女の子は分からないね
ひとしきり泣いて、泣いて泣いて泣きまくって、彼女の手を強く握ったまま眠った。漂流した疲れを癒すために、まるで泥のように深く、深く眠った。
目を覚ます。寝る前までの気持ち悪さは何処へやら、とても気分のいい寝起きだ。
天井の色も、なにやら違っていた。暖かみを与える茶色の床に、静かに室内を照らす魔晶石の光。
背中にはなにやら柔らかい感触。もふもふで心地よいそれは、村の自室のベットより快適だった。お腹には毛布が掛けられており、それがまた2度寝の誘惑を誘う。
そして、彼女───イルシィリア・シャルローゼは、椅子に腰掛け優雅に本を読んでいた。彼女が手に持つティーカップからは、紅茶の高貴な匂いが立ち上っている。
魔物大辞典、か。
人類が地上や地下迷宮、都市迷宮で発見した魔物の情報が事細かに記されている情報本だ。確か凄くお高かったはず。とても庶民に買えるものではない。
「……あ、起きた? 調子はどう?」
彼女は、モゾモゾと動く僕に気が付き本をパタンと閉じた。優しくカップをソーサーに戻し、僕をそっと覗き込む。
「………かなりいい、です」
そう言うと、まるで花が開いたかのように満面の笑みを浮かべる。そして次の瞬間には、心配していたのだろうかホッと安堵の息を吐いた。
「運んでくれて、ありがとうございます。それと回復剤と栄養剤も………服まで新しいのを着せてくれて、本当になんと言ったらいいか………」
至れり尽くせりの見本、というような対応である。感謝しても感謝し足りない。
「うぅん? 気にしないで」
彼女はあっけらかんとそう言うが、それは無理だ。ここまで丁寧に僕へ尽くしてくれて、何も感じないという方が無理な話である。
「……わたしの方こそ、ごめんなさい。キミに、要らぬ苦痛を与えてしまって……」
毛布の上に置く両手が、強く握られたのを自覚した。
そりゃ、悔しいよ。悔しくて悔しくて、後悔してもし足りない。辛くて悲しくて苦しくて………けど、僕はそれを乗り越えなきゃいけない。お父さんやお母さん、みんなの死を無駄にしないためにも。
それはない、幻だ。ありえない、そんなはずは無い。などと適当な理由を付けて家族の死から逃げるのは簡単だが、そうじゃない気がした。しっかりと彼らの死を受け止め、糧としなくてはならない。
だから、悲観する彼女にかける言葉は罵倒や罵声ではない。本当のことを隠さずに教えてくれてありがとう。貴女が本当のことを教えてくれてよかった。そう、伝えた。
彼女は、一瞬ポカンと驚いた表情になるが、直ぐに顔を元に戻し、しっかりと頷いた。
「それじゃ、改めてよろしくね! シルム・レートグリアくん!」
「……はい。イルシィリア・シャルローゼさん」
力が必要、ということはハッキリと分かった。魔物を圧倒し、蹂躙できるような実力を付けなくては、大切な人もの守れない。
………父さん。僕頑張るよ。
いつか見つかる大切な何かを守れるように。父さんが必死に繋いでくれたこの命を、無駄にしない為に。
そして何より、村の皆のために。
そのためにも、お父さん。
どうか、天国から見守っててね。
僕がそっちに行く、その日まで。
(僕………がんばるからっ!)
