別れは辛いね
しどろもどろになりながらも名前を尋ねると、彼女は電杓を壁にかけて部屋を明るくしてから、笑顔で答えた。
「わたしはイルシィリア・シャルローゼ。冒険者だよ!」
イルシィリア・シャルローゼと名乗る少女は、明るくはにかんで自己紹介を済ませた。しかし、内容は簡潔そのものだ。もっと他にもあるのではないか?
「シルム・レートグリアです。まあ、その………崖から落っこちて流れ着いた、のかな? 助けてくれて、ありがとう」
少女は、一瞬ポカンとした顔になるも、すぐさま元へ戻った。
なんで分かったの、みたいな反応してるけど、あの会話で分かったからね?
「いやいや、とんでもない! 偶然ここに来たら人が倒れてるんだから心配したよ」
やはり僕は流され着いてここに来たのか。しかしまあ、なんという強運か。恐らく人生で全てのツキを使い果たしたな。
「め、面目ない……」
「ほんとだよ! しかも痩せ細って顔色も悪くて所々海藻が張り付いてて………死んでるかと思ったよ」
腰に手を当ててそう言う少女は、僕と同じくらいの歳の美少女だった。
背中まで伸ばした髪は綺麗な銀髪で、左側頭部だけ三つ編みにしているお下げが可愛らしい。眼はアメジストの様な紫色で子猫のようにクリクリ。100人いれば100人が振り返る様な容姿で、非常に整った、可愛らしい、美しい、愛らしい顔をしている。また、その顔に浮かぶ大輪の花の様な笑顔も魅力的だ。
「崖から落ちるなんて、ついてなかったねぇ……いや。こうして助かっただけでもかなりの幸運かな?」
控えめに、しかしハッキリと首を傾げて問いかける彼女。ややあざとさを含んだ笑みは、見るものを笑顔にさせる。
「まあ、そうですね……」
確かに、父親から崖に落とされるのはついてなかった。それ自体は、非常についていなかった。
まあ、過ぎた事は仕方がない。取り敢えずは、あの村に戻るとするか。そのためには、情報収集だな。
「………ところでシャルローゼさん。ここって、どこか分かりますか?」
「ん、何処かって? そうだなぁ………この洞窟は、とある地下迷宮の秘密出口だよ」
地下迷宮? それって確かお父さんの………ってか秘密出口ってなに。
「何言ってるんだ、って顔してるねえ。いいよ、説明したげる」
よく聞いてね! そういう彼女は、親友のバルムズが良くしていたように腰に手を当てて声高らかに教えてくれた。
曰く、この地下迷宮の名称は【始まりの迷宮】。名前の通り、駆け出しで初級レベルの冒険者や傭兵、見習騎士なんかが挑戦する地下迷宮なんだとか。
彼女は、この【始まりの迷宮】にて暮らしているらしい。それはどういうことか。
彼女は、この迷宮の秘密を偶然知った。その秘密は、この地下迷宮は超初心者レベルの最安易ダンジョンなんかでは無く、その更に奥の地下には大陸でも最難関と言われる超大規模迷宮……所謂迷宮都市が広がっているということ。
海底の地下に存在するその迷宮都市は、現状彼女しか知るものはおらず、彼女はそのだだっ広い迷宮を攻略しながら自給自足生活をしているらしい。
もちろん、必要なものは魔石や素材などを売却して近くの街で買い揃えているらしい。
「って感じかな。ひとりぼっちなんだよねぇ………あははは」
最後にそう笑う彼女は、なんだか少し悲しそうで、寂しそう。
ひとりぼっちがどれほど辛いのかは、僕も知ってるつもり。ここはぼっち同士、傷を舐め合おうではないか。
「同類、みたいなものですね。僕たち」
まあ、彼女の場合は母親や父親、兄弟がちゃんとおり会いたかったらいつでも会える………いや、それは無いか。
まだ年端もいかない少女がこんな場所で自給自足生活を送るなんて、普通じゃない。きっと、本当にひとりぼっちなんだろう。
僕と同じだねシャルローゼさん。身寄りがいないぼっち同士、せいぜい仲良くしよう。
………とは行かないな。ここには長居できない。一刻も早くあの村に帰って様子を見に行かなくては。
「んふふっ。そうだねえ」
しかし、彼女を見てると全然寂しそうには見えないな。これは演技なのか本心なのか。僕には分からないが、本当に何か抱えていそうだ。
「あとは気になることとかない?」
「あ、それじゃあ………ここって、どこです?」
頭に疑問符を浮かべて、首を傾げるシャルローゼ。さっき言ったじゃん、と言いたそうな顔だが、僕が聞きたいのはそっちでは無い。
「都市迷宮の入口、とかじゃなくて………具体的には、どの地方ですか? ここは、帝国の領内……ですよね?」
そこまで言うと、彼女はやって理解したようで手をポンと叩いた。
「そういう事ね。ここ【始まりの迷宮】は、帝国領の最北部。首都のシャールから北西に………えっと、どれくらいだろ? んんとぉ………分かんないや」
最北部…!
生まれ故郷のソーリャ村は帝国領最南部に位置する半島の先っぽだ。 それが最北端だって? 1番遠いじゃねえかよ。なんか逆にすごいな。
「さ、最北部………うそでしょ………1番遠い」
馬車と徒歩で、どれくらいかかるだろう………年単位になるのかな。離れすぎてて想像もつかないや。もう考えるのやめようかな………。
「ん? 1番遠いって? どういうこと?」
興味津々な様子のシャルローゼさん。ここだけ見ると年相応だ。こんなダンジョンの洞窟の中にいるのが不思議なくらい。
「僕の故郷の村………サリウス半島の先っぽにあるソーリャ村なんですよ………」
最悪だ。よりにもよって1番遠いところに流れ着いてしまうとは。やはり、僕は命が助かっただけで他は見捨てられたらしい。
「へぇ………ん、ソーリャ村? それってどっかで聞いた事あるような………」
聞いた事ある? それは大事な情報だ、是非とも聞かせてくれ。僕の今後の方針と目標に関わる。
「……っあ! 思い出した! その村って、廃墟になって見つかったんだよ!」
──────え?
は、はいきょ?
な、なに言ってんだこの人。廃墟って………そんなまさか。死んだのか?僕以外の、村人全員が?
「んーとね………これ、見てみて」
彼女が手渡してきたのは、1枚のスクラップ。近くの街で売られていた新聞の1枠を切り取ったようだ。
して、肝心のその内容は………。
『サリウス半島南端のソーリャ村、廃墟となって見つかる。村長のディブルス・ソーリャと守衛長のガムレッド・レートグリアの遺体を確認。魔物に荒らされた痕跡有り』
そう、ハッキリとした文字で書かれていた。
「ん? ガムレッド・レートグリア……って、苗字がキミと同じ……」
「………とう、さん」
震える声で、何とか言葉を発した。彼女は、その意味を理解して、自分のしてしまった過ちを理解した。いや、してしまった。
頭を下げてくる。
ごめんなさい、余計なこと言っちゃって、気分悪くしたよね……と。
いい、もう別に。薄々気付いてた。
もう気にしてないから。だから静かにしてくれ。頼むから、黙ってくれ……。
「ご、ごめんなさ───」
「───いいって……!」
彼女は、僕の言葉に含まれた怒気を感じ取ったのか、顔を真っ青にして項垂れた。
………そうだ、静かにしていてくれ。
僕には、現実を受け止める時間が必要なんだ……この辛い事実を、乗り越える時間が必要なんだ。
「………シルム」
名前が、聞こえた。
まるて、いつもお母さんが優しく囁いてくれた声。
いつも優しく、包み込んでくれるような安心感。そして、何者からも守られているような声。
固く握り締められている両手に、何かが触れた。それは、僕の拳の握りを優しく解し、何も言わずにそっと包み込む。
僕はそれを、強く握った。これ以上ないほどに、強く強く。堪えきれない悲しみと苦しみを、押し付けるが如く。
彼女は、何も言わない。痛いはずなのに。こんな細くて美しい白い指を思いっきり握りこまれて、すごく痛いはずなのに。
「………っく。……っぅ」
声にできない悲痛な訴えが、涙となって頬を伝う。思わず天を仰ぎ、この心の痛みを噛み締める。
「シルム………シルム」
「う、うぅ………っ! 母さん、父さん………なんでっ……ううぅっ!」
強く握る両手を、同じくらい強く握り返される。僕は、まるでそれに縋り付くように、それを額に乗せた。溢れ出る涙で、乾いた手は湿る。
一生懸命、擦り付ける。この苦しみを、お母さんと共有するように。まるで子供みたいに、ただ無心で、お母さんに甘えて。
大声で、泣き喚いた。