時はゴキブリのことは、たいして気にもとめず、図書館を出てタクシーで近くの埴輪公園に行かれたそうです。
埴輪公園は宮崎市北部のこんもりとした森の頂上にあって、主に西都原古墳群から出土した埴輪のレプリカを、樫や椎の木立の中においています。
武人、竪琴を弾く女、馬に乗った男をはじめ、当時の生活道具の壺や農機具をかたどった埴輪などのほか、古代人の暮らしが想像できる様々な表情をもった埴輪ばかりです。
この埴輪公園に行かれたのは初めてだったようです。興味深くいろいろと見て回られているうちに、青い苔におおわれた一体の武人の埴輪に目が向いた。高さ三十センチにも満たない上半身のものでした。
じっと眺めているうちに、どこからともなく一匹のアマメがあらわれた。武人の兜の上で、しきりと糸のような長いひげを動かしている。
ゴキブリ、いや、さっきのパンフレットには確かアマメと書いてあった。アマメ?天女と読むことが出来る!
そう気づいたとき、あまりのうれしさに足のふるえがとまらなかったそうです。
広場で客待ちしていたタクシーをとばして、再び図書館へ引き返しました。今度はゴキブリについて、手当たり次第に調べはじめたそうです」
バスの運転手は、時折、私の反応を確かめるように、ルームミラーに目を向けていた。私は父の話を、これほど正確に再現してくれる運転手に、感謝の気持ちでいっぱいになった。
「広辞苑によれば、ゴキブリ科の昆虫の総称。体は甚だしく扁平で幅が広く楕円形。多くは褐色や黒褐色で、油に浸ったような光沢がある。元来は熱帯性で種類も多い。別名アブラムシ。
老人は図書館の窓際の机に陣取って、瞑想に耽り、あれは四十代半ばに読んだ古代韓国の歴史書の中に、オンドルの季節になると地中からおびただしい数のアブラムシが這い出てくると書かれいたことを、ぼんやりと思い出されたそうです。
春になってオンドルが焚かれなくなると、韓国各地の床下で冬を越したアブラムシの大群は、中国大陸奥地の黄土から吹きあがる黄砂に乗って、日本海に向かうのだという。その光景は天女の錦帯が、春風と戯れているようにも見えるほどだと歴史書には記してあった。
老人はこの事に何故もっと早く気づかなかったのか悔やまれていました。
今度の旅で、アマメの存在を知ってはじめて、中国大陸と古代日向がつながるかも知れないと言う、手応えを覚えられたそうです。
老人の説によれば、アブラムシの大群は日本海を吹き渡る黄砂に便乗し、壱岐、対馬を経由地にしながら、北九州に上陸した。
壱岐、対馬それに北九州の人々は、同じ海道づたいに天照大神一族や魏志倭人伝を書き残した航海者達がやって来たことを、古来からの伝説として知っている。
毎年同じ季節に、西の海道から姿を現し、東の空に飛んでいくアブラムシの大群を見上げて、思わずアマメ(天女)と声をあげ、中国や韓国の文化を運んできた使者達と重ね合わせていたに違いない。
錦帯を思わせる、光り輝く帯の群は、長くきびしい冬が終わり、やがて訪れる春の先導役だったのだろう。
(アブラムシをアマメ(天女)に転嫁させたのは、天照大神一族や魏志倭人伝の旅行者達の渡来が前提だったんだ)
老人は宮崎県立図書館の壁面ガラス越しに、外の景色を眺めながら、そう思っていました。
若い頃から、仕事の合間に古代史を勉強してきた思い出が、静かに浮かび上がってくる。
広場中央の大木から、多数の木の葉が舞い落ちている。あれは、茶褐色に色づいた楠の枯れ葉だろうか。地面にはなかなか落ちようとはせず、中空に舞い遊んでいるように見え
る。
(錦帯はここにもある)
老人はしばらくの間、アマメと枯れ葉を重ね合わせるようにしながら、図書館のガラス窓の外を眺め続けられていました」
バスはダム湖にそって、くねくねとした道路を走りつづけた。湖面が開けたところでは、吹きぬけていく風で、白波がたっている。山の斜面には、植林された杉木立が整然と列をつくっていた。
「言われてみて、なるほどそうかも知れないと、妙に納得しました」
五十歳代の運転手は、白い手袋の手を、ハンドルにおきながら言った。
「いい話だった」
昨年の今頃、父が西米良の民宿からかけてきた電話のことを思い出しながら、私は静かに言った。
やがて前方に、ダム湖をまたぐようにして、赤いアーチ型の吊り橋が見えてきた。
「あんな嫌われもののゴキブリを、アマメと読み替えるには、老人の説が的を射てるのかも知れないと思います。
えらい学者先生達は、アマメと天照大神一族の中国からの渡来とを結びつけたりして、不謹慎だと言って怒ったり、笑うかも知れません。
しかし、本当のことは誰も知らないのだから、説得力のある老人の説は無視できない」
私には運転手の話が、実感として伝わってくる。
たとえ東京から遠く離れた土地であっても、父の精一杯の努力を認めてくれる人のいるのがうれしかった。
「昨年、ちょうどこの辺りを走っているときでした。お客さん、ほら前方に、赤い吊り橋が見えますね。
いままで何にもなかったあの辺りの湖面の方から、帯のようなものが舞いあがってきたんです。老人もすぐに気づかれて、錦帯だと叫ばれました。
バスの速度を落として見ていると、その錦帯は、半円形の橋の間を、泳ぐようにすり抜けていきました。時間にして二、三十秒ぐらいでした。
何か小さなものの塊だったように見えましたが、正体はわかりません。冬のこの季節に、アマメが戸外で活動するはずはない。
この道路を二十年近く運転していますが、あのような情景を目にしたのは初めてでした」
私は運転手の話を聞きながら、赤い色をした吊り橋の方を見ていた。
丁度、材木を満載したトラックが、橋を渡ろうとしているところだった。大きなカーブを曲がってすぐに橋にさしかかるために、トラックのスピードは極端にダウンしている。
橋の上は風があるのだろうか。トラックの荷台に積まれている材木から、何かがパラパラと舞い上がっている様子だ。
「木っ端みたいですね」
バスの運転手も気づいていたようで、徐行しながら言った。
山間にわずかに射し込んでいる冬日を受けて、その木っ端は落ちる場所を失ってしまったように、宙に舞い続けている。遠目には、アマメの乱舞にも見える。
父が昨年見たという錦帯は、このような情景を拡大したものではなかろうか。その時と同じ姿を連想させるようなことが、いま目の前で起きている。
「偶然ですね」
運転手も昨年の出来事を連想させるような光景を目にして、少し緊張しているような声だった。
私はその夜、西米良の民宿に一泊した。丁度一年前、父が利用した宿だった。二階の窓の下には渓谷が迫っていた。
川幅の大半をゴロゴロした岩石が占めている。白い流れがその間を、左右に屈折しながら流れ下っていた。渓谷から聞こえてくる渓流の音は、流れのいきおいにくらべて、しずかだった。
私は夕食に地元の焼酎を注文した。西都市の蔵元のラベルだった。それをお湯割りにして、ゆっくりと時間をかけて味わった。晩年、父の晩酌の相手をつとめながら口にした香りだった。酔いがまわると、私は家に電話をかけたくなってきた。
部屋を出て、階段の踊り場に設置してある公衆電話のプッシュボタンを押した。昨年、父もこの場所から、東京に電話したのだろう。薄明かりの照明に光る受話器に、懐かしさを覚える。
「もしもし」
妻の声だった。出張に出て初めて聞く妻の声だ。携帯電話を家に忘れたまま出発したこ
とをなじられた。
「元気そうね。いつ帰るの」
「明日、宮崎発の最終便に乗る」
「あら、北九州じゃなかったの」
「講習会が終わったあと、親父が最後に歩いた土地に行ってみたくなってね」
「今どこなの」
「西米良だ」
「え?」
妻の戸惑いの表情が見える。彼女は義父が昨年この土地をたずねたことを知らない。おそらく初めて聞く地名なはずだ。
父は古代日向の文献を調べているうちに、西米良が熊本県境に接する秘境の地と知ったのだろう。
約一週間をかけて、日向各地に点在する古代遺跡をまわり終えて、宮崎県立図書館で文献を調べ、埴輪公園で決定的なイメージをとらえた父は、ダム湖から舞い上がる錦帯を目撃して、自分の描いたアマメと天照大神一族渡来の傍証に確信を持ったのだ。
ここはまた、西都原古墳群の延長線にもなる。一ッ瀬川のダム湖沿いに走るバスの車窓から舞い上がる錦帯を目撃したときの父の衝撃は、想像を絶していたかも知れない。
老齢の父は、東京から遠く離れた山奥の安宿で、長年の研究の結実をむかえ、恍惚のときを過ごしていたのだと思うと、私は炬燵に腹這いながら、目頭が熱くなってきた。
暮れの東京はみぞれだった。自宅に帰り着いたときには、もう夜も更けていた。
「お帰りなさい」
私は玄関に迎えにあらわれた妻に、
「すぐに降りてくる」
と言い残して、二階に上がった。まっすぐ奥の父の部屋に向かった。ドアの取っ手の冷たさにぎくっとした。
部屋はほぼ生前のままに残されている。母は一年過ぎた今もまだ、この部屋を整理する踏んぎりがつかないようだった。座机の上には、書きかけの原稿用紙がそのままの状態で残されていた。
春になってオンドルが焚かれなくなると、韓国各地の床下で冬を越したアブラムシの大群は、中国大陸奥地の黄土から吹きあがる黄砂に乗って、日本海に向かうのだという。その光景は天女の錦帯が、春風と戯れているようにも見えるほどだと歴史書には記してあった。
父の原稿は佳境を迎えようとしている。原稿用紙の上には万年筆が乗せられてる。ここで筆を折らなければならなくなった父の無念さが忍ばれる。
「完結させてやりたかった」
不意に背後から声がした。
私はぞっとして振り向いた。一年ですっかり老けこんだ母が、ドアを背に父の亡霊を思わせる蒼白の姿でたっていた。
日本創世は渡来人によってなしとげられた。主人公はそのように信じて、ながねん研究を続けてきました。