それから僕たちは、数十分ほど他愛の無い話に花を咲かせていた。僕が漂流していた約1ヶ月の間の出来事や、お互いの趣味について。
「これからどうするの?」
彼女からそう聞かれたとき、僕はかなり迷った。身よりもなければ家もない。故郷もなくなり知人もいない。
強くなる。という生涯の目的を果たすために、僕は戦わなくてはならない。その時考えた選択肢は、冒険者になるか傭兵になるか兵士になるか。これくらいだった。
冒険者とは、地下迷宮や洞窟などを探索、調査して魔導具や魔石の収集、発掘などを生業とする者のことだ。他にも地上の魔物や猛獣などの駆除を頼まれることもある。完全出来高なので、収入が安定しないがより強い魔物と戦えるだろう。
傭兵は、貴族や商人に雇われて移動時の護衛をしたり金で雇われて戦争なんかに参加する。
相手次第だが金額は意外と高いので、仕事を受けられれば懐が暖かくなる。
兵士は、戦争や紛争などに帝国軍人として戦う物のことだ。まあ兵士にはならないけど。訓練や門番、警備などで拘束時間が長すぎるからだ。僕にはあってないだろう。
となれば、冒険者か傭兵しかないんだが………どうしようか。お金が無い現状としては一攫千金を狙う冒険者も魅力的だが、コツコツ働いて対人戦闘の実力も上がる傭兵もまた魅力的だ。
うぅーむ………。
顎に手を置いて考えていると、シャルローゼさんがとある提案をした。
「だったら、わたしの助手ってのはどうかな」
助手?
どういう意味か分からず首を傾げると、彼女は意外と真剣そうな表情で話し出した。
「前に言ったけど、わたしは長い間この都市迷宮を攻略してるの」
洞窟で話してくれたものか。
衝撃的でハッキリ覚えている。
「そこで! モノは相談なんだけど………ここでの探索や素材収集、あとは炊事や野営地の展開などなど……手伝って欲しいなぁって」
「……つまり、雑用と」
「え? ま、まぁ………って雑用じゃなくて! あくまで助手! 助手だから!」
探索や素材収集云々はともかく、炊事や野営地は完全に雑用じゃないか。
………けどまあ、旨みはあるな。まず第一に、地下迷宮の雰囲気や魔物についてより深く学べる。しかも助手(笑)ということは衣食住も確保され、僕が学べる環境になっているはずだ。
更に、長い間ここで過ごしたシャルローゼさんに色々なことを聞けるかもしれない。
悪くない案だな………
「ど、どう? もちろん、キミが望むなら剣術や魔法の手ほどきもしてあげるし、魔物や地下迷宮、迷宮都市についても全部教えちゃうよ?」
やけに必死そうに、早口で捲し立てるシャルローゼさん。その姿がちょっと面白くて、クスリとした笑いが溢れた。
「ちょっと! 何笑ってんの!」
ビシッと指を突きつける彼女。その姿もまた面白く可愛らしく。口元に手を当てて笑うのを堪えた。
「……はぁ、まあいいや。それでどうするの? 個人的には、助手がオススメだけど〜……?」
ふーむ……メリットが沢山だな。対してデメリットは少なめ………悪くない、非常に悪くないな。
ベットから降りて床に立つ。久しぶりの二足直立は、意外と大変だ。少しだけぐらつくが、ベットに手を置いて体勢を整える。
「………よろしく」
そう言って、右手を差し出す。
彼女が言う助手とやら。非常に旨みがあって食べ応えがありそうだ。オマケに、噛めば噛むほど美味しさが溢れて来るときた。
「うんっ! よろしく!」
彼女は、差し出した右手を同じ右手で取り握手をすると、間髪入れずに僕の体を引き寄せた。
女の子ぽい柔らかさと甘い匂いがする。彼女は、やや強めに僕の背中をパンパンと叩いた。
「助手として、頼むよシルム!」
「……ま、君を困らせない程度に。イルシィ……リア?」
「アハハっ。イルシィ、でいいよ」
「ん。了解イルシィ」
いずれは助手兼お友達にでもなれるといいと思う。そうすれば、お互いに変な気を使わなくて済むし。
握手をし終え、お互い少し離れる。
「早速だけどシルム!」
彼女の大きな声が響く。腹から出した声だ。
その声はちょっと……いや、かなり大きい。2人しかいないんだから、もう少しだけ小さくしてほしいな。
「わたしの助手になったからには、それなりの自衛能力を持ってもらいます!」
ある程度、ねぇ………。
彼女の言うある程度、ってのはどれくらいの事だろうか。剣を構えて振る、程度なら出来るが………。
「っと言う訳で、今からちょっと冒険に行きましょう! はい準備準備」
手をパンパン鳴らしながらそう言う彼女。そのまま壁際の木箱から真新しい服やズボンを取り出す。
「これに着替えて、元の服は置いといてね。わたしは武器を持ってくるから。戻ってくるまでに着替えておくようにっ!」
そう言うなり駆け出して扉を急いでくぐり抜ける。数秒かした後、それは独りでにゆっくりと閉じられた。
なんかキャラ変わったなぁ………猫の皮でも被ってたんだろうか。まあ、下手に敬語な堅苦しい関係よりはましか。
そう無理やり納得し、彼女が床に放り投げた服達に袖を通す。元着ていた服も、丁寧に畳んで床に置く。
素材自体は、大したこと無さそうだ。普通の布を使っており、デザインもそんなに凝っていない。
白いシャツに、深い藍色のズボン。両方とも裾は長く肌は見えない。動きを阻害しにくく、着心地も悪くない。
品質も、悪いものではなかった。
決して良いとも言えないが、文句を言うのはよそう。下手に噛みつかれても面倒だ。
「ほぉ〜い、これだよ〜っ」
両手いっぱいに何かを抱えて部屋の扉を開けるイルシィ。こちらに数歩だけ進むと、無造作にその拘束を解いた。
ガシャンガシャンっ、という音を当てて、それらは床に落下する。
どれも両刃の剣だった。大きさや長さはそれぞれで、よく見たら鍔や柄の形も違う。
どれも装飾はなく無骨な印象を与えるが、どれも頑丈そうで頼りがいがある剣だ。
「ささ、1つ選んで。軽く振ってみても良いから、使い易いのをね」
「わかった……」
全体的に見回して物色する。
どれも刀身は薄く細めだ。しかし鍔との間が補強されており、耐久性は高いと見た。
うーん……と軽く手に取りながら唸る。どれもいまいちパッとしない。手に馴染まないというか、これじゃない感があるというか……。
手に取り始めてから6本目。
ちょっと良さげなものを見つけた。
相変わらず幅は細めで肉厚は薄めだが、他より若干刀身が長い。そして、かなり………というか、めちゃくちゃ軽かった。他の片手剣と比べてもかなり軽く、重めの短剣程の重量しかない。
そのくせ、柄は長く両手でも扱えるようになっている。
片手剣にもなるが両手剣にもなる。かなり軽めの上、重心位置も随分と柄側に寄っているため振りやすい。
明らかに、これだけ武器の質が違う。刃はまるで銀の様に光を反射させ、一切の曇りがない。どんな金属を使ったんだ、これは………。
「それにする?」
「うん。これだけ、なんか………特別な感じがする」
恐らく、というか十中八九特別なものだろう。ここまで長くて両手剣でも扱える程なのに短剣ほどに軽い。いくらなんでもありえない。
「目敏いね! それはミスリル合金製のバスタードソードだよ」
目敏い、っていうか………多少剣を知ってる人からすれば当たり前にわかる事だけどな。だって、明らかに重さと光沢が違うだもん。
褒められても大して嬉しくない。
「ミスリル……」
「そう、ミスリル。別名灰白鋼とも呼ばれる希少金属」
ミスリル……と言えば、ドワーフの山でしか取れずに超希少で流通量が少なく、武器にも鎧にも使える超高級金属素材のことか。
銅のように打ち延ばせ、ガラスのように磨ける。銀のような美しさだが、黒ずみ曇ることがない、と評されるすげえ金属である。
「あ、それとは別にね」
彼女は部屋の木箱を開けて、手を突っ込みゴソゴソと弄くり回す。そんな中身を見ないで目的のものが掴めるの?
「んー……っとね。あっ、これだ!」
あったみたいですね。
良かったです。
「はいこれ! 助手のお礼、前払いってことでね! プレゼントするよ」
差し出されたそれは、やけに黒味かかった短剣だった。
柄の長さが先程の剣と同じ程あり、刃はやや分厚くて太い。同じくらいの重量。
この色と重量感………アダマンタイトか?
地中深くの純度が高い鉄に、莫大な時間をかけて魔力がゆっくりと注がれることにより出来た素材。こちらも、ミスリルに負けず劣らずの超高級素材だ。あとめっちゃ硬い。
こんな凄いプレゼントを貰っちゃって……これの価値に見合う働きがどんなのなのか想像も出来ないや